六時間目:生活
何が出来るか。何をしなければいけないか。この二つを排除して、そこに残った願望を拾い上げる。
停滞は不変とは違う。
時は平等に進み、望む望まざるに関わらず世界は移り変わっていく。
時間は有限だ。
それは、いつだって、そうだった。
◇ ◇ ◇
不気味な冷気が漂う空間に足音が反響する。カビ臭い空気。ここに居るだけで、気分が沈みそうだ。
所々が暗かったり、明滅を繰り返す蛍光灯が管理が怠慢であることを物語っていた。
一直線の廊下の両側には幾つもの扉が並んでおり、その全てが廊下側に鍵が付いている。中から開ける事は出来ない造り。
各ドアにはネームプレートが取り付けられており、それに記名があれば使用中で、真っ白なら未使用という簡易設計。ここは学園地下牢獄区画だ。
俺は、一時間ほど前も此処を通った。遠間友近と書かれたプレートが掲げられた扉の前で足を止める。
本当に静かで、壁を挟んで世界が隔たれているみたいだと改めて思う。
錠に手をかけた。あとは手首を捻れば鍵が開く。友近と対面して具体的に何をするかは決めてない。
秋穂さんが知っていたように、既に狂乱者が出たって話は出回っている。狂乱者を解放したなんて話が表沙汰になれば俺の立場も危うくなるだろうが、出たとこ勝負だ。
解らない事は、怖い。だから、知ってる事だけに囲まれた世界には安心がある。でも、それだけだ。
「友近の存在を忘れるだけで得られる安心なんて、要らない」
確かに知る感情一つを込めて、俺は錠を解いた。
金属が擦れる嫌な音。重い扉を開くと、そこはひたすら真っ暗だった。
光を拒む濃密な黒は、一歩足を踏み入れただけで飲み込まれてしまうんじゃないかと不安を煽ってくる。
明暗差も相俟って視界不良の空間の奥で何かが蠢く気配がした。
来るか? ナイフは没収した。その他、武器になりそうなものも、友近は所持していない筈だ。徒手空拳なら、俺に分がある。
なんて、咄嗟に身構えるが、いつまで経っても覚悟していた攻撃は訪れなかった。
「友近」
声を掛ける。依然として見通しは最悪だけど、そこに人が居る事は確かだ。
「誰かと思ったらグローブだったんだ。何しに来たの?」
暗闇の奥から思いの外、落ち着いた声が返ってきた。
「俺としては、もう少し険悪な雰囲気から始まる事を覚悟してたんだけど……」
肩の力が抜けた。同時に気も抜けた。
「じゃあ、そうしようか」
だから、突然闇から伸びてきた拳を無防備に腹部に叩きこまれてしまった。痛い。息が詰まる。でも、悶絶している場合じゃ、ない。
反射で丸くなろうとしている背筋を正して、前方を見据えれば、顔面があったであろう場所を狙った追撃の膝蹴りが見えた。
決死の思いで後ろに飛びのき、一時的に牢獄の外に出る。片手で押さえていた重い扉が再び閉まる前に、友近の足が隙間に割り込むのが見えた。
現状で友近を解き放ってしまえば、友近の目的がどうあれ、無用な混乱を招く上に、より酷い最後を迎えさせてしまう事は想像に難くない。
使用する言語は肉体。手痛い一撃を貰って形勢は不利だけど、ここは是が非でも止める。
心頭滅却すれば火もまた涼し。気力で痛覚を無視、けれども燃え尽きたら話にならないので、もう一撃も受けないつもりで行く。
「逃げるなよ、臆病者……っ!」
牢獄の外と内を隔てる扉が勢いよく開いて、友近が慣性のまま身体ごと突進してきた。
倒されたら致命的だ。ぎりぎりまで引き付けて、右半身を逸らす。
そのまま左足を軸に半身を回して、無防備な背中を足裏で押すように蹴り出すと、向かい側の無記名のプレートが掛かるドアに頭から突っ込む友近。痛そうだ。
これでまぁ、さっきの分は取り返せたか? 違う、あともう一つだな。
「逃げてないだろ。友近こそ、奇襲は卑怯だと思わないのか?」
嫌味を返すと、怨嗟に塗れた瞳が俺を見た。
「くっ! 与太郎が、偉そうに……!」
「嘘を吐いたつもりはない」
