ひとり

 鮫島は、白鷺が動けなくなったのを確認してもまだその場から立ち上がろうとしなかった。表情こそケロリとしているが、わずかに呼吸が荒い。梨太は改めて鮫島の顔をのぞき込む。


「大丈夫なの? さっき、頭をあんなに」


「大丈夫。俺の頭蓋骨、ちょうどこのへんには、金属板が入っている。自動変換機を外科手術するさい、どうせなら生体義骨ではなく頑丈なものにしてくれといって、強化した」


「……でも、白鷺は、心臓が止まってるって」


「戦闘後の興奮状態で相手が絶命しているかどうかはかるのは難しい。俺はそれを欺く技、平たく言えば、死んだふりを会得している」


「そ、そんな技があるんだ?」


「うん。呼吸と心拍を極端に落とし体温を下げ瞳孔を開いて仮死状態になり、ごく短時間意識をなくすかわりに素早い回復を」


「軍人怖ええええ!」


「騎士でも出来るのは俺だけだと思う」


「そんな気はしましたっ!」


 梨太は叫んでもんどりうち、頭を抱えた。


「うあああ怖えええ。なんかなあああもおお。カノジョが僕より背が高いとか超強いとかはぜんぜん気にならないけど、ロボトミーみたくあちこち改造されて機械とか金属とか入ってるってきくと、ぞくっとするもんがあるううう」


 鮫島は、きょとんと目を丸くした。ぱちぱち、瞬きをして、


「……そうなのか?」


「ああー、そっか、ラトキアでは珍しくないと言うか、騎士団員みんな頭蓋骨開いてるくらいだから抵抗ないのかなあ。医療技術の一環ではあるよね。でも僕、二重瞼の手術とかコラーゲン注射とかもすっごい萎えるもん。だからニューハーフもだめなんだよ。やっぱ人工感あるからさあ。いや、批判とか否定とかじゃなく、ちょっと受け入れるのにワンクッションいるんだよう」


 もだえる梨太を眉を寄せて眺め、鮫島は少年の服の袖をつまんで引いた。小声で、うかがうようにして。


「……じゃあ、あの、もしも俺の体にアタッチメント――いやなんでもない」


「なにっ!?」


「なんでもない」


「なんか言った! アタッチメントって言ったよね!?」


「言ってない」


 しれっと明後日の方に顔ごとそらすのを、梨太は身を乗り出してのぞき込む。


「そこまで聞いたらちゃんと教えてほしいよ、逆にいちばんいやな形で妄想しちゃうから! というかたぶんだけど他にもまだいろいろあるだろ鮫島くん! 空を飛んだり透明になったり壁をすり抜けたり」


「出来るわけないだろう」


 真顔で否定される。梨太からすれば、自律で心臓を止められるのも十分ファンタジーである。梨太は仏頂面の鮫島にすがりついた。


「お願いほんと一回全部教えて! 大丈夫っ、僕鮫島くんだったらどんなんなってても絶対大好きだから!」


 ハイテンションの口調、そのまま続けた言葉に、鮫島が身を堅くした。突然の変化に、梨太のほうがキョトンと目を丸くする。眺めているうちに、彼はどんどん顔色を赤く変えていった。耳まで染めてから、あわてて手のひらで覆い隠す。


「ど、どうしたの」


「……いや。もう、いいから」


「? なにが」


「いいから――いこう」


 言って、彼は立ち上がった。


 固まりかけた血で張り付いた前髪を額から引きはがし、軍服を整える。黒い瞳が階段を見上げた。


「……さっき、白鷺が烏と通信していた。鍵が開いたな。電磁波も止めたと」


「鮫島くんも、一緒にいくの?」


「もちろんだ。いや、お前はここで」


 話しながら、歩みを進める。その足がとまった。ぐらりと膝が揺れ、後ろ向きに倒れそうになる。寸前でそばの壁にもたれ掛かり、こらえた。


「鮫島くん? 電磁波がやっぱりここまできてるんじゃ」


「ちがう。平気……」


 答える声がかすれている。梨太の巻いたタオルが吸いきれなくなった血があふれ、鮫島の頬までつたっていた。壁から背中を離そうとして、そのままずるずるとしゃがみこんでいく。慌てて駆け寄り、床に倒れ込むのを体を入れて支える。


