きっと誰かが

「ざぁんねんだったなぁ、トトぉ! 俺の勝ちだ。七回の序章で俺に思いやりパリィを許してしまったのが運の尽きだったな」


「くそ……もう一回だ! 勝つまで何度だってやってやるぜ!」


「次は僕も一位争いに食い込みたいなぁ。次は思いやりインタラプトを積極的に狙ってみようか」

 

「友近の腹黒さを活かせば、活路はあるんだな」


 そうして俺達は刻限が迫っているなんて嘘みたいに、思い遣り野球に興じた。でも、嘘じゃないんだよな。


 時計の針は巻き戻せても、時間は不可逆的に刻み続けられるから。友近との別れを意識して、こうして遊んでいるのは、目を逸らすためだけじゃなかった筈だ。


 八回の四章。おそらく、これが……泣いても笑っても最後の章になる。


 ――バチーン!! トトの豪速球が唸りを上げて友近の構えるミットに収まった。


「痛いんだけど」


 友近が涙目になりながら、トトを睨む。


「おいトト。今の思い遣り野球の速度じゃなかったぞ」


「速すぎて打てないか? ミッツマン」


「いや、遅すぎて止まってすら見えるけども」


「上等だ。じゃあ、球速は別にこのままでも良いよな」


 こっちこそ上等だ。思い遣り野球のルールなんて関係ない、スタンドまでぶっ飛ばしてやる。


 でも、その前に。忘れちゃいけないこと、今の内に済ませておかないといけないよな。


「なぁ、友近」


 振り向かずに声だけ掛ける。だらだらと先延ばしにしてきた言葉を。


「んー?」


 明日を迎えると同時に友近が消滅してしまう。それを知っているからこそ、俺はちゃんと精算をしたいと思う。


「最初にさ、ここで野球をした日のこと、覚えてるか?」


「覚えてるよ。まだ一年も経ってないし」


 俺が見解の不一致で所属する集団から『追放』され、ラジオで小耳に挟んだ『ノア』を目指す道中、俺達はこの場所に立ち寄った。


 我ながら相当に面倒くさいレベルで気落ちする俺への配慮だったんだろう。その時、トトと友近が無理やり俺に野球をやらせた。


 それが原型となって、この思い遣り野球がある。


「ずっと言い忘れてた事があるんだ」


 トトの投球を見送る。これでツーストライク。


「あの時の俺は相当ぶっきらぼうに振る舞ってただろ」


「うん。荒れてたね」


 返球。


「あの時に言えなかった言葉を聞いてくれ」


「……なに?」


 忘れてしまう前に。お前が消えてしまう前に。言おう。言えなくなる前に!


「俺に着いて来てくれて、ありがとう。おかげで俺、こうして笑って生きてられる」


 振り向かない。振り向いたら、きっと俺は笑ってなんていられなくなるから。


 背後で友近が身動ぎをした気配があった。そういえば、背中に気をつけろって言われてたっけ。無理だ。見れない。心の中がぐちゃぐちゃだ。


「僕からも、言えなかったコトがあるんだけど、聞いてくれる?」


「ああ」


 短く返事する。長く喋ったら、声が震えてしまいそうだから。


「今日の昼の事だけど」


 すぅーと空気を吸う音が聞こえた。そして――。


「裏切って、ごめん。グローブの傷を知ってるのに、あんなことして、本当にごめん」


 おい友近、どうした。声が震えてるぞ。そう指摘したいのに、どうにもダメだ。


「それと、見捨てないでくれてありがとう」


「だから、それは、俺の台詞っ、だっての」


「消えるのが怖かった。今でも怖いよ。でも、なんとか前向きに消えていけそうだ」


「……そうか」


「無意味な人生だったのかも知れないけど、良いんだ」


 その言葉はトトにも聞こえているだろう。勿論ふくちゃんにも。


「トト、ふくちゃん、それとグローブ」


 そんな風に呼びかけなくても、この世界は恐ろしいくらい静かだから、聞きたくなくても聞こえてしまう。


 全員揃って鼻なんか啜っちゃって、風邪が流行でもしてるのか。


 寂しさを募らせて、切なさに埋もれて、耳を塞ごうと、別れの足音は正確な足取りで近づいてくる。


 トトが大きく振りかぶった。


「ただ、君達と友達になれてよかっだ。今はそれだけで、胸がいっぱいなんだ……!」


 視界が霞む。正直、球なんて見えやしないけど、打ち砕きたいものは他にあるのに、俺は遣る瀬無い気持ちをぶつける勢いでバットを振り抜く。


 ――甲高い音を伴って、高く遠く何処までも、飛んで行く白球を俺達は無言で見送った。


「ホームランで減点だな」


 笑みを貼り付けて、トトが言う。そのトトの笑顔に違和感を抱いて凝視する。


「あ、あれ?」


 違和感どころの騒ぎじゃなかった。俺の視界が大変なことになってる。全体的に霞んで見えるぞ。


 ごしごしと瞼を擦ると、液体が手についた。汗? にしては、額は乾いてるのに頬が濡れてるという不可思議状態だ。


 回復した視力で二人の様子を注視すると、二人共似たような動作をしていた。得体のしれない喪失感で、また視界がぼやけて万華鏡みたいになる。


 ああ、この感覚には覚えがある。


 今日、俺は、自警団にあらぬ嫌疑を掛けられて、気晴らしも兼ねて一時避難ついでに思いやり野球をしに来た筈だ。


 二人は正面に居る。でも、この野球にはもう一つ大事なポジションがある。俺はゆっくりと後ろを振り返った。


「人数不足で、観客オーディエンスを切り捨てたんだっけ」


 だから、其処には俺の影があるだけだ。


「…………」


 でも、たぶん。


 きっと誰かがここに居た。

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