睨み合いが続く。友近は会話をしながら隙を伺っているのだろう。実力差は付き合いの分だけハッキリしてる。友近はどちらかといえば、頭脳労働向きだし。
だから、俺は言葉で隙を作られないように心をしっかり保つだけで良い。
「お前が、あんな事さえ言わなければ、僕は――」
「俺の答えがなんであれ、友近が明日になれば消える事は変わらなかっただろ」
「……っ」
行き場なく克服する手段を持たない焦燥はやがて飽和して、人は平常では居られなくなってしまう。
「それでも、残りの時間を有意義に使うことは出来た筈なんだ! それを! グローブが潰した!」
でも、人は平常で居たいから。
「しまいには、僕の人生最後の日に、自分のその発言を撤回して、それを『無意味』だと断じた! ふざけるな……ふざけるなよッッッ」
だから、平常の反対側を……他人に求めてしまうのだろう。そうして、自分が普通であると思いたいのだろう。
「殺してやる」
そうして、容量の限界を超えた焦りを何とかして排出する為に、怒りにくべる。そうしなければ、壊れてしまうから。
でも、そんなの誤魔化しだ。その場凌ぎにもならない。怒り狂い、暴虐を尽くした先に待つのは、万人に望まれた消滅だ。
「悪いけど、殺されてやるわけにはいかない」
予告なんて無ければ、と思う。いずれ訪れる消滅の刻限に脅かされず、いつの間にか消滅するシステムだったのなら、悲劇の数は幾らか減った。
だが、一方でこうも思う。予告があるからこそ、きちんと決別する事が出来るのだと。
それも、後になれば『無意味』な事だけどな。相手が消滅してしまえば、出会ってすら居ない記憶に改竄されてしまうから。
「悪いと思うなら、大人しくしろよッ!! また、口だけなの!?」
「俺を殺したって、友近の中の消滅への恐怖が克服されることはないからな」
友近の憎悪の双眸を正面から受け止めて、告げる。
「俺を逃げ道に使いたいんだろ。だったら、もっとお互いの為になる『遊び』をしないか」
「は?」
はは、唖然としてら。思惑通りとは言え、いい感じに荒ぶる心を空回りさせてくれて助かった。
「日常に溶けるように消えていこうと決めたんだろ。今日まで貫いてきたんだろ。友近が、それを選んだ。お前が、それを望んだんだ」
「それは……グローブが!」
「らしくないな」
本当に、らしくない。俺の知る友近はさ、そうじゃないんだよ。
「自分まで見失わないでくれ。俺の知る友近は、人の意見に左右されないマイペースな奴だ」
「…………」
そんな、かけがえのない俺の友人だ。なんて、そこは蛇足になるだろうから口には出さない。
「なぁ、友近。例え消失によって全てが無に帰すんだとしてもさ、お前はまだ生きてるぞ」
今日は、友近が存在を許された最後の日だ。まだ、許されているんだ。
「だから、提案。これからお前の……」
脳裏に浮かんだのは最近入ったばかりの部活の名称。でも、それをそのまま使うのは違う気がする。だったら、こうしようか。
「俺たちの『生活』をしよう」
この誘いは終わる為のものじゃない。ただの逃避だ。でも、それで、友近を人として生かせるのなら、それでいい。睨み合うような視線の交錯が不意に途切れた。
「……敵わないなぁ」
友近が額を押さえてうつ向き、何かを呟く。蚊の鳴くような声だったから聞き取れなかった。
「何て言ったんだ?」
「いいよ、って言ったんだよ」
「ようし。それじゃあ早速、メンバーを招集するか」
授業中だけど、そこは義理と人情に勝るものはなしだ。
「良いとは言ったけど、背中には気を付けた方がいいよ」
なんて、そら恐ろしい忠告をする友近……だけど。まぁ、大丈夫だろう。その表情からは憑き物が落ちたように憎悪の色がすっかり消えていた。
「なんだか今ならなんでも出来そうな気がする」
あれ。だいじょうぶ、だよな?
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