白鷺との戦い

 全力で自己紹介をされた鮫島は、それでとくに大きな反応をするわけでもなく、「ああ」とだけ言って立ち上がった。禿頭から湯気を立てそうな元同僚の様子に、後ろ頭をかく。


「ごめん、存在を忘れていたわけじゃない。名前だけだから」


「きさま、どうすれば白鷺なんて特徴的な名前を忘れられるんだ! ふざけるな!」


「長いし」


「長くなんかないっ!」


 わめく白鷺。


 梨太からして、白鷺は特徴的とも長いともいえない名前であるが、ラトキア語本来の発音は難解なのかもしれない。鮫島ならば、それこそヤマダとかタロウのレベルでド忘れしそうな気もするが。


 白鷺はうなり声をあげ、突然己のシャツを胸元でビリビリ破りだした。うげ、と声を漏らす梨太。


 はりつめた筋肉に、それ以上に存在感のある入れ墨が入っていた。等身大の女性像である。

 右と左に一人ずつ、どちらも黒髪に切れ長の瞳の美女。豊満な肉体にまとわりつくうねる長髪と、潔癖な細身を隠す糸のように垂らした長髪。

 続いて、彼は背を向けて、そこに描かれた三人目の美女を見せつけた。やはり黒髪の、うなじまでの短い髪、しなやかな裸体をさらす女。


 三女神――と、虻川が言っていた。神々しさとエロティックが混在するタトゥ。


 一瞬、状況とキャンバスの存在を忘れ、その見事な肖像に梨太は見ほれた。うねる髪の女神が、鯨に似ている気がした。いや、それを言うならば背中の女は鮫島に――


 と。その背中に向けて、鮫島が疾走し全体重をかけた跳び蹴りをぶち込んだ。声もなく白鷺は吹っ飛び山積みの椅子につっこんで、どんがらがっしゃんと騒音をたてる。


 着地した鮫島は長い足を畳むと、迎撃の構えをしながら、小首を傾げた。


「……なんでいま背中を向けたんだ白鷺。戦闘中に」


「お前に思い出してもらおうとしたんだっ! 自分の最大の特徴をさらしてっ!!」


 ど派手にふっとんだわりにすこぶる元気にわめく白鷺。見かけ通りの頑丈さである。


 精神的な頑丈さでは鮫島も全く負けていない。回答にさらに不思議そうな顔を向けて、


「忘れたのは名前だけと言っただろう。それも今思い出したというのに、なにを改めて。それに、服を脱ぐくらい、言えば待ってやったぞ。破るなんてもったいないことするな」


 挑発なのか天然なのか、見事に白鷺の神経を逆なでしている。

 憤怒に顔面をゆがませる大男の前に、細身の麗人は、さながら鬼と一寸法師のような見物であった。全く敵いそうでないのに、勝利の結末を知っているような――梨太は少しだけ身を起こして、武人の戦闘を見守る。


「久しぶりだな、鮫よ」


 激怒しながら笑みを浮かべる白鷺。


「まともに会うするのは四年ぶりか? アジトを纖滅されたときにゃ兵士に実弾つきつけられて、さっさと投降したからな」


「……傭兵をやっていたのか、白鷺。同じ暴力稼業だ、何も言わないが、雇われ先の善悪くらいは見定めろ」


 きひひっ、と、白鷺は甲高い笑い声をあげた。


「一部じゃ神格化すらされてる騎士団を、傭兵と同じ暴力稼業なんていうのはあんたくらいだよ団長さん。むしろあんたこそその象徴じゃねえか。

 どこへ行っても、あの英雄と三年間いっしょに戦ったと言えばその場の全員が振り返って、酒をおごるから話を聞かせてくれというんだ。俺ぁ騎士団やめてからもずいぶんタダで遊ばせてもらったぜ」


「……話の種になるほど共通の思い出はないと思うんだが……」


「新人の一年間、寮で相部屋だっただろうが! やっぱりお前存在ごと俺のこと忘れてるだろっ!」


 絶叫されて、鮫島は腕を組み、爪先をならした。そして一言。


「会話が弾まなかったからな」


「それ完全におまえ側の問題だっただろうが! ああもおおおっ!」


 とうとう地団太を踏んだ白鷺に、梨太は心底同情した。


 ただの口げんか(しかも成立していない)になってきた武人の戦いに、梨太はおそるおそる、片手をあげる。


「あのう。ちょっとお伺いしたいんですけどぉ」


 二人が振り向く。梨太は這い蹲ったまま、上目遣いで両者に言った。


「……そこのひとは、なんで裸で、毒のフロアでぴんぴんしてるんでしょうか」


「あ。そうそれ。なんでだ」


 鮫島が簡単に拾って聞いた。

 あまり興味のなさそうな声音に、白鷺はまた憤怒する、かと、思いきや、彼は不敵な笑みを浮かべるだけだった。足下に散らばった椅子を蹴りとばして、鮫島の方へ歩み寄っていく。


「なんでだと思うね?」


 巨大な体が、ゆらりと揺れた。鮫島が腰の刀を抜く。瞬間、空気が破裂した。鋭く重い攻撃が中空でぶつかりあい、衝撃音となったのだ。


 白鷺の両手には鉄製とおぼしきトンファーが握られていた。主の巨体ゆえに小振りに見えるが、実質鮫島の上半身ほどもある。それが、風きり音もしないほどに鋭く、鮫島の頭蓋にむけて交錯していく。


