例えば正しい答えが明示されていたとして、それ以外は一切合切間違いだと断じるのは多分間違いだと思いたい

「……あ」


 いつの間にか、俺は『終活部』の部室に来ていた。


 トト達に合わせる顔が無いのに、帰る事も躊躇している俺が居る。


 考え事をするのに、ここはちょうどいい場所だ。誰か訪れたとしても、あの人だけだろうから。


 端からパイプ椅子を持ってきて腰を落とすと、身体が極度の疲労を訴え掛けてきた。


 参ってるのか。そりゃ、参るよな。空を飛んでたら急に墜落したんだ。空は危ない。賢きは飛ばない事だ。安定一番。あほか。


「一番参ってるのは、お前じゃないだろうが……」


 俺自身の軽い言葉がもたらした重い現実に押し潰されそうだ。奥歯が砕けんばかりに歯噛みする。ギリッ。ガララッ。


 おい、可笑しな音が混ざったぞ。と、一瞬だけ素に戻って顔を上げて状況を把握する。


「こんにちは、明智君。今日はやたらと早い来訪だな」


 この部屋の主の登場だ。


「……秋穂さんこそ」


 まだ午後一番の授業が始まったばかりなんですけど? 簡単な挨拶を交わして、秋穂さんは最奥の定位置に座り、ラジオの電源を入れた。ノイズの音がやたらと反響する。


 秋穂さんが訪れるとしても、まだ時間があると思ってたから、若干の居心地の悪さを感じる。


 何か、視線を浴びせられてるし。俺は第二種人類の目に敏感だった。移動、するか。翌々考えてみたら、今は授業中だ。


 登校義務なんてないのに、わざわざ制服を身に付けて登校して、それでサボる人間は居な──居るな。


 俺もそうだけど、秋穂さんもそうだ。でもまぁ、レアケースか。とりあえず、主だって使用されている教室さえ避ければ、誰かに遭遇する確率は限りなく低い。


 移動に最適な場所なら他に幾らでもある。思い立ち、俺は徐にパイプ椅子を元の場所に戻す。そして、帰る旨を告げようと秋穂さんを見た。それと同時に、秋穂さんの口が開く。


「そう言えば、狂乱者が出たそうだな」


 不意を突かれて、硬直する。


 秋穂さんは、いつも神憑ったタイミングで、俺の元に現れる。その都度、俺が求めている答えを的確に与えてくれる。そんな事を漠然と考えてしまったからだろうか。


「俺の、友人です」


 口が滑った。


「俺達──俺が牢獄に閉じ込めました」


「何があったのか、聞いても構わないだろうか」


 ひとたび亀裂から漏れ出た感情の濁流が、意志の囲いを次々と決壊させる。


 約一月前に友近の『消滅予告が届いたらどうするか』と言う質問に『何もしない』と答えたこと。


 友近がソレに影響を受けて、人生最後の日である今日の今日まで誰にも言わず悟られずに過ごしてきたこと。


 そして、そんな友近の心中を察せずに、能天気に俺が心変わりを披露してしまったこと。


 騒動の顛末をまとまりを欠きながらも話す。


「友近は、それが許せなかったみたいで……俺を殺そうとしました」


 みんな、自衛の為に何かしらの武器を携帯している。友近は胸元から取り出したナイフで俺を刺そうとした。それを必死で阻んだトトやふくちゃんさえも巻き添えにしようとした。


「幸い、その場には俺達しか居なかったから、事が明るみになる前に身内で解決しようって、必死で説得しましたけど」


 ここの住人には平穏に神経質な者が多い。決して他人を信用しないからだ。

 少しでも疑念が募れば排他される。ただの他人を思いやるには、これまで生きてきた世界が臭すぎたんだ。


 でも、俺達の内部だけで完結するなら、まだ大丈夫だと、本気で考えていた。が、結果はこれだ。


 友近は──学園地下の年季と埃だけが積もった何もない部屋に幽閉された。


「自らの姿すらも視認できない暗い場所に、俺達が閉じ込めたんだ」


 秋穂さんは時々相槌を打ちながら、真剣な表情で聞いてくれた。話し終えて、それだけでほんの少しだけ心が軽くなったように感じる。


 楽になる権利なんて、俺には無いのにな。


「明智君。まず君は何を深刻に悩んでいるのだろうか?」


 ラジオから発せられる雑音を割いて秋穂さんが問いかけてくる。


 一口に何、と言われても……と、俺が答えあぐねるまでもなく、秋穂さんが続けた。


「自らの宣言を全う出来なかった後悔だろうか? それが友人を狂乱者に仕立てあげた原因だと考えているなら、それは思い違いだと私は思う」


「でも、俺がいい加減な事を言わなければ!」


「違うな。敢えて責任を追求するなら、それは彼の──友近君の自己責任だろう」


 脳裏を掠めたのは、杏樹の言い分に返した俺自身の反論。


「勝手に影響を受けたのは彼の方だからな。明智君の『何もしない』と言う主張に、少なからずの共感を得なければ実行をしようとは思わないし、実行出来ない。それこそ、人生を賭けているのだから」


