第2話 勧誘

「私と野球? なっ、何で……?」


 誤魔化すように咲は言う。


「さっきの投げ方もそうだけど、あの球! どう見ても経験者だよね!」


 うっ、やっぱりバレてるよね……。

 現実に直面して、咲はより一層先程の自分の行動を後悔する。


「うっ、うん。昔やってたよ……」


 ああ、本当に私って嘘吐けないんだよな。大体こんな笑顔で言われたら吐く気すら起きないじゃん。

 咲は情けないような、それでも人間としては当然のような微妙な気持ちでそんなことを考える。


「ちょっと、急過ぎでしょ、友香! ちゃんと説明しないと」


 友香の相手をしていた佳苗も追い付くと、話に加わってきた。

 百六十はありそうな背と、少しつり気味の、見方によっては少し冷たさも感じるような目。スッと通った

鼻梁と腰ほどまで伸びた見るからに滑らかな髪を有するその顔立ちは、正に美人という言葉が相応しい。

 咲が佳苗を改めて近くで見た時に最初に思ったことは、何処となく大人っぽい雰囲気がある人、だ。


「まず、君一年生、で良いんだよね?」


「うん、そう、だけど……」


「なら、良かった。あのね、私達全員一年生で今なんとか八人集まったんだけど、私含めてピッチャー出来るような人がいなくて、ちょうど探してたんだ。そこに今みたいな球を投げる君……あっ、えっと、名前教えてもらっても良い?」


「えっ、あっ、うん。えっと……真田咲」


 咲は少し照れ気味に紹介する。


「ありがとう。ちなみに私は、風木佳苗って言って、こっちのバカっぽい元気少女が「誰がバカだ!」川相「友香っていうから! よろしくね!」って、ことだから。で、そんな時に今、咲の球を見て入ってもらいたいと思ったってことなんだ」


 いっ、いきなり下の名前なんだ。初対面なのに……。っと咲は少し驚く。

 人見知りがちで普段はどこか内向的な雰囲気がある咲は、今まではなかなか人と打ち解けることが出来なかった。だから初対面の人にこうやって親しげに接せられるのには慣れていなくて、少し戸惑いを感じる。が、反面嬉しいという気持ちもあった。

 だからこそ、その気持ちには応えたい。が、咲はあの日から野球はやってこなかったし、今もまだやる気は無い。


「ごめん、私はもう野球はやらないって決めたから……」


「えー、頼むよー! ピッチャー欲しいよ! 野球はちょっとやったことならあるけどすぐやめたって子が数人いるだけで、経験者といえる経験者がいなくてさー。だから、ちゃんとした野球経験者っていう点でも咲咲には入ってもらいたいんだよー」


 咲咲って、何っ!? この子はいきなり近過ぎないっ!?

 咲にとっては、この二人との会話は新鮮そのものだ。


「経験者って言っても、私だって幼稚園に入ってから小五までの間しかやってなかったよ……。だから、そこまで上手いって訳じゃ……。それに私やってたのピッチャーじゃなくて、センターだから」


「えー、嘘だー! センターだったの! それ私のポジションじゃん! あげない!」


 いや、やるって一言も言って無いんだけど。それに大体、仮に万が一野球をやることになったとしても、自分がセンターをやることはもう無いだろう……。

 咲は少し陰りのある表情を見せる。しかし、それを吹き払うように明るい声で友香が続ける。


「それにしばらくやってなかった子があたしより速い球投げれる訳ないじゃーん!」


「何で、やり始めてから一ヶ月くらいしか経ってないあんた基準なのよ。でも、確かにそうね。しばらくやってなかったって球じゃないでしょ、さっきのは」


 あっ、やっぱりか。

 その質問は咲も予想していた。


「野球はやってないけど、お母さんが野球好きだから一緒にキャッチボールしたり、お母さんに向かってピッチングしたりしてるから。でも、その……川相さんが一ヶ月前から野球始めたのって、もしかしてWBWC見たから?」


 時期からして丁度大会が盛り上がっていた時だ。


「うんっ、そう! なにっ、やっぱりサッキー二も見たの!」


 やっぱり。

 ――って、えっ、サッキー二! なんか、さっきとニックネーム変わってる! 

 というのにも驚いたが、それより咲は質問に答える。少し喜んでいる自分に気付きながら。


「うん。日本優勝したよね。嬉しかった」


「そう、そう! 凄い、興奮した! 私、日本が優勝した時、部屋を駆け回ったもん!」


「アハハ、私もお母さんと抱き合ったな」


「今回はあれだよね! あのセンターの神坂かみさかっていうのが凄かったよね! スーパーキャッチ連続じゃん!」


「うん、確かに凄かったね。でも、今回の決勝戦でも投げた日本のエース上本うえもと投手も凄いと思ったよ。あの、フォークの落差とか」


 咲も友香も本当に楽しそうに話す。

 友香も本音だと分かる、本当に楽しそうな作りの無い笑顔で話してくれる為、こっちも笑いながら話すことが出来る。

 こんなに野球のことで楽しく会話するのは家族と中学で一緒だった親友依頼だな、っと咲は思う。それが、まさか出会ったばかりの人なんて想像もしていなかった。


「ふーん、楽しそうじゃん、咲ー」


 ニヤニヤと嬉しそうな顔で言ってくる、佳苗。

 途端に、咲に恥ずかしさが込み上げてくる。


「いやいや、変な意味で言った訳じゃないわよ! そんなに顔を赤くしなくても……。ただ、野球やめたって言ってたけど、そんな好きな野球をやめたのも何か訳ありなんじゃない?」


