2.出会い〈2〉

喫茶店に訪れた日から二日が経った。

夕方、駅で待ち合わせして『喫茶 メロディ』を再び訪れた。


扉を開けた途端、ピアノの音色が聴こえてくる。狭い店内に響く音色はBGMにしては大きめだが、優しく奏でられるそれは心地良い気持ちにさせてくれる。


ピアノを弾く人は、十九か二十歳くらいの女性。ロングの黒髪が印象的だった。


「いらっしゃい。この間の君だね。彼女はいつもその辺りに座るから、そこがおすすめだよ」と、ピアノに近いカウンター席を指して喫茶店の店主は言った。

「じゃあ、このあたりに座ります」

言われるがまま座る。


「結構綺麗だな」という率直な感想を僕だけに聞こえる声で言う。


席に座って注文をした後、雄太が再び口を開いた。

「それにしても、声かける気でいるとはな」


空席の椅子を一つ挟んではいるが、その向こうの席には彼女のものと分かる荷物が置かれている。

話しかけてくださいと言っているようなもの。


「もともと、そんな気はなかったよ…でも…」

店主に勧められては断れない。そういう人間だということを彼も知っているはずだ。


「おっ、一目惚れか?そうなのか?そうなんだな?」

からかうように彼は言う。


「いや、じゃなくて、店の人がそういう気でいるみたいだから…。声掛けないといけないみたいな空気になってるし」

「そんなことはないと思うが……まぁ、この機会に家族以外の異性と世間話をする習慣をつけろよ」

「別にできないわけじゃないから…」


そんな会話を繰り広げながらも、ピアノの音色に耳を傾けていた。


不意に雄太が話を振ってきた。

「…そろそろ音楽仲間、作ってもいいんじゃね?ピアノもできて、ギターもできるのに勿体ないだろ」

唐突な発言に戸惑いながらも、「別に」と冷静に答える。


一人で好きな時に好きなだけ、音楽に没頭することが自分には合っている。

だから、今のままで全然いい。


そう答えると、彼は難しい顔をする。

「妹さんは悲しむぞ。音楽を止めるなって、あんなに必死で説得してたんだから。またあの頃みたいに戻ってほしいんじゃねぇのか?」


いきなり妹を引き合いに出されて、少しムキになった。

「なんだよ急に…音楽を止めるとは言ってないだろ。現状維持を望むだけだよ」

「スクールに通っていた頃の仲間とは、あれ以来だろ?」

「ピアノはもうやめたんだ…。接点がなくなったんだから、何もなくて当然だろ?」

「そんで見かねた妹さんが、せっかくギターを引っ張り出してきてくれたのに、何も進展がないじゃないか」

「もう音楽と深く関わることはやめた。それだけだよ」

 

会話が白熱して、ひそひそ声が大きくなりかけた時、店主が割って入ってきた、


「お取込み中ごめんね。珈琲できたから、飲んで一息入れたらどうかな?」

「あ、すみません。いただきます」と雄太は慌てて対応した。


冷静になり、二人は珈琲を飲む。

「ピアノ聴きに来たんだったな。個人的な話を振って悪かったよ」

「いいよ…別に…」


その頃、弾いていた曲が終わった。しかし、楽譜に手を伸ばし、次の曲を弾き始める。


最初のワンフレーズを奏でた時点で何かを感じた。

「ん……」

同じくピアノを習っていた雄太も、何かを感じたようだった。


さっきまで気を荒立てていたのが嘘のように、心がすっと落ち着いていく。


今までの曲も上手ではあったが、この曲は特にそう感じる。相当得意な曲か、思い入れの強い曲かのどちらかだろう。

ひとつひとつの音の響きも、余韻も、先ほどの演奏とは一味違った。



五分ほど、無心で聴き入っていた。


曲が終わるころには、苦味を忘れて珈琲を飲み干していた。


彼女がピアノから離れると、おもむろに僕の隣の席に座った。あまりにも自然な動きに戸惑うことすら忘れた。


「マスター、お水くれる?」

第一印象は、凛としていて、人を寄せ付けない感じの人なのかと思った。


マスターは「了解」と言いながら、合図をした。僕のことを事前に教えていたのだろう。

理解したのか、僕の方を向いて話しかけてきた。


「あなたが、私のことを知りたいって言ってた子かしら?」

少し身を乗り出し、僕らの方へ首を傾げるようにして訊いてきた。


先ほどとは違い、声のトーンも上がり、表情も優しい。

どうやら、思い過ごしだったようだ。


「あ…はい。あのっ世羅丈人って言います…」

「お隣の方も?」

「俺はただの連れです。西田雄太って言います」

「世羅くんと西田くんね。それで、世羅くんはピアノを弾いてるの?」

「昔…弾いてました。いろいろあって、今は弾いてないんですけど……」

「そう……ちなみに、西田くんは?」

「俺も昔弾いていたんですけど、合唱に心変わりしちゃって、それ以来弾いていません」

「でも、一応経験者なんだよね?」との問いに頷く。

「こんなこと初めてだから、つい疑問に思っちゃって、いろいろ聞いてごめんね。私は大田オオダ 麻彩マアヤって言います。此愛コノメ音大ってところに通っているの。うちにこんな大きなピアノ置ける場所がないから、ここで平日とか、たまに週末も弾きに来てるの」

「そうなんですか」

「で、どうだったかな?私の演奏?」

興味津々に訊いてくる。


「すごく良かったです!特に最後の曲とか」

ノリの良い雄太は、すかさず感想を伝える。


「世羅くんはどうだった?」

「最後の曲…引き込まれました。なんとも言えない感情になりました」

素直な感想を伝えた。


「そう…気に入ってくれたなら良かった」とどこか安心するように言う。


「あっ!いけない。私はこれで失礼するわね」と何かを思い出し、急いで身支度を始めた。


「あっ、これも何かの縁だし、珈琲奢ってあげるね。遠慮はいらないから!」

「そんな!悪いです…」

「いいから、いいから。マスターお勘定!二人の分も払うから!」

遠慮する余裕はなかった。

「はいよ。……じゃあ、気をつけて」

「うん、それじゃ。水曜日は大体居るから、また来てねっ!」と声をかけてから、足早に店を出て行った。


台風が過ぎ去った後のような静けさの中、二人は余韻に浸っていた。

「結構、いい人だったな…」

「そうだね…」


我に返った雄太が言う。

「奢られたわけだし、また行かないとな。でも、学校始まったら俺難しくなりそうだから、一人で行けよ」

「わっ分かってるって!」

その事実に今気づいたことが悟られそうだ。


学校が始まれば、部活動などで忙しくなるため、二人で来店できる機会は限られてくる。


「まあ、時々は俺を誘えよ。お前の連れだって言っちゃったから、一人で行く理由ないし…」と意外な反応を見せた。

合唱一筋の雄太も気に入ったようだ。


「わかったよ。じゃ、そろそろ僕らも帰るか」


あまり長居をしても悪いだろうと、話を切り上げて、二人は席を立った。


「ごちそうさまでした」とマスターに声を掛けると、「またいらっしゃい」と笑顔で見送ってくれた。


「また…来ます」

不意に出たその言葉は、本心だったと思う。


あまり人付き合いは得意ではないが、これからも喫茶メロディに足を運びたいと思った。

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