 冷徹な意見だと思った。


「在り方を選んだのは彼の意志だ。例え、明智君に依存し、現実から目を背けて思考放棄していたのだとしても」


 関わりのない他人相手ならまだしも、友人相手に血も涙もない態度を迷いなく取れるだろうか。


 ──ああ、俺はまた前言を翻してる。


「人生最後の日に、消滅を控えて心が弱り荒んでいたのだろう」


 消滅予告が届いたばかりの頃でさえ、俺は気持ちの悪い焦りみたいなものを覚えていた。


 最後の日となれば、それがどれ程の大きさになるか──想像すら難しい。


「しかし、益体も無い言い方をすれば、全て八つ当たりだった。君が気に病む事ではないよ、明智君」


「簡単に、言うなよ」


「いずれにせよ、明日になれば忘れるよ。友近君は、あの光の差し込まない真っ暗な牢獄の中、暗闇に溶けるように消えていく」


 激情に駆られるまま、俺は秋穂さんに詰め寄っていた。これ、八つ当たりだな。そうぼんやり自覚しながら。


 膨れ上がった衝動に任せて、尊大な造りの机に両手を叩きつける。ラジオが跳ねて、倒れた。痛みは感じない。この手には。


「あんたの言う通り、明日になれば友近は消失ロストして、牢獄に閉じ込めたって記憶も一緒に消える」


 そうしたら、俺のこの胸の蟠りもたちまち解消される。俺の世界は明日になれば平常運行だ。


 神様が人に与えた慈悲──忘却──は、その思惑通り救いになる。


「でも、それは違うだろ! 自己責任とか自業自得とか、そんなんで片付けるんじゃなくて……」


 人と人との間には損得勘定以外の何かがある筈だ、なんて美辞麗句は並べない。雑じり気のない親切なんて有り得ない。


 相手の好意を獲得したいとかの裏があったり、気紛れだったり、自らの望みを押し付けていたり、その動機は必ず自分の中にある。でも、それがどうした。


「あいつは、友達なんだよ」


 想像する。光も音も出口もない狭い部屋で一人、差し迫る逃れようのない消滅を待つ恐怖を。そんな、人生の結末を。


「友達、なんだよ……っ」


 友を見捨てる行為が許せない。その許せない事をしている己を拒絶したい。容易く俺を切り捨ててしまうかも知れない世界を認めたくない。そんな酷く歪な感情が浮き彫りになってくる。


 座ったままの秋穂さんが、そんな俺を見透かすような空色の瞳を向けていた。


「だったら、どうして君はこんな場所で足踏みをして居るのだろうか?」


 この人の言葉は、いつも的確だ。返答に窮する俺に、秋穂さんは糾弾するでもなく、疑問をぶつけてくる。


「見殺しにすると言う選択肢を除外する以上、君に取りうる行動は一つしか無いと思うのだが」


「それが出来ないから、俺は」


「たったの一度説得に失敗しただけだろう」


「もう、俺のいい加減な気持ちで友近を振り回すワケにはいかない」


 嫌なんだ。友だと思っていた人間に殺意を向けられるのは──あの時代だけで懲り懲りだ。


「明智君」


 呼ばれて、自分が俯いていた事に気付く。いつの間にか、秋穂さんの顔が間近にあった。


「私は、君の気持ちがいい加減だとは思わない」


 力強い眼力に圧倒される前に、秋穂さんが優しく手を握ってくる。人肌の温もりと秋穂さんの声が、接触している掌を通してジワジワと胸に染みてくる。


「その都度で、君は君なりの答えを持っていたんだろう」


 実際にそうするつもりだった。でも。


「それは浅はかな考え方が導き出したものだった!」


「そう過去の持論を悔やめるのは、見方や価値観が変化した今だからだよ、明智君」


 後悔後先に立たず。解ってる、解ってるんだよ、そんなことは。


「見方を変えれば、その変化のおかげで、友近君が今日で消えてしまう事を知る機会を得たとも考えられるな」


「あ……」


「最も怖いのは、その答えを絶対不変の基準として蓄積してしまう事だと私は思う」


 間違えているかも知れない不完全な最適解を疑いもせずに信じ、従う。


 滑稽だ。滑稽だけど、自覚がないだけで、俺自身も、誤った最適解を知識として幾つも抱えているかも知れない。それが、疑わない、と言う事だから。


「私達は変われるように出来ている。傷みを伴う事もあるだろう。だが、それを恐れて、今の痛みに順応する事が最適解だろうか?」


「違う」


 それだけは、間違いない。


「変わらなければ、君は間違わなかっただろうか」


 俺が自身の宣言を貫き、生への執着を無視していれば、少なくとも、俺の手で友近を牢獄に閉じ込める事態にはならなかった。


 その点だけ見れば、変わらなければ良かったと思う。


「違う」


「だったら──」


 秋穂さんが微笑む。


「──望む自分に変われば良い。時間ならまだある。君なら、変われるよ」


 俺は、その笑顔に場違いにも見惚れて、放心してしまう。


「君と私の距離感も、こうして縮められた訳だしな」


 あ、そう言えば、近いな。それに、ずっと手を握られてる。でも、不思議とワンダー。


「むじかくのあやまちー!」


 俺は脱兎のごとく逃げ出した。


「調子が戻ったようで何より」


 部室を飛び出る直前に聞こえた秋穂さんの声色が、なんだか母親みたいだなぁ、と思いました。母の事なんて、まるで覚えてないけど。

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