(´ー`)

 

 秋穂さんとの話を切り上げて住処に戻ると、玄関先で人がうつ伏せになって倒れていました。


 それは、俺の良く見知った後姿。よくこんな顔『(´ー`)』をしてる幼馴染の第零種人類だった。


「杏樹! どうした!」


 靴を脱いで、杏樹の元に駆け寄って、その背中を優しく揺する。


「うっ……ミツヒ……?」


 杏樹は苦しそうにうめき声をあげて、弱弱しく顔を上げた。俺は乱暴にならないようにそっと杏樹の身体をあお向けにする。ざっと見たところ、外傷等は見当たらない。


「一体何があったんだ、杏樹」


「私、もう駄目みたい」


「駄目って、そんな今生の別れみたいなこと言い出すなよ!」


 こんなことになるなら、もっと早く帰ってくれば良かった。遅くなると、一報を入れるだけでも良かったのかも知れない。俺は唇を噛んで、自らの浅慮を恨んだ。


「ミツヒ……貴方に、お願いしたいことがあるの」


「なんだ」


「大変にお腹がすいたので、超特急で何か作ってちょうだい」


 俺は本気で心配したことを後悔した。


 その数分後、食卓にはシンプルながらも充実した夕食が広がっていた。メニューについては解説すると長くなりそうなので割愛する。


 昨日の朝の段階で見た目と味が比例することは学習済みで、杏樹は迷いなく料理を口に運んで行った。


「一昨日の惨状は一体なんだったのかしらね」


「俺はどうやら手の込んだものは駄目らしい。それ以外はこの通りだ」


 今のところ、ハンバーグ以外に失敗はしていない。


「手間が掛かるものは無駄に張り切るからいけないのかしらね」


「そうかもな」


 俺が呆れ半分でおざなりに返事をすると、向かいに座る杏樹はくすくすと笑う。


「そんなに私に食べてもらえるのが嬉しいの?ミツヒデ」


「バカなことを言うな。むしろご馳走してほしいくらいだ」


「あーんぐらいならしてあげてもいいけれども」


「俺がしてやろう。どうだ、嬉しいか」


 俺の予定としては、このあと杏樹から当然のように『嬉しい筈がないでしょう』みたいな返事が来ると思っていた。


 それに対して俺は『そういうことだ。ふ』とドヤ顔を決めてやるつもりでいたのに、杏樹の奴はあろうことか自らの箸を皿に置くと。


「まぁ、嬉しい。それじゃあ、お言葉に甘えてお願いするわ」


「そういうことだ、ふ……ふぇ?」


 等と言うもんで、俺はやたらと可愛らしい素っ頓狂な声を漏らしてしまう。


「あーん」


 俺の衝撃を他所に杏樹は控えめに口を開けて待ちの姿勢。


「本当に、やるのか」


「なんとかに二言は無いって言葉、知ってるかしら?」


 言葉を曲げたら俺はたちまち忌むべき第二種人類と成り下がるという事か。良いだろう。


「どれがいい」


「なんでもいいわ。どのみち、全て余すことなく私の胃袋に収まるものだしね」


 俺は手近なものを箸で掴む。おいどうした、痙攣の症状が見られるぞ。この俺が、緊張している? 否、これは武者震い。


「あ、あーん」


 俺は気合で震えを抑制し、机にやや身を乗り出すようにして、向かいに座る杏樹の口元へ料理を導いていく。


「あーん」


 杏樹の口に運搬物が収まった。杏樹はもぐもぐと咀嚼してから飲み込んで、顔を逸らす。その頬にはほんのりと赤みが差していた。


「想像以上に恥ずかしいわね、これ」


「だったらやらせるなよ……」


「貴方の思い通りになるのは癪だと思ったら、つい」


 しばらくの間、居間に沈黙が落ちた。気まずさを引き摺ってからやや経って、杏樹が思い出したように聞いてくる。


「そういえば、昨日も一昨日も遅かったけれど、何をしていたの?」


 俺から話そうかと考えていたことだから、ちょうど良かった。


「それなんだけどな。俺、部活に入ることにしたんだ。というか今日、正式に入部した。だから、これから帰宅の時間は大体これくらいになる」


 上位存在の意思によって決められた絶対的なルール、有限の時間。


 俺たちの時間はどうやったって引き延ばせないから、あれから秋穂さんの目的を聞いて、正式な入部を決心した。


「貴方が部活、ねぇ……どういう風の吹き回しかしら? もしかして、ホモ部? 前々から、そのケはあると思っていたけれど、ついに目覚めてしまったのね」


「人のトラウマをぐいぐい抉ってきやがるぞ、こいつ。ご存じのとおり、俺はストレートだし、部の方もまぁ色々と問題はあるけど健全な部活動だ」


「貴方の性質上、部員はどうせ男子一色の、実質ホモ部に変わりないでしょう?」


「お前は即刻、現存する全ての男子部に謝れ」


 でも、実際あれだ、部員が男子だったら僥倖だったんだけどなぁ、と項垂れてしまう。


「俺以外は全員第二種人類だ」


 それほどまでに衝撃だったのか、杏樹が箸を落とした。一本は床に当たってからからと音を立てる。


 此方に転がってきた箸の片割れを拾い、洗ってから渡してやると、杏樹は頭を振った。


「……空耳かしら。もう一度言って貰えない?」


「俺以外の部員は女子だ。総員は三名だけど」


 俺の断言に杏樹は目を瞠って、驚きを露わにする。


「貴方が、異性と、部活……俄かには信じられないわね。弱みでも握られたの?」


「徹頭徹尾、俺の意志だよ」


「どういう名前の部活?」


「それは……」


 言葉を濁す。詳しく説明すると、俺に消滅予告が届いた話は避けて通れない。


 俺は、消滅予告が届いても、誰にも告げず。誰にも悟られず、このありふれた日常の中に静かに溶けて消えるつもりだった。


 誰かが知れば、知らなければ負う必要の無かった心労を背負うことになるから、と。


「杏樹」


「急に改まって、どうしたの」


 恐らく、消滅の時が訪れるまで杏樹と共にする時間はこれまでより格段に減る。それで、不審を抱かせてしまうくらいなら――話してしまおう。


 何より、俺は杏樹に理解してほしい。見送ってほしい。


「俺、消滅予告が届いたんだ」


 もし、いま悲しませることになっても、最後には乗り越えて、別れられるなら。


「え……?」


 普段は鉄面皮の杏樹が目に見えて狼狽した。


「それは、いつ?」


「一昨日だな。朝に珍しく杏樹がうちに来なかった日」


「一昨日」


 復唱して、杏樹は思案に耽り始める。もし俺が杏樹に消滅の話を聞かされたら多分冷静でなんていられないけど、その点こいつは理性的だった。


「それと今回の部活の件と一体どんな関係があるのかしら」


「俺が入部したのは『終活部』って言ってな、きちんと人生を終わらせる為に色々とする部なんだ」


「いろいろって? もっと具体的に教えてちょうだい」


 あはは。俺、具体的な話は何一つ聞いてないんだけど。


「最終的に、消滅する瞬間に人生を振り返った時に『良い人生だった』と言えるように、最後まで精いっぱい生きる」


「茶番ね」


 俺もそう思うよ。今でもさ。


「俺は、生きたいんだ」


 いや。この表現は適当じゃないな。


 人である以上、永遠など存在しない。どんな形であれ、消滅は必然だと、秋穂さんが言っていた。


「生きていたんだと、胸を張って消えたいんだ」


「何をしたってどうせ消えるわ。徒労よ。余計な失望と感傷を呼ぶだけだと思うけれど」


 失望なら、幾らでもした。


 感傷なら、無数に負った。


「なぁ、杏樹。そうして自分に言い聞かせて頑張って納得させてさ。立ち止まっていれば、痛みを感じることは無いのか?」


 見上げた壁が大きくて。とてもじゃないけど越えられなくて。


 麓で首が痛くなるほど見上げ続けるのも辛いから、目を逸らして。


 でも、意識はいつだって、その壁の向こうを憧憬してる。


 言い変えれば、それは現状へただただ不満を募らせているだけだ。壁を言い訳にして、立ち止まる免罪符としているのは自分なのに。


「報われないかもしれないと恐怖して、停滞を選んだのに、それすらも意味を為さない。だったら、報われる可能性のある道を進んだ方が良いだろ」


 止まるのは、消失してからでも遅くはない。俺の背中を押す理由が秋穂さんの受け売りばかりなのが、男としてなんとも情けない。


 しかし杏樹の理解は得られない。


「貴方」


 その目つきは険しく、射竦められる程だった。


「『混迷の時代』を忘れたの?」


 それは、この生の延長のような空々しい日常が訪れる前の過酷な日々。


 俺たちだけじゃなくて、今を生きる人類の大半が経験したであろう、消失以外にも生物としての死が間近にあった時代だ。


 その時代があったからこそ、俺たちはこの仮初の楽園で、与えられるだけの日々に浸っていることが出来るのかも知れない。


 進んで、この現状に満足しようと考えるのかもしれない。


「人は欲を持つべきではないわ。もたらされた望外の平穏を甘受していれば良いじゃない。どうしてそれでは、いけないの?」


 あの時と比べれば天国に居るようだと、杏樹は暗に告げてくる。


 だから、満足するべきだと、この方舟の中で大人しく果てていく事を俺に望んでいる。


 食べられないこと。それが『日常』であれば、それは普通であり、特別な辛い事ではない。


 しかし、食べられる普通を知っていれば、それはたちまち辛さになる。


 逆もまた然りだ。


 比較する対象があって、俺たちは相反する一つを知る。


 知ってしまった。思い出してしまった。杏樹の意見も俺には理解できる。でもそれな。


「何も秩序を乱そうってわけじゃない」


 もう、通った道だ。


「残された僅かな時間を悔いのないように駆け抜けたいだけなんだよ。ただ消失を待っているなんて、そんなの、まるで、俺たち人類は――」


 ああ、適当な表現がこれしか思い浮かばない。


「――消える為に生まれたみたいだろ」


「食が満たされ、安全が保障され、集団に染まったら、今度は自己承認と自己実現欲求? その人の浅ましさが混迷の時代の引き金になったのよ」


 杏樹が鼻で笑う。ちょっと中盤の辺りから何を言っているか良く解んなかった。とりあえず現状ではっきりしているのは、杏樹は俺が何かするのは断固反対らしい。


 今の生活に無用な波風を立たせたくない? それもあるんだろうけど、それだけではないように思う。


「考えなおしなさい、ミツヒデ」


「杏樹がそこまで頑ななのは、まさか夕食が遅くなるのが嫌だなんて身勝手な理由じゃないよな。そこは信じていいんだよな」


「それは当然、全体のほんの五割程度よ」


「おいそれ四捨五入したら全部だろうが。要因だろうが」


「そもそも、私が幾ら抗弁した所で、最終的に決めるのは貴方なので、頑なと言うけれど、こんなのまだまだ序の口ね」


「何をするつもりなんだ」


「さあ? 明日になれば解るのではないかしら」


 杏樹が勿体ぶった事を言いながら椅子から腰を上げた。


「ごちそうさま。美味しかったわ。それではまた明日」


「食器ぐらい洗って行けよ」


「私の繊細な手が洗剤で傷んでしまったらどうするの?」


 どうもしないし、どうもならない。でも、気まぐれが無意識に俺の口を動かす。


「……もう、絵は描かないのか?」


 そんな俺の問いかけに、杏樹は返答も皿洗いもしないまま、部屋を出ていった。気難しい奴だ。俺よりも面倒くさい。多分。

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