鮫島くんの離脱

 梨太は鉄の扉に背中をはりつけて、白鷺を見下ろしていた。


 男は鮫島を視姦する。やがて、身を屈めた。


 鮫島の腰帯を引きちぎり、軍服の襟を摘む。元騎士である男は慣れたようすで脱がしていった。鮫島は何の抵抗もしない。

 梨太の視界に、薄手のシャツをまとっただけの鮫島の胴が映った。軍服の下に、黒いベルトのようなものが巻かれている。それを、白鷺は引きはがした。


「やはり、雌体化、していたか。でなければ、一番最初の蹴りで、俺は昏倒していたかもなあ、鮫」


 ウエイトを床に投げ落とす。鉛より重い金属がフローリングを揺らした。その音は、以前梨太が自宅で聞いたものより重いものに聞こえた。


 白鷺は、鮫島を持ち上げると、子供をあやすように中空で揺らした。黒髪がゆれる。


「軽い、軽い。こんな体重であんなパンチを打てた方がおかしい」


 そして彼は、やけに優しく鮫島を床へ横たえた。汗で額に張り付いた前髪をよけ、白い頬に手のひらを当てる。指先で髪をけずって。


「……まだ、雌体化の途中か? いまどうなってるんだ? こんな綺麗な顔で死なれたら、全部剥かないとわかんねえじゃねえか」


 顔面を近づける。壊れた男の口蓋からだらしなく流出した血液が、鮫島の顎へ滴り落ちた。


「やめろぉおこの禿っ!!」


 梨太は絶叫した。足で転ぶように階段をおり、床のナイフを拾い上げる。振りかぶるまえに、同じものが飛んできた。梨太の横をすぎ壁に突き刺さった。

 たしかに白鷺より先に持ったはずなのに、なぜか大男の投げたナイフが自分のすぐ眼前に刺さっている。持ち上げただけの右手がこわばる。


 白鷺は立ち上がり、骨の砕けた顎と右腕へ大儀そうにふれた。

 一階フロアにいるというのに、階段の上の梨太と視線の高さが揃う。


 男は、いまになって初めて、少年の存在を人間として認識した。


「こども――地球人の、娘か?」


「……男だ……見た目よりはもうちょっと年長だよ……」


 さっき叫んだせいか、自分でも意外なほどちゃんと声がでた。白鷺は口の端で笑う。


「金か、それとも前科でもあんのか。なんで傭兵なんぞやってるのか知らないが、まあ無理をするな。さっきは散々マトにしたが、別に俺ぁ、お前自身になんの興味もない。もう帰っていいぜ」


「――で、できる、か。鮫島くんを置いては」


 梨太の言葉に、白鷺は鼻を鳴らす。

 足下に転がる鮫島を、靴底で転がした。



「心配するな。もう死んでる」



 目を見開き、押し黙る梨太。

 白鷺は屈み込み、鮫島の胸に手のひらをつけた。


「――ほら。もう心臓も」


 梨太はナイフを投げつけた。それは正確にねらい通りとはいかなかったが、白鷺のわき腹をかすめて床につきたつ。


「鮫島くんに触るなっ……!」


 白鷺は無言で、腹部の出血にふれた。浅い傷は白鷺の指一本を赤く染めることもできない。男はおもしろそうに、鮫島の胸を手のひらでたたいて笑った。


「なんだぁおまえ、鮫に惚れてんのか。それでここまで来たのかよ? くはっはは、おもしれえ奴。こんな、床だかなんだかわかりゃしねぇ胸、くひひひ。お前、烏以上に頭おかしいな」


 梨太は身を屈め、床を見回した。鮫島が払ったナイフがあと数本ころがっているはずだ。


「俺ぁ鮫を倒したかっただけだ。できれば完全に男のときに勝ちたかったが、まあ、仕方ねえ。こんな、爪を立てないと掴めないような薄い胸や、ましてや死体なんか興味ねえよ。ボクの綺麗な鮫島君がけがされることぁない。

