17.共鳴〈1〉
舞衣のためにと始めたバイトだったが、今日からは自分のためでもある。
新しい職場での初日を迎えた。
約束の時間より、五分ほど早く喫茶店に向かう。
カウンターには見覚えのある顔。同じ部活の滝宮若菜さんだった。
「きたわね。おはよう」
「おはようございます。今日から、よろしくお願いします」
と頭を下げてあいさつした。
すると、制服を着た同い年くらいの女子が話しかけてきた。
「君が新しいバイトさん?」
「あんたか~訳ありの新人さんは」
「はい…あの…どちらさまですか?」
若菜さんが紹介する。
「背の低いショートカットが、君の一個下の
「きたわね~世羅くん!よろしくね!女の園にようこそっ」
奥から四十代くらいの女性が出てきた。
「で、この人が、私の母で、ここのマスターでもある滝宮
「みなさん、よろしくお願いします!」
できるだけ、元気に挨拶をする。
「いえいえ、こちらこそ~」
「ビシバシ、鍛えるからね!」
そうバイトの二人は歓迎する。流れで静香さんも続く。
「そうね~女心の極意を叩きこんであげなきゃ!」
「いや、そういうのいいから、早く開店準備を始めて」
冷めたテンションで若菜さんが注意する。
「はい…あっ、世羅くんはこっちに来て頂戴」
と静香さんに呼ばれ、裏に行く。
案内されたのは倉庫のような場所だった。
「さすがに、女の子たちの更衣室を使わせるわけにはいかないから、ここを更衣室に使って。乙女のお着替えを覗いたりしたら減給よ」
「いや、減給どころじゃないですよね……」
「分かってるなら、よろしい!あとこれが制服よ。いかにもバーカウンターにいそうな制服だけど、男物はこれしかないから……」
「分かりました」
静香さんが出て行って、制服に着替えた。室内は金属製の棚が壁に沿って置かれており、備品や季節の飾りつけ用の小物類などが段ボールにまとめられて置かれている。電気も窓もあり、ふつうに快適な部屋だ。
奥の方に長机とパイプ椅子が置かれており、卓上型の時計と鏡、それとマニュアルが置かれていた。
マニュアルと言っても普通の印刷用紙二枚をホチキスで留めただけのシンプルなもの。
箇条書きのマニュアルのほかに、細かい注意事項が書かれていた。
「着替え、終わった?あっ、マニュアルは暇なときに読んどいて。それじゃ、ホールに来て」
少しして若菜さんが呼びにきた。
「はい。わかりました」と言って、若菜さんについていった。
みんなに制服姿を披露する。
「かっこいい…惚れちゃいそうです」
真山さんは本気なのかお世辞なのかは不明だが、見とれているようだ。
「結構、はまってるわね」
倉吉さんは目線を逸らしながらもジロジロとこちらを見ていた。
「いいじゃな~い。あのころの友晴さんがよみがえったみたい…」
静香さんは目が輝いている。
三者三様の感想を言われた。慣れない格好で落ち着かないが、どうやら似合うらしい。
雑談する暇もなく、業務に移る。
「それじゃ、丈人くんはカウンターでドリンクメニューの製作をやってほしいの。あと、カウンターに座るお客さんの相手もしてほしい」
「客の相手って…?」
「この喫茶店のお客さんは七割が男性だし、話をしない人がほとんどだから安心して。普通に受け答えしてればいいから、難しく考えないで」
「はい…」
「じゃあ、達ちゃんよろしくね」
「わかりました」
「その前に、みなさんをどうお呼びしたらいいですかね?」と質問するとそれぞれの回答が返ってきた。
滝宮親子は苗字だと紛らわしいため、名前で呼ぶことに。静香さんは呼び捨てにするよう言われた。
倉吉さんは名前で呼ばれることを嫌い、苗字で呼ぶことになり、真山さんは沙織だ。
同時に、僕の呼び名も決まった。
「じゃあ世羅くん、ドリンクの作り方を教えるから来て」
ドリンクの作り方を教わった。だいたいが単純作業で、難しい作業はなかった。
これなら、難なくできそうだ。
バイト終わりに更衣室の椅子に座り、この四か月を思い返していると、メールの着信音が鳴った。
メールの送り主は、舞衣だった。
「なんとか普通の入試を受けられそう。緊張したけど、大田さんが色々とサポートしてくれたから、しっかり話ができたよ。お兄ちゃんはバイトどうだった?今度、話を聞かせてね」というものだった。
なんとか入試が受けられるということで安心した。そうなれば、バイトのやりがいも違う。
来週末からは、いよいよ夏休み。
部活もバイトも忙しく、休暇を純粋に満喫することは難しそうだが、楽しみでもある。
色々と大変ではあるが、それなりに充実もしている。
数ヶ月前までの自分からは想像もできないような環境の変化があった。
「ふぅ…」
不意に出るため息。
数ヶ月前に比べ、だいぶポジティブに物事を考えられるようになってきたものの、抱えるもの、考えなければならない事はむしろ増えた。正直、身体はついていけてない。
改めて、ペースを上げすぎないようにしなければと思った。
それから何事もなく終業式の前日を迎えた。
翌日は昼までで、一部の部を除き、活動が無い。音楽部もその一つで、今日が夏休み前の最後の部活。
夏休みのスケジュール確認や、一学期の活動の振り返りをする。
ツカは、提出しなければならない振り返りシートとにらめっこしている。
「ライブを頑張った…と」
質問に沿って、記入しているようだった。
「一学期は一学期。これから文化祭や地域交流会に向けて、もっと頑張らなきゃね」
待っている間にスケジュール確認を終えたハナが締める。
「そうですね。私も二学期から本格的に頑張りますね!」と鏡さんはやる気に満ち溢れた顔をする。
「でも、その前に夏休みのイベントだ!」とツカが会話に交ざってきた。
夏休みが目前ということで、みんな元気だ。
僕はというと、なぜか盛り上がれない。
先日はあんなに楽しみだったのに。
浮かない顔をしていたのか、戸辺さんが話しかけてきた。
「明日から夏休みか~早いね~。タケくんはどうして話に交ざらないのかな?」
「なんでか分からないんですが、頑張るぞ!とか楽しみだ!とか、実感が湧かなくて…」
「夏バテ…には早すぎるよね~」
真剣に考えてくれているらしい。少し考えた後、話し始めた。
「タケくんは、この4か月間楽しかった?」
「はい。個人的に色々とあったので、それも含めて大変な時間でしたけど、振り返ってみて、充実してたなっていう感じはあります」
「そっか。ところで、部活は楽しい?」
「それはもう毎日楽しいです」
「私には何か無理してるように感じたかな…」
「えっ…」
「誤解だったら、ごめんね…。でも、素直に音楽と向き合ってないように見えて…」
「…そうですね…戸辺さんの言うとおりです。元々、音楽部に入るのも、そんなに乗り気じゃなかったですから…。どことなく、義務でやってる感じが抜けないんですよ…」
「それだよ。きっと」
「え?」
「真剣に取り組めば、見える景色も変わるはず」
「そう…ですね…」
「まぁ、妹さんのことがあったり、バイト始めたり、色々と集中できてないのもあると思うよ。夏休み中にリフレッシュしたらどうかな?」
「そうします。あの、ありがとうございました」
「少しでもお役に立てたなら光栄よ」と彼女は笑って応えた。
翌日の終業式は、大半が校長の長い話で構成されており、講演会を聞かされたようだった。
その後、教室で連絡事項を聞いて、配布物を受け取り、自分の机やロッカーの物をすべて片付けて、解散となった。
いつもより重い荷物を持ち帰り、すぐに出掛ける。
終業式終わりに音楽部全体の三年生送別会が行われるのだ。
会場は滝宮さんの喫茶店を貸し切っている。バイト仲間は居ないため、勝手を知っている僕は手伝いを任された。
ちなみにバイト仲間に好評だった僕の仕事着は部員にも好評だった。
「三年生のみなさん、お疲れ様でした。今後のご活躍を期待しています!」
そんな言葉で締めくくられた送別会は二時間程度で幕を閉じた。
参加者たちは二次会へ行ったり、帰宅したりして、一気に減っていった。
そして、静かになった店内には滝宮親子と僕だけになった。
ふと、三年生の姿を思い出し、二年後、僕はどういう面持ちでこの日を迎えるのだろうかと考えていた。
「どうしたの~ちょっと難しい顔して~」と近くで作業する静香さんが声を掛けてきた。
「いや、何でもないです」
「二次会、行きたかった?別に引き止めるつもりはなかったのだけど…」
「いえ。そういうのは苦手なので…」
「そっか…」
三人では会話が弾まない。必要最低限の言葉しか交わさず、スムーズに作業が進んだ。
掃除もして、すべての食器類も片付けて終了となった。
「やっと、終わったわ」
「丈人くん、お疲れ様」と静香さんが労ってくれる。
「お疲れ様でした」
「そうだ。晩御飯食べてったらどう?」
「えっ、いいんですか?」
「良いわよ~。ただ働きで片付けまで手伝ってもらったんだから、それくらいはしないとね。賄いだと思って食べてって」
「あ、ありがとうございます」
遠慮する理由もなく、ご馳走になる。
調理場でささっと晩御飯を作り上げて、すぐに持ってきてくれる。
親子と他人という組み合わせは気まずいのだが、色々と話を振ってくれたので楽しかった。
お礼を言い、家に帰る。
母は病院に行ってから帰るらしく、一人きりだ。
夏休みの課題を少し片付けて、テレビやスマホを弄っていると自然と眠気におそわれた。
夏休みだからと夜更かしをすることもなく、いつも通りに就寝した。
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