狂乱者

 

 最近は怒涛の第二種人類ラッシュだったと言える。疲労感が凄いです。ひと時でも構いません、息抜きの時間を下さい。

 生きる事を暫定的な目標に定めたからと言って、これまでの愛すべき微温湯的日常をすべて否定するのは違うよな。

 友人は友人だし、学校は学校。マナーにモラルは守るべきものだ。そして、付き合いは付き合いなのである。


 というわけで、俺は今日の昼休みは友人らと心置きなく過ごすことにした。


 杏樹には仲直りの証として弁当を持たせてある。杏樹はまさか、それに裏があったとは思うまい。杏樹の足を此方に向けさせない為の布石だったのだよ。

 教室だと第二種人類がうるさいので、友人らと共に体育館の方に移動する。

 館内前方の舞台から足を投げ出す形で横並びに腰を下ろした俺達は、それぞれの昼食を取り出した。

 ビニールの袋にやきそばコロッケホットドッグにモロコシマヨとカレーの総菜パン五種を抱えているのが徳井末吉トクイ スエキチ


「相変わらずの量だな」


 大体いつも食いすぎで、それに見合った体格をしている。


「どうせ先は長くないんだな。我慢したって意味がないんだな。ミッツ達ももっと食べると良いんだな。そんな量じゃ、夜まで持たないんだなぁ」


 愛称は『ふくちゃん』。その言葉遣いから大将と呼んでいた時期もあったが、今はこれに落ち着いている。

 ふくよかとかふっくらとか、体型から連想される通りの略称だ。福とは違う。

 ちなみ俺の愛称であるミッツはミツヒに親しみを持たせただけで、他意は無い。

 ふくちゃんの横は大変に暑苦しいので、俺は普段から間にワンクッションを置くようにしている。ふくちゃんと俺に挟まれて愉快そうに笑っている男がそのワンクッションだ。


「あはは、俺達とお前とじゃ腹の構造からして違うから。燃費が並程度の俺達はこれで十分だっつーの」


 鳥居都徒トリイ トト。ふくちゃんが食事担当なら、トトはこのメンバーの賑やかし要員になるだろうか。

 呼び方はそのままトト。脱色と染色で灰色に仕立てあげた髪が特徴と言えば特徴。


「で、ミッツマン。今日は杏樹ちゃんは来ないのか? どうなんだ? 来るだろ? なっ?」


 ついでに杏樹に心酔していて、杏樹の話が絡むと途端に煩わしくなる。英雄でもない癖に色が多く、造形の整った第二種人類であれば、基本的に見境がない。

 第二種人類に好んで接触するなんて、俺からすると危機感が足りないんじゃないかと思う。

 ちなみに、このミッツマンと言う愛称はミッツ(Man=男)という意味であって、やはり他意はない。


「杏樹には今朝の内に弁当を持たせたから、今日は来ないぞ」


 俺の報告にトトはがっくりと肩を落とした。

 ふくちゃんの向こう側で、我関せずのスタンスを取っている、童顔で中性的な顔立ちの男が遠間友近トオマ トモチカ

 マイペースと言う点では、今朝遭遇したルネ美と良い勝負をすると思われる。最近は一言も喋らない時があって、心配になることもしばしば。

 なにはともあれ。やはり気の置けない仲間達と共にする時間は素晴らしい。俺の心に安らぎとは何かを思い出させてくれる。

 自作の弁当を突っつきつつ他愛もない話をしながら、そうしみじみ思う。

 もう自己改革とかやめちゃおっかな? 等と、俺の内に巣くう人生を舐め腐った悪魔が囁き始めた。

 幸福と堕落は常に隣り合わせだ。発想を逆転させれば、堕落にこそ幸福があるのかも知れない。

 そう俺が冗談半分(あとの半分はお察し)で考えていると、不意にマイペースの友近が俺に話を振ってきた。


「ねぇねぇ、グローブ」


 友近は俺の事をグローブと呼ぶ。由来は、あれだ。手袋って、あったかいよな? それに、保湿だったり繊細な手の保護効果もある。

 そう、つまり……俺の良く出来た人間性を比喩で表現したものだ。マイペースの友近は中々オシャンな男なのである。


「昨日と一昨日の放課後は何をしてたの?」


 あんまり触れられたくない、というか、答えに窮する質問が飛んできた。正直に答えると、予告の件も話すことになりそうだ。


 でも、こいつらには──言いにくい。


 それというのも、いつか胸中で呟いた『俺は予告が届いても、誰にも伝えず、日常にそっと溶けて消えていく』みたいな言葉を、俺はこのメンバーの前で一度熱く語っているからだ。

 俺の安らぎさんは瞬く間に尻尾を巻いて逃げ出した。安らぎなんて言うのは、本当に些細な出来事で失われるものだ。

 その話題には他の二人も関心があるようで、俺の回答を静かに待っていた。嘘をでっち上げて誤魔化すか、真実を告げるか。

 ぬるま湯は居心地が良い。ここはそのままであって欲しい。ならば、答えは決まっている。けど。


「部活を始めたんだ。だから、今後、放課後とか、お前らと遊ぶ時間は減る」


 話そう。嘘を作る必要はない。この残された短い時間の中に、それは不要な憂いだ。真っ先に俺の言葉に反応示したのはトトだった。


「それは別に良いけどよ……部活って、何の部活だ? っつーか、この学校に部活なんてまだあったのか?」


 大体の人間がその認識だよな、うんうん。俺もその一人だった。『終活部』の説明をすべく、口を開こうとした俺の機先を──。


「それって、ひょっとして『終活部』?」


 ──友近が制した。言い当てられた俺は僅かな間、唖然としてしまう。沈黙は是。友近には、それが十分な答えになったようだ。


「しゅーかつぶ? なんだ、それ?」


「終わりの活動と書いて『終活部』。ねぇ、グローブ……もしかして、消滅予告でも届いた?」


 正鵠を射た指摘に、少しバツが悪くなる。後ろめたい事は何もない筈なのに後ろめたく感じるのは、友近の咎めるような視線のせいか。不安ごと吐き出すみたいに正直に告白する。


「お察しの通り。俺はどうやら27日後に消滅するらしい。3日前、予告が届いた時に改めて『死』に触れて、それで考えたんだ。考えなかった事とか、考えようとしなかった事とか」


 トトからは軽薄な雰囲気が消え、友近の瞳はより険を帯びた。ふくちゃんは食事に夢中だった。


「それでさ……生きていた事を手放したくないって思ったんだ」


「今更、そんなのおかしいよ。グローブ」


 ふくちゃんの横に座っていた友近が狂気すら感じさせる形相でにじり寄って来た。なんで? マイペースの友近君らしくない。


「何をした所で無に帰すだけだから、誰にも告げず悟られず、この平穏な日常に溶けるように消えていくって僕達に熱弁したのはグローブだよ? まだ一ヶ月も経ってないのに忘れた?」


 あっという間に肩を掴まれる。取り成そうとする都徒を強引に振り払って、友近は俺をひたすら揺さぶってきた。

 忘れてない。ただ、考えが変わったんだ。人って、そう言うものだろ? 机にかじりついているだけじゃ真理は見えないとか、言うだろ。当事者になって見える世界があるって。

 浮かんでくるのは、そんな言い訳のような文字列ばかり。言い訳なんかじゃないのに。


「答えろよ! グローブ!」


「あの時は知らなかったんだよ。『消滅<ロスト>』の本当の恐怖どころか、俺の本心すらも!」


 捻り出した言葉は酷く情けないものだった。


「消える為に消える、そんな空虚で無意味な人生に終わるのが嫌だと思ったんだ」


「無意、味……?」


「というか、どうして友近はそんなに怒ってるんだよ? 離してくれ」


 友近の険しかった表情が、ありありと失望に染まる。


「なんだよ、それ……今更、そんなの許されると思ってるの?」


 血が滲む程に加減を失っていた肩の拘束が解かれ、友近の両腕が力なくぶらりと下がる。


「君がそうするならって我慢して、痛みを誤魔化して今日まで来たのに」


 そして、友近が呟く。


「僕に明日はもうないのに」


 友近の言葉の意味を、俺は直ぐに飲み込めなかった。


「明日が、ない?」


 俺の内側から、ほとんど反射的に素っ頓狂な声が漏れ出る。それが、友近の逆鱗に触れてしまった。


「そうだよ! 君が、29日前にあんな事を言うから!」


 そう言えば以前、その話題を出したのは友近だったっけ……なんて、明後日の方向に思考が飛んでいく。


 何気ない会話の中に、致命的な爆弾が隠されていたなんて、考えもしなかった。


「なのに君は、明日になれば僕の事なんて忘れて、残された日々を悠々自適に過ごすのか」


 存在だけではなく記憶すらも失われる消失<ロスト>のルール。


 明日になれば、今しがた知ったばかりの友近の忍耐の日々も綺麗さっぱり無かった事になり、俺は友近の言うように悔いのない人生となるように残された時間を『友近とは違う遣り方』で消化して行くだろう。


「ふざけるな……ふざけるなよッ!?」


「お、落ち着けよ友近! ミッツマンに怒りをぶつけたって何にもならないぜ!?」


 激昂する友近に対して、ハッとしてたしなめに掛かるトト。無理だ。そんな真っ当な説得じゃ、抑えられない。


「退けよ都徒! ぶつけなくてもなんにもなんないんだよッ!」


 ああ、友近の相貌に宿った狂気を俺は良く知っている。混迷の時代に毎日のように飽きるほど見たものだ。


「そうだよ、僕は明日消えるんだ。グローブが残された時間を謳歌するつもりなら、僕だって好き勝手にしてやる」


 今の時代、その衝動を発露させた人はこう呼ばれる。狂乱者キョウランシャ、と。仮初めの平穏、法なき世界にも、暗黙の了解がある。


「友近、堪えるんだな。このままだと、牢獄に押し込められてしまうんだな」


 人々に害なす存在は学園地下の通称『牢獄』と呼ばれる区画の一室に閉じ込められ、そのまま忘れ去られる瞬間まで其処で過ごすことになる。

 杏樹が口酸っぱく言っていた事が実感を伴って脳内でしつこいくらいに俺を糾弾している。


 ここは、薄氷の上に作られた街。


 本当に些細な切っ掛け一つで簡単に壊れてしまう。

 無自覚の、本人にしてみれば他愛ない言動が、意図せず誰かの心に負の感情を芽生えさせる事もある。

 俺はそれを強烈な後悔を伴って、実感させられた。

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