黎明の日
自己主張の激しいスマホを黙らせてもう一眠り――じゃない。
「おあおうおあいあう」
おはようございます、と言った。呂律が不自由すぎる。
「現在時刻は6時、か。二度寝したら気持ちいいだろうな……じゃなくて」
食材は昨晩の内に調達済みだ。朝食を作るぞ。華麗にだ!
「洗濯とかも、やらないとな……」
一人暮らしの朝って忙しいな。
◇ ◇ ◇
スクランブルエッグに表面をこんがり焼いたウインナーとプチトマトを添えて、味噌汁をよそう。
計ったようなタイミングで米が炊けた。かき混ぜてから五分ほど蒸らす間に、テーブルを拭いたり箸と飲み物を用意したりする。
それらが終わってから、茶碗にご飯を盛る。完成だ。
「はっ……俺は、一体!?」
気付けば朝食が出来ていた。ちょっと美味そう、な気がする。誰の仕業だろうか? 俺だ。どうやら、朝に行う一連の作業は問題なくこなせるようだ。
「おはよう。あら、結構しっかり作れているじゃない」
七時を過ぎた辺りで杏樹が訪ねてきて、食卓の上を見て目を瞠った。
「おう、杏樹。昨日の惨状があって今日は来ないものと思ってたぞ」
「日課って怖いわね。寝ぼけた頭が昨晩の事を思い出したのは、ここのドアの前に立った時だったわ。様子見ついでに寄ってみたけど、正解だったみたいね」
「一応、杏樹の分もあるにはあるけど、食べていくのか?」
「ええ、お願い。ついでに昼と夜の方も」
「ふてぶてしい奴だな」
「でも、用意してくれるんでしょ? 貴方って、とても面倒見が良いもの。お兄ちゃんだったのかしらね」
おだてればなんとかなるとでも思っているのだろうか。
「昼はオニギリだからな」
「もっと手の込んだものを希望したいのだけれど。手が汚れてしまうし」
こいつの分だけ、海苔を用意しないでも許されるよな。
◇ ◇ ◇
時間の流れ、いと早し。本日のスケジュールから開放された俺は、昨日と同じ時間に同じ場所で同じ張り紙を見つめていた。
『私たちは消える為に生まれたのではない筈だ』
どんなに足掻いても、いずれゼロになる。
生まれた事も、生きた事も。
頑張って、何かを成したとしても、人の記憶に僅かも残りはしない。
それが、
と、背後に人の気配を感じる。サファイアパークだろうか。
「ぶるぶるぶるぶる」
膝が震え始めた。一応補足しておくと、流石の俺でも少し女子に接近されたぐらいでは普通こんなにはならない。これは、覚悟の問題だ。かの真珠湾だって奇襲を受ければ脆かったのだから。
「そんなに怖がられると、私も傷つくのだが……君の事情は保健室の者に聞いている。これ以上は近づかないから、話だけでも聞いて貰えないだろうか」
配慮がありがたい。俺はゆっくり後ろに向き直って――近い。一歩で詰められる距離だった。これは、ヤろうと思えばヤれる間合いだ。
「も、元々話をするつもりでここに来たから、吝かじゃないが、あと5メートルは離れてくれ」
「それは遠すぎやしないだろうか」
「おおお、俺が先か、お前が先か……この死合、いやさ、殺し合いは先手を制した者が――」
俺がギラリと血走った眼を向けると、サファイアパークは慌てて僅かに距離を開く。
「ま、待て待て。解った、すぐに5メートル離れる」
「それがお互いの為だ」
「これくらいでいいだろうか?」
「もうちょっと」
「よし、これで良いか?」
頷く。これで話をする為の土台が整った。全く、話一つするのに手間を取らせる……これだから、第二種人類は。
ある程度の距離さえあれば、俺だって顔を見ての会話くらいは可能だ。
昨日は青い宝石のような瞳だけが印象に残っていたが、こうして全貌を見ると目立つ所は他にも幾らでもあった。
まず人目を惹くのは、その髪だろう。さらさらと肘の下まで落ちる、夕暮れの稲穂のような金の糸。メリハリのある身体つき。しなやかな脚線。
杏樹も相当らしいが、この第二種人類も外見的スペックは上等に位置するであろうことは俺にも窺えた。
「先ず、自己紹介をしよう。私は
北欧の血が混じっているのだろうか。恐らく、もう本人でさえ、その由来は覚えていないのだと思う。
「その掲示物を張り出したのも私だ。そこに書かれている部活動の長みたいなものをしている」
祁答院と聞く前から、そうなのだろうとは察していた。
俺が見ていた張り紙は、この学校において数少ない部活動の勧誘だった。
次から次へといつの間にやらメンバーが減っていき、自然消滅したり、メンバーが足りなくなってしまったり、
