梨太君の本題

「さて。質問はいったんそのくらいでいいかな、リタ君。君に頼みたい仕事を示そう」


 鯨が赤い唇で微笑むと、くじらくんのお腹からなにやらレシート用紙のようなものが吐き出されはじめた。底部にスリットがあるようで、びびびびび、と耳障りな音とともに、細長い用紙に印字されていく。ちょっと懐かしいファックスのようでもある。が、一メートル近くに及んだ頃、用紙は唐突に落下する。

「む。紙が切れた。犬居、あとで補充しておいてくれ」

「つか俺、印刷したリスト持ってますけど」

「では今度それをコピーして手渡そう。まあとりあえずはこれを拾ってみてくれリタ君」


 言われるままに、床に落ちたレシートもどきを見てみる――そこには、ずらり、人名のようなものが並んでいた。多くが漢字であり、名字と名からなる日本人名である。ざっと百以上。


「赤城実、麻生雅之、井上章介、卯月一、江藤祐介、枝野律子」

「テロリストが亡命した時期以降、この町に新しく暮らし始めたとされる人間の全てだ」

うげっ、と梨太は声を上げた。


「まさかこれ、ぜんぶ虱潰しにあたってたの!?」

「そのまさか。といっても、テロリストどもは若者ばかりだったとされているから、あきらかに幼児や壮年以上のもの、そしてその家族があるものは除外してあるが。これでもこの三か月で八割がたはじいてあるんだぞ?

 犬居の持っているリストのほうに、わかり次第でそれぞれの住所や職業など追記してある。お前は自身の立場で潜入しやすいところへ赴いて、その周辺に聞き込みや、できれば本人に揺さぶりをかけてほしい。とくに日本の風習だとか、一般人ならば当たり前にできるが外国人が知る由もないことなどをふっかけてみて、違和感があれば報告をしてくれ。軍がさらなる追及を行う」


「捜査員って何人いて、亡命したとされるテロリストたちは何人になるの?」

「六人。二百四十四人。うち百六十五名はすでに捕縛している」

 鮫島が答える。梨太はげんなりした。


「な、なんちゅう非行率的な。……この町に全員居るって言うのはなんで?」

「うむ、理由としては必然と偶然が半分ずつとなるのだが……彼らが宇宙船を盗み、出立させた際におそらくは適当に入力した座標が、ちょうどこの町だったようでな。しかしどうやら不時着というか、着陸直前で座礁したらしい。残骸だけが発見された。平常宇宙船は特筆して指定しなければ着陸しやすい平地へ自動以降するはずなのだが、なにか不備でも起こったらしい。とにかく宇宙船はもう使えない。そしてラトキア人は地球人とよく似た容姿ではあるが、自立するのは容易ではない。言語変換装置の入っているもの特殊な職歴をもつごくわずかだけだし、髪や目の色も日本人になじまないことが多いはずだ」

「染料は肌にあわず使えないしな」

 犬居はそう言って、自分の赤い髪をつまんで見せた。

 鮫島のような黒髪はむしろ珍しいのかもしれない。


 しかし正直、染髪とカラーコンタクトを入れたファンキーなお兄ちゃんとしか感じられない犬居より、ただ学生服を着ているだけの鮫島のほうがそのままでも目を引くような気がした。


「一人では生きて行けまい。かならず、このあたりでほぼ全員が群れ、支えあって暮らしている。……団結力があるから、すでに捕まえた捕虜から残党を聞き出すのは難航している。『ハズレ』はただの民間日本人。あまり強引な手段もとれない」

「はあ……うーん。都会ではないけど、新旧幅広い世帯の出入りするベッドタウンですからねえ。フリーター向けワンルームも多いし。これは大変だなあ」

 梨太が嘆息すると、わかってくれるかと言いたげに、二人は苦笑いしてみせた。


 ちらりと鮫島をみると、こちらはいつもの無表情。三人のシラッとした視線を受けて、眉をはねさせる。

「……なんだ。俺だって危機感をもっているし、現場責任者として責任も感じているぞ」

「こういうときは、演技でも仏頂面をしといた方がいいと思うよ」

「どうして?」

 聞き返してきた。やはり、図太いのは地らしい。

 まだもうひとつ鮫島のキャラクターが掴みきれず、とりあえず梨太はこの騎士団長を放置する。


「これを、ひとりひとりねえ」

 つぶやき、リストを眺める。

 ここにあるのはとりあえず名前だけである。五十音順に並んでいるらしい。途中で用紙が切れてしまったため、タの行でそれは途切れていた。

 竜浪勝男、谷村ゆづき、千種基、鶴野晃――


 ざっと上からしたまで見て。

「……あのさ」

 梨太はなんとなく上目遣いになって、三人を見渡した。


「……そう言えば、今更なんだけど。三人とも名前って偽名だよね?」

 という質問に、犬居がすこし言葉に選ぶ。

「偽名というか、これも自動変換だな。ラトキアでは名付けに意味を込めるから、本名をそのまま変換機に入力すると、もっとも近い単語に訳される。日本では姓と名というものが必要だと知って、訳で出てきた字に、実在する日本語の姓に似せて選んだんだ」

