革命の見通しはオールグリーンでございますか?


 目が覚めたらイケメンが至近距離にあった。何を言っているか解らないだろうけど、俺も自分で何を言っているのか解らない。俺はノンケだと言うことを明言しておきたい。とにかく、ありのまま起こっている出来事を話そうと思う。目が覚めたらイケメンが至近距離にあった。何を言っているか解らないだろうけど、俺も自分で何を言っているのか解らない。だから俺はノンケなんだ。とにかく、ありのまま起こっている出来事を話そうと思う。


 おい、ループしてるぞ。


 俺は必死に昨日の記憶を掘り起こ――おい、掘りとか言うな。就寝時は間違いなく一人だった事に確信を得て、俺は目to鼻の先にある一言も発さない端正な顔に対話を試みる。


「ここはどこだ? そう、俺の部屋だ。そして、その俺の部屋にどうして見知らぬお前が居るんだ」


「その質問に答える前に自己紹介をする」


 変声期を右から左に受け流したような高音でイケメンが答えた。そこはかとなくシトラスの香りが鼻孔を擽ってくる。


「そんなものは求めていない。目的はなんだと聞いているんだ。その前に、まずは離れろ」


「目的? アッキーから新入部員が入ったという旨のメールを貰ったから挨拶を」


「とりあえず離れろ。顔に吐息が降り注いで不快だ。それと、こそばゆい」


「わかった」


 素直に言う事を聞く辺りは好感を持てそうだ。それ以外は今のところ最悪に近いものがあるけど。さて、情報の整理をしよう。

 話の流れからすると、アッキーが秋穂さんで、新入部員は俺の事を指しているとして……つまり、このショートカットのイケメンは『終活部』の部員って事か? そう言えば幽霊部員が居るって聞いた、な?


「ん?」


 秋穂さんの説明によると、終活部の部員は秋穂さんと俺以外に――いやいやいやいやいやいやいやいやいや。


「いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや」


「いや?」


 小首を傾げるイケメンの仕草には何処となく愛嬌を感じ取れる。身長も目算ではあるが、杏樹と同じくらいだろうか。だが、それでもまだ人種の誤差の範囲内だ。

 そうなると、もはや胸部に裁定を委ねるしかない。俺は意を決して、瞠目する。


「っ!」


 判定――ピュアホワイト! 平らだー! 良かった! 髭男爵じゃない!


「挨拶をする。私はルネッサンス美登里。よろしく」


 るねっさーんす!! 俺は再びヒュプノスの腕に抱かれて胡蝶となった。



 ◇   ◇   ◇



 たっぷり2時間の休息を経て、俺は不届きな第二種人類を正座させるという快挙を達成した。

 ちなみに学校は目覚めた瞬間に遅刻が確定していたので開き直っている。


「ルネ子と言ったな」


「違う。ちゃんとルネッサンス美登里と名乗った」


「長いからルネ美と呼ぶ事にする」


 相手が座っているのであれば、3メートルの距離を置くことで俺でも十分に会話が出来る。そして、このように杏樹を壁にすれば、なんと2メートルまで距離を縮めることが可能なのである。


「相手が私でなかったら、この密着具合はセクハラになるわよ。私まで巻き込んで、この分は高くつくからね」


 壁にしている件だけじゃなくて、俺が胡蝶になっている間に部屋に来た杏樹が、俺の第二種人類嫌悪症の説明などをルネ美にしてくれたらしい。

 杏樹が今日この部屋に訪れなかったら、俺は意識の覚醒と同時に泡を吹くを繰り返し、それがバブル光線になる頃には完璧に胡蝶になっていたかも知れない。生まれてきてくれてありがとう、杏樹。


「そもそも、杏樹じゃなかったら俺がタダでは済まないからな。毎食の面倒を見てるんだから、これくらい大目に見てくれ」


「恩着せがましいわね」


 杏樹さんには本日のお前が言うな大賞を授与します。いつもの杏樹との戯れを切り上げて、俺は杏樹の肩口からルネ美を見た。

 密室というのがふあ――嫌悪を煽るけど、俺頑張って正義を執行するね。


「ルネ美。まず、どうやってこの部屋に侵入したんだ」


 あの時代を生き残った人々は大半が用心深い。俺もその例に漏れず、施錠は勿論していたし、もし敵意があったのであれば、非常時に備えて寝具から手の届く位置に隠している『武器』で応戦していた。

