16.傷〈5〉
大田さんと藤崎が舞衣に会った翌日、学校で鏡さんに話があると呼ばれた。
昼休みに学校の中庭に行くと、すでに僕を待っていた。
「すみません…突然お呼びして…」
申し訳なさそうに詫びる。先輩なのだが、こういうところで妙に礼儀正しいというか、謙虚だ。
「いえ、いいですよ。話ってなんですか?」
気を遣わせないよう、本題に移る。
「この前、丈くんと話してから、気持ちの整理がついたの」
予想外の言葉に驚いた。
「それって…音楽を始めるってことですか!?」
「うん……やっぱり、やらないほうがいいかな?」
自分の中で決心しきれていないのか、不安そうな表情をしながら訊いてきた。
「いや!父のためにも、音楽続けてほしいです!音楽から逃げてる飯山さんは見たくないです」
そんな顔を見たいわけじゃない。必死に自分の思いを伝える。
気持ちが伝わったのか、彼女は表情を明るくした。
「ありがとう…それで、お願いなんだけど……バンドに入れてほしいの。塚くんもいるし……なじみのある人たちが集まってるから……」
その言葉を聞いて嬉しく思った。
「もちろん大歓迎です!人数が増えれば、演奏の厚みも増しますし!」
「よかった…」
彼女は安堵の表情を浮かべた。
「ツカ…先輩には、言ってあるんですよね?」
「それが……ちょっと言い辛いの……」
また不安げな表情になる。
「どうしてですか?」
「塚くんは、私が音楽をやめた理由も原因も知ってるの……私のことになると熱心だから、そのことを少し恨んでたりするのよ……」
彼女なりの表現だとしても「恨んでいる」という言葉に身構えてしまう。
「…父を恨んでいるってこと…ですか?」
「音楽教室のことを良く思っていないことは確かなの。お父さんことを話したら、丈くんと塚くんの関係性を壊しちゃうんじゃないかって…。それが一番怖い…」
「大丈夫です。きっと……。だから、話してみましょう……僕も知る限りで話をしますから」
「いいの?……もしかしたら、また……」
倒れるようなことになるのでは…と危惧したのだろう。しかし、僕はその懸念を振り払うように口を開いた。
「もう誰にも迷惑をかけたくないってこの間思ったんです。少なくとも鏡さんにはもう迷惑かけません」
意図せず出てきた言葉に恥ずかしくなるが、本心に変わりはない。
妹に言われた言葉や、鏡さんに迷惑をかけてしまったことを悔いる思いが僕の背中を押す。
「丈くんがそう言うなら、今日の放課後、ここで待ち合わせて一緒に行ってくれますか?」
嬉しそうな顔でそうお願いされた。断る理由はない。
「わかりました」
それ以外の言葉は交わさす、それぞれの教室に戻った。
正直、真実を明かすのは怖いが、隠したところでごまかしきれないと思った。
彼女が居る以上はいつかは明かされることだと言い聞かせた。
授業が終わり、放課後がやってきた。
約束の通りに中庭へ行くと、鏡さんともう一人誰かが居た。
「昼休みにうちの後輩としゃべってたけど、何しゃべってたの?」
よりによってツカが鏡さんと話している。しかも、昼間のことを気にしているようだった。
「なんでもないの……」
「なんだよー教えてくれてもいいじゃんか」
「ちょっと、世間話してただけ。あの子、バンドの子だって知ってたから、部活のことを聞いてただけだよ」
うまくごまかしてくれている。
「ふーん……そうなんだ……お!タケいたのか!行こうぜ!じゃあな!鏡ちゃん!」
その場から離れたかったが、離れる前に見つかってしまった。
どうするのだろうと思いながら部活動をしていると、鏡さんが音楽室に入ってきた。
「鏡ちゃん、どうしたの?」
ツカが一番に声をかけた。彼女の表情は硬い。
「あの……みなさん!私をバンドに入れていただけませんか?」
一同、驚いた顔をしていた。ツカ以外は驚く理由が違った
「え……いきなり何…?」
ツカが戸惑いながら尋ねた。
彼女は意を決して告白する。
「音楽……やっぱり、やりたいの!」
「……何があったのか、教えてくれ……」
ツカは神妙な面持ちだった。
「避けてきたけど、でも、やっぱりやりたいって気持ちに嘘をつきたくなくて…」
なんとか自然に理由づけしたように見えた。
しかし、ツカはもっと深刻な顔をして質問した。
「あれだけ俺が説得してダメだったのに…何が鏡ちゃんをそうさせたんだ?」
声はいつもより低く、震えていた。憤りなのか、驚きなのかよく分からないが、とにかく心情がおだやかではない。
「ごめん……あの時は、すごく迷惑をかけた……私が未熟だった……」と呟くように彼女は謝る。
そのやりとりに呆気にとられていたハナが声を上げた。
「ちょっと待って!何の話?どういうこと?」
「ちゃんと説明してくれ!ツカ!」
「そうよ…飯山さんも何があったのか教えて」
続いてバンドメンバーが説明を求めた。
説明するとなると、音楽教室の話が確実に出てくる。どうしようかと思っていると、鏡さんが口を開いた。
「私はもともと、音楽教室に通っていたんです。小学生の頃、ある音楽教室の講師の方にお誘いしていただいて。でも数年後、その教室が閉鎖してしまって、それと同じ頃に私の母が亡くなり、父が私を親戚のところに預けて蒸発してしまったんです。その親戚が塚くんのご両親でした。それから、しばらく音楽は続けていたんですが、色々とあって距離を置くようになって…。最終的にやめたんです……」
終始、俯いたまま彼女は過去のことを話した。
息を整えてまた話し始めた。
「当時、一緒にピアノをやっていた塚くんは、しつこいくらいに引き留めようとしてくれました。でも、それから、私がピアノに触れることはありませんでした…」
「じゃあ何故、もう一度やろうと思ったの?もうやらないって決めたんじゃなかったの?」
その言い回しは実に無機質で、本人にとってはとても棘のある質問に聞こえただろう。戸辺さんに悪意はないと分かっていても違和感を感じた。
彼女が一度だって、もうやらないなんて言葉を口にしてはいない。
質問をされて、悩んでいるようだった。僕の方をちらちら見るということは、真実を話していいか迷っているのだろうと思い、僕が口を出す。
「あの…」
声を出した瞬間、思った以上に声が震えているのが分かった。
「飯山さんが話していた音楽教室の講師は…僕の父なんです…」
「え…」
全員が驚いた表情を見せた。一番大きな反応を見せたのは、ずっと黙り込んでいたツカだった。
「先日、そのことについて、飯山さんから話を持ち掛けられて、そこで僕の父ということが判明して…。それから、自分の中で考えが変わったらしくて……」
鏡さんがいきなり口を開いた。
「あの頃、家庭の状況もめちゃくちゃでしたから、先生だけが希望でした。先生にもう一度会い、私の演奏を聴いてほしい…その一心で音楽を続けていたんです」
「訃報を知って、音楽を続ける意味を失ったんです。後になって、音楽を止めたことを心のどこかで後悔していました……本当はやりたい。でも、どうしても踏み出せなくて……」
ツカは呆気にとられたように、強いまなざしで語る彼女を見つめていた。
「でも、先生の息子さんであり、当時一緒に教室に通っていた彼が、もう一度やり直すチャンスをくれました。先生のためではなく、今度は世羅くんのために音楽をやりたい。感謝の気持ちを音に変えて、届けたいと思ったんです」
話しが終わったと同時に、ツカが口を開いた。
「そうだったのか……教室に通っていた頃から、ひそかに想いを寄せていたっていうのはタケだったのか……そっか……再会できたんだな。良かったな!」と鏡さんの肩を叩く。
彼女が一歩を踏み出した嬉しさか、自らの恋が叶わなくなった悲しみか、どちらの意味合いかは分からないが、ツカは涙を流していた。
“ひそかに想いを寄せていた”という言葉はかなり気になるが、それよりも話がうまく進むことだけを願っていた。
「じゃあ、タケのこと……今でも……好きなのか?」
その問いに戸惑ったのは彼女だけではない。僕も思わず、声が漏れた。
「えっ!いや……それは答えにくい……かな」
「俺と出会う前から、お互い知ってたんだよな……」
これはややこしいことになる前にどうにかしなければと口を挟む。
「いや、でも……僕は飯山さんのことを一切覚えて-」
しかし、その話を掻き消して、彼女が言い放った。
「……ほんとうのこと言うと……今でも好きです!」
「え……?」
僕とツカが固まる。周りで見ていたメンバーはにやにやしている。
顔を赤らめて、彼女は言い直した。言い直さなくても十分理解できている。
「タケくんのこと……好きです……私の事情も聞かないで、泣いていた私を励ましてくれた…あの時の言葉、忘れられません……あの時から、ずっとタケくんが…」
メンバーにやっと聞こえるくらいの声で呟く。
「まったく……」
「あらあら……」
ハナは呆れ顔。戸辺さんは、微笑ましそうに様子を見守っている。
「そうなのか……俺、振られた~!」
とツカが嘆き始めた。
「やりたいというなら、歓迎します。でも、イチャイチャしちゃだめだからね!タケくん」
ハナがからかうように言う。
「ありがとうございます……」
鏡さんはしっかり頭を下げた。
「……これから、鏡ちゃんのこと、よろしくな……」
ツカが申し訳なさそうに謝罪し、言いにくそうに娘を嫁に出す父親のような言葉を言う。
「そんな……鏡さんのことは、まだ決めてませんし……」
「あいつがあれだけ言ってるんだ……受け取ってやってくれ……」
「……わ、分かりました……」
こう答えるしかないように思えた。
「じゃあ、さっそく鏡さんの役割決めなくちゃね!」
ハナがそんな会話に目もくれず、話を進めた。
「話もひと段落ついたところだし、決めようか」
太郎も話を進める。
鏡さんはキーボード担当となり、ピンチヒッターの戸辺さんと役割を代わることになった。
戸辺さんは3年生のため、部活動終了期限の夏休み前まで、バンドのマネージャーを務めることになった。とはいえ、やることはない。
編成はツカのドラムとタケとハナのギターと鏡さんのキーボードとなった。太郎は他に空いている楽器を曲によって使い分けるということになった。
呼び名は「鏡」で決まった。僕はハナさん同様、鏡さんと呼ぶことにした。
その日は、音合わせや鏡さんのピアノの感覚が戻るまで練習を続けた。
どうなることやらと心配していたが、無事に鏡さんが迎え入れられたことは良かった。一方で、鏡さんとどう付き合っていくのか、悩みは尽きない。
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