「……鯨さんは潜入捜査をしないから、そのまま呼ばれてる?」

「わたしが鮫と呼ぶのもそうだよ」

 鯨が肯定した。

「……意味って、ようするに生き物にあやかってる?」

 問われて、鯨がすこし驚いた顔でうなずいた。犬居が乗せてくる。

「そのリストのなかで、生物、動物の名前がついたものは優先的にあたるのはすでにやっているぞ。だが日本には既存でそういった名前が多すぎる。特に漢字ってのが厄介でたまらん。午うまだの子ねずみだの、土の竜だの秋の刀の魚だの、クイズとしか思えない名称まであるしよ。いちいち辞書とにらめっこするより、頭からつぶしていったほうが手っ取り早ぇや」


 梨太はもう一度リストをみて、

「……そういえば、鮫島くん。ファーストネームなんていうの?」

 鮫島が顔を上げる。

「ラトキアには姓と名というものがない。鮫としか呼ばれない」

「そうじゃなくて、日本の学校で使ってる名前」

「しんのすけ」


 聞いた瞬間、梨太はブッッと吹き出し腹を抱えて笑いだした。

 突如として笑い転げる地球人を、ラトキアの軍人たちが不思議そうに見下ろす。特に、名乗った瞬間げらげら笑われた鮫島は、さすがに眉を寄せて、

「なにかおかしいか? 悪目立ちしないよう、もっとも一般的な日本男児名というものをコンピュータに検索をかけたものだ。日本人老若男女のほぼ全員が、違和感なくそれと理解し、知っている名前のはずだが?」

「いや、わかった、わかるよ。うん、多分そうなんだろうなと思って――あはははは。ごめんごめん。鮫島くんをバカにしたとかじゃないんだ」


 思わずにじんでいた涙を指先で拭い、梨太は立ち上がった。


 サイドボードから赤いボールペンを持ち出し、手元のリストにチェックをつけていく。作業は十分程度で終わった。それを、三名のもとへ突きつける。

「はい、これでオッケー。ここから二十分の一くらいに絞れた。百パーセントとは言えないけど、このチェックのひとたちが高確率でラトキア人だよ」

「えっ!?」

 椅子をはねとばして立ち上がったのは犬居である。彼にレシートもどきを手渡し、ついでにいくつかの人名を指さして、

「チェックのひとはちょっと不安だから置いておいて、ぐるっと丸してる人を強引に尋問してみて。これと、この二人はたぶん間違いないけど、一応僕もついていきたい。確認したいことがあるんだ。それで当たったら、チェックのひとのとこにいこう」


「……なんだかわからないが……」

 鯨が半信半疑の表情で、梨太のまわりをふわふわ飛んだ。

「もしこれが当たりなら、宣言通り、たいした男だ。栗林梨太」

(……地球の、日本人なら一発でみんなわかるとおもうけど)

 という胸中はかくして、梨太はにっこりと笑って見せた。


 異文化。言語の壁。制限だらけの捜査に戸惑い、煮詰まっていた哀れなラトキアの軍人たちを一瞥し、その無邪気にすら見える笑顔を傾げてみせる。


「それで。捜査協力の報酬のことなんだけど……」

 鯨がモニターの中で胸を張る。

「うむ。歩合という形式で、一人検挙するごとに支払おう。単価は、日本の公務員の相場から考えて、たとえば――」

「の、前に。僕は絶対に聞いておかなくちゃいけないことがあるっ!」

 将軍のお言葉を遮って、少年は高らかに声を上げた。


 テーブルを叩いて立ち上がり、前のめりに主張する少年。

 鯨がしゃっくりをしたように口をつぐみ、犬居がリストから顔を上げる。鮫島は、なんだかわかんねーけど俺には関係ないから話が終わったら呼んでくれといった顔で、アイスティーのストローをくわえていた。


 軍人三名の前で、梨太は強く、声を張る。

「鮫島くんに、おっぱいがあるってのは本当でしょうか!?」

「………………あ?」

 声を漏らしたのは犬居。鯨は目が点になっている。


 鮫島は――ん? 呼んだ? といった顔で、アイスティーのストローから唇をはなした。

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