 ルネ美は一拍おいて考えるそぶりを見せてから。


「ピッキング?」


 そう曖昧に答えた。多分、これは問い詰めてもしらばっくれられておしまいだな。時間の無駄だ。人間関係の基礎の基礎、常識から入ってみるか。


「不法侵入はいけないと教わらなかったか」


「教わった。かも?」


「駄目な事は駄目なんだぞ」


「わかった」


 素直だった。ちょっと変な子だけど、悪い人間ではないのかも知れない。


「それで、私はどうして正座をさせられているの?」


「少し見直した途端これかー!?」


「っ……耳元でっ、騒がないでっ、くれるかしら!」


 杏樹に怒られた。しょぼん。それもこれもルネ美の所為だ。八つ当たりみたいで格好悪いけど、よく考えたら、八つ当たりじゃないな。正当だ。俺は自信を持ってルネ美を睨みつけた。

 残念ながら俺の威圧の真意は伝わらなかったらしく、ルネ美は首を傾げて心から不思議そうに開口する。


「私、怒られるような行動、した?」


 それだよぉ。それそれぇ。ふしぎでんぱに当てられて、俺も調子が悪くなってくる。

 ただでさえ、第二種人類と話すだけでも不快だって言うのに、頭が痛い。半分の優しさが欲しい。


「手短に現状を伝えると、不法侵入なう、だろ!」


「してない、よ?」


 しかし、ルネ美ちゃんは疑問解消どころか、更に首の角度を深めていき、肩に耳が触れるまでになってしまう。俺の方が不思議だよ。ひとしくんに見せたいくらいだからね。等と胸中で自分の中の概念と格闘していると。


「してない、よ?」


 まさかまさかの念を押された。


 人ってね。

 こう言う時。

 喜怒哀楽。

 その全ての感情を押し退けて。

 真っ白が前に出てくるんだね。

 俺、初めて知ったよ。

 俺は今や未だ嘗てない純白光火。


 心が無になった。お坊さんとか修験者は滝とかに打たれるより彼女と対話をすると良い。いとも容易く解脱の感覚を掴めるから、おすすめです。


「ミツヒデ」


 杏樹の声に呼び起こされ、致命的な汚染を免れた意識が涅槃より戻ってくる。


「貴方は自分が正しいと僅かも疑っていないのかも知れないけれど、彼女の言うように今この時においても不法侵入は行われていないわ」


 俺は思わず杏樹の両肩を掴んでしまった。あ、最初から掴んでたな。


「杏樹。そうか、俺が盾にしてしまったばかりに、強い電波を受信してしまったんだな」


「私は正気よ」


 正気じゃない人は皆そう言うんだ。 というか、杏樹が見知らぬ他人を擁護するのなんて初めての事じゃないだろうか。俺が知る限りでは、過去に例が無かった。


「不法と言ったわね」


 俺の両手を肩から解いて、盾の役割を放棄した杏樹が俺に向き直る。


「この世界には、もう明確な法なんて存在してないわ。似たようなものならあるけれどね。だから、彼女の言い分が正しい。彼女は何も悪い事はしてない」


 杏樹の背後で、とぼけた顔のルネ美がウンと一度だけ首肯する。


「子供の屁理屈にしか聞こえないんだが」


「この場所が『貴方の領域』だと保証してくれる何かはあるかしら? 私と貴方がここは自分の場所だと言い張ったら、それこそが子供の我儘だと思わない?」


「暴論だぞ」


 暴論だが、間違ってはいない。保証してくれる後ろ盾<秩序>を欠いた世界で権利を主張する事の無意味さは身に染みている。

 極端な話、人を殺しても投獄されない。あいつらに捕まりさえしなければ、という制約はつくし、平和を好む人々が結集して、実質的な死刑に合う可能性が高いけど……司法を執行する機関が存在していないのだから、善悪が明確に区分される事はない。

