梨太君の興味

 声の主は梨太のすぐ後ろにいた。


 鮫島ではない。まったく知らない男だった。


 ……アオザイ、というのだろうか。どこかアジアの民族服に似た、奇妙な衣装を着ていた。

 襟の高い、複雑な飾り紐でサイドを綴じた貫頭衣を腰布でしばり、その下にはゆったりした長袖長ズボン。そこにまったく不似合いな編み上げのいかついブーツ。黒のサングラスに、季節はずれも甚だしい目深にかぶったニット帽の隙間から、きらりと光る翡翠色のピアスがまた似合っていない。


 上から下までちぐはぐな格好をした男は、梨太とそれほど変わらない年齢に見えた。サングラスでわかりにくいけど、せいぜい二十歳か――


 男が、厚みのある唇をゆがめて言った。


「お前。いまあの人をつけていただろう」

「あ、えっと。あの、僕は」

「自分から接触してくるとはいい度胸だ。仲間と挟み撃ちにしたつもりか? おあいにくさま」

「……なんの話?」

「ラトキアの騎士をなめるのも、たいがいにしやがれってんだよっ!」


 男は叫びながら、右手をふりかぶった。その手には、刀!?


「うわぁっ!?」


 びゅっ。重い武器が空気を割く。梨太はとっさに身をかわしたが、男は即座に武器を翻し、今度は横薙ぎにはしらせた。梨太は視認し、一瞬それを受けようか迷う。が、やはり身を引いてかわす。体操服の腹部が剣圧でよじれた。

「すばしっこいじゃねえか」

 男が残酷な笑みを浮かべ、じりじり歩み寄ってくる。梨太は改めて、自分の腹部と相手の武器を観察した。


 刀にしては、ひどく短い。大きさを考えれば大ぶりの包丁、あるいはダガーナイフというべきだろう。しかしやや反り返った刀身からの印象が日本刀によく似ていた。刃、ではない。柄から先端までおなじ、艶のない漆黒で、全く研がれてはいなかった。その証拠に、かすったはずの服に傷みはない。

 ゴムか木でできた、子供用のチャンバラおもちゃ――地面に転がっているのでも見つけたら、梨太はそう思っただろう。

 だが今、ぎらつく悪意を隠そうとせず向かってくる男の手にある武器に、なんら殺傷力がないとは思えなかった。


 梨太は迷うことなく身を翻し、路地の奥へと全力で駆けた。いきなり逃げ出され、襲撃者がオッと面白そうな声を上げる。


「団長っ! そっちに行きますよー!」


 団長?


「了解」


 という声は、なぜか天から聞こえた。


 そして次の瞬間、梨太は頭上からいきなり槌撃をくらい、地面にべちゃりと屈した。なんの痛みもなかったが、急に背中が重くなり身を起こせない。はいつくばったまま首をよじると、学ランの黒い裾が見える。そして背中に、鮫島がいた。

 梨太の背に片膝をつき、体重を乗せている。それだけなのだが、全く動けない。呼吸が苦しくないのが不思議なくらいだ。

 鮫島くん、と声をかけようとするが、声は出ない。いったいどうなっているのかわからなくて、梨太はなんだか可笑しくなった。


「確保。このまま手錠を、犬居」

「はい団長」

 鮫島の言葉に、犬居と呼ばれた男が従う。その作業は手早く、慣れたものだった。どう考えても尋常な高校生とそのお友達ではない。

 混乱する梨太になんら説明もなく、がちん、と後ろ手に手錠が掛けられる。

「ええっ? ちょ、なにこれ! なにこれ!」

 手錠が掛かると、鮫島は立ち上がり体重を解放した。しゃべれるようになったとたん、梨太は慌てて弁解する。


「どういうことだよ! 僕が何したっての! てかあんたたち何? なんとか騎士……団長って!?」

「おいおい、まだとぼけるか。今更きくわけねえだろ。おとなしくお縄につけ、テロリスト」

「テロぉ!?」


「……私立霞ヶ丘高等学校の運動着だな」

 鮫島が呟く。犬居が眉をあげた。


「霞ヶ丘? それって団長の?」

「今日は体育祭というやつだった。俺はこんな格好をさせられたが、本来はこういう服装で運動を行う」

 サングラスの男が、ふうんと興味の薄い相槌をうつ。

「じゃあまあ一区切りですかね。しかしずいぶんガキっぽいのがいたもんだな、たしか連中に未成年はいなかったですよね? うまいこと高校生に化けたもんだ。むしろそれ以下に見える」

「う。ちょっと気にしてるのに」

 梨太のぼやきは聞いてもらえない。


 二人は梨太の肩を引いて座らせると、犬居が腰を落としてのぞき込んだ。逃走を防ぐためか、路地をふさぐ側に鮫島がたつ。尋問だ。


(……なにこれどうしよう)

