18.共鳴〈2〉

夏休み初日からバイトが入っているため、羽を伸ばす暇も無い。

加えて、初日からやけに体が重い。


これから夏休みを楽しもうというタイミングで体調を崩して、数日を棒に振るのは避けたいが休むわけにもいかず喫茶店へ向かう。


「おはようございます…」

「なんか元気ないですね。どうかされたんですか?」

沙織さんが心配そうに話しかけた。今日のバイトは僕と沙織さんの二人だけだ。

「大丈夫?昨日の疲れが出たんじゃない?」

若菜さんも心配そうに顔をうかがう。


大丈夫とは言ってみたものの、表情が変わることは無い。

「しんどくなったら、誰でもいいから言って」

若菜さんがそう言った。

「はい。ありがとうございます…」


今日は客足が伸びない。思えば、初めて平日の勤務をする。

平日はいつもこんなものだと、平然と静香さんは言う。

マスターの喫茶店と大差なく、店員は暇を持て余す。


静香さんはお客さんと話をしながら、机を磨くかのように念入りに拭いている。若菜さんは注文が入る度に奥で作業するが、それが終わるとキッチンの出入り口で楽譜を読み込んでいる。


「丈人さんは趣味とかありますか?」

「趣味…強いて言うなら、ギターを弾くことですかね…」

音楽面しか興味がないため、趣味と呼べるものがない。

「へぇ~ギターですか!憧れますっ」

「まぁ、大したことないですけどね…」

「あれで、大したことないなんて…ねぇ~」

何か言いたげな雰囲気を醸し出す若菜さん。


「えっ!若菜さん、知ってるんですか!?」

知らないと思って謙遜したのに。


「お、同じ部なんだから、知っててもおかしくないでしょっ」となぜか、顔を赤くしつつ、必死に当然だろうと言い張った。


確かに毎日同じ部屋で練習をしていれば、演奏の一つや二つ聴いていてもおかしくないが、何か様子が変だと思っていたら、沙織さんが口を開いた。


「な~んだ。そういうことか~」

どうやら沙織さんは、若菜さんが好意を抱いて、影から観察していたのではないかと思っていたらしい。


「いいなぁ……私もお二人の部に入りたいです」と沙織さんが呟く。

「沙織って、何か楽器とかできたっけ?」

「いえ…ですから、入りたくても入れません…」

少し、残念そうに言う沙織さんをフォローする。

「ま、まぁ、自分がやりたい部活があるんだろうから、別に無理して入ろうとしなくてもいいんじゃないかな?」

「そうですよね」


僕は話を続ける。

「今、何の部活に入ってるの?」

「CVS部です」

「CVS……コンビニ?」

「コミュニティ・ボランティア・サークルの略ですっ。コンビニ部かっ!ってよく言われるんですけどね」

「なんか、ごめん…。奉仕活動とか好きなの?」

「好きって訳ではないんですけど、小学六年生の時、地域の清掃活動のボランティアをしたのがきっかけなんです」

「そうだったんだ」

「うちの学校、受けるんだよね?それなら、ボランティア部があるから入ってみたらどう?」

若菜さんが提案する。

「そうですね……でも、その前に入試を頑張らなきゃです!」

「頑張ってね」

「はい!」


世間話をしていると、久しぶりのお客さんが来た。昼が近づき、客足が増えそうだ。

がたいのいい四十歳代のおじさんがやってきた。

「いらっしゃいませ!」

「おっ!新人さんかい?珍しいな男子とは。ガードマンか?」

「あはは。ガードマンなんて、酷いですよ~れっきとした新人くんですよ」

静香さんはそう否定した。

「ごめん、ごめん、冗談だよ。それじゃ、いつものよろしく」

「はぁい。オーダー入ったわよ~」

「いつものって?」

「これです」

沙織さんが手にしているのは、カフェには不釣り合いなおにぎり。それとふつうの珈琲。そのまま、さっきのお客さんのところへ持って行った。

「お待たせしました。いつものおにぎりと珈琲です!」

愛嬌たっぷりの沙織さんは、接客中だけしか見れない。本人曰く、スイッチが入るらしい。

「あの人は近くの商店組合の方なの。このあたりで店をやっている人なら誰でも知っているわ」

若菜さんが教えてくれた。

「へぇ。そうなんですか」


食事を終えたそのお客さんが僕の所へ来た。

「初めまして。私は向田俊一って言うんだ。五件隣りの電気店をやっていて、あと商店組合の理事もしているんだ。よろしく」

握手を求められ、それに応じる。

「よろしくお願いします。僕は世羅丈人と言います」

「世羅くんだね。この店は女の子ばかりだから、有事の時は頼んだよ」

「有事って……そんなに物騒なんですか?」

「何があるか分からないからね。私の行きつけの店だから、営業できなくなっちゃったら悲しいしね」

「そうですか」

「じゃ、会計お願いできるかな?」

「あ、はい!七六〇円です!」

「それじゃ、ちょうどで」

「ありがとうございました!」

向田さんは帰って行った。


その時、全身の力がすうっと抜けていく感じがした。緊張の糸が切れたのかもしれない。


「今日はお客さん少ないですね」

「平日だし。あと、暑いからかしらねぇ」

「かき氷とか出さないの?」

「出さないわ。ここはちゃんとした喫茶店なんだから、味で勝負しないと!」

「ちゃんとした喫茶店って、あんまり関係ないけど…」

「かき氷は違う気がしますけどね」

と会話を聞いていたが、ふと、足元がぐらぐらしていることに気づいた。

さっきの脱力感は体調不良だったのだと今になって分かった。


「大丈夫?そこ座って!」

「あら大変!どうしたの?」

みんなが異変に気づく。

「朝から体調が悪そうでした…どんどん顔色悪くなってましたし…」

若菜さんが急接近して、おでこを合わせて熱を計った。キスをするくらいの距離で見つめ合った。熱があることが分かって、すぐに顔を離した。恥じらっているのか、彼女の顔は赤かった。

「ね、熱があるじゃない!しかも、結構高そう・・・どこかで横になった方がいいかも」

「沙織は店番してて」

「わかりました!」


肩を持ってもらい、奥の和室に連れて行ってくれた。

そこには布団が敷かれていた。今、準備したような感じではなかったため、誰かの部屋なのかもしれない。

「ここで横になってて。すぐにタオル持ってくるから」

いつも冷たい感じだが、珍しく優しい言い回しだった。

「はい…」

返事をするのが精一杯だった。頭がくらくらし、視界も安定しない。


父の死後、精神的に不安定になった関係で体調も崩しやすくなった。すぐに熱は出るし、ちょっとした熱ですぐダウンするようになった。だが、舞衣や雄太が買い物に連れ出してくれるようになり、次第に体力も回復していた。

久しぶりにやってきた不調に戸惑っていた。


目を覚ますと若菜さんが居た。

制服から普段着に着替えている。額には冷えたタオルが乗っかっている。


「大丈夫?」

心配そうに様子をうかがう若菜さんに大丈夫であることを伝えた。

「よかった…」

同じ学校で部活で、バイト仲間だという関係性を差し引いても、心配するそぶりや様子が大げさに見えた。

疑問を抱いていると、彼女が話し始めた。

「私、妹がいるんだけど、十三歳の時に高熱で倒れたことがあってね、その時から、こういう場面には敏感になっちゃって……驚いたよね?でも、良かった…」

さっきの急接近はそういうことだったのかと理解した。


「あら、気が付いたのね」

戸が開き、静香さんが様子を見に来た。

「具合はどう?」

「大丈夫みたいよ」

「そう、なら良かった。丈人くんのお母様に連絡したら、今日はうちに帰れそうにないっておっしゃってたから、今日は泊まりなさい。明日も朝からシフト入ってるしね」

「えっ!泊めるの?」

若菜さんは驚いた顔をした。

「そうよ~。あ、でも、エッチなことしちゃだめよ~」

「しないから!」

若菜さんが高速でツッコんだ。

「さすがに年頃の男女を同じ部屋で寝かせるわけにはいかないから、若菜は上の部屋使いなさいね~」

「わかってるって!」

その会話で、ここが彼女の部屋だということに気づいた。

「なんか…ごめん…」

「いや、いいのよ。私がこの部屋に連れてきたんだから。じゃあ、夕飯作ってくるから、何かあれば電話をちょうだい」

「わかりました」

出ていく前に振り返り、何かいるものはないかと聞かれたが、特にないと返事をした。


ふと携帯を見ると、麻衣からメールが来ていた。

「お母さんから聞いたよ。大丈夫? 私の分まで頑張ってくれるのは嬉しいけど、無理せんようにね」

という文面だった。自分を責めてほしくなかったので、平気だということを伝えておいた。


症状は落ち着いていて体を起こしていたが、また熱が上がり始めたのか、しんどくなってきた。汗をどんどん掻き、息も荒くなっていく。

さすがに怖くなり、若菜さんに電話をした。

「もしもし、どうしたの?」

「熱が……、はぁ……はぁ……」言葉を振り絞ろうとしても言葉が出てこない。

「ん?どうしたの?大丈夫?」

「来て…」振り絞ってその一言をマイクに向かって囁くように言う。

「分かった!すぐに行く!」緊急事態だと伝わったのか、すぐに駆けつけてくれた。部屋に飛び込んできてくれた時は本当に安心した。

「大丈夫?しっかりして!」

意識が薄れていく中で、静香さんの声が聞こえた。

「どうしたの?まぁ、大変!すぐ救急車を呼ぶわ!」


視野が徐々に広がっていく。そこは病室で、もう夜が明けていた。

「大丈夫ぅ?お兄ちゃん」

目を覚ますとそこには車いすで見舞いに来た麻衣が居た。

「もう、大丈夫よ。2、3日安静にしていれば、完治するそうよ」

若菜さんも一緒にいた。

診断は疲労と風邪だった。疲労で弱っていたところに風邪が重なり、症状が悪化したということだった。


ガラガラと病室の扉が開き、入ってきたのは雄太だった。

「大丈夫か?あんまり心配させんなよ。あと、女友達できたんなら、教えてくれよ」

「女友達のことは置いといて、心配かけてごめん……」

「いいよ。お前がひ弱なことくらい知ってるからな」

「紹介します。この不愛想なやつが僕の友達の西田雄太。こちらの方が僕がバイトしてる喫茶店の娘さんの滝宮若菜さん。同じ学校の先輩だよ」

「よろしく……」

「初めまして。よろしく……おねがいします」

「お二人はどういう関係で?」

「俺達は小学校からの親友なんです。今は咎内高に通っていて、合唱部に所属してます。コンクールとかも出させてもらってます」

「そう。実は私も合唱やってるの」

「そうだったんですか!気が合うかもしれませんねっ」

「でも、咎内って、ライバル校だから仲良くなれそうにはないわね」

若菜さんが珍しく、からかって見せた。

「ですよね~」

「振られたな」

「いいですよ~、俺には付き合いたての彼女がいるから!」

「そういえば、丈人くんもこの間、告られてたわよね?」

「えぇ~!」麻衣と雄太が同じ反応を見せた。

「マジか?マジなのか?」

「本当なの?それで?それで?」

問い詰められて、どう答えようかと考えていた矢先、若菜さんが詳細を二人に教える。

「なんかごめんなさい…」

「い、いえ。いつかはバレることなので…」


「昔から知ってたらしくて、その頃から好きだったらしい…。告られたけど、返事はしてない。どう答えたらいいか分からないし」

それを聞いた二人は顔色を変えた。

「もしかして教室の生徒だったの?」

若菜さんは過去のことを知らない。突然、顔色を変えた二人に戸惑っていた。


「若菜さんには、話してないよな…」と雄太はそれ以上の追求を避けた。

事情を説明するのは気が引けた。

「訳ありの話なら、席を外すわ」

「はい…すみません」

「こっちこそ、ごめんね…」

若菜さんは部屋を出て行った。

「それで、鏡さんとかいう人はどう関わっていたんだ?」


~~~~~


私は病室の扉に寄りかかった。

不意に口にしたことが、訳ありの話題だったとは。

あまりコミュニケーションが上手じゃない私は、すぐにこういうヘマをする。

余計なことを口走ったり、一言多かったりする。その積み重ねがコミュニケーションをさらに苦手にさせている。


「音楽教室の生徒さんだったんだ…」

「それは、お前の母さんから聞いた。機会に恵まれていない子供たちにも平等にって、そういう子供たちを招き入れていたらしい。その一人だろうな」


「まじか。同じ教室に居たのか?」

「覚えてなかったんだ?」


聞かれたくないと拒絶された会話の断片を盗み聴いてしまっている。

私だって、口にしたくない過去はある。それを他人にこうして盗み聴かれたら、どう思うかは見当がつく。

これ以上は駄目だと、その場から離れようとしたとき扉が開いた。

「あ、いらっしゃったんですか。話は終わりましたので、入っていいですよ。私はこれで失礼します。本当にありがとうございました。あと、兄をよろしくお願いします」

と深々と頭を下げて、彼の妹さんは帰って行った。


「俺は舞衣ちゃんを送ってから帰るよ。体調には気をつけろよ。先輩、こいつをよろしくお願いします。無理したり、強がったりするんで、休めって言ってやってください。それでは、また…今度は舞台上で!」

その言葉に返事をする。


それを聞いた彼は出て行く。


そして、二人きりになってしまった…

どうすればいいか分からず、黙り込んでいた。


~~~~~


若菜さんは帰ってきてから、様子が変だった。どうしたのだろうと疑問に思っていたが、気まずい空気が流れて聞ける状態ではなかった。

「さっきの話……」

彼女が突然、沈黙を破った。しかし、自信のない遠慮に満ちた声だった。

「さっきはごめんなさい。いきなり追い出しちゃって」

理由はどうあれ、突然部屋を追い出したのは失礼だったのではと思い、そう謝った。

「あ、いや、別に気にしてないよ。謝るのはこっちのほう。勝手に話をしてしまって」食い気味に否定した。そういう気はないらしい。

「気の知れた存在ですし、僕の昔話を全部知ってますから。告白のことは、いつかは話そうと思ってましたから」


ちょっと複雑そうな顔をして、こちらを見ている。

「その……ごめん!」

いきなりそう言って、頭を下げた。

「ちょっと聞こえちゃったの…」大きくも小さくもない迷いに満ちた声で勢いよく言った。

「そう…ですか…」


会話を聞かれたこと自体は別にどうも思わないが、余計なことを知らせてしまったという後悔はあった。

彼女が変に気を遣わないか心配でもあったし、彼女が知ったことで新たな事実が発覚してしまうのも怖かった。

「あの、全部忘れるから…許して…」

相当、気にしている。

「べ、別にいいですよ!聞こえてしまったものはしょうがないですし、許すも何も、そもそも責めるつもりなんてないですから!」

泣きそうな彼女に焦った。思わぬ反応に戸惑いながらも、しっかりフォローした。

女の子をこんな顔にしてしまったのは心が痛い。


「ごめん……私、帰るね」と言ってすぐに出てってしまった。

急に帰ってしまったため。若菜さんにお礼を言いそびれてしまった。


今度滝宮さんに会ったら、どうしようかと悩んだ。変な気を遣わせてしまった上に、誤解が解けぬまま別れてしまった。

厄介な事になったと思いながら、考えを巡らせているとお腹が鳴った。


ふと見た時刻は朝の十時を回っていた。晩飯も朝食も抜きになっている。ナースコールを押して、食事をしてもいいか聞いた。


栄養をしっかり取りなさいと言われたので、病院の食堂に行くことにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る