10.始動〈3〉

週明け。

本番を週末に控えた僕達は、練習のペースを上げた。夏休みに控えたイベントの準備も始まったため、毎日ギリギリまで残ることになった。


「疲れた……ちょっと休憩……」

ツカが珍しくバテている。ここのところ、練習に特に力を入れている。疲れても仕方ない。

「さっき休んだばかりじゃない?そんな暇があったら練習しようよ。時間ないんだよ」

とハナが呆れながら言った。


僕達には時間の余裕がない。

ただでさえ練習不足なのに、まとめ役であるタロウが居なくなるというトラブルで余計に余裕がない。しかも、初ライブの後も夏休み中に二つイベントが控えている。


その日の練習はいつもより長引いた。

バンドの音が合わないのが原因だ。どうすれば解決するのか、楽譜とにらめっこしていた。


本番は4日後、タロウ抜きで再開して間もないが、そうは言ってられない。


「遅くなったし、ラストな!気合入れていくぞ!」とツカは指示を出す。


他の部員はもう下校している。いつもは賑やかな音楽室も、今はバンドの音しか聞こえない。

使われていない部分の電気は消され、明暗がはっきりと分かれている。まるで、スポットライトを浴びているみたいだった。


静寂の中、一人一人の息遣いまで聞こえてきそうなくらい近く、それでいて今は心が遠い。

ライブを成功させたいという気持ちばかりに気を取られ、合わせる余裕も楽しむ気力さえも湧いてこなかった。


「じゃあ、おつかれ!」

「あぁ。またな」

「おつかれ~」

結局、みんな腑に落ちないまま、その日の活動を終える。



食事を終えて、ベッドで横になる。しかし、練習のモヤモヤが残り、なんだか落ち着かなかった。


しかし、次第に眠気に襲われ、いつの間にか思考は、夢の中へといざなわれていた。

夢の中だと思われる世界で見覚えのある女性がピアノを弾く。流れるメロディもどこか懐かしい。聞いたことがあるはずなのだが思い出せない。

目覚めて、それを夢だと知る。

起きてからも、その光景をはっきり覚えていた。


それから二日経った。

昼休みに音楽室を借りて、個人的に練習していた。みんなそれぞれ付き合いがあるらしく、貸切状態でとやっていた。


でも、孤独な練習はあまり意味がない。

ピアノなら一人でもずっと弾けるのに。なんてふと思った。


目線を動かすと授業で使うピアノがそこにある。

誰もないし、少しなら。

正直、うまく弾ける自信は無いから、外で弾きたくないのだが、自然と足はピアノへ向かう。


休み時間の喧騒が遠くに聞こえる。ここだけ別世界のように感じるとともに、教室に通っていた頃が思い出される。

椅子に座り、人差し指で弦に触れると、当然ながら音が響く。


沈黙を破るそれは思ったより大きい。

驚いて、思わず弦から指を退くけれど、無意識に次の音の弦に指が動く。


奏でたメロディはこの前、夢に出てきたもの。

興に乗る前に我に返り、ふと入口に視線をやると、興味深そうに一人の女子が覗いていた。


見られてしまったことに恥ずかしく思いながらも、彼女の反応が気になった。


驚いたような素振りで、そこに立ち尽くしている。


その人物は飯山鏡さんだった。ツカを探しに来たのかと声を掛ける。

「あっ、ツカさんなら、今はいませんよ」

「あっ、そうじゃない…ってわけじゃないけど、あの、さっきの曲ってっ…」

思いがけない言葉を聞き驚いた。


「聞いたこと、あるんですか?」

「どこかで聞いたことがあるような気がするんだけど…」

思い出せないみたいだ。彼女が知っているということは、テレビとかで流れていた曲なのかもしれない。


「…夢に出てきたんです。忘れられなくて弾いてたんですが、何の曲かは思い出せないんですよ」

そう言うと、鏡さんは何かを思い出したように表情を変えた。彼女の眼差しは、しっかりと僕を捉えている。


