行き過ぎし信頼

 ともすれば人類の半数の尊厳を踏みにじる談合を暴かれてしまった俺達に杏樹の下知を謹んで拝命する以外ありもせず。


 手錠を嵌められて強制労働の場に連行される奴隷達のように一列に並んで近くの人気のない教室まで移動する。


 硬いリノリウムの床に正座をし、懇懇と説教を頂いた後、土下座による誠意を見せて、ようやく赦しを得られた俺達はわざわざ移動した意図を杏樹から聞く事が出来た。


「そもそも、その愚行をしようにも肝心の機会は訪れなかったのだけれど」


「なぜでありましょうか」


 言葉遣いも低姿勢でトトが杏樹を見上げて聞くと、ゴミ虫を見るような目がトトに降り注いだ。


「狂乱者が一人解き放たれてしまったって、今学校中が騒然としているのよ。授業どころでは無いわ」


 狂乱者として牢獄に押し込められた人間は例外なく災害を振りまく存在であると認識されている。


 だからこそ、檻に閉じ込めて災害を未然にやり過ごす事が暗黙の了解とされている。それが最も手軽な手段だからな。


 正気を取り戻す為に己を犠牲にするだなんて、そんな赤の他人に親身になってやれる程、この世界に生きる人間を取り巻く環境は易しくない。トトに向けられていた杏樹の冷たい瞳が今度は友近を見据えた。


「案の定、遠間くんだったのね」


 俯く友近の肩が反応する。脱走云々の責は俺にある。ここは俺が話をするのが筋だろう。


「案の定って、詳細は聞かなかったのか?」


「私が聞いたのは、昼ごろから看守をしていた者の不在に交代の者が気づいて、脱走が明るみになったって事ぐらいかしら」


 そういえば、昼休みの時は見張りと会ったけど、俺が友近を迎えに行った時は影もなかったな。


 わざわざ扉を開けてまで狂乱者の収監確認まではしないだろうから、俺は扉を開けっ放しにしてきてしまったのだろうか。俺のバカ。


「檻の番をしてた担当は見つかったのか?」


「行方しれずよ。狂乱者の方も含めて、『自警団』の連中が血眼になって捜索しているわ」


 自警団が動いてるのか。杏樹に従って早めに移動しておいて良かった。


「あれほど軽率な行動はしないようにと口酸っぱく言ったのに、貴方という人は本当にバカね」


「杏樹はカバだな」


「その小学生みたいな切り返しは浅はかさを際だたせるだけよ。それで、これからどうするつもり?」


「とりあえず移動だな。このまま学園の敷地内に留まるのはリスクが高い」


 杏樹は俺の態度がお気に召さないようだったけど、フォローしてる猶予は無さそうなので許せ。


 『自警団』はこの仮初めの楽園の秩序を保つ事を至上目的とする、有志の集団だ。現在の総員は10名強だったか。


 牢獄という概念も、彼等の思想によって普及している。一昔前の警察組織と異なるのは、それが法律を失ったこの世界で公的では無い点と、やや独善的である所だ。


 自警団に危険因子だと判断されれば、一切の慈悲もなく牢獄に幽閉されるし、度し難い所業には正義の庇護の元で行き過ぎた断罪が与えられる。


 独自のルールに則って勝手に人を管理する。傲慢だと思う。しかし、この街、この学園での生活が、一定の平和の中で送れているのは彼等の貢献に因る所が大きいのも事実だ。


 もし自警団に『悪の芽』だと判断されれば、俺達の置かれた状況は一変する。微塵の言い訳も許されない。芽の時点で摘まれる。そうして保たれてきた平穏だからな。住み良い場所は忽ち混迷の時代の様な殺伐とした世界に早変わりするだろう。


