鮫島くんの攻撃

 このフロアに充満する、毒ガス――は、それは、鮫島には効果がない。

 その理由は、彼がこの毒に耐性があるからだ。

 それを彼に与えたのは、烏であった。


 そして、およそ四年前――鮫島は、自らの発案で、新しい武器を作り出した。そのとき大きな協力者となったのが軍の科学研究部、その化学班最高責任者であった、烏。


 烏は毒に精通している、同時に、騎士団の麻酔刀にもまた深い造詣があった。対策を練られて当然のことであった。


「その刀ができたのは、俺が騎士団を抜けてからだからよぉ、俺自身は扱えねえ。扱えたところで、正直あんたにゃかなわねえよ」


 白鷺は自分の体をいとおしげに抱きしめた。


「ところでさっき、傭兵やるんなら雇われる先を選べといったな。俺は、選んだよ。選ばれたんだ。

 三年前、騎士団やめてくすぶってた俺に烏が直接声をかけてきたんだ。鮫を倒せる兵士を探している、鮫よりも強くならないかと」


「……俺は、まだ未発達な子供のころから、六年かけて習得をした。成人してから急激に行えば、壊れる」


「そうだな。俺はたったの四種類だけど――壊れたんだ」


 白鷺が笑う。体を起こした梨太は、はじめてその笑みを正面から見た。ウッと声が出そうになる。

 歯が七本しかない。歯茎が、どす黒く変色していた。彼はそれをなんら気にすることなく、紫色の舌をむき出しにして大笑いしていた。


「おかげで禿げあがってよ、爪も伸びん。ものの味もわからねえ、女を抱いてもなにも感じねえ。なにやったって楽しくもないのに、欲しくてたまらねえ。飢えだけがずっと続くんだ。ひひひっ。これが地獄でなくてなんだという?」


 白鷺は、抱きすくめた己の体を優しく暖めるように愛撫した。指先に、黒髪の女の裸体がある。巨大な手のひらが女の腰を抱く。


「だが、女神は俺に祝福をくれたぞ、鮫よ。毒の耐性のせいだか、それともなにかがブッ壊れたせいなのか、俺にその武器は効かねえ。

 これまでのような電撃ショック攻撃と違い、特定の電流が脳神経に伝達され強制的に睡眠に落とす。神経に作用するってあたり、なるほど武器よりも毒に近いものだ。

 俺は幸運だ。毒の耐性と同時に刀への防御も手に入れた。結果、このフロアは俺の城だ。おまえをくびり殺せる、やっと――ようこそ俺の城へ」


 ちがう、と、梨太は張り付いたのどの奥ではき捨てた。声にはならなかったが、確信を込めていえる。

 偶然ではない。幸運でもない。烏ははじめからそのつもりで――この毒の組み合わせで、耐性をつければ、騎士の刀を防御できる戦士ができあがるのを知って、調合し、飲ませたのだ。


 なんのために?


 ――鮫島くんを倒すために。


 梨太はぎこちなく、鮫島の方へ首を巡らせる。


 鮫島は白鷺の口上にいっさい取り合うこともなく、ただ注意深く彼の肉体を観察していた。弱点になりそうな急所を視察しているのだろう。鮫島は思考力の鈍い男ではないが、同時に二つのことを考えるのは不得手だ。いま、彼は白鷺を倒すことのみを考えている。


 梨太はそれらを見て取りながら、思考を疾走させた。


 二十種類の毒を、幼い鮫島に飲ませたのは烏。違法と知りながら、自ら飲んだのは鮫島だ。

 四年前に麻酔刀の開発を望んだのは鮫島、協力したのが烏。その直後、烏は懲戒解雇された。化学兵器製造のさいの、人体実験と被験者への虐待の咎で。

 鮫島のもつ刀の開発に、烏が関わっていたのは間違いない。ならば時期的に、烏の罪はその一件のものと考えて自然だ。

 そして、鮫島の性質からして、赤の他人を人体実験の被験者になんかしない――彼は毒を飲んだのと同じように、自らを被験体に、刀を食らい続けたのだ。

 それなのに烏だけが咎められている――


(烏は、鮫島くんを恨んでいる……)


 そう考えたら、このアジトの罠も至極納得がいった。

 白鷺の城、烏の城。


(……姫路と岡山の二階建て……)


 ものすごく下らないことを一瞬考えてしまい、梨太は頭を振った。


 鮫島は、しばし逡巡のすえ、手に持った刀を腰に戻した。

 白鷺が片頬で笑う。


「なんだ? 団長さん、まさか降参か? 電撃が効かずとも鈍器にはなるぞ、刀をつかって――」


 その台詞が寸詰まる。


 鮫島の拳が、白鷺のわき腹に突き刺さった。ベキ、ゴキンッ――幾本もの肋骨が砕ける音。

 声にならない呻きとともに、崩れ落ちる大男。がくりと膝をつき、ちょうど顔の高さが下がったところにもう一発。

 全体重に、ウエイトと麻酔刀の重量を乗せた鉄拳が白鷺の頬骨を砕く。

 パキン、と、なんだか儚い音がした。黒く腐った歯茎の顎が、太い首の上でスライドする。そして、男の筋肉が弛緩し、地面にスライムのようにはいつくばっていった。


 やくざの部屋に敷かれた獣の毛皮のようになった白鷺に目もくれず、握り込んだ拳を開き、ぷらぷら回す鮫島。


「ばかめ」


 そんなことを言った。


「俺があの刀を作った理由を、烏から聞いてないのか? 人を無駄に傷つけないためだというのに。……刃から鞘を奪い取ってなにがしたいんだ貴様」


「さ……さめじまくん」


 梨太が、震える声でつぶやくと、彼は手を回しながら振り返った。先ほど巨漢の顎骨を粉砕した手で、細長い指を開いてひらひらと振り、笑ってみせる。やけに明るく愛らしくすらある笑顔に、



「さめじまくんって…………つよいね」



 そう言った梨太の声は、先ほどよりもさらにか細かった。



 失神した白鷺に手錠をかけて、その場に転がしたまま一階をさらに探索する。厨房をのぞくと、確かに頻繁に使用されている形跡があったが、それをエアコンのほうへつなぐ手段は見つけられなかった。

 ここで作っているのは間違いない。だがコンダクトへのバイパスは全く別のところにあるらしい。烏を捕らえて止めさせるしかない。やはり、二階に上がらざるを得ないようだ。


「……いくしかないよね」


 梨太は、最奥の壁から伸びる細長い階段を見上げた。


 小さな階段だった。角度も急で、幅は細く、せいぜい一メートルほどしかない。入り口の方はこの三倍は横幅があった。もしかしたら緊急避難通路なのかもしれない。


 ふと、鮫島はこれまでにない仏頂面をしてみせた。梨太が先頭になり、階段に足を乗せると、さらに不機嫌そうな顔をする。

 梨太は三段ばかり上ったところで、一段目に足を乗せている鮫島を振り返った。 


「……どうしたの鮫島くん」


「どうかしてるのはおまえだろう」


 反論される。梨太が疑問符を浮かべると、突然、彼は段上に長い手を伸ばし梨太の顔面を鷲掴みにした。そのままぐりぐりと振り回される。何の錯乱かと思ったら、肩をつかんで引かれ、ぎゅっと強く、胸に抱かれた。


 無言のまま、ただ抱きしめられる。


「……ええと」


 梨太は、自分のテンションが妙にクレバーなのを不思議に思い、そして理由を理解した。まず、防護スーツのせいで皮膚感覚が皆無で、さわられている感触すらもなんだかおかしいこと。もうひとつ、意味が分からなくて、どういう感情で受け止めていいのかわからなかったのと。


「……心配してくれてる?」


 以前一度言ったことと、同じことを聞いてみる。当たり前だ気をつけていけよという激励を想定して尋ねたが、鮫島はまだしばらく回答をくれなかった。


 敵アジト、毒の蔓延するフロアで、彼はかなり長い時間、梨太を抱きしめてじっと動かずにいた。


 やがて、低く抑えた声で、ささやく。


「……烏は、俺を恨んでいるのだろうか」


 そう言ってくるのは、彼に身に覚えがあるからだ。

 梨太は先ほどの自分の見解に確信を持った。


 鮫島は梨太を抱いたまま、小さく嘆息した。


「昔は、優しい大人だったんだけどな……」


 ふと、梨太はひとつの可能性が頭に浮かんだ。それは何の根拠もない、少年の思いつきであったが。


「鮫島くん、烏、さん、のこと、すこしだけ好きだった?」


 言われて、鮫島は想像以上に驚いて目を丸くした。かすかに赤みのかかった唇で、自嘲気味に笑ってみせる。


「ずっと昔に、すこしだけね」


 彼はそういって、梨太の体をやっと離した。


 鮫島は、額まですっぽりと覆う防護スーツ、さらにその上からかぶったパーカーのフードに手を当てた。布の余分を指先でつまむ。ゴーグルをはめた目元を、マスクに覆われた頬を、排出される呼気しか通さない口元を、親指の腹でこする。

 何一つ、梨太にはその感触は伝わらなかった。


「……烏は、力が強いわけじゃない。鯨の言うとおり、銃をもつおまえが勝てないわけがない」


「うん」


「だけど――気をつけて。気をつけて欲しい……あれは、怖い男だ。まして、俺を恨んでいるのなら、それがおまえに向かうかもしれない。酷いことを、しようとするかもしれない。戦略的に何の意味もないことを、だから、それを読みとろうとすればかえって不意をつかれる。リタ、リタは頭がいいから」


 鮫島は、そこまで言ってしばし思案顔になった。やがて大まじめな声音で、


「やっぱり俺、ついていった方が……」


 苦笑いする梨太。

 大丈夫、ここで待っていて――その言葉を紡ごうと口を開いた。だが突発したのは全く違う、絶叫だった。



「鮫島くん後ろっ!!」



 鮫島が反射的に身をひるがえす。大量のナイフ、その切っ先がそこにあった。

 軽い音を立てて軍服に突き刺さり、赤い血が梨太のゴーグルを濡らした。

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