 ちらりと、鮫島の方を見上げる。

 無表情、である。梨太は、こんなにも静かな表情でいる男子高校生を見たことがなかった。緊張による強張りも、冷たさや悪意すらなく、ただただ「そのまま」そこにいる青年。彼の表情から、その感情を読みとることはできそうになかった。


 ……こんなに近くで彼を見たのは、梨太は初めてのことだった。学年が上だし、部活や授業での接点もない。それほど大きな学校ではないからすれ違う機会はあるが、話すきっかけなどもなく。


 冷たい地面に尻をつけたまま、見上げる。

(……きれいな人だ)

 そう思った。


 背丈は、一八〇を少し上回るくらいか。遠目にはもっと大柄に見えた気がしたが、今時の男子高校生から逸脱しているということはない。騎馬戦のためだけに用意された、時代錯誤な衣装がやけに似合う。艶のない黒の詰襟のかげに、犬居と同じ翡翠色のピアスが見えた。中性的なデザインのピアスが、細い横顔によく映える。

 騎馬戦のときに確かに見えたはずの獣じみた凶暴性は、もうまったく感じられなかった。


 端正な顔立ち、透き通るような白い肌に繊細な細い顎。鼻が高い。横から見るとよくわかる。しかしそれは、眉間から直後に鼻骨が始まり、鼻先までほとんどカーブがない。日本人ではあまり見かけない骨格をしているようだった。


 もしかしたら本当に外国の血が入っているのかもしれない。そういえばなんとなく瞳も、漆黒のなかに蒼みがあるような――


「おい、おい! 聞いてんのかてめえ。名前を言えっていってんだよ!」

 突如脳をつんざくダミ声。


 うるせえなあこの犬野郎と胡乱な目つきで男の方に顔をやり、そして、梨太は大きな声を上げた。

 男、犬居がサングラスと帽子をはずしていた。あらわれた髪と、瞳が、赤!


「うわっ、真っ赤っ?」

「……悪かったね、俺はスラムの生まれだよ。今の騎士団には珍しくねえぜ」


 そういう彼の素顔に鮫島に通じるものを感じる。顔がたちそのものは全く似ていないが、しかしどこかに、彼とおなじ国のにおいがするのだ。複数人になるとなおわかる。日本人ではない。


 梨太の反応に、二人は何か違和感を覚えたようだった。お互いの顔を見合わせ、眉を寄せる。

「名前は?」

 今度は鮫島が聞いてきた。梨太は体ごと彼の方を向き直る。

「栗林梨太。二年六組……あの、初めまして、鮫島くん」

 鮫島は表情を変えない。「なんで団長には素直に答えるんだよ」と毒づく犬居。彼は赤い髪をかきむしると、ふと気が付いたように、突然ウゲっと呻いた。

「まてよ、あそこは男しか入れない学校じゃなかったか? じゃあこれ、男? まじかよ! 気持ち悪!」

 梨太は額をぴくりと痙攣させ、犬居にベェと長い舌を出した。


 しかし団長って何だろう。体育祭の応援団長ではあるまい。この人たちはいったい。


「てめえテロリストじゃないってんなら、いったい何者だ?」

 梨太の疑問を逆にかけられる。

「えと、ごくふつうの、高校生だけど」

「だったらなんで団長、鮫島さんをつけていた?」

「あ、そうそれ。ねえねえ鮫島くん、それってなんの団体の」

「俺が尋問してんだ! 質問で返すなバカ野郎!」

「うっさ。もう、いちいち大声出さないでよ、こんな近くにいるんだから。僕は犬好きだけどもギャンギャン吠える系は嫌いなんだ。ちょっと黙っててくれないかな」

「てめえこのガキ」


 ぶるぶる拳をふるわせる犬居。感情の変化が豊かな人物である。


 対して、鮫島はさっきからほとんど話しもしない。しかし事前に想像していたよりも、ずっと柔らかい声だった。騎馬戦での勇姿からはかけ離れた優しい声。もっと聞きたいと思わせられる。

 後ろ手の錠にすこし苦労して、なんとか立ち上がってみる。二歩、歩み寄ると、息が届くほど近くに寄ることができた。鮫島の背丈は、梨太よりも頭一つ高い。


 近づいた梨太を、感情のこもらない瞳で見下ろす鮫島。このひとはもしかして精巧なロボットなのではないだろうか。一瞬そんな妄想にかられて、梨太は鮫島の視線に真っ正面から合わせた。そして、言う。


「あの、鮫島くん、おっぱいあるって本当?」


「……んぅ?」


 彼はなんだか可愛い声を出した。

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