4.追憶〈1〉
気づけば、ゴールデンウイークを来週に控えている。例年なら連休の予定を立てている頃だが、今年は事情が違う。
僕はバンドの音合わせの真っ最中。
ようやく軌道に乗り始めたところだが、
雄太も同じ様な理由で休日がない。5月の末には合唱コンクールの前哨戦が控えているらしい。ゴールデンウイークどころか、当分の間は忙しそうだ。
何はともあれ、ライブで披露する予定の曲はだいぶ頭に入ってきた。
披露する曲といえど、有名バンドのカバー。
自分でメロディを作るか、誰もが聞きなれた童謡やクラシックを弾くことしかなかったためか、流行りの曲を演奏することに最初は違和感があった。だが、演奏の回数が増えるにつれ、その違和感は和らぎつつある。
明くる日、部活動に向かうと太郎の姿がなかった。
「ハナ?…今日、太郎は休みなのか?」
言いにくそうにツカが訊いた。
「うん……」
なにやら、空気が重い。
ハナは先ほどからソワソワしている。
何かを言いたげだが言い出せないようだった。
気まずい雰囲気のまま、準備が進む。
練習を始めようかとした時に、ハナが意を決して口を開いた。
「二人ともごめん!」
「い、いきなりなんだよ?」
ツカは驚いた。
「お兄ちゃん、入院することになっちゃった……」
一息に喋ったため、舌っ足らずなしゃべり方になった。
「そ、そうなのか……って、ライブはどうなるんだ?」
「それは……練習ができないからさ……」
食い気味に訊いてきた彼にハナは言いにくそうにした。
「太郎抜きか」
ツカは代弁した。
「うん……」と弱々しく返事をする。
そして彼女は、僕に向かって「ごめんね」と謝罪した。
謝られても困るのだが、とりあえず、太郎のことが気になって尋ねる。
「お兄ちゃんは大丈夫。よくあることだから…」
よくあることという言葉は引っかかるが、とにかく大丈夫らしい。
お大事に、と太郎を気遣ったが、彼女は申し訳なさそうにしている。
いつもなら、ツカが盛り上げてくれるのだが、ライブのことや太郎のことが気になるようで考えに耽っている。
「太郎さんの分まで頑張りましょう!」
重い空気は嫌で、精一杯励ました。
「そうだな。できる限り頑張ろう」と、ツカは冷静に答える。
太郎の居ない穴をどう埋めるのかは、先生と相談しながらになるという。
急遽、自主練になった。家でも練習をしているため、個人練習の必要はない。
特にやることがなかったため、窓の外を眺めながら、時間が経つのを待っていた。
運動部のかけ声がこだまするグラウンドの緑は日を追うごとに濃くなっている。少し霞む青空には、立ち込めた雲が西の空高く広がっている。どことなく吹き込む風が冷たい。
そんな僕に声を掛けたのは、合唱メンバーの洲本大地。練習が一段落したらしい。
他愛ない世間話を繰り広げたあと、ふと雄太のことを思い出した。
「そういえば、今度の合唱コンクールに出るんですか?」
「あぁ。この学校も前は優勝の常連校って言われてたんだ。今となっては、内高に敵わなくなったけど」と笑った。
「ところで、なんでそんなこと聞くんだ?興味あるなら来るか?」と言われ、少し焦る。
友人が内高の合唱部に入ったことを話すと興味深そうにした。
「そうか、そうか、その人はさぞ忙しくしていることだろう」
「毎日、居残りだとか…」
「だろうな~。去年までここで指導していた先生が引き抜かれて、今年から内高の合唱部の顧問をしてるんだ。あの先生はスパルタだからな…実績も実力もすごい人なんだけどな」
初耳の情報だった。
「そうだったんですか」と相づちを打ちながらも、話を長くしてはいけないと話を切り上げた。
「全然問題ないよ。また話を聞かせてくれよ。顧問の話を!」と笑いながら、練習へ戻っていった。
初対面で、かつ先輩であるはずなのに、友達と会話しているかのようだった。
その後、先生がやってきて、太郎がいない前提で準備を進めるように言われた。
太郎の代役については、早急に探すと言っていた。
その日はそれ以上の練習はできないからと、練習が早々に切り上げられた。
突然できた空き時間を潰すため、喫茶に寄ることにした。
「いらっしゃい。今日は一人?」
中に入ると、大田さんが迎えてくれた。
「はい」と応えてカウンターに座った。
今日は客がいない。そのため、マスターも奥に居るようだ。
盛況した日に一度も出会えないのだが、採算は取れているのだろうか。心配になってくる。
「マスター!お客さん!常連さん!」と彼女がマスターを呼ぶ。
奥から急ぎ足でマスターが出てきた。
「やぁ、いらっしゃい。今日は一人なんだね」と珈琲豆を用意し始めた。
「急に時間ができたので…」
この店に来るのは4回目。何も言わなくても砂糖多めで出てくる珈琲はすっかり慣れた。一人でくるのは初めてだが、すでに常連と化している。
「今日の珈琲はどうかな?」
「美味しいです」
「甘めな珈琲を淹れてみたんだ。モカっていう豆なんだけど」
「モカって豆だったんだ。カフェモカ美味しいわよね~」
大田さんが会話に混じる。
それを聞いたマスターは自慢げに語り始めた。
「それは、この珈琲を似せて作ったものだよ。カフェモカは、エスプレッソにチョコレートとミルクを混ぜたものなんだ。よく間違えられるよ。モカとカフェモカって何が違うんですか?ってね」
「へぇ~」と大田さんは関心する。
「すごく飲みやすいです」
マスターに感想を伝える。
「今度からはこれを出してあげるよ」
「ありがとうございます」と返事をしながら、着実に常連へと近づいていることに気づく。
「部活はどう?順調?」
先日訪れた際、部活のことについて話していた。
彼女は合唱部に入っていたらしい。同じく合唱部に所属する雄太を気に入ったらしく、合唱の話で花を咲かせていた。
「順調ですよ」
どう話そうかと悩んだが、本当のことを話す義理もないと嘘を吐いた。
「そう。ならよかったわ。そういえば、雄太くんとは連絡取ってないの?」
「忙しいみたいですよ」
「そう…大変なのね」
「はい……」
それからひとしきり、意味のない世間話をして彼女は立ち上がった。
「そろそろ、弾いてこようかな~」
彼女はピアノを弾きに行った。
本音を言えば、もう少し話していたかった。そう思わずにいられないが、別に好意を抱いてるわけではない。
話し相手が居なくなって、やることがなくなったのだ。
何曲か聴いたところで用事を思い出し、途中で店を後にした。
演奏を続ける彼女に会釈をすると、弾きながら返してくれた。
用事を済ませて帰る頃に雨が降り出したため、走って帰った。
タオルで頭を拭きながら、リビングへ行くと舞衣が何やら悩んでいる様子。
うーんと唸りながら、何かとにらめっこしていた。
「どうした?」
その声に驚き、すぐに手に持っていた何かを隠す。
「わっ、お、お兄ちゃん、おかえりー。なんでもないけぇ…」
「何だよ?気になるな……」
「なんでもないって、
一体何なのだろうかと疑問に思いつつも、どうせどうでも良いことだろうと僕も自室に向かう。
その後、何度か訊いてみたが、結局何も教えてくれなかった。
よくよく考えると、これまではほとんどの場合、僕に相談してくれていた。
隠し事なんて珍しい。
何か重要な案件なのだろうか?
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