おとしもの
部屋には明かりがついていた。不届きものだろうか?
「宜しい、地獄の番犬と呼ばれた俺の力を見せてやろう」
俺は意気軒高と俺の部屋に突入する。そこで俺を待ち受けていた者は――奴の仏頂面だった。
「遅かったじゃない。私、朝食抜きで空腹なの。早く用意をしてくれないかしら? このままでは、消える前に死んでしまいそうよ」
黒髪長髪、眇められた目は獲物を狙う豹のごとし。そう、奴は第二種人類。
「昼はどうしたんだよ。そういえば、いつもなら俺の所にたかりに来る筈が今日は来なかったな」
であるまえに、第零種人類。俺の家族みたいな奴だ。幼少の頃から家族ぐるみの付き合いがあって、それが今も続いているような感じ。
お互いの家族構成すら記憶から抜け落ちているが、積み上げてきた時間は確かにここにある。
「購買で調達してたらふく食べたわ」
「おいそれ、今のお前の状態に朝食抜き関係ないだろ」
「この際、細かいことはどうでもいいので、迅速早急に食事の準備をしてくれないかしら?」
言い切りやがった。俺も腹がすいてるから、用意はするが――冷蔵庫を開いて硬直。
「あ」
「どうしたの?」
俺の様子を訝しんで、肩口から中を覗き込んでくる。
「食材がないぞ」
「貴方、こんな時に、そんな初歩的なミスをするなんてふざけているの?」
「むしろ、ふざけているのはお前だ。どうして俺が一方的にお前の食事の面倒を見ないといけないんだ。普通は逆だろ。どうした幼馴染、もっと本気出せよ」
「嫌よ。現実を見なさい」
「……さしあたり、食材調達だな」
「いってらっしゃい」
「お前も来い」
渋る奴を引き摺って、俺は部屋を後にする。
しかし、ほんとに初歩的なミスをしてしまった。 ノアに居着いてからというもの、ずっとこんな暮らしをしていた筈なのに……予告が届いて、予想以上に精神にダメージを負ったのだろうか。
食材から生活必需品の雑貨等は、ノア寮の一階のエントランスから廊下で繋がっている施設で一通り取り揃えられるようになっている。
セントラルで生産し加工されたものを地下の経路から運び入れてるだとかで、オートメーション化されている事以外、詳しいことは俺たちは知らない。
多種多様な商品が規則的に棚に陳列していて、生鮮食品だったりは当然冷蔵されている。感覚としては、一昔前のスーパーに近い。
差異があるとすれば支払いの義務がないってことぐらいか? 少品は早い者勝ちって点は、今も変わらない。
そんなこんなで苦も無く素早く食材を調達して部屋に戻り、調理をした俺だったが。
「貴方、ふざけているの?」
見積もりが甘かったらしい。
「真面目にやってこれだ」
机の上に並べられた料理の数々は、お世辞にも毎日料理をしてきた者が手掛けたとは思えない粗末な出来栄えだった。
「味は、多分大丈夫だと思うが。ちょっと食べてみてくれ、杏樹<アンジュ>」
メインディッシュのハンバーグを勧めると、杏樹は正気? と言わんばかりに疑いの眼差しを向けてくる。
しばらく見つめあうこと数秒。杏樹が折れて、ナイフとフォークを手に取り、ハンバーグを切り開いた。
「これ、だいぶ焦げてるのに、中にまだ赤いところがあるわよ」
「外はサクサク、中トロトロ。食感をお楽しみください」
「有限の時間を、お腹を壊したまま過ごすのは御免だわ」
杏樹はハンバーグと付け合わせ(人参とじゃがいもも生煮えだったみたい)が乗った食器を持っておもむろに立ち上がると、流しまで行き、あろうことか――ダストシュート!!