 それに、俺達だって――他人の領域を踏み荒すことは何度もした。でも。


「良心は必要だろ。俺が、この場所は俺の居場所だと居座る事に不利益が生じる人間が居るか? 敢えてそれを否定しようものなら、いがみ合うのが目に見えてるだろ」


 俺は何も、世界が俺の物だなんて言っていない。


「そうね。私たちがこうして仮初の楽園生活を続けられるのも、大多数が他人の良心を信頼してるか、あるいはずっと疑っているからだもの」


 ここにきて、俺はようやく杏樹の言わんとしている事を察した。


「でもね、ミツヒデ。良心の他に、法の裁きという強力なブレーキのあった世界でも、道徳を犯す人間が存在していたわ」


「お前は結局、昨日の話の続きがしたかっただけなのな」


「ここは薄氷の上に作られた街よ。無法の中の停滞は、そういうもの。人の内に蟠る醜い感情を刺激する事が、もしかしたら取り返しのつかない事態に繋がるかも知れないわ」


 俺達は停滞を選んだ。その中で誰かが動けば、疎ましく思うかも知れない……身勝手に妬み、嫉み、怒りに駆られることだって有り得る。

 その中で欲を持て余せば、あるいは良心を簡単に手放してしまうかも知れない……どうせ消えるならと、誰かを犠牲にする事を躊躇しなくなる。

 それは、俺だけが気を付けていたってどうにかなることじゃない。知らぬ間に、誰かの心を扇動してしまう可能性もある。

 殺したければ、殺してしまった方が楽だ。手に入れたければ、手に入れてしまえば良い。

 己の中心にある本性を縛る鎖は従来の法が整備されていた時よりも遥かに脆く、繊細だ。

 人類は疲弊しきっている。本能を露わにする気力すらも湧かない事だって在る。集団に属していることが十分に抑止力足り得るかもしれない。


「かも、しれないか……」


 未然の事を議論している俺達は、一体何処の何様なんだろう。全て、1%から99%の間を不安定に彷徨う予測の範疇でしかない。


「リスクヘッジは大切よ。考えなしに地雷原に突っ込むのは知能の低い愚か者のすることだわ」


 不幸を生きた後に与えられた恵まれた環境。変化には正負があって、当然の如く悪化とも常に隣り合わせだ。

 その悪化の芽が、奪われ続けてきた人類にとって、恐怖を助長する。

 不平を言うべきではない。遥かに『恵まれた』今に満足しないのは強欲だと、杏樹は言う。

 俺もかつてはその一人だったのだと思う。でも――持ってるんだよ、もう。欲なら、人である限り最初からそこにある。

 綺麗な物は限りなく僅かで、それはもう汚い物だけど――生きてるんだよ、俺は。3日前の俺は、まさしく死んでいた。でも、死を間近に感じて、その対極にある生を欲した。


「俺をお前の停滞に巻き込もうとするなよ、杏樹」


「なっ……私は、貴方の為を思って!」


 そうなんだろうな。その点は、信頼してるよ。


「現状維持が人類の最適解なら、全員揃って消えた方が手っ取り早いし確実だ」


「それこそ暴論だわ」


「何もしない。ただ与えられた期限付きの平穏を甘受して、いずれ命を奪われる。それは人間というより、家畜の生き方だろ」


 元々、人間はこの世界で好き勝手生きてきた。

 我欲の為に、ありとあらゆる生物の命を利用し、弄び、営みを維持してきた。

 弱肉強食の摂理を振りかざし、命の維持費を一方的に命で贖い、愛玩用としても生物を繁殖させて売買する。

 俊敏な足を持つ者には首輪を嵌め、羽を持つ者は籠に押し込めた。

 遊興として、強制的に戦わせる文化もあった。

 むしろ、人間こそがこの世界に君臨していた絶対の理不尽だったのだろう。

 だから、この消滅までのモラトリアムは人が積み重ねてきた業の罰だと考える事も出来る。

 でも、それは人の欲の代償とされてきた数々の命にとって何の慰みにもならない。自己を満たす為の偽善行為だ。

 昨日の夜だって、俺達は命を消費している。俺達は俺達の身勝手さから目を背けてはいけない。


「それは、残された時間を自分本位で過ごすということかしら?」


 杏樹の目つきが険しくなった。


「理性のタガを外して、本能の赴くままに行動するなら、それは人ではなくてただの獣よ。多くの生存者がそうなれば、あの時代に帰る事になるわ」


「人様に迷惑を掛けるつもりは無いって言っただろ。それで、俺の行動で影響を受けた誰かが悪さを働いてしまっても、それはそいつの責任だ」


 杏樹は、影響を与えそうな事、その全般を慎めと苦言を呈してるんだろうけど、敢えてこう言った。

 杏樹の考え方と俺のスタンスは相容れない。と、決定的に告げる為に。


 人は身勝手だ。この世の暴虐の大半は人の手によって行われていた。それは、同族を相手にしても同様に。

 唯一、人が恐れたものは自然の猛威だけだったけど、その自然に対しても踏みにじる行為を平然と行ってきたのが人間だ。

 目的を持ち、その実現の為に行動する。手段を選ぶのは、混じりっ気なしの善意よりも、そうする事で自らに降りかかるであろう不利益を回避したい気持ちが根底にあるのだろうと、俺は思う。


「そう」


 杏樹は短く言葉を切った。説得は無駄だと悟ったのだろう。

 今はまだその目的達成の方法を手探りで見つけている最中だけど……でも、この調子だと完遂は難しいだろうな。

 杏樹と後腐れなく別れたいって気持ちは昨晩の内に固まってる。本音を言えば、杏樹の嫌がることはしたくない。

 それを口に出すのは、ずるいと思って、俺も口を閉ざす。お互い暫し無言のまま、どうしたものかと思案を巡らせようとした時だった。


 杏樹の後方で影が蠢いたのは!


「どーん」


 反応が遅れた俺は、なすすべもないまま。


「きゃっ」


 俺の胸に飛び込んできた杏樹を受け止める。


「ふぉぐ!」


 その際、無防備な鳩尾に慣性の乗った素晴らしい一撃が叩き込まれた。

 背筋から脳天まで突き抜けるかのような痺れに遅れて、心臓の鼓動に呼応して襲ってくる激痛。

 陸に打ち上げられた魚さながらに口をパクパクさせて無言で喘ぐ俺。

 危うくハイドロポンプ(下)を覚えそうになったが、なんとか覚え直さずに済んだ。もうハイドロポンプ(下)は忘れたんだ。俺にあの技を使わせないでくれ。


 膝を屈しようにも杏樹の肘が腹部にめり込んで――いや、杏樹を受け止めている状態では難しい。寄りかかるという選択肢は勿論ない。

 俺マジ紳士。この紳士力の高さは、えっと……名前が出て来ないな。とりあえず痛い。

 俺は額に脂汗を滲ませながら、杏樹の肩越しに諸悪の根源を睨んだ。そいつは無表情で俺の視線を受け止めて。


「喧嘩は駄目」


 説教をかましてきやがったですしおすし。おれおこぷんすかぷん。

 ちっと歯ぁ食いしばれぇ、今の俺みたいによぉ! その整った面をくちゃくちゃになるまでブン殴ってやる! 杏樹が! って眼力で訴えかけていると、ルネ美が突然頭を下げた。


「原因を作ったのは私。だから、ごめんなさい」


 あら殊勝じゃない。と、一瞬だけ感心しかけた。でも騙されてはいけない。この第二種人類の生態はこの短くも濃い時間の中で大分学んだつもりだ。


「もう勝手に部屋に入らない。反省した。だから、喧嘩、駄目、絶対」


 あらいい子。いつのまにか胸の辺りで存在を主張していた痛みが引いている。仕方がない。今回は初犯ということも含めて情状酌量の余地はある。許してやることにしよう。


「学校、行こう? 遅刻も、駄目だよ?」


 あの、もう結構前から手遅れなんですけど。他でもない、お前の所為で。まぁ、その辺りは追及しないでおこう。蒸し返したら俺が損をしそうだ。それよりも。


「杏樹はいつまで俺に抱擁されてるつもりなんだ?」


 俺とルネ美が話している間、ずっと無言だった杏樹が気になって冗談交じりに声を掛ける。


「……人が好き好んでこうしているみたいに言わないでくれるかしら」


 嫌悪感を丸出しにしてマジレスが入った。拗ねているらしい。


「こっちも、しょうがないなぁ」


 杏樹が不機嫌になると被害を被るのは、いつも俺だ。日常的にネチネチネチネチと嫌がらせをしてくるようになる。

 だから、こういう時は――。


「悪かったよ。杏樹。色々と言いすぎた。機嫌を直してくれ」


――最初に謝るのはいつだって俺の方だった。

 別に、俺だって、杏樹と喧嘩がしたいわけじゃない。

 杏樹の機嫌を損ねるとねちねちねちねちと、それはもう靴裏にこびりついたガムのように粘着質に攻め立てられるから。

 だったら、最初から誠意ある謝罪をしてしまった方が得なのである。


「私は喧嘩をしているつもりはなかったけれど……だって、そうでしょう? 喧嘩なんてものは同レベルの人間の間でしか起こらないから」


 身に覚えのあるフレーズだ。長年の付き合いが無ければ、これが照れ隠しだとは解るまい。ふふふ。胸中で勝ち誇る俺。


「貴方の意思変更を認めるつもりはないけれど、このまま続けても徒労になるくらいなら別の方法を考える事にするわ」


 ほぅら。喧嘩なんて謝ったもん勝ち。歩み寄りは口論の末の謝罪から。

 ところで。杏樹はいつまで俺の懐に収まっているつもりなんだ?

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