「えっ、そうなの!?」


 問う佳苗とそれに乗る友香。

 その質問に咲はドキっとする。


「そっ、それは……」


 思い出される、あの夏の日。そして、嫌な記憶。見上げた空に見えた太陽と、ボールが落ちる音。

 どう言って良いか分からず、咲は口籠もってしまう。


「あっ、ごめんね。そんなこと会ったばかりの私たちに話したくないよね」


 アハハハ、っと申し訳なさそうに笑ってから、佳苗が言う。

 その言い方は、どこか優しげだった。


「いや、その……ごめんね」


「でも、そんなに好きな野球を今までやってこなかったのも、その『訳』の所為なんでしょ? なら、私達じゃ、どうしようもないだろうしね」


「なっ、佳苗、諦めるのか! このままじゃ、試合に勝つどころか人数不足で試合出来ないじゃん! 相手がどこだろうとあの球なら打たれないよ! だから、入れよう、咲を!」


「仕方ないでしょ。相手の事情も考えなさいよ」


 二人には本当に申し訳ない。それに人に心から頼られるってことは滅多にないし、それが好きなことの為だから出来るなら力になりたい。

 でも、やっぱり誰かと野球をやっている自分を今は想像することが出来ない。

 咲には恐怖心があるから。

 でも、元々気になっていたこと。それだけでも、咲は聞いておくことにした。


「そういえば、この学校の女子野球部は去年廃部になったって聞いたけど、何でやってるの? それに全員一年生っていうのは……」


「そう、この学校の女子野球部! 入る気でいたのに、去年廃部ってどういうことだよー! それを入学した次の日に知ったから佳苗連れて、校長に復活させるよう頼みに行ったら、あの校長……! 『それは難しい』とか言い出したの! 挙句の果てに、えっと、何だっけ、佳苗?」


「『廃部したのは三年生引退による部員人数の減少と部活動予算案で実績不足の女子野球部への予算をそれなりに大会等でも結果を残している男子野球部に回す為』ね」


「そう、それ! とか、訳分からないこと喋るし! 絶対、私達の頭を混乱させる作戦だよ、あれ! そんなんだから前側ハゲるんだよ!」


 友香はその時のことを思い出しているようで、今にもキーと叫び出しそうな程、怒りを露わにしている。

 ああ、廃部って知らないで野球やるとか言ったんだ。さっきから話聞いてれば、この人思い付きで行動してばっかりだな。あと、それとハゲてるのは関係ないと思う。

 っと咲は、感心半分、呆れ半分で考える。


「いや、多分、あの校長先生にそんな作戦無かったと思うけど……。ていうか、それとハゲてるのは関係ないでしょ。それに寧ろ優しく接してくれたし、何と女子野球部を復活可能にする為の条件も差し出してくれた分、かなりありがたいわよ。まあ要は、人数不足と実績不足の所為で女子野球部が廃部されたんだから、人数を集めた上で実績を残せるという証拠を見せ付けられたら女子野球部を復活させても良いらしいんだ」


「……で、二人で野球部作ろうと人数集めたんだ?」


「そう、それが校長先生が言った第一の条件だからね。で、もう一つ。それが厄介なんだけどね」


「……厄介?」


「何で、佳苗? 別に厄介じゃないじゃん。寧ろ、試合が出来るんだから良いじゃん! そこはあの校長も褒めてあげないとね」


 凄い上からだな。何でこんなに偉そうにしているのだろうかと咲は疑問に思う。


「いや、試合出来るから良いってあんたね……。そうね、人数が揃っていて、私達に経験があって、相手が東征とうせい高校じゃなきゃ良かったかもね」


「何言ってるのさ、佳苗! 相手が強い方が燃えるじゃん! くー、考えただけで燃えてきたー!」


「あんた、どんだけ楽観的なのよ……」


 ハアっと、頭を抑えて呆れ気味に溜息を吐く佳苗。

 凄いな、二人のこの温度差。っと客観的に見て咲はそんなことを感じていた。

 にしても、試合か。なるほど、その試合に勝って実力があることを見せつけるって訳か。でも、何だろう。東征高校……どこかで聞いたことがある。

 東征高校、東征高校、東征――そこで咲はハッとなる。そうだ、東征って、あの――


「あの東征高校と戦うの……!」


「そうなの。それが二つ目の条件。やるからには強豪校を倒して、大会でも実績が残せるという証拠を見せて欲しいってことになってね。って言っても、勿論東征の一軍に私達が勝てる訳無いし、そもそもやってすらもらえないだろうから、二軍相手ってことになりそうだけど」


「はあっ、一軍とやりたかったなー」


「何言ってんのよ。そんなことになったら、ただでさえ勝率一パーセントが○・五パーセントになっちゃうでしょ」


 東征高校。まだ始まってから五回の全国高等学校女子野球選手権大会出場を果たし三度甲子園行きを経験している、中々の強豪ひしめくこの地域でも屈指の強豪校で、今までの全ての県大会出場を果たしている私立校。

 そんな高校の二軍。一軍より劣るとはいえ、弱い筈がない。普通にやっても勝てる訳がないだろう。

 でも、だからこそ、相手が強いからこそ燃えるという友香の言葉に咲は共感していた。


「でも、二軍とはいえ、本当に東征と試合出来るの? まだ正式に出来てすらいない野球部の相手をまともにしてくれるような学校では無い気がするんだけど……」


「そこら辺は大丈夫みたい。何やらこの学校の校長先生は、東征の校長と旧知の仲らしいから二軍なら頼めば何とか少しぐらいなら時間空けてくれるだろうってことだから」


「そっ、そうなんだ……」


 話を聞いて、事情は分かった。疑問は全て解決した。

 何故自分をそこまで必要としてくれているのか、それも理解した。

 でも、だからこそ咲は関係ない筈なのに多少の憤りを感じていた。


「つまり負けたら、野球出来ないってことだよね……?」


「そうなるね。まあ、まず試合出来るかも微妙なんだけど」


「二軍とはいえ東征の野球部に勝てたらなんて……そんな条件無理があるよ。校長先生は元々野球部を再興させる気なんて無いんじゃ――」


「うんうん、条件は妥当だと思うよ。去年廃部にした部活をおいそれと戻してたら、色々と問題だろうし。それぐらいの証拠を見せつけるぐ必要があるんだよ」


「でも……」


 何故自分は憤っているのか。それは多分、せっかく野球を始めようとしている人達が野球を出来なくなるから。やりたいという気持ちがあるのに、事情が邪魔をして出来なくなってしまうから。その理不尽さに腹を立てている。

 確かに状況は燃えるし、面白いとも思える。でも、現実問題で今の状況で勝つなんてほぼ不可能だ。いくら野球をやりたいと思っても、このままじゃ出来なくなってしまうんだ。

 ただ、それだけじゃない。自分が腹を立てている理由は一体何だろう。


「大丈夫だよ! 勝てるよ――咲が入ってくれれば」


「あんた、まだ言って――」


「友香、佳苗! さっきから何してるの?」


 佳苗の声を遮るように入ってきたのは、友香よりも背の低い、向こうでキャッチボールをやっていた子の一人だ。気付けば、全員こっちに来ていた。


「あれっ、もしかして新メンバーですか! 遂に見つけたんですね、友香さん!」


「おっ、これで九人か」


「やったね、友香!」


「うん、まあね!」


「こらっ、友香、勝手なことを言わないでよ。違う、違う。この子は真田咲って言って、今誘ってみたんだけど、断られたの」


「あっ、同じクラスの!」


 今言った友香より背が小さい、小学生と間違われてもおかしくない子のように同じクラスで見覚えのある子も二、三人、それからヘッドホンをした子、そして何故か男がいたり様々な子が集まっている。

 そんな皆が一斉に喜びを表現する中、佳苗が真実を告げる。途端に「えー」と皆、落胆の色が見えた。


「何で、真田さん! 入れば良いのに!」


「一緒に野球やろうよ」


「私達には君が必要なんだ」


「えっ、でも、あの、その……」


 言葉の対象は自分になり、戸惑う咲。

 初対面の相手で悪い印象を与えたくないとか、相手に失礼とかそういうのもある。でも、やはり何故か彼女はやりたくないっとはっきり言うことが出来ない。

 それに、ありがたいという気持ちも真実だ。


「はいはい、困らせない、困らせない。ごめんね、咲。気にしないで。私達他の子、探すから」


 佳苗が安心させるように微笑を携えて言う。

 佳苗が気にかけまいと言ってくれたのは分かる。自分もその言葉を望んでいた筈だ。

 なのに、何で……。

 一体この気持ちは何なんだ。何だか曇ったように心がもやもやする。

 ――もしかして、自分は少し後悔しているのか?

 咲は自分の気持ちをよく理解出来ないでいた。


「でももし気が変わって、咲がやっても良いと思えるようになったなら、その時は私達は咲を歓迎する。だから、さっきはああ言っといてなんだけど――待ってるね」


「うん……分かった」


 咲はそう答えることしか出来なかった。

 その応えを聞いた野球部の皆は「じゃあね」や「待ってるからね」っと声を掛けながら去って行った。友香だけは、見えなくなるまで言い続けていたが、最終的には佳苗が制止していた。


「はあっ……」


 大きな溜息を吐いた後、咲もその場を後にした。

 さっきまでのことを振り返って、初めて会ったのに皆良い人だったなと感慨に浸る。

 暖かい皆の言葉。それがまだ脳内に、そして心に強く残っていた。 

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