「鮫島くん! 大丈夫っ? やっぱりさっきの怪我!」


 だいじょうぶ、という言葉の形に鮫島の唇が動く。言葉にはならず、彼はなんどかリトライして同じ口の動きを繰り返した。

 だが急に顔色を変え、口元を手で押さえると、突然嘔吐した。吐瀉物が吹き出し、軍服を汚す。


「鮫島くん……!」


「り、た。離れ、て」


 激しくむせながら鮫島は梨太を押し退けた。


「汚れる……」


「何いってんだよっ!」


 梨太は叫び、鮫島の体を抱きしめて背中をさすった。


 戦闘に備えゼリー食と水分しか胃になかったためすぐに吐くものはなくなったようだが、嘔吐感はおさまらない。蒼白になった額に汗をにじませて、口を押さえている。 



「リタ……」


「なに? 無理に話さないほうが」


「リ、タ。……いくな」



 うわごとのような力のない声。肩が震えている。異様に力んだ状態から、彼は徐々に力を抜いていった。楽になってきた、ではない。瞳を閉じ、体を梨太に預けて倒れ込んでいく。



「少し、休む。だから待っていて…………」



 鮫島の体重がすべて梨太にのっかった。それきり、何も話さなくなった。


 梨太は鮫島を抱いたまま、まず、自分自身の呼吸をおさえるように努めた。二度、深呼吸。吐いてから吸う。肺の中の空気をすべて入れ替えて、目を閉じ、自分の脈拍を数える。心臓を止めるまでは無理でも、鼓動を正常に戻すくらいなら、大事なテストの前にいつもやっていることだ。


 冷静になって、耳を澄ませる。


 鮫島の呼吸は、浅いがたしかにあり、安定していた。心臓や脈をはかりたいが、梨太の手はグローブに覆われ、触感覚をほとんど失っている。視覚で胸の動きを確認する。


(……大丈夫。失神しているだけだ)


 梨太はとりあえず息をつくと、彼を支えたまま苦労してパーカーを脱ぎ、床に敷いて、鮫島をそうっと横たえた。フードの部分を丸めて枕にし、横向きにした頭を乗せてやる。もし意識のないまま、また嘔吐しても窒息してしまわないように。


 寝転がった鮫島のそばに、梨太は少しの時間だけ、腰掛けていた。

 毒ガスが充満し、視界の隅には四肢をひん曲げた大男。階上にはラスボスがいて、英雄は隣で眠っている。


「ああ……かえりたい」


 梨太は、正直な気持ちを口にした。


 もしも――

 ここで、梨太が帰還したら、どうなるのだろうか。


 考えながら、鮫島の髪を撫でる。ずっと、触ってみたいと思っていた黒髪。グローブ越しでは感触もなく、摘んでみても、血で固まって額からはがれない。くすぐったそうに目を細めることもない。とても残念だった。

 彼をひきずって、帰還することはできるだろう。だけどそれでどうなるのか。烏を捨て置いては、また鮫島が治療がすみ次第このアジトに戻るしかない。毒ガスも、電磁波もなんら解決できていないのだ。ほかのものには任せられない。出直してくるのを烏は待っている。きっと白鷺をうしなったぶん新たな罠を追加して。


 毒がある限り鮫島が来るしかない。電磁波がある限り、梨太が来るしかない。

 行きたくはない。だけど行くしかないなら――行くしかないのだ。


「よし」


 梨太は立ち上がった。

 腰に下げた小銃を手に持ち、額を当てて祈る。これまでの人生でついぞであったことのない、神に、仏に、三人の女神に、幸運に。


「がんばるぞ」



 少年は、まっすぐに伸びる階段をひとりで上る。鉄の扉を開き、その先へと進んだ。

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