「既に解っているだろうが、私は今、君を私の部に勧誘したいと思っている。名前を聞かせてくれないだろうか」
「俺の名前は明智光秀。こんな名前をしているが、現代生まれ現代育ちの、れっきとした現代人だ。特技は謀反だけど、過度なストレスを与えなければ基本的には裏切らないから安心してくれて良い」
俺は何を思ったのか、この場面で偽名を名乗った。冷静に自己分析してみる。
この人はもんじゅもんじゅだから大丈夫もんじゅもんじゅ……あ、駄目だ。冷静じゃない。
「勧誘と言ったな、第二種人類。だが生憎、俺は死んでも豊臣の仲間にはならないと固く決めている。あきらめてくれ」
「そうか。私は祁答院だから安心だな」
「祁答院も豊臣も同じだ」
「全然違うだろう」
「あ、はい」
あっ、俺、知ってるよ。冷静って、ああいうのを言うんだよね?
おのれ第二種人類、俺を混乱させて、なし崩し的に契約を結ばせるつもりか。睨む。台風一過の空のように透き通った瞳をしていた。
「もう少し……」
2メートルほど追加で間隔を広げて、ついでに掃除用具入れに半身を隠したら、なんとか思考がまともに働き始める。
「どうして俺を? 部員なんて補充した所で、今さら予算も何も無いだろ」
「最近、君の元に消滅予告が届いただろう?」
距離と遮蔽物の関係で声が良く聞こえない。
「えー? 細菌の君は藻と似てとぐろを巻いているだろう? 何を言っているんだ、祁答院!」
「きみがなにをいっているんだ」
「あ、すいません……お手数お掛けして申し訳ないのですが、もう少しボリュームを上げて喋って頂けるとありがたいです」
「最近、君の元に消滅予告が届かなかっただろうかー!?」
「どうして、それをー!?」
「やはりか。とは言ってみたものの、外していたら羞恥に悶えるところだった」
能力者、なのか? 思念同調なら、俺なんかのと比べるのもおこがましい程に使い勝手が良さそうで羨ましいが――しかし、ちょっと此方の事情を把握しているからって、特能だと決めつけるのは早計だろう。
此方のプライベートな情報を知る手段があるとして、現実的に考える。
「祁答院、お前」
「なんだろうか?」
「ストーカーなのか。俺の」
怖い。追跡者、怖い。俺の全てを知り尽くして、俺をどうするつもりだろう。もう既にプロファイリングされていたりするのだろうか。だったらもう俺は詰んでるって事になる。
「冗談は、せめてこの距離だけにして貰えないだろうか」
冗談じゃないんだけど。結構頑張ってるんだよ、俺?
「答えという程のものではないが……部室がこの近辺にあってな、最近の私は放課後は大体そこで掲示物の成果を見守っているのだが、君は普段ここを通らないだろう」
「え、まぁ」
「キッカケがなければ、普段とは違う行動は取らない」
「誰にでも気まぐれはあると思うんだけど?」
「ああ、そうだな。だが、君は掲示物の前で足を止めた」
『私たちは消えるために生まれたんじゃない』
「君は考えたのだろう。立ち止まってしまう程にな」
身内に消滅予告が届いただけだったら、俺が気まぐれを起こしてそこを歩く確率は低い。普段通りを殊更意識するかも知れない。その人物と共に過ごす為に。
「俺が消滅待ちだって察した理由は解った。だからって、どうして俺なんだ」
「君が考えていたからだ。その文字列を見て」
祁答院の瞳が、力強く俺の瞳を見据えていた。俺はその真摯な眼差しに圧倒されて、けれども惹きつけられて動けない。
「私たちは、消える為に生まれたのだろうか」
その問いは、既に答えが出ている。生まれた事に意味なんてない。ないんだ。そう思わなくちゃ、息苦しいから。
「ただ、生まれたから生きてる。勝手に与えられたものなんだから、勝手に奪われても仕方ない」
それ以外に介入するものなど無いと言い聞かせるように、俺は言い切った。
「そうだな。だったら、君はどうして考えている。自らに問い直している?」
「そんなもの――」
何も残らない、残せない。
何も成し遂げられない。
考える時間もない。
「――ない」
「君の代わりに私が答えようか? それは」
「やめろよ」
こにょごにょにょにょんで第二種人類に情けなんて掛けられて堪るか。噛んだ。
「俺が言うから」
立ち止まってしまった。
揺れ動いてしまった。
そうじゃない! 違うとただ理由もなく言いたくて。
深呼吸して、心を落ち着かせる。
人は、それをこう言うんだろ?
