15.傷〈4〉
鏡さんと話をした週末、大田さんたちに呼ばれ、喫茶メロディに顔を出していた。
店内に入ると客がちらほら居て、二人はすでに到着していた。
「舞衣さんに…会えないか?」
「大丈夫だと思います。日時を事前に教えていただければ、ご一緒します」
「そうか。急な話だが、明日は無理か?」
「大丈夫ですけど…」
「じゃあ、明日の9時にここに集合ね」
「わかりました。お忙しいのにすみません……」
「いや、これも何かの縁だ。気にするな」
どんな言葉も今は素直に受け取れない。
「はい……」
その日の夕方、舞衣のところに報告に行った。
「進路のことで相談に乗ってあげたいからって、明日来ることになったんだけど…」
「えっ!藤崎さんが…来るの!?」
「うん…駄目かな?」
「い、いや!来てもらって……か、構わんよっ!……あー、たのしみじゃなー。何話そーかなー……ていうか、メイクしなきゃ!服も綺麗なの着なきゃ!」
動揺の色が隠しきれていない。独り言がとめどなく続く。
「朝の十時くらいに来てもいいよね?」
追い打ちをかけるように時刻を宣告しておく。
「う、うん!結構早いんだねー。で、でも、ぜんぜん、だいじょうぶー……どーしよー……」
更に動揺した。出会える嬉しさを隠しきれていないのか、にやけ顔になっていた。
藤崎と会話をして元気になってもらえればという思いもある。たとえ、進路の不安が消えなくても、ちょっと気晴らしになってくれたらと願った。
「あ、お兄ちゃん!家に私の私服があるはずじゃけー取ってきてくれん?さすがにこんな恰好じゃ恥ずかしいし……」
「分かったよ。でも、何を持ってくればいいんだ?」
「うーん……あ!白ワンピがクローゼットに入ってるはずだから、それが一番わかりやすいかも。お兄ちゃん、ファッション疎いから……」
「そ、そんなことは……まぁ、いいや。分かった。それだけでいいんだな?」
「うん!」
早急に帰宅し、彼女の部屋へ向かう。妹の部屋に足を踏み入れるのは何年振りだろうか。
整理されているが、特別綺麗というわけでもない。
目的の物を探すため、クローゼットを開ける。兄妹とはいえ、異性の収納を開けるのは抵抗感がある。性格に似あわず、お嬢さんのような大人しめな服を好んで着る。
今回頼まれた白ワンピとやらは、彼女にとって一張羅だ。ファッションに無関心でもワンピースくらいは分かる。
もう一度、病室に戻ると麻衣の姿はなかった。ベット脇の台の上にメモがあった。
【お兄ちゃんありがとう。今、お風呂に入っていて席を外してます。服はベットの上にでも置いといてね。明日楽しみに待ってます。おやすみなさい】
持ってきた服はベットの上に置き、メモに返事を書いて帰った。
次の日、二人より先に喫茶店に到着し待っていた。予定した時間より5分早く二人が来た。
駅前からバスに乗り、病院を目指す。
季節は夏が目前に迫って、木々の緑を一層濃くした。照りつける日差しが夏を思わせた。
夏休みに入れば、バイトが本格的に始まる。部活もイベントを控えており、夏休みを過ぎればあっという間に文化祭がある。こうして、ゆっくりできる週末は夏休み前までかなと考えを巡らせた。
病院に着き、彼女の病室まで来た。時刻はもうすぐ十時。
「ちょっと、妹の様子を見てきますね」
二人に声を掛けて病室の扉をノックする。
「準備できてるか?」
「う、うん!だいじょうぶだよー」
中を覗くと彼女は本人との対面を前に緊張していた。
「じゃあ、案内するぞ」
「うん」
病室前で待機していた二人を呼び寄せた。
「初めまして、藤崎翔也と言います。お兄さんから舞衣さんのことを聞いて、進路について相談に乗りたいと思い……」
緊張しているようで普段の藤崎からは想像できないくらい、遠慮がちに喋っていた。それを見かねた大田さんが代わる。
「長いわよ!ごめんね。私は丈人くんにお世話になってる、大田麻彩です。舞衣さんのことを聞いて、居てもたっても居られなくて来たの」
「わざわざ、すみません……もうご存知でしょうけど、世羅舞衣と申します。よろしくお願いします」
緊張気味に自己紹介をする。
「さっそくだけど、どこの音高を受けようと思っているの?」
「お兄ちゃんから聞いたと思いますが、藤崎さんと同じ環境で腕を磨きたいと思ってて、此愛音大附属を受けようとしていたんですけど……」
半分諦めた表情で言う。
「あそこはお堅い学校だから、いろいろとうるさいんだ。君のような演奏に支障が出る子は、はっきり言って受けても通れない……普通の子でさえ狭き門だからね……」
「覚悟はしていました……」
「でも、諦める必要はない。あそこには特別入学制度というシステムがある。一定の審査に合格すれば、推薦と同じ扱いになる上、実技試験が免除される。少しだけ注意点はあるが……」
「そんなのがあるんですか?調べたのに知りませんでした」
「学校関係者や一部の生徒、卒業生が推薦することが条件になっているんだ。だから、表向きにはしていない」
「そうだったんですか……。それで注意点とは?」
「それに関しては、私が説明するわね。特別入学制度っていうのは、経済的、または身体的に通常の学校生活や演奏に支障がある人のために設けられた制度なの。事情がある子たちばかりだからプライバシー面もそうだし、時間的な制約にも柔軟に対応するために個別のカリキュラムを受けられるようにしてあるのよ。逆に言えば、普通に学校に通って、みんなと同じ授業を受けてという生活は送れない」
「そうですか…で、でも…そもそも私は弾けるまで回復するかどうかも分かりません。仮に回復したとしても、入学後すぐに弾けなきゃ、通う意味がありません。推薦なんて受けられないんじゃ……」
「そこが難しいところなんだ……」
藤崎が話に入ってきた。
「舞衣さんは、外出することはできないの?」と大田さんが訊く。
「届を出せば、たぶん可能だと思います」
「なら来週末、音高を見に行かない?私と一緒に」
「いきなり行っていいんですか?」
「来週末に学校説明会があるのよ。今年一発目のね」
「そうだったんですか。行ってみたらどうだ?」
「先生と直談判って訳か。そりゃ、そっちの方が手っ取り早いな。二人で行ってくるといい。俺は予定があるんだ。丈人のほうもあるんだろ?」
「はい」
「それじゃそういうことで決まりだな。制服と筆記用具は準備しとくようにな」
「わかりました。私のためにわざわざ来ていただいて、ありがとうございます」
「そうだ。私とメルアド交換しときましょ」
大田さんが舞衣とメルアドを教えている光景を見ていると、
「君は翔也のアドレスでも教えてもらえば?」と言われた。
「おまえが教えろよ……」
と言いながらもアドレスを交換してくれた。ついでに、大田さんの電話番号も教えてもらった。
「とりあえず、何かあればどっちかに連絡をくれ。急ぎの用なら麻彩に連絡したほうが早いだろう。繋がらない時は遠慮なく俺に連絡をくれ」
「ありがとうございます」
「せっかくだし、翔也といろいろ話したら?」
大田さんが気を利かす。
その提案に動揺する舞衣。
「えっ!あっ、そうですね……」
嬉しさと緊張が入り混じる。
「じゃあ、私たちは席を外すわね~」
と言いながら、大田さんに押されて部屋から連れ出された。
「とりあえず、休憩スペースで待ちましょうか?」
喫茶店以外で二人が会うことも、出歩くことも無かった。こちらも少し緊張する。
「そうね。あの二人、案外長くなりそうだしね」
すぐそばに休憩スペースがあった。複数のソファと座卓が並んでおり、壁面には医療関係のポスターや、院内レストランのメニューが貼られていた。
隅っこの方に自販機が三台並べられているが、どれにも人が集まっており、すぐに買えそうにはない。
週末の昼前とあって、非常に混雑している。廊下やロビー、休憩スペースなど、ありとあらゆる場所が人とすれ違う。
「ちょっと、一階まで降りようか」
混雑具合を見て、太田さんは僕の手を引いた。
一階に降りても、人の多さは変わらず、むしろこっちの方が多い。
一階に設けられている売店に行き、二人は飲み物を買って外に出た。
昼になるにつれ、日差しは強くなってゆく。敷地内に緑地があり木陰がたくさんあるのだが、外を出歩く人など数えるほどしかいない。
適当な木陰のベンチに腰掛けた。
「そういえば最近、雄太くんを見てないけど、どうしたのかな?」
「まだ合唱部が忙しいみたいですよ」
「そっか~大変なんだね~。丈人くんも忙しいんじゃない?」
「この間、ライブをしたばかりなので、今は小休止中ですよ。夏休み入ったら、予定が入ってるんですけどね」
「新しいバイトも始まるんだよね?」
「あ、はい…メロディでのバイトを楽しみにしていただいてたのに、急に変更しちゃってすみません…」
「いや、いいのよ。あそこはお客さんとして行きつけのお店だから、時々顔を出すわ」
「お待ちしてます」
改まって訊いてくる。
「ねぇ、バンドではギターやってるんだよね?」
その質問は心臓に悪い。しかし、平然を装って答える。
「はい…」
「…なんで…ピアノ……弾かないの?」
訊かれてもおかしくない。彼女は僕のことをあまり知らない。
藤崎に過去のことは極力話さないように言われているため、過去を話す気にはなれなかった。
「…ピアノばっかりじゃ飽きますから……」とごまかした。
それ以上の追求が無かったため、ひとまず胸をなで下ろす。
その後も僕のことに関していくつか質問はされたが、過去にまつわる質問は無かった。
一時間ほど経ったので、病室に戻ってみると、まだ何か話しているようだった。様子をうかがうため少し扉を開けて見ると、泣きじゃくる彼女の姿が目に飛び込んできた。藤崎の腕の中で泣いている。僕としては少しショッキングな光景だった。
ふと大田さんを見ると、優しく見守っていた。
「丈人くん、ちょっとこっちに…」と言って、また手を引かれた。
混雑のピークが過ぎて、人がまばらになった休憩スペースに連れていかれた。
「お兄ちゃんだから言われなくとも分かってると思うけど、舞衣ちゃんをしっかりサポートしてあげるのよ!」
躾るような言い回しだった。
「分かってます……。妹には返しても返しきれない恩がありますから…」
「そうなんだ……なら、恩返ししなきゃね!」
そう肩を叩かれた。
少しの沈黙の後、また僕に言葉を掛ける。
「あと……さっきのは見なかったことにするんだぞっ」
大田さんに言いつけられる。
「わかりました」
僕の返事を聞いた彼女は、それから他愛もない話を始めた。
大学でのこと。藤崎のこと。そして、ピアノのこと。30分くらいは話したと思う。
その間、彼女がしゃべり続け、僕は相づちを打つだけだった。
「そろそろ、戻ろっか?」
自然な感じでメールを送り、状況を探る。
すぐに「戻っていい」と返事が来たため、病室に戻る。
特に何かを話すでもなく、予定の確認をして別れた。
二人が帰った後、舞衣と会話をしたが藤崎との会話の内容は触れなかった。
いろんな話をしたり、売店まで付き添ったりして時間が過ぎてゆく。
気がつけば、六時を過ぎていた。そろそろ帰らなければ。
「じゃ、そろそろ帰るな」
「うん、ありがと。お兄ちゃん」
ニコニコしながら僕を見送る。
「お礼言われるまでもないよ。全部、大田さんたちが決めたことだし……」
「それでも、ありがと…」
何度も感謝の言葉を繰り返した。
「じゃ、また明日。おやすみ」
「うん。おやすみ~」
夕暮れに染まる薄暗い病室。夕焼けに照らされた彼女の表情は、怪我をする前のものに戻っていて、正直ほっとした。
帰る時はいつも、作り笑顔のような表情で見送られていた。
終始、不安そうな表情を浮かべる彼女が、心配を掛けまいと見せるそれは心がぎゅっと締め付けられる。
今日一日だけだとしても、素直な笑顔が見れて、何よりも嬉しかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます