青い衝動と書いてバカというルビはあまりにも有名


 気を取り直して、これから何をするか案を募る運びになった。

 イベントの体裁となっているので、いつも通りを殊更意識する必要は無くなったわけだが、特別も特別で中々困りモノだ。

 食いながら駄弁る、なんていうのは数え切れない程繰り返してるから、今更豪勢な食事を用意して、何かパーティをするのも違うし。

 そもそも、友近は一度『狂乱者』としての認識を受けてしまっているから、目立つことは極力避けたい。

 難しい。そう頭を悩ませていると、いつになく真剣な表情で熟考していた様子のトトが沈黙を破った。


「六限目は体育だったよな」


 集団自主早退の流れから、どうして授業の話になるのだろうかと思ったけど、とりあえず頷いておく。


「俺から一つ提案がある。聞いてくれ」


 手招きをして、身を寄せるよう指示してくる。


「聞こうか」


 全員が輪になって拝聴する姿勢を作ると、トトは慎重に周囲を警戒する素振りを見せてから、告げる。


「覗きをしようぜ」


 トトの真意が読めない。スパイでもするの? 国の秘密でも暴いちゃう? もう国は滅びてるようなもんだけど?


「覗くって何をだ」


「今の脈絡で解らない辺りは流石グローブとしか言えないね」


 尋ねると、俺の方が何を聞いてるんだって反応をされた。心外だ。


「決まってるだろ」


 トトが力強く宣言する。


「女子更衣室だッッッ」


 ふえええええええええええ!? 大袈裟に驚きはしたが……トトの悪趣味は今に始まったことじゃなく、覗きの誘いは過去に何度もあった。頭が痛くなる。


「どうしてこの貴重な日に覗きなんだ。その思考回路を除いてやろうか」


「おいおいミッツマン。こんな日だからこそ、だろ!」


 まだ始まってすら居ないのに、トトは大変興奮して大変態だ。


「乙女という名のバーサーカーに私刑に処されたら命はないんだぞ、解ってるのか」


「見つからなければ問題ない。完全犯罪だ」


「見つかったら下手したら牢獄入りだぞ」


「本望だ」


 言い切った。男らしく言い切るトトに、俺は一種の感銘を受けそうになった。危ない。


「一人でやってくれ。友近もふくちゃんも反対だよな?」


 通例通りなら、ここで二人が反対票を投じて、民主主義的にトトの欲望が握りつぶされる。俺のアイコンタクトに微笑を返して、友近が口を開いた。


「やろっか」


 ふぇえええええええええええええええええええええ!? 驚天動地の瞬間だった。


「正気に戻れ、友近! また狂い始めてるから!」


「正気だよ。僕だって健全な男子だし、興味がないワケじゃないんだ」


 抜け抜けと言い切る友近に、トトが飛びかかるような勢いで肩を組む。


「良く言ったっ、ともちー! ふくちゃんも行くよな?」


 俺が言葉を失っている間に、ふくちゃんにまで毒牙が伸びる。


「今日の主賓は友近なんだな。友近がそうしたいなら、付き合うんだな」


 民主主義的に俺が死にそうなんだけど。いかれてる。クレイジーだ。サイコパスとまで言う!

 俺も人の事をとやかくは言えない性質を抱えてるけど、人様の尊厳を踏みにじる行為だけは犯してはならない。

 民主主義の暴力で圧殺される前に、俺は説得を試みることに決める。現実的に考えて、友近から手を付けるのが無難か。

 トトはダメだ。もう手遅れだ。ふくちゃんが選択を友近に委ねている点から、友近さえ落とせれば形勢逆転になる。


「考え直さないか、友近。もうあの真っ暗な牢獄は嫌だろ」


「君達はどうか知らないけど、僕はどうせ残り数時間の間だけだからねぇ」


 ゲスな笑顔を浮かべる友近。ちょっとこの人、開き直りすぎ。


「ね、グローブ。諸共仲良く牢獄入りってエンディングも斬新で乙だと思わない?」


「おいトト、このゲスは俺たちを巻き込んで共倒れするつもりだぞ」


 友近の説得に早々に見切りをつけて、トトに働きかけてみる。


「本望だぜ。俺は一生分の神経を今日聖地にて使い果たす所存」


 トトはニヒルに笑って、明後日の方を向いた。俺の記憶に寄れば、そっちには女子更衣室があったな。もうこいつは魂レベルで心をキメている。せめて、クスリだけは決めていないと信じたい。


「ふくちゃん」


 俺は藁にもすがる思いで、残る一人に訴えかける。


「見ての通り、二人共普通の状態じゃない。ここは一旦移動して、落ち着く為にスイーツでも食べないか? 糖分を取れば、頭も回るだろうし。方針はその間に考えよう」


 搦手だ。最悪、拮抗の状態に持って行けさえすれば、最終的に妥協という形でスイーツを食べるか移動のどちらかの採用を引き出せる。引き出さなければならない。


 友近には悪いが、時間を引き伸ばす。覗きを可能とする環境がなくなるまで……体育の終わりまで!


「もぐもぐ」


 返答がない。ふくちゃんは依然として、食欲を満たす作業に夢中なよう……? 違和感が襲う。目を凝らすと、その正体には直ぐに気付いた。

 ふくちゃんがイマ手にしているのは、パン、じゃない。パンが無くなったからケーキを食べてる! マリーアントワネットなんて目じゃない!

 いや、待て。食後のデザートなんて、ふくちゃんは用意していなかった筈だ。まさか、と思い友近の方を伺う。


「なに?」


 きょとんとしていた。よくよく鑑みてみれば、友近はずっと俺と一緒だったから、ふくちゃんに賄賂を贈るにも物がない。


 消去法でトトを見て、その瞬間に全てを悟る。そいつは、必死な俺を嘲笑うようにニタァと口角を釣り上げていた。


「いつから、計画していた」


 先程招集してから、俺達は昇降口を移動していない。つまり、招集した段階で、トトは既にふくちゃん買収用のケーキを隠し持っていたことになる。


「ミッツマンの敗因を教えてやるぜ」


「いや、いい。質問に答えてくれ」


「ミッツマンの敗因、それは――『いつから計画していた』なんて無様に聞いちゃう所だ。ぷぷぷ」


 ぶん殴りたい、この笑顔。俺は自らを律するために、その最高のドヤ顔を視界から消した。本当はこの世から消し去りたかった。

 着々と外堀が埋められつつある。ここまで来たら、もう形振りなんて構っていられない。


「覗きなんてして何になるんだ。実質的な死をチップにするには、リターンが少なすぎるだろ。むしろ、メリット皆無だ」


 思春期男児の衝動にある程度まで理解はあるが、第二種人類の裸体に残念ながら俺は価値なんて見いだせない。なんなら吐き気を催すくらいだ。想像しただけでもおぞましい。これは、そう、神速無尽の小さき黒影を発見した時の気持ちに似ている。想像力がマイナスの方に突っ走って、これがあと30匹も居るのか……そもそも2匹めを発見したら、60匹居ることになるのか、30匹の内の1匹と数えるのかが疑問だ。もし前者なら、最悪の場合は総数1800匹超の可能性が浮上してくる。そんな絶望、いや怒りに、身を焼かれること必至だ。


「もふもふ。往生際が悪いんだな。男なら潔く逝くべきなんだな」


「そもそも、ミッツマンが特殊なだけで、一般的な男児にすれば、覗きはロマンに溢れる行為だからな」


「違う。それはロマンじゃない。単なるスケベ心だ。ロマンと言い換えれば何事も正当化されると思うな」


 俺は正論を説いたつもりだった。説いてるよな? だが。


「バカ、ヤロウが……っ」


 激怒された。トトのその声の籠もった静かな怒号にはシンプルながらも底知れない感情が込められていて、それだけで俺は自分の正当性を疑い始めてしまう。


「覗き、それは崇高な生命の観測だ。俺達には備わっていない未知なる神秘に向ける純粋無垢な好奇心。すなわち、ロマンだ。そうだろ?」


「そうなの?」


「人間には普遍的に風光明媚な美しい光景を見たいと思う芸術性が宿っている。一見して無意味極まりない登山という行為も、苦労して上り詰めたからこそ、その頂から臨む景色に得難い感動を抱くのかも知れない。それは山と人が織りなす絵画だ。道のりと言う筆が、只の山を! 景色を! 芸術にまで昇華アセンションさせるんだ。人生のキャンバスに夢を描く……俺達は、それをロマンと言うんじゃないのか。その否定は、引いては人類への冒涜だと、そう思わないか!?」


 これが、覗きのネゴシエーションなのか。なんだ、この説得力は。低俗極まりないとさえ思っていた行為が、何処か神聖なものに思えてくる。


「ダメだダメだ。男だからこそ正々堂々とするべきだ。覗きなんて汚い手段は許容できない」


 俺にすれば、第二種人類も汚いから二重苦だ。


「考えても見ろ、ミッツマン。更衣室に正々堂々と突入したら、ギルティだろうが!」


「覗きだってギルティだからな!? 俺が言いたいのは、正式な手続きを踏んでだな――」


「うるせーッ! 行こうッ!」


 青っ鼻の人間トナカイの勧誘じゃないんだから、そんなんで了解するわけがないだろうが。

 がしがしと頭を掻く。ああ、くそ。どうしたものか。このままじゃ、本当に覗きが敢行されかねない。


「ったく。我儘な男だぜ、ミッツマン。ふくちゃん、頼めるか?」


「合点承知なんだな」


 思考を巡らせていると、羽交い締めで身体の自由を封じられた。ふくちゃんの仕業だ。

 身のこなしを犠牲に、ふくちゃんは力に特化した性能を持っている。俺の馬力では敵わない。強制的に同行させる腹づもりだろう。


「叫ぶぞ。一発でバレるぞ」


「果たして、女子達はミッツマンを擁護してくれるだろうか? 往生するんだな。俺達はもう、運命共同体。一蓮托生の友だ」


「嫌がる俺を無理やり連れて行こうとするのが友の所業なのか」


「ミッツマンの為だ」


 あ、居るよねー。自分の価値観を信奉して、親切の押し売りをするひとー。万策尽き、大変カタストロフな状況だ。

 一人でも耐え難いのに、数多の女子にまるで汚物を見るような敵意を向けられる未来を描いて、俺の脳裏に絶望が過った。


「ともちー。ふくちゃん。ミッツマン」


 主犯の男が運命共同体一人一人の名前を呼び、尋ねる。


「怖いか?」


 俺の眦がその単語に反応する。恐れる? 俺が? 何を? え? まさか、第二種人類を? バカな。

 俺は全力で首を左右に振って否定する。友近は両手を頭の後ろに回して笑う。ふくちゃんの気合の入った鼻息が背後から聞こえた。それぞれの反応にトトは満足気に頷く。


「誰かに見咎められた瞬間、俺達は生物学的な死を迎えるかも知れない。それは、恐ろしい事だろう。だが、怖いことなら他に幾らでもある!」


 そして、その男は真っ直ぐ目標を見定めた。


「現実の全てを受け入れ、すべきことを理解したのなら、後に残るのは願望だけだ……俺達全員で最善の未来を手にしようぜ。今日、この日に」


 ――悪くない。多分、俺の思う最善と食い違いはあるんだろうが、そのパッションは確かに俺の胸を打った。

 だから。多分、俺も狂っていた。その結果。

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