「未練があるんだ」
その形は、とても漠然としている。
「何かを残したい、とか。何かを成し遂げたい、とか。そんな焦りや願望が心の底から滲みだしてくるんだ」
それは、どんなに飲み続けても枯渇しない泉と潤うことのない喉のよう。乾いた心が欲しているのは水じゃないのに、俺は必死にそれを嚥下しているんだ。
「消失なんてなくても、私達はいずれ寿命を迎えて、
寿命で死ぬ。それもまた、自然の摂理<神様の取決め>だった。
「でも、それでも、何かは残るだろ」
亡くなっても、子孫の未来が紡がれていく。少なくとも。その礎には、なっている。それが、最も手軽で確実な生きていた証となる。
「けど、
「本当にそうだろうか?」
「君の名前を教えてくれるだろうか」
「明智光秀。特技は三日天下だ」
俺が憮然と答えると、祁答院が微笑んだ。
「残っているじゃないか」
不覚にも、目を逸らしてしまった。
「その立派な名前は『誰か』が君に残してくれたものだ」
ああ。どうしような。このままじゃ──俺の名前が明智光秀で定着しちゃうよな。俺はここに来て偽名を名乗った事を後悔し始めていた。
でも、そうだな。残ってるものは、あるのだろう。技術だったり、建造物だったり、貰ったものだったり。探せば意外と見つかるものなのかも知れない。
「俺にも残せるものはあるのか? 消えてしまっても、ここに生きていたって事、証明できるのか」
本音が漏れた。俺は結局、消えたくないのだと思う。
神なんて、わけのわからない途方もない存在に全てを否定されたくないのだと思う。
「私はその手段を知らない」
「だろうな」
「だが、時間はまだ残されている。何かをしていく事は出来るだろう」
「相手は神の作ったシステムだ。俺なんかで、干渉出来るとは考えられないな」
だから、無駄だと。多くの消失者がそうであったように、俺も諦めるように自分を説得し続けてきた。祁答院にも、経験がある筈だ。
「立ち止まるのは」
なのに、そいつは少しも躊躇せずに言う。
「消えてからでも遅くはないと思わないか?」
消失すれば、時間ごと俺という存在が凍結される。
飽きる事すら飽きてしまう程の停滞がそこにある。
それまでは、抵抗してみろと?
「……人間が希望なんて持っても、この世界では絶望の糧にしかならないぞ」
「絶望もまた、希望の種になる。暗い道を歩き続けた先で、光を見つけられたら、それは美しいものに見えるだろう」
呆れが一回転していっそ感心するような希望的観測。でもそれがどうしようもなく。
「私たちは消える為に生まれたのではない筈だ」
俺の心を打ち鳴らす。俺の胸の内に存在する天秤が逆転する。
「明智光秀くん。私と共に、人生を自らの手で完結させないか」
いつの間にやら、祁答院が目の前まで迫り、此方に右手を差し出していた。
『人生を自らの手で完結させないか』
その台詞が何度も脳内で繰り返される。差し出された手を見て、その距離に仰け反りそうになり。が、踏ん張って。
「か……っ」
「か?」
「仮入部が可能なら、考える!」
汗でナイアガラの滝もかくやとなりつつある背中をピンと伸ばして、祁答院のサファイアの瞳を真っ直ぐ見返した。
「大歓迎だ」
握れなかった手が所在なさげにさまよって、けれど祁答院は花が咲いたように破顔する。
「ようこそ、終活部へ」
黎明。俺はそこに夜明けを見たような、そんな期待をしてしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます