9.始動〈2〉

次の日、学校でも藤崎翔也のネタで持ちきりだった。


クラスメイトの話によると、彼はこの街の出身ではなく、大学進学を機に地方から移ってきたらしい。

動画投稿サイトで作品を投稿したことがきっかけでブレイクしたのだが、名前以外の素性は一切明かさず活動していた。


それらしき人が居ると大学内で噂され、それが週刊誌に載ったことで、瞬く間に全国のファンの耳に届くことになったらしい。


ふと、大田さんも此愛音大に通っていたことを思い出した。渦中の本人がそばにいると知れば、彼女も興味を持っているのではないかと思った。


当然、このニュースは内高にも広がっているようで、メールで雄太に訊いてみたところ、女子生徒が大騒ぎしているという。

男子生徒は一夜にして地元の大スターと化した藤崎にやきもちを焼いているらしい。羨んだり、憎んだりして忙しいみたいだ。


音楽室でも、この話題のせいでツカがうなだれていた。

「もう、うんざりだ。藤崎ってやつ気に入らないんだよ……キョウちゃんまであいつのことを……」

ぶつぶつと文句を垂れる。


鏡ちゃんとは、彼の幼なじみである飯山鏡イイヤマ キョウである。ハナの話によれば、彼女は「ただの幼なじみ」としか思っておらず、一方通行状態だと言う。


この話題に熱視線を送っている人もいる。太郎の代役を引き受けてくれた戸辺さんである。

根っからのファンらしく、このあたりに縁があることは薄々感づいていたらしいが、今回のニュースには驚いたという。


本番が近いというのに、無駄話で時間を費やしたおかげで、居残り練習をすることになった。


この件の話を一日中聞いていたおかげで忘れようとしても忘れられなくなってしまった。

大田さんは見たことがあるのだろうか。何か知っているのだろうか。

最初はどうでもいい話と聞き流していたのに、自分まで気になってくる。


結局、そんなことばかり考えてしまい、練習に身が入らなかった。


練習は遅くまで続いた。初夏といえども、七時を過ぎるともう薄暗い。

女性陣は帰る方向が同じだというツカが送ることになった。みんなと別れてから一人で家路に就く。


自宅に遅くなると電話をしていたが、心配性の舞衣が玄関で待っていた。

「お疲れじゃったなぁ。風呂にするん?食事にするん?それとも……うち?」とどこかで聞いたフレーズを広島弁でぶつけてきた。

「もちろん、食事だよ」

「ちぇっ 面白くな!」

「面白くないって言われてもな……そういえば、今日は母さん居ないんだろ?」

「うん、おらんよ」

「じゃあ、舞衣が作ったのか」

「そうじゃけど、どしたん?」

不思議そうに訊く。

「いや、いつもありがとな」

いつもは絶対やらないが、なんとなく頭にポンと手を乗せてみた。

「えっ!?どしたん!いきなり。雪でも降るんじゃ…」

予想外な言動に照れくさく思ったのか、戸惑いながら、からかうように言う。


「なんか最近、当たり前になってるから……」と訳を説明すると、

「別に礼とかいいけぇ。お兄ちゃんは勉強と部活とバイトに専念してくれればいいけぇ。家事のことは任せんさいっ」と腕まくりして力こぶをつくって見せた。

「そっちは頼んだぞ」

「もちろん!お兄ちゃんはお金を稼いでくれれば、それでいいけぇな~」

と笑顔で冗談混じりに言った。


母は仕事が忙しく、遅く帰ってくることも珍しくない。母がいない時は妹が家事全般を引き受けてやってくれている。

自分もできる限りのことはしているが、試験勉強や部活でここ十数ヶ月はほとんど妹に頼っている。


頼りきりなのは悪いと思いながらも、自分がやるべきことに集中しなければならない。


食事を摂って部屋に戻ると、いつにも増してテスト勉強に性を出す。

ライブのすぐ後に控えているため、少しずつでも勉強しなければいけない。僕の成績は中の下。赤点ラインに触れることはないが、余裕というわけでもない。


成績次第ではバイトを辞めさせられる可能性もあるため、手抜きはできない。


二時間みっちりと復習と課題をこなし、時刻は午後十時を回っていた。舞衣はもう部屋に戻っている頃だろう。風呂に入ろうと道具一式を抱えてリビングへ行った。


舞衣はリビングでスマホをつついていた。どうやら、風呂上りらしい。タオルを首に巻いていることがそれを物語る。

「あっ、お兄ちゃんナイスタイミングじゃな。風呂あがったけぇ、はよう入りぃな。冷めるけぇ」

「あぁ、ちょうど風呂入りに来たんだ」

「あっ、そんなん?それじゃあ、おやすみ~」

「おやすみ」

舞衣はスマホを持って、自分の部屋に行った。


髪を乾かし脱衣所を出て、リビングでちょっとテレビを見ていた。

ふと時間を見ると、午後十一時半だった。


今日は遅いなと思っていると、舞衣が降りてきた。

「お母さん、今日は朝まで飲み明かすらしいけぇ、帰らんって」

会社関係の人たちと親しく、よく呑みにいくのだ。

元々、酒には強く、よく父と遅くまで晩酌をしていた。

他界後は酒を控えるようになっていたのだが、ここ数年こういう誘いを受けるようになった。朝まで帰らないことも珍しくはない。


本音を言えば、舞衣が一人になる時間を減らしてほしいが、多少のことは何も言わないでいる。



週が終わる頃には、藤崎の話題は落ち着き、いつも通りの練習ができるようになった。

初ライブまで二週間、不安がないわけではないが、なんとかなりそうな気がした。


週末から喫茶でのバイトが始まった。


普段は客として来ている場所。

いつもは着ない仕事着を着て、カウンターの中から店内を眺めると違和感がある。


まだ飲み物を準備したりというのはできないため、ホールスタッフとして、注文を聞いて回ったり、運んだり片付けたりを繰り返した。

お客さんは常連さんがほとんど。気さくな人たちばかりで変にかしこまらなくていいため、初めての接客でもなんとかやれた。


噂の件については、大田さんが来なかったため訊けなかった。

マスターにも訊いてはみたものの、そういう話をすることはないという。


なぜファンでもない人間の素性を調べてるんだろうか。

ふとそんなことを思ってしまい、この件は忘れることにした。

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