 俺達は人目を偲びながら学校を離れる。生き残りの大多数の生活拠点であるノア寮は張り込まれている可能性があった為、別の場所で作戦会議をする必要があった。


 というわけで、一先ず俺がとある事情で利用している駄菓子屋を目指すことにする。


 杏樹の奴は薄情にも「貴方達に付き合う利点もないので、私はこれで失礼するわ」と、一人ゆったりとノア寮の方に消えていった。


 目的地に近づくと、俺の接近を感知したようで、即物的な獣共が建物の影だったり軒先から徐々に姿を現し始めた。それに伴って、トトの歩調が遅くなる。


「……動物は苦手だぜ」


 幼い頃、犬に襲われたのがトラウマになっているらしい。このような獣如きに恐れをなすなど、笑止千万だ。とは言わない。俺も似たような苦手意識はあるからな。


「ミッツの甲斐甲斐しい世話のおかげで、人慣れしてるんだな。ここの動物は滅多なことがなければ人に危害を加えたりはしないんだな。可愛いものなんだな」


 いや別に甲斐甲斐しくなんてしてない。一日一回、食事の世話を適当にしているだけだ。


「俺はトトの気持ちが良ぉく分かるぞ。俺も第二種人類に対して似たような苦手意識を持っているからな」


「共感できねーよ。俺は女子が大好きだかんな!」


 俺もその点は天地が逆転しても共感出来ないな。駄菓子屋に到着する頃には愛玩動物として人の元で暮らしてきたであろう犬や猫共が俺に群がっていた。


 中には野生から人の下僕に下った奴も居るんだろうけど、細かい所は把握していない。俺が知ってるのは、ここに居る犬猫は合計でぴったり十匹って程度だ。


 ちなみにトトはいち早く屋内に飛び込んで靴を脱ぎ捨てて行った。勢い良く階段を昇っていく音が聞こえる。


「甘えたって追加の飯はやらないぞ」


 先程から結構えげつない力で飛びかかってくる大型犬をあしらって、俺も屋内に避難した。


 大型犬――ゴールデンレトリーバーのレオは次なるターゲットを目につけて突撃する。その目には、もはや獲物しか映っていない。


「ふぉぉぉぉぉおおおおおおおお、この食糧は命に変えても譲らないんだな。それでも奪おうと言うなら、相応の覚悟をするんだな」


 かつて駄菓子が陳列されていた棚には複数の鳥かごが並んでいる。軽く騒音判定が出るくらいにはうるさいタタキを通り抜けて、俺も靴を脱いで奥に上がった。



 ◇   ◇   ◇



 世界から多くの物が失われていても、あるものはある。俺達が囲んで摘んでる、この銀のシンプルな装丁のポテトチップスもその一つだ。


 嗜好品の部類は生産量が少なく、しばしば争いの種にもなったりしてしまう事もある。その貴重品を俺は惜しげも無く今日という日に提供した。


 ノア寮の自室に置いておくと杏樹がつまみ食いしそうだからと、ここに隠しておいたんだけど、ふくちゃんの目敏いこと……いや、見つからなくても自ら進んで出すつもりだったけどさ。


 そうして、菓子を摘みながらざっくりと方針を相談していると、不意に階下から物音がした。


「……しっ」


 小さな軋み。ともすれば、鳥の囀りに紛れて聞き取れない微かな音だったけど、直前に犬が吠えていた事もあって、俺は素早く全員に警戒を伝える。


 俺の意図を察してくれたふくちゃんが、入口側から友近を隠すように移動した。


 トトが身振り手振りで、様子を見に行こうか? と訪ねてきたから、首を横に振って俺が行く事を示す。


 取り越し苦労ならそれで良い。でも、もしそうじゃなければ、ここで誰かが時間を稼ぐに越したことはない。


 即座に役割が決まった。ココらへんは長い付き合いの中で培ったコンビネーションだな。


 抜き足差し足忍び足。依然として鳥の囀りがその他の音をかき消してくれるので、問題なく階段を降りて、陰からゆっくり顔を出す。


 居た。男女一組が用心深く辺りを見回しながら此方に向かってきていた。即座に顔を引っ込めて対応を検討する。


 白羽の腕章を付けているから、自警団の構成員で先ず間違いない。どうしてここに? 脱走者を捜索するにしたって、一軒一軒虱潰しに回るのが良策とは言い難い。


 いや、そもそも、この場所は学校からだと徒歩で十分以上掛かる。学校を拠点に捜索をしてるなら、学校から離れた位置にあればあるほど、その範囲は膨れ上がっていく。


 偶然と考えるには不安要素が有り過ぎるな。一定の確信があってのものと考えるのが妥当か。偉くピンポイントだな。目的は俺か? なんであれ、俺が時間稼ぎを引き受けて正解だった。


「やけに鳥が騒がしいなと思ったら来客か。自警団が一体俺に何の用なんだ?」


 何気なく階段の影から姿を曝す。二人して警戒を強めて片腕を腰の後ろに回し、俺を睨んでくる。


 下手な行動をすれば、俺からは死角になっている位置で構えている武器で迅速に制圧しようって魂胆だろうな。


「あのな、いきなり人のパーソナルスペースに踏み込んできといて、その姿勢はどうなんだ……まずは用件を聞かせてくれよ」


 もうこの時点である程度まで把握してるけど、俺の役割は飽くまで時間稼ぎ。時間稼ぎの常套手段といえば、そう、会話なのである。


 困った風を装う俺。男の方にはそれが白々しく映ったのか、それとも取り合うつもりがないのか、警戒を強めて腰を深く落とす。


 その仕草で隠している道具が近接系ってのがもろバレなんだけど、それはそれとして、第二種人類のほうが構えをそのままに、俺の質問に律儀に答えてくれた。


「土岐光火。貴方は今回の狂乱者脱走事件の容疑者になっています」


 二つの意味で急所を突かれて、取り乱しそうになる俺。太陽を嵌めたみたいな灼眼が俺を射抜いて、一本に束ねられた赤髪がプロミネンスに見えた。


 凛っ、じゃなくて、轟って感じ。解る? 解かんないよね。俺も解かんないし、解りたくないし、てゆっか、GOって逃げたいし。

 

 胸中で思い切り動じたおかげで、なんとか取り繕えるまでに持ち直す。


「狂乱者が脱走したってのは杏樹に聞いたけど、俺が容疑者って何故」


 男の方に熱烈な視線を送りながら尋ねる。貴方の方に聞いているんですよアピールである。


 しかし残念ながら、そんな俺の必死の策は虚しく空振り、第二種人類が応じる雰囲気だった。察しが悪いなぁ!