「俺の渾身の手ごねハンバーグが……食べ物を粗末にするなよ、ばかやろう!!」
「粗悪にしたのは貴方よ、ミツヒデ」
「ミツヒデ言うな。
経緯は覚えていないが、姓が明智だった時代もあって、その関連でこいつ――
ちなみに、ここで俺がモンジュモンジュと言い返そうものなら本気で怒るからタチが悪い。
「捏ねている姿が無駄に一級品だっただけに、期待を大きく裏切られたわ。私の時間と期待を返してちょうだい」
「俺の手間を返してくれ」
「私はこんなげろまず料理を食べる為に、ここに通っていた……なんてこと、ないわよね」
俺は無意識に、ポケットの中の携帯を握る。
参照先ごと削除された記憶は、都合の良いように書き換えられてしまう。
「つい昨日までは、私たち以外にもう一人『誰か』がここに居たんでしょうね」
思い出せない。参照先がないから。無くしたんじゃなくて、失った。後に残るのは、微かな違和感と――喉に小骨が詰まったような不快感。
「こんなげろまず料理しか作れないのに、よく毎日作ってたなんて設定になったわね」
嫌味に口角を上げる杏樹だが、たぶんこいつは暗くなりかけた雰囲気を変えようとしてくれているのだと思う。
「さっきから、げろまずげろまずと、本当に失礼な奴だな、お前」
俺も、それに乗ることにする。この世界で数えきれないほど繰り返されてきた感傷で、俺たちも何度も味わってきた。
どうしようもない。どうしようもないならば、小骨の気持ち悪さを誤魔化していくしかない。
「事実だもの。こうなってくると、家事が一通り出来るっていう記憶も怪しいんじゃないかしら?」
「ああ、それはあるなぁ……俺、今朝遅刻しただろ? 多分、一人で起きるのも難儀するレベルなんだよな」
学生やってて、それで家事が堪能とか、有り得ないだろ。遅刻と言えば、そうだ。
「杏樹。今朝はここに寄ったのか?」
記憶に疑いを持っていない朝の内なら、俺の部屋に朝食を求めてやってくる筈。
「それは……あれよ」
歯切れが悪い。後ろめたい理由でもあるのだろうか? こういう時、調子に乗って突っ込みすぎると、杏樹はすぐに臍を曲げるので、俺は黙って続きを待つ。
「寝坊したのよ」
「躊躇した割には、あっさりと言い切ったな」
「恥ずかしいじゃない。貴方と一緒だなんて」
「うん。そろそろ追い出しても良いよな?」
「そんなことより、もっと大事な話があるでしょう?」
追放云々は、そんなことなんだな。
「もう一度言うわ。私は凄く空腹なので、迅速早急疾く疾く夕食にありつきたいの」
「任せろ。とびきりうまいもんを作ってやる」
「どの口が言うの」
「この口だ」
「しょうがないので、今日だけは私が作ってあげるわ」
「作れるのかよ。どうした幻想。現実が追いついてきたぞ」
杏樹はごそごそと冷蔵庫の中身を漁って在庫を確認すると、今時珍しいガラパゴスの携帯を開く。間髪入れずに俺の携帯がメールの着信を告げる。
「そこに書いてあるもの、取ってきて頂戴」
「はい」
ミッション内容【ネギ取ってきて】。口頭で言えよ。
◇ ◇ ◇
眼前に聳え立つ山脈のごとき米の山を見て、改めて唖然とする。
「凄い量のチャーハンだな」
「炊飯器にあった御飯を全部使ってやったわ」
「六合くらい、有ったと思うんだけど」
プロさながらのフライパン捌きと言い、メニューと言い、思いきりと言い、色々と男らし過ぎる。良かったな幻想、現実はまだ後方に遥か遠い。
チャーハンは美味かった。毎日作ってくれと頼んだが、即答で拒否された。
◇ ◇ ◇
杏樹が出ていって一人になった部屋で、俺はベッドに横になって、黙々とメールを打っていた。 日課だ。毎日欠かさず行っている儀式。
文面を打ち終えて、送信する。間を置かずに、メールを受信した。内容に目を通して、携帯のディスプレイを切る。
「一日目、終了か」
消滅まで残り29日。
明日は、うん。
取り敢えず、早起きして飯を作ろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます