稲穂は黄昏に揺れて-1 消失<ロスト>-

闇に消えた二つ

  

 消滅まで残り28日。


 その放課後、俺は職員室の付近にある部室のドアの前で佇んでいた。


 そこは職員室の隣、学長室だった場所だ。


 終活部に仮入部した俺――土岐光火には、目下五つの悩みがありました。


 多いぞ。と、愚痴を垂れても問題の自己破産は認められないそうなので、まず直視するところから始めるとする。


 いくぞ。俺は決意を固めて、部室の門戸を潜った。


「ドアの前で大分躊躇していたようだったから、あと五分待っても入る様子がなかったり、帰る素振りを見せていたら、此方から迎えようと思っていたよ」


 入口正面、部屋の奥に位置するやたらと豪奢な席が祁答院秋穂の指定席だ。それは、ここの学長だった誰かが愛用していたもの。


「……こんちわ、祁答院『先輩』」


 余談であるが、祁答院は俺より一つ年上だ。


 第二種人類を敵視すらしている俺は、普段から年上だろうとババアだろうと敬語を使うなんてことはせず、それどころか不遜な態度を取るんだけど……相手は仮とは言え、所属する部の長。


 俺は分別のある男なのである。あるある。


 話が脱線した。悩みの事だったな。


「ああ。こんにちは、明智くん」


 まず、その一つが此方です。


「ふふふ。こうして語尾に明智くんを付けていると、二十面相的な怪人にでもなったようで、不思議な気分だ」


 祁答院秋穂の中では、俺はまだ明智光秀だった。


「それはそうと、私の事は秋穂と名前で呼ぶように昨日、厳命したと思うのだが」


 そして続けざまに二つ目。


「いや、それは、いきなり難易度が高いと言うか、まずは第二種人類――異星人――や、異性と会話する所から慣れていきたいと、言うか」


 いきなり名前で呼べとか、なんですか、結婚を前提にでも据えてるんですか。


「私たちに残されている時間は少ない。君と親交を深めていくに当たって密度を上げていきたいのだ。私の我儘であることは重々承知しているし、君の女性に対する恐怖心が深刻なものであることは見て解るが、それでも」


「恐怖心だと誰が言った。俺が、第二種人類に抱いているのは、そう。嫌悪だ。かさかさと這い回る漆黒のGを発見した時に感じるソレとよく似ている」


「君は今、生存している全ての女性を敵に回したぞ、明智くん」


「ななな、なんだそれ、脅迫か? 怖い! 口外しないで、秋穂さん!」


 屈したのではない。これは和平への大いなる一歩だ。


 彼女が流しているのであろうラジオから聞こえてくる第二種人類の声が煩わしい。


 二つ目の悩みがなし崩し的に難なく解消されても、他のはそう易易とはいかないのだ。


 三つ目は、長年付き合い続けてきた俺の第二種人類への嫌悪感。


 部屋の最奥に陣取るああああああぁーきほぉさんに対して、俺はそこから最も遠くに位置する入口付近――なんなら、入口の扉がフルオープンされていて、いつでも逃げ出せるように半身が外にある状態だ。


 まさに仮入部の俺に相応しい在り方だけど、あ、アッキーはこれが許せないようで、此方の様子を注視していた。


「私が君の命を脅かす確率はどれくらいだと思う、明智くん?」


 もしかしなくても、この人、語尾に明智くんを付けるのがお気に召しているよな。


「命を脅かす確率とか、物騒だぞ」


「正解を教えてあげよう。君が東京○学に受かる確率より低い。つまり、限りなく零だ」


 わお、だったら安心だ。


「失礼だな、おい」


「本当にそうだろうか」


「なにが?」


 部長は社長机に両肘を乗せて、結んだ手の上に顎を置き、神妙な顔をする。よくわからないが、俺は踵を返そうと思った。


「なぜ、君の学力を知らない筈の私が、君は絶対に○大に受かれないと言い切れるのか」


「あんまり聞きたくないんだけど……なぜだ?」


「君は失礼だと言ったが、私は最初から失礼を働いたつもりは微塵もない。簡単な言葉遊びだよ、明智くん」


「ごくりごくり……」


 俺は先ほど購買で仕入れてきた飲料:G(G○kuriスイートパイン味)を口に含む。


「どんなに聡明な人間でも、東○に受かることはできない。そうだろう? この世界にはもう大学受験のシステムなんてないのだから」


 ニヤリとする秋穂さん。最高のドヤ顔をしているところ申し訳ないのですが、上手くも面白くもないです。


 俺は迷わず踵を返した。その後、秋穂さんに物理的に呼び止められて、俺はあえなく御用となった。


 気絶したって事です。



 ◇   ◇   ◇



 俺は、海の深い青が好きだった。


 そして、空の向こうの果てのない世界にも憧憬があった。


 昔、月と共に夜に浮かぶ無数の光の粒よりも多くの世界があると最初に嘯いたのは誰だったか。


 それは──飛んだ狂言だった。


 なんかしらの理由で、この世界が神様って奴の箱庭だって知った時、ここじゃない世界を望んだのかも知れない。


 逃れようとした。


 その事実が一般に知れ渡るようになったのは、つい最近のこと。最近と言っても、10年ぐらいは経つのだろうか。


 現代技術の粋をかき集めて製作された大型宇宙船で満を持して神様の制御下から逃走を図ろうとした者達が、成層圏の境目を抜けた直後、それは起きた。


 箱庭は管理されている。


 彼らを乗せた舟は先端からフランスパンをかじっていくように消えて、最後は欠片も残らず綺麗に消失ロストした。


 かつて、要人と呼ばれていた人々を乗せた方舟は十隻以上あったと言われている。


 その日、世界の各所に轟音と激しい光を撒き散らして巨大な船が一斉に出現、そして次々と無くなっていく姿は人類の記憶に消失ロストの存在と絶望を鮮烈に刻み付けた。


 自律稼働で食料などを生産するセントラルの機能は、その技術の名残だとか。これ豆知識な。


 宇宙はない。けれど、俺は、きっと、この空の果てには楽園が広がっていると信じている。



「し」



 がばっ。



「信じるかバカやろうーッッッ!!」



 がばりっ!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る