裏切られし信頼
懐疑的な男の方の信用を得るには、思うままにさせてやるのが適当だろう。隠蔽工作を行うのに十分な時間を稼いだ。あいつらなら上手いこと友近を隠してくれたと俺は信頼して、和室の襖を開いた。
「お、おかえり、なんだな」
布団が一組敷かれている。そこにふくちゃんが横になっていた。その時の俺は、ひどく無機質な表情をしていたと思う。俺はほとんど白目になって、その傍らに座るトトに顔を向けた。
「う。おかえりミッツマン! 胃薬は調達できたか?」
そういう設定なのか、『それ』は。
布団に隠れたふくちゃんの腹部が、まるで小柄な人間が一人隠れているかのように異常に盛り上がっているのは、そういう設定だと、そう言う事なのか。
無理があるだろ、どうしてこうなった。背中を冷や汗が伝う。裏切られた信頼を、人は過信と呼ぶのだろうな。よく覚えておく。
「悪い、まだだ。狂乱者が脱走したって話は聞いただろ? その調査をしているとかで、自警団の連中に協力を求められてな」
背後から自警団の男が内部を覗きこんでくる。
「ここに居るのは二名、か。靴は四足あった筈だが」
見る所は見られているらしい。じゃあもうあれが見破られるのは時間の問題だなぁぁぁぁぁ。
「一つは俺が予備として置いてるんだよ」
トトと俺は靴のサイズが一緒だから、そういう事にしておく。悪あがきという自覚はあるが、最後まで抵抗してやる。
「予備? 必要性を感じられないが」
「動物の面倒を見てると結構汚れるんだ。糞を踏んだ靴を履いていたいとは思わないよな? 洗うにしたって濡れるからな」
「一応、筋は通ってる、か……」
靴の数は誤魔化せたけど、予断が許されない状況には変わりない。
後悔がある。
もし時間を巻き戻せたなら、俺はこの現実を変えたいと思う。
怒りがある。
もし時間が許されるなら、今直ぐにでも喚き散らしたいと思う。
泣きたい。
俺がどんなに上手くやっても、現実ってこんな感じになるんだと思う。
己の内に澱み凝るこの負の感情を曝け出せば、現実を後悔で塗り固めるだけ。だって、過去には帰れない。でも、未来を変える事は出来る筈だ。
「で、徳井(ふくちゃん)のその腹はなんだ?」
書き換えさせて、お願い。絶体絶命な状況から目を逸らしたくなる気持ちを一生懸命説得してる内に、最も見つかってはいけない奴に見咎められてしまった。
俺は助けを求めてトトにアイコンタクトを送る。
「……プイッ」
不自然に目を逸らされた。人の期待をぶっちぎりで裏切りやがって丸投げか、俺になんとかしろってか。プイッじゃねーよ、友情をポイッてしたい気分だ。
「腹って? 具体的に言ってくんないと俺ちょっと解かんない」
やけくそ気味に返す俺。
「だから、明らかに盛り上がりすぎだろうが」
不興を買ってしまう。おまけにジャンクマンが咎めるような視線を向けてきた。スクラップにしてやりたい。
「え、なに? 下ネタ? セクハラは願い下げなんですけど……」
「人をコケにしてるのか? 俺はそこで横になってる徳井の腹部の話をしているんだ。明らかに膨れすぎだろうが」
ね、まるで人が一人隠れてそうな感じだよね。男はアレの正体を掴むまで引きそうになく、あっという間に誤魔化しようがない段階まで来てしまった。
「説明はなしか。まぁいい。確認すればハッキリする」
俺を押し退けて、男はふくちゃんの布団をひっぺがしに掛かろうとする。進退窮まる絶対絶命の状況で――。
「待って下さい」
――予想外の方向から活路がもたらされる。
「人の外見上の差異を無作法に指摘するのはデリカシーに欠けると思わないのですか」
俺、第二種人類は闇色の光沢を纏いし潜伏者と同じようにしか見れない筈なのに、月日さんは女神か何かに見えた。
でもね、神って言ったって、輪っかの他に頭に『女』が付いちゃってる時点でね、やっぱり出ちゃうんですよ、拒絶反応が。
ここら一帯にお前の髪と同じ色の雨を降らせてやろうかぁッ! なんて怒鳴って元の木阿弥にでもなったら、消滅を待たずに天に召されるなんて結末にもなりかねない。
暴走しそうに為る感情が行き場を求めた先に、ちょうどいい捌け口があったので内心で飛びつきながら、身体はゆっくりと動かした。
「いい加減にしてくれよ」
前進する、と言う事は、後ろに立つ第二種人類から離れると同義。俺は、食べ過ぎに因る腹痛と心ない言葉によって傷ついた友人を気遣う体で男の正面に立ちはだかる。
こうすることで、俺と第二種人類の間にワンクッションが完成した。そうなると、自然と俺の調子も上がってくる。
「さっきも言ったけど、俺達はさ、一人では抱えきれない傷ついた心を誤魔化す為に集まったんだ」
こうして繰り返し刷り込みをしながら、階下でのやり取りを知らない友人たちにも俺が仕立てた設定を伝える。
「ただでさえ許容量を超えたストレスを抱えてるのに、身に覚えのない嫌疑を掛けられて、それでも、お前たちに理念があるのは知ってるから、協力すると言ったけどな……限度があるだろ」
拳を握った。これで殴りたい気持ちは本当だ。トトを、だけど。
「俺が容疑者だって悪態を吐かれるのはまだいい。でも、友人を異形だとバカにされて、許せるほど寛容でもないッッッ!」
「いや、異形とまでは言ってな――」
「確かに、今のふくちゃんのお腹はいつにも増してふくよかしい。だからなんだ? ちょっと考えれば解るだろ。やけ食いしたんだ。肥満の食いしん坊がやけ食いしたら、そりゃ人一人分くらいは軽く平らげるだろ」
「ちょっと待て、それバカにしてるのはおま――」
「頭がどうにかなりそうだ……! 俺を狂乱者にしたいのか? それで狂乱者と成り果てた俺を捕まえて、平和を守っているだなんて宣うのか!?」
相手の瞳に怒りが宿る。そうだ、それでいい。平静を欠け。思考を排除しろ。異常から目を逸らせ。
「っ! そこまで言われたら俺も黙ってられな――」
俺の煽りに予想を遥かに越えた敵意をぶつけられる。むき出しだ。自警団という組織に相当な誇りを持っているのだろうか。
だが、やることに変わりない。男の顔に手のひらを向けて、飛び出そうとした文句を押し込める。そして、深く息を吐いてから、呟く。
「今のは言い過ぎた……悪い……」
突然述べられた謝罪に、相手が気まずげに睫毛を伏せたのが、指の隙間から窺えた。
「でも、少しでも良いから俺達の心情も斟酌してくれ。脱走の手引なんて真似するくらいなら……いや、お前らには関係ないか。胃薬調達のついでに、ちょっと頭冷やしてくる」
そう言い残して、その場を後にする俺。トトはさぞ心細かろうな、ざまぁみろ。これで俺への数々の裏切り行為を精算してやるから、シメぐらい下手を打つなよな。
◇ ◇ ◇
学校側から距離を置くようにつれづれーっと歩いていると、メールを受信する。トトからだ。
本文にはいち早く危地から逃れた俺に対する恨み言と、その後の顛末が綴られていた。
「差し当たりの難は逃れた感じ、か」
俺が部屋を出て行った直後に、恐縮した様子の月日が男を引き摺るようにして退散していったらしい。ということで、駄菓子屋に戻るとする。
人の気配が失われた閑散とした町並みの中に居ると、あれだな。無性に孤独を感じるからだろうか。俺の脚は自然と、帰路を急いでいる。
その道すがらで、俺は何故か先程の自警団の二人の姿を幻視――錯覚じゃないな。物陰に身を隠して気配を殺す。このへんは慣れたもので、そうしようと思う前に身体が勝手に行動していた。
メールが届いてから10分程度は経過してるのに、どうしてまだこんな所に居るんだ? 聞き耳を立てると、まずは男性の低い声が俺の耳に入ってくる。
「奴等の疑いが完全に晴れたワケじゃない。まだしばらくは監視を続けるべきだ」
「だから、土岐君なら大丈夫って言ってるでしょ。あたしが信じられないの?」
今の会話で成り行きは解った。第二種人類の方からは何故か俺への絶大なる信頼を感じ取れるが、男の方はてんで駄目だな。引き下がる素振りを見せておき、泳がせて尻尾を出すのを待つ公算か。
「
最もだ。徹底的に俺達を疑うのが、自警団の職務だろう。
「それはそう、なん、だけど……はっきり言うけど、時間の無駄だから。こんな所であたし達が油を売ってる間に、脱走した狂乱者と真犯人が事件を起こすかも知れないのよ?」
「月日の言い分も正論だ。だが、それは、奴等が白である前提での話だ。もし奴等が真っ黒なら、俺達は未然に防げたかもしれない悲劇を放置した事になる。違うか?」
「だから、土岐君なら大丈夫って言ってるでしょ」
同じ問答を繰り返してるな。と言うか……誰、この第二種人類。記憶に新しい声と容姿はあの第二種人類で在ることを裏打ちしているんだけども。
あれが素で、俺達の前では外向きの対応をしていたのは解ってるんだけど、あまりにも口調が違うもんだから混乱する。
「土岐とは旧知の仲なのか? にしては、さっきは両者共に他人行儀だったが」
「情報を閲覧したって言ったでしょ。あたしが一方的に認識してるだけ。彼の人柄を考慮すると、彼が悪事に加担するとはどうしても思えないの」
「データでしか面識のない相手を良く無実だと言い張れるな」
「あたしにまで疑心を向けないでくれない? とにかく、あたしは捜索班の方に合流するから。張り込みを続けるつもりなら一人でしてよ」
「仕事は二人一組での行動を義務付けられてるのは月日も知ってるだろ」
「はい、存じていますが?」
「今日の月日は可笑しいぞ……報告に戻るついでに判断を仰ぐ。それで良いか?」
遂には男の方が折れて、二人の背中が遠ざかっていく。月日さんの言っていた『情報』とやらが何処までの物か知らないけど、自警団も甘い連中じゃない。
中々パンチの効いた連中だ。しばらくすれば、また監視者がやってくる可能性は十分にある。
「それじゃあ、身を隠すなら今が絶好の機会って事で」
念の為に少しの間だけ距離を置いて二人を追跡し、完全に離れた事を確認してから足早に駄菓子屋に戻った。
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