梨太君と鮫島くん

 天高く馬肥える秋。青天を歓声が突き抜ける。


「赤の大将、早い! 強いっ! 強すぎるっ!」


 放送部の実況にも力が入る。熱量だけで何ら解説になっていないのも致し方あるまい。

 私立霞ヶ丘高校の体育祭は、創立六十四年以来一番の盛り上がりを見せていた。


 体育祭のクラス対抗戦の花形、三年生による騎馬戦である。


 霞ヶ丘高校の騎馬戦はすこし特殊なものだった。

 六組、各クラスを二チームに分け、計十二隊、それぞれに大将が一人。基本は通常の騎馬戦と同じハチマキを取りあう戦いだが、大将のハチマキが取られると、他騎兵はそれ以上戦うことができなくなる。残兵は時間いっぱいまでひたすら逃げ隠れし、追いかけ回されながら、自分のハチマキを死守するのみ、というもの。


 大将が負ければ、戦況がひっくり返ってしまう。大将騎馬に長身の生徒をあて、さらに周りを固めて奥に置くのが定石である。

 その定石を、四組の赤――大将、鮫島の騎馬が破り捨てていた。


 白い運動着の男子高校生たちの集団で、漆黒の学ランが突き抜ける。

 同級生たちの平均よりも頭半分抜けた長身、額に赤い長布をきつく結び、長めの前髪を上げ剥き出しにした面差しは、遠目に見ても端正である。


 待機中、敵兵を広く見渡す切れ長の双眸。


 開始の合図と同時に駆け出す。正面に敵騎が近づいたと思った瞬間、相手のハチマキはすでに鮫島の手に握られている。


 手が長い。そして視認できないほどに速い。


 鮫島以下ほかの騎馬は、自軍大将が一瞬で相手大将を落とした後に、抵抗力をなくした残騎を狩るためだけに存在していた。

 チーム対抗戦を圧倒的残騎で制し、続く大将個人戦に向けて整列した軍勢。


 霞ヶ丘高校男子八百人は、その勇姿に喝采を送っていた。


「うはぁ。かっこいいー……」

 二年生の待機場で、クラスメイトが乙女じみた溜息を漏らす。それを横目に、梨太もまた同じことを胸中でつぶやいていた。

 生来、体育会系ノリが好きではない梨太すらも感嘆し、無意識に血が騒ぐ。

 それだけ、鮫島の戦いは見物であった。


 栗林梨太は、注目の人物とはおよそ真逆のような少年だ。

 十六歳にしてはかなりの小柄。二年生でいちばん背が低い。

 色素が薄く細い髪は、秋の日差しに当てられ栗色の艶を帯びている。丸い頬にリスのようなつぶらな瞳。それでも、少し上を向いた小さな鼻ととがらせた丸い唇に、どこか気の強さを感じさせた。


 霞ヶ丘男子高に、ひとりだけ女子がいる――もし、そんな噂がひろまったとしたら、全員が栗林梨太を疑っただろう。

 だが――

 梨太はじっと、その視線を鮫島の体に合わせていた。



 大将決戦。各隊の将が単身出撃し、両者一騎打ち。それぞれの隊から選ばれたもっとも強い男たちが、鮫島と対戦をするとまるで子猫のようだ。

 出撃をした場にたちすくみ、そのまま微動だにできず、ただ首級を――将のハチマキをもがれ、崩れ落ちる。

 いくら鮫島の身体能力が優れていたとて、これは異様な強さである。二年生の観客席からではわからない、対峙したものだけが感じる脅威なのだろうか。


「人間の強さじゃねーだろあれ」

「覇気だ、覇気」

 クラスメイトの揶揄じみた言葉も、真実味を帯びてしまうほどだ。


「優勝、四組、赤!」


 勝鬨を上げる軍。全校生徒による喝采を浴びながら凱旋をすませた鮫島は、汗ひとつない、涼しい顔をしていた。自分を担いで走り回った少年たちを労うこともなく、無言で駒から降りていく。


 競技が終わってしまえば、彼らはもちろんただの男子高校生である。晴れやかな顔でみな口々に、鮫島の活躍を興奮したようすで語った。

 自軍はもちろん、敵将までもが鮫島をたたえたかったに違いない。しかし駆け寄ってくる同級生たちに見向きもせず、手のひらで「どけ」のジェスチャー。足首まである黒の長衣を揺らして、足早にどこかへ消えようとする。


 梨太は手元のプログラムを一瞥、自分の出番がしばらくないことを確認し立ちあがり――ひっそりと、鮫島の後を追った。



 長身に漆黒の長ランという目立つ格好をしていた彼なのに、ふと気を抜くと、視界から消える。あわてて見回すと想定よりも遙かに遠いところにいた。悠然と歩いているようにみえて、異常なまでに早足なのだ。


(……しかしまあ、長い足だなあ)


 梨太は体操服の裾で汗をぬぐい、その背中を追っていた。


 身長以上に股下の長さが違う。頭骨が小さく、頭身が高いのだ。梨太の短いコンパスではまったく追いつけず、足音に気を使っていては離される一方。とうとう梨太は走り出した。

 彼の背中がグラウンドを離れ、学校の敷地からもはずれても、追走をやめなかった。


 催事とはいえ、授業中である。休息する生徒やその家族たちもちらほらとあるなか、鮫島にはサボタージュの後ろめたさなどみじんも見えない。

 途中、「あ、さっきの超かっこいい人」と、呟く声も完全に無視。すれ違った教師が「おいどこへいく」と声をかけてきても、「トイレ」とだけ返事をして歩みを止めない。

「そ、そうか、それなら校舎内にもあるぞぉ」

 教師はぼそぼそと言って、そのまま頭をかき、自分が校舎に戻っていった。


(どこまでいくんだろう……)

 足早にそれを追う。



 霞ヶ丘高校は、地方都市のベッドタウンにあった。平和で賑やかで、おせじにも都会とは言えないが生きていくのに不自由はない、退屈な町。

 鮫島は、西側にある裏門を突破すると、交通量もある大通りを横断し、うら寂れた商店街に突入。直後、一瞬にしてまた姿をくらませた。見失ったあたりへ駆け寄って見回して、商店の間の路地を歩く、特徴的な後ろ姿を発見する。


 商店の建物は意外にも背が高い。狭いところから見上げたせいだろうか。午後を大きく回った太陽はビルに遮られ、路地裏には日があたらず、不気味なほどに薄暗かった。

 平和な午後の田舎町が、都会のダウンタウンに迷い込んだように錯覚される。

 表商店街の牧歌的雰囲気からがらりと雰囲気を変えたその光景に、梨太は思わず、鮫島を追うのを忘れ、少しの間空を見上げていた。


 時間にして数秒か。視線を前方に戻したとき、そこに鮫島の背中はなかった。

「ああっ。やばっ、また見失った」

 一人ごちる。と――


「おい」

 声は後ろからかかった。

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