 鮫島は、それを刀で受けていた。正面からはじくのではない、刀で軌道を狂わせて受け流している。よく見れば刀だけでなく、鮫島自身の手も使われていた。正面から受ければ間違いなく骨が砕け散る重い一撃を、手のひらでなでるようにして逸らし、かわしていく。


「くそっ! 当たれっ!」


 白鷺が奥歯を鳴らし、トンファーの軌道を変え、鮫島の腹部へ横薙ぎに振った。即座に反応した刀とぶつかり、軌跡をそこで止める。そして――横薙ぎのトンファーに立つように、鮫島の靴底が張り付く。ほぼ地面と水平になった鮫島は、とんとんとん、と簡単に――自宅の段差を踏んでいくようにして、伸びきった白鷺の太い腕の上を歩いた。


 白鷺の金色の目と、鮫島の黒い目が合う。男がその視線を逸らすこともできないまま、鮫島の振った刀が太い首を打った。


 ばぢっ! ――電撃音。


 巨体が崩れ落ちると同時、鮫島は彼の体を踏み台に跳び、くるりと身を翻して、梨太のすぐそばに着地した。


 やはり、足音はしなかった。


 

 梨太は、ひとより理解力、状況分析力に優れていると評価を受ける。自分でもそれを謙遜する気はない。加えて動態視力も極めて良好だ。

 その梨太が、この攻防を理解できたとき、すでに戦闘は終了していた。なかば呆然としたままで、軍服の青年を見上げる。彼は視線だけで倒れた男の様子を確認し、ほんの少しだけ息を吐いた。梨太のほうに身を屈めて、


「痛くなかったか」


「えっ」


「突き飛ばした。床で、どこか打たなかった?」


 首を振る。


 もしかしたら実はどこか痛めていたかもしれないが、何ら感覚がない。梨太が立て膝をつくと、鮫島の手を取り立ち上がろうとした。


 その手が空振りをする。


 鮫島は梨太の動態視力の及ぶより早く腕を引くと、その手を刀の峰に当て、頭上に落ちたトンファーを受け止めていた。


 鮫島の背中が重みでゆがむ。


「鮫島くんっ!」


「ここを動くな……っ」


 鮫島は呻くと、白鷺振り下ろしたトンファーを持ち上げるように、曲げた膝を徐々にのばしていく。鋼鉄の固まりはそれだけで鮫島の体重ほどもありそうだ。重みが靴底に集中し、古びた木の床がきしむ。彼は、床にめりこんだ踵をジワジワとうかせ、爪先へ重心を移していく――


 とたん、それがふわりと宙に浮いた。真横から振られたもう一つのトンファーが、鮫島の腕のあたりをうちこんだのだ。


「鮫島くん!!」


 悲鳴は梨太だけが上げた。

 鮫島は数メートル真横に吹っ飛び、空中で身を翻すと、壁に激突する前にその靴底で壁面に着地した。ふくらはぎのバネをつかって同じ距離を飛んで戻ってくると、再度刀を縦に落とす。

 天井ちかくまで至る巨大な男の頭上を打つには高度が足りない。

 鮫島の刀は、白鷺の胸板に当たった。電撃音が轟く。


 白鷺は、一瞬だけ全身の筋肉をびくりと振動させた。打撃そのものの衝撃で片足をよろけさせたが、すぐに体勢を立て直す。

 赤い打撲跡のついた裸の胸を、虫でも払うように軽くたたいた。


 梨太は、お互い無傷の男ふたりを順番に凝視した。どちらも表情に焦りはない。だが白鷺の方が口元に笑みを浮かべ、鮫島の方が、眉を険しく陰らせていた。


「……なぜ効かない?」


 尋ねる。鮫島の問いに、白鷺はとてもうれしそうな顔をした。


「その顔。そういう反応が見たかったんだよ、騎士団長さま」


 白鷺はゆっくりと後ろ向きに下がった。視界に鮫島の全身が入るようにだ。

 鮫島が構え方を変える。体を素早く動かし攻撃を払い、梨太を守りつつ相手に武器を『当てる』作業から、体重を乗せた攻撃をするために、後ろ足つまさきに体重が乗った。


 梨太はそれに気付き、ゴクリと喉をならす。彼が態勢を変えた――それは、これまでのやりかたでは負けるという、鮫島の判断をあらわすものだった。


 梨太は、迎撃のため思考を捨てている鮫島と、笑う白鷺を交互に観察しながら、身を起こした。せめて自力で逃走できるよう、立ち上がっておく。


 鮫島とは比べようもないが、白鷺の手技とてとんでもなく早い。あれだけ巨大な彼の上腕から振られるトンファーを、梨太は遠目からも追い切れていなかった。こんな戦闘に巻き込まれては足手まといになるまもなく絶命してしまう。


 梨太はゆっくりと身を引いて、白鷺の第一突進範囲からはずれる。

 その位置まで逃げてから、白鷺に向かってつぶやいた。


「あんたも、烏の毒を飲んだの?」


 鮫島が背中をぴくりとこわばらせた。白鷺が、巨大な目玉をぎろりと動かす。そして、満面の笑みを浮かべる。肩をふるわせ、ひひっ、と、また甲高い声で笑い始めた。


 鮫島は、笑い始めた元同僚を冷めた目で見つめていた。唇を小さくならして、一瞬だけ、目をそらす。


「……馬鹿が」


 高性能の集音マイクが彼のつぶやきを拾った。

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