「狂乱者が逃げたと想定される時刻は通常通り授業が行われていました。しかし、貴方は学内に居たにも関わらず、教室に姿が無かったそうですね」


「ああ、そうか。要するにアリバイが無いって事ね」


 幸い、まだ確信には至っていないらしい。強硬手段には出てないみたいだし、まだ決定的な証拠を探している段階か。


「そうなります」


 放送室を無断使用して存在をド派手に喧伝しちゃってたし、下手な誤魔化しは物理的に自分の首を締める結末に繋がりそうだ。


 アリバイ云々で言うなら、秋穂さんも今頃、彼等の尋問を受けていたりするのだろうか。もしそうなら、俺が巻き込んだ事になるけど、違うならここで名前を出すのは得策じゃないよな。


 等と思考に没頭していたら、男の方の視線に含まれた険が徐々に増している気がしてきた。あまり沈黙を長引かせると疑いが強くなりそうだし、不都合な部分は濁しつつ事実を告げよう。


「とりあえず、自警団が俺を疑う理由は理解した。身の潔白を証明しようにも一人で行動してたからなぁ……俺、問答無用で連れていかれたりするのか?」


「場合によっては、身柄を拘束します」


 疑わしきは罰せよか。例え潔白であっても。額に指を添えて顔を覆う。俺は真っ黒だ。


「はぁ。今日は厄日だな、ほんと嫌になる」


 だから慎重に、大胆に己に白化粧を施していく。


「朝から第二種人類に絡まれるし、友人に殺されそうになるし、その友人を牢獄に閉じ込める所まで処理させられるし……不幸だ」


 重い溜息。脳内にルネ美を思い浮かべればいとも容易く出てくる。


「確かに、記録に寄れば、貴方は昼頃に狂乱者を一人捕らえていますね。そのフラストレーションから、むしゃくしゃしてやったと言う事は?」


 むしゃくしゃしてやったってフレーズに吹き出しそうになった。そんなことをしたら台無しだから懸命に耐えたけども。


「バカ言わないでくれ。傷心で授業を受けられる心境じゃなかったから、一人でウロウロしてたんだ。でもな、どうにも消化不良だったから、そのストレスから目を背ける為に同じ傷を負った奴等を招集して傷を舐め合おうとした矢先にこれだ。どうだ、うんざりするよな」


 怒涛の勢いで捲し立てる。顔を覆った指の隙間から赤っぽい第二種人類の挙動を見守る。


 俺の見解に狂いが無ければ、プロミネンスパーティー(仮名)が纏う警戒の色がやや薄まったように思う。プロティー(略称)の注意が逸れると同時に、臨戦態勢が解かれる。


 余りにも唐突だったから『隙だらけだぜっ』と思わず攻勢に出そうになった俺の目前に衝撃の光景が広がった。


「貴方の置かれた状況をもっと真摯に考えるべきでした。あらぬ嫌疑を掛けてしまった事、不快を煽ってしまった事、深く謝罪します」


 頭を下げられる。時間稼ぎになればいっかーってスタンスだったから、理解までに時間を要した。


 困惑する俺を差し置いて、顔を上げたプロティーは乱れた横髪を耳に掛けて俺に背を向ける。


 余りにも背中がガラ空きだったから『背中ががら空きだぜっ』と奇襲したい衝動に駆られたけど、その前に付き人みたいに侍っていた男が先に動く。


「お、おい。何処に行くんだ月日オチフリ


「現状で私達が彼に出来る償いは早々に立ち去る事だと判断しました。後日、改めて謝罪しましょう」


 プロティーはもしかしたらチョロティーなのかも知れない。


「判断は全てを詳らかにしてからだ。まだ容疑は少しも晴れてない! 口から出まかせを言っているのだとしたら、悪の芽をみすみす見逃すことになるんだぞ。せめて家探しくらいは――」


「私には彼が嘘を吐いているようには思えません。私の目が節穴だと?」


 うん、節穴です。空洞です。貫通してます。


「ここを訪れる前に彼についての情報を閲覧してきました。彼は善人です。実際こうして対話をしてみて、確信を得ました」


 それは、過信って言うんじゃないだろうか。その情報とやらに何が載っているのかは知らないけど、俺も結構お天道様に顔向け出来ないことしてきたからな。


 そろそろ俺も口を出させて貰おう。時間稼ぎの任は全うしたから、後は状況を悪化させずに終息させるだけだ。


「おい男」


 男を呼んだのに二人共振り向く。もういい、気にしないように努めよう。


「お前の疑心は最もだ。俺がお前の立場なら、徹底的に疑う。追求した結果、安心って材料があればそれが一番だよな。追求しないで、掴めた筈の尻尾を取り損なったりしたら最悪だ」


 俺は両腕を頭上に持ってきて降参の意を示す。


「家探しでも何でも好きにしてくれ。ただし、手短に頼むよ」


 俺が困った風を装った苦笑を浮かべると、チョロティーは「ほら」と同行の男にしたり顔を見せた。

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