 ただ、烏がな。……そういう約束でお膳立てしてもらったからよ。悪いけど。バラバラにまではしないだろ、たぶん」


 話しながら、白鷺は鮫島を肩に担いだ。うつ伏せの形で担がれた鮫島が、腕をだらんと垂らして揺られる。

 逆さになった彼の頭部から、ぞっとするほど大量の血が滴り落ちた。


 梨太はナイフを掴み、震える手で、構える。


「殺してやる」


 白鷺が声を立てて笑った。


「若いねえ、少年。相手と、状況をよくみて喧嘩を売りな」


 男は梨太に背を向けて、鮫島を担いだまま階段そばの作り付け棚を漁った。乱雑に置かれた道具の中からカードのようなものを取り出し、


「終わったぜ、烏。悪いな、殺しちまった。いまから持っていく。鍵と、それから電磁波も止めてくれ」


 白鷺の言葉に応じて、階上の扉から金属音が聞こえた。白鷺は悠然と、鉄の扉へと向かっていく。


 その前に、梨太がいた。


 じりじりと下がりながら、扉の前に立ちふさがる。目の前に立った元騎士は、まさしく、巨漢であった。天を衝く上空から、金色の目が梨太を見下ろしてくる――



「どけ」


「……い、いや……だ……!」


 梨太は首を振った。扉に背をつけ、両手を広げる。巨大な手が伸びてくる。梨太の頭蓋を掴むために、手のひらを大きく開いて。


 その時。うつ伏せに脱力していた鮫島が身をのけぞらせ、腹筋で一気に直立した。

 白鷺に腿を抱かれたまま、白鷺の喉笛へとがった肘をたたき込む!


「ぅごぇっ!!」


 喉仏を砕かれ、男が腰を折る。鮫島はそのまま後ろ手に腕を巻き付けると、白鷺の頭部を軸に、反転させた。後ろからぶら下がるようにして、首を腕で締めあげる。

 白鷺の足がよろけ、ずるりと階段を滑り落ちた。鮫島はその背中を膝でたたき、背筋を駆使してのけぞる。

 土から大根でも引き抜くように、大男の全身が空中を舞う。

 一蓮托生のバック宙――鮫島は男を道連れに宙を反転し、空中で自身を白鷺の陰にかくす。


 そして――白鷺は四メートルの高さを垂直落下。鮫島の体重を乗せたまま、禿頭を床へ落とした。



 餅つきで、うっかり餅ではなく臼の縁へ思い切りぶつけてしまったときの音がした。



 白鷺は数秒、垂直に逆立ちしていた。じきに前向きに崩れ落ち、四肢をのばして倒れ伏したのだが。



 大業を放った鮫島は、白鷺の体から落下し尻餅をつく。前のめりに倒れ、おしりを押さえてうめいた。


「っい、た……ぁ、い」


「鮫島くんっ!」


 梨太は階段を駆け降りて、最後の二段でつまづき前転した。転がった先すぐ目の前に鮫島。


「鮫島くん、鮫島くん。鮫島くん……だいじょうぶ!?」


「……尾てい骨、が、今一番痛い」


「そんな地味な話じゃなくて!」


 梨太は鮫島の顔をのぞき込む。顔色は生気をとりもどし、目の焦点も正常である。それでも血は止まらないようだった。鮫島は唇をとがらせた。


「……ハンカチ忘れた」


「だから、そういう地味な話じゃなくて。なんだかなあ、もう」


 梨太はポーチからガーゼタオルを取り出し、彼の頭に巻いてみた。止血にもならないだろうが、とりあえず垂れてくるのを防ぐくらいには役に立つだろう。

 タオルを巻かれて、鮫島は目を細めた。口元に笑みを浮かべて。


「似合う?」


「なに言ってんの鮫島くん超つまんない!」


 梨太は全力で叫んだ。


 しゅんとする騎士団長を放置し、梨太は白鷺の様子をうかがった。さすがに、あの攻撃で無事とは思えない。完全に伸びているようには見えるが、二度あることは三度ある――不用意に近づいて人質にでもされたら目も当てられない。


「鮫島くん、手錠は?」


「あるけど、またちぎられるのが関の山だな」


「えー。じゃあなにか代わりのものを」


「……可哀想だが仕方がない」


 鮫島はそう言うと、白鷺に歩み寄っていった。白目をむいてひっくり返っている巨大な右の腕を掴まえて、複雑な形に足を絡め、


「よいしょ」


 と、言って、肩間接を付け根から完全脱臼させた。おかしな方向にまがったのを置いて、もう片方も。


 さらに右足、左足も同様に、股関節からはずしていく。壊れた人形のようになった大男のありさまを確認すると、うんうんうなずいた。


「これでよし。もし気がついたとしても立てないし自力で治せない」


「うわぁいそりゃ安心だぁ……」


 梨太は低い声でつぶやいた。


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