まるで、旧友とおぼしき人の顔を確認するかのように。

「もしかして、丈衣ジョウエ音楽スクールの生徒さん…でした……か?」


その言葉にドキッとした。父の音楽スクールの名前をなぜ知っているのだろうと思いを巡らせているうちに、

「あっ、…い、いえ、なんでもありません。きっと思い違いです……お手間をとらせてすみませんでした。明日なんですよね?ライブ?」と話を逸らした。

話題を戻したいが、彼女がそれを望んではいないことは明らかで、僕のほうもあまりそこを掘り下げたくなかった。


話を合わせ、返事をすると、

「頑張ってください。ツカにもそう伝えておいてください。それではまた…」

とだけ言い残し、逃げるように去って行った。


あの人はスクールの関係者なのだろう。あまりあの人と関わりたくないという思いと、話をしてみたいという思いが交錯する。


とりあえず、ライブが無事に終わってからにしようと言い聞かせて練習に戻った。



放課後の練習では、苦労していたのが嘘のように、音がしっかり合うようになっていた。これなら、本番も心配なさそうだ。


気付けば外は見慣れた暗さになっていた。

「こんなもんだろう!明日は本番だ!頑張ろう!」とツカが練習を締めた。


家に帰ると、母と舞衣が一緒に料理をしていた。

「あ、お兄ちゃん、おかえり~」

「ただいま」

「明日はライブだったわよね~?」と突然、母が訊く。

「そうだけど…」

「見に行きたかったけど、仕事休めそうにないのよ~」

「あ、うちも予定入れてしもうたんよ。ごめんな~」

二人とも申しわけなさそうな顔をしている。

「いいよ別に…発表会じゃあるまいし…」


身内が来ないといけないということはない。できれば、来てほしくないくらいだ。


「でも、勇姿を見たいじゃない?」

「そうそう。お兄ちゃんがステージ上でギター弾く姿はレアじゃけぇな!。まぁ、次のライブには行くけぇなっ」

次回の日程は秘密にしておこうかと心の隅で思った。

「わざわざ見に来なくていいよ。恥ずかしいし…」

そうは言ってみたが、絶対見に行くと聞かなかった。


「今日はお兄ちゃんの大好物のハンバーグじゃけぇ!ぶちうまいけぇ、ようけぇ食べんさい!」と、山のように積まれたハンバーグを食卓の中心に置く。

ざっと数えただけも14、5個はある。小さめではあるが、平凡な胃袋しか備えていない三人で容易く消費できる量ではない。


肉の山を頑張って平らげる。

確かにハンバーグが好物ではあるが、ここまでたくさん出されると嫌いになりそうだ。


食べ終えて、妹と肩を並べてシンクに向かう。

なぜか嬉しそうに鼻歌を奏でながら、洗い物をする。

僕が音楽の話題に触れると、決まってこんな感じになる。


「いつか、舞衣もステージでピアノを弾けると良いな」

「うちは別にいいし…舞台でやるくらいなら、どっかの部屋とかでやった方が気が楽じゃけぇ」

「そっか」

「お兄ちゃんはステージでやるの楽しみなんじゃろ?」

「楽しみではあるけど、大勢の人の前でミスをしないか不安だよ……僕もどっちかと言えば、こぢんまりした場所でやる方が好きかもな」

「毎日遅くまで練習しょうたんじゃけぇ、大丈夫よ」

「だといいけど…」

「頑張りんさいよ!」と背中を叩かれる。

「分かってるよ」

一番風呂に入る母の代わりに後片付けをしながら、ほのぼのとした時間を過ごす。


その後、彼女に譲られて先に風呂に入ることになった。明日の準備を終える頃には眠たくて仕方がなかった。


いよいよ初ライブかと思うと、不安ばかりがつきまとう。ミスだけはしないように気を引き締めつつ、貴重な機会をとにかく楽しもうと言い聞かせ、眠りにつくのだった。

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