ボール・ミーツ・ガール

皆同娯楽

第1話 出会い

 連日のように照りつける日差し。体を蝕む熱。

 その日差しは選手達の体力と気力を奪っていく。

 そして、グラウンドに立つ一人の少女。その少女の体は既に限界を迎えていた。

 ハアハアと乱れた息が止まらない。頬から伝う汗が止まらない。足で立っているという感覚がない。


 ――九回裏、ツーアウト二、三塁。


 こちらが一点リードしている。だが、一打サヨナラのピンチだ。

 後一つ、後一つで勝てるんだ。だから、来ないで。こっちに来ないで。今、来たら絶対に……。

 その時、カキンという甲高い音が聞こえた。ボールは……上がった。

 悔しがるバッター、歓喜の瞬間を待ち侘びるチームメイト達。それがセンターにいる少女の目に入った。

 再びボールに目を戻す。だが、ボールがある筈だった場所に見えたのは太陽の光だけだった。気付いた時には、ボールは落ちていた。

 愕然とする少女がグラウンドで最後に見たものは、立場が逆転し、歓喜する相手チームと涙を流す先輩達の姿だった。


   ☆★☆★☆★☆


 こちらの投げた渾身のストレートを打った相手四番打者の球は大きい弧を描いた。だが、その球は失速し、角度を変えて、フェンスギリギリのセンターのミットに収まった。


「よっ、よっしゃー! 勝ったー!」


 パッチリと開いた目に、チラリと見える白い八重歯。歳よりは幼さの見える、元気溢れる子供らしい顔とそれに合わせたように百四十後半しか無い背、それと自身の持つ艶やかな茶色っけある髪を後ろで纏めたポニーテールが特徴的な少女、川相友香かわいゆうかが、テレビ越しにのその瞬間を見て、歓喜に浸っている。

 今までやっていた試合、それは女子野球世界大会、略してWBWC第五回の決勝戦、日本対アメリカだった。

 それに勝ち、今日本が優勝を決めた。友香は部屋がぬいぐるみやアクセサリーで散らかっている事など些かも気にせず、喜びのあまり部屋の中を駆け巡っていた。

 この大会で日本が優勝するのは第一回大会以来だ。それでも、第二回、第三回、第四回いずれも、決勝トーナメントや準決勝には必ず進んでいる。

 この活躍のお陰もあり、元々一昔前ぐらいから徐々に人気が出始めていた女子野球が今や一般に浸透し、女子野球人口は七百万人でプロ野球並みの人気を博している。高校も夏の男子甲子園とおおよそ同じ規模の秋の女子甲子園があるぐらいだ。

 だが友香は、この大会が始まるまではそんな女子野球には全く興味を示さず、家族が見ていたテレビ中継をたまたま見るぐらいでしか野球を見る機会など無かった。それでも周りの友達がよく話題にするので、多少の興味本位で今大会予選第一試合を見たところ、あっという間にハマってしまった。

 今じゃ、全試合を一つも見逃さずに見て、日本の優勝を共に喜んでいるくらいである。

 しばらく時間が経って、選手へのインタビューやこれまでの試合のハイライトが終わると、ニュースが始まったので友香はテレビを消した。

 そうして興奮冷めやらない中、友香の今まで溜めていた想いが爆発した。

 友香はショートパンツのポケットに入れていたスマホを取り出し、親友である風木佳苗ふうきかなえの番号に電話をかけた。


「もしもし、友香どうかし――」


「佳苗、私野球やりたい!」


 窓をバッと開けて、そこから顔を出して声に出す。

 しかし、何故か流れる沈黙。友香は首を傾げる。


「あれっ、どうしたの佳苗?」


「いや、ごめん。いつも通り唐突過ぎたから整理に時間かかったわ。なるほど、分かった。今までWBWCを見ていた訳ね」


「うん!」


「それでやりたくなったと?」


「うん!」


 ハアっと、電話越しに溜め息が聞こえてきた。


「えっと、それじゃあちょっと、質問させてもらうけど、野球やりたいって今三月だけど、四月から私達高校生なんだよ。全く経験ないあんたが高校から野球始めるってこと?」


「うん!」


「…………。それから私に電話掛けてきたのは、ひょっとして――」


「佳苗も一緒にやってもらうからに決まってんじゃん」


「やっぱり……。勝手に私まで巻き込まないでよ」


「だって、私達運命共同体って言ったじゃん」


「いや、言った記憶ないけど」


「――夢の中で」


「知らないわよ!」


 大声でツッコミを入れる佳苗。

 小学校入学当初からずっと同じクラスなんだから、別に運命共同体で良いじゃん、っと友香は少し口を尖らせる。


「でも佳苗、高校では剣道続ける気無いんでしょ? まだ何やるか決まってないなら野球で良いじゃん」


「うっ、いや、確かに剣道はやる気無いし、部活は何やるか決めてないけど、でもやったことも無い野球っていうのは……」


「まあ、そういうことだから考えといてよ!」


「えっ、ってちょっと、友香、人の話聞いてる!?」


「聞いてる、聞いてる。だから、考えといて」


「全然聞いてないわよね!」


 友香はスマホを耳から外し、電話を切る。

 期待していた高校進学。それに新たな楽しみが出来た。


「絶対、甲子園行ってやるー!」


 バットを握った回数ゼロの少女に大きな目標が出来た。


   ☆★☆★☆★☆★☆


 桜舞い、それと共に人々が皆それぞれ何かしらの期待を抱く季節、春。

 この、私立才城さいじょう高校のグラウンドの脇にある桜の木も爛漫と咲き乱れ、そしてそれに呼応するように人々の動きも活発になっている。

 その主な原因が、入学式から一週間経ち新入生を含め新たな体制を敷く部活動も増えてきたからだろう。

 グラウンドでも、サッカー部が新入生に丁寧に説明しながら、テニス部はサーブの打ち方のコツをレクチャーしながらゆっくり練習をしている。

 それをその桜の木の辺りから、眺める少女が一人いる。


「どうしようかな……」


 肩ほどまでしか伸ばしていない短髪と、全体的にバランスの取れた整った顔立ち。

 しかし、その綺麗な顔とは対照的なおとなしめな雰囲気を若干感じさせるその少女、真田咲さなださきは、そう呟くと、グラウンドを眺める行為は継続しつつ再び歩を進める。

 同級生がどんどん部活を決めていく中、自分はまだ決まっていない。それに焦りを感じていた。

 咲は中学時代は帰宅部だった。でも、ただ毎日学校から帰って遊んでを繰り返す日々は退屈で、高校では何か部活をやることを決心して入った。

 しかし、いざ入るとなるとどれに入れば良いか決められず、もう一週間経っていた。

 こういう時、大抵なら好きなスポーツや昔やっていたスポーツがあればそれをやれば良いのだろう。咲にも昔やっていたスポーツはある。しかし、そのスポーツの部活はもうこの学校には無い。だから探しても見つかる筈がない。

 それにあったとしても、元々咲にそのスポーツをやる気は無かった。

 ハアっと溜め息を漏らして進んでいく内に、四角いグラウンドの角を迎えたのでそこを右に曲がり、少し進むと声が聞こえてきた。


「こーい、佳苗ー!」


 グラウンドから聞こえるはっきり言えば暑苦しい声とは違い、快活で気持ちの良い声。女子の声だ。その声は随分遠くから聞こえたというのは分かるのに、とてもはっきりと咲の耳まで届いた。

 自然とその声の元に足が動いていた。進んだ先の角を今度は左に、つまり校舎の角を曲がると、バシバシと乾いた皮に勢い良くボールが当たる音が聞こえてきた。そこは校舎裏だ。

 さっきまではラグビー部の屈強な部員達によって隠れていたが、確かにそこに女子数人が集まっている。着ているのは赤いジャージ。ジャージは学年毎に色分けされているが、あの赤いジャージは一年生のものだ。

 人数は……八人。それを四組に分けて、それぞれのコンビがキャッチボールをやっている。

 咲の心臓がドクン、っと跳ねた。


「はいはい、どうぞっと」


「よっし、オーライ――って、えー!」


「あっ、ごめん、大暴投しちゃった」


「佳苗ー! キャッチボールでここまで大暴投するのも凄いけど、軽い感じで投げてあんな飛ぶってどんな肩してるの!」


「まあ、剣道で鍛えたからね」


「何その剣道万能説! 肩の強さに剣道は関係なくない! って、あっ、それよりボール取らないと――っと、おっ! ねえ、そこの君ー! ボール取ってくれなーい!」


 今の光景を見て咲は呆然としていた。

 本当に何て肩しているんだ、あの子。あれで本気で投げたら、凄い距離を飛ばせるのは間違いない。私が見てきた中でひょっとしたら、一番の肩を持つかもしれない。……外野をやったら凄そうだ。

 なんて考えながら。


「ねえ、君ー! ボール取ってってー!」


 でも、何でだろう。何で、この人達はこんな所でキャッチボールをしているのだろう。いや、そもそも何でキャッチボールをやっているんだ。この学校には無い筈なのに。

 そんな疑問が浮かぶ。


「ねえ、君、ボール取ってってば!」


「えっ、あっ、うん、その……ごめん。ちょっと待って!」


 そこで咲はハッと我に帰って気付く。

 その大暴投した女子の相手が、さっき聞いた快活な声に若干の怒気を込めて、ボールを催促していた。

 ――ボール? ボールってどこに……?

 っと、足元を見れば赤の縫い目が規則正しく掛けられている白いボールがあった。

 咲にとって見慣れたそのボール。

 ――触りたい。投げたい。

 無意識にそんな衝動に駆られた咲はバッと、勢い良くボールを取っていた。


「アハハ、ごめんねー! 悪いけど、こっちにボール投げてー! ――って、おっ!」


 言われて咲は、右手をおもいっきり振りかぶって、その勢いのままボールを投げた。


「おっ、何やら思いっきり投げたっ――て、えっ、ちょっ、えっ、ええぇぇぇー!」


 ボールを催促してきた女子が悲鳴に似た叫び声を挙げる。ボールは真っ直ぐミットに向かっていったが、女子は後ろに避けるように倒れて、尻餅をついた。そして転がっていったボールを相手の、佳苗と呼ばれている女子が拾った。

 しまった、やってしまった。っと、咲は少し自分の行動を後悔する。


「ちょっと、友香大丈夫!?」


「はっ、速かった……」


「えっ、うん、速かったね。でも確かに速かったけど、グローブに向かってボールが真っ直ぐ来たんだから、運動神経の良いあんたなら取れてたボールだったんじゃないの? 何で逃げてんの?」


「真っ直ぐ……? 佳苗、見えなかったの? 今、ボール浮いたじゃん!」


「ボールが浮いた? 何言ってんの? ボールが浮く訳ないでしょ」


 初めて見る物に心躍る子供のような目をしながら言う友香に、冷静に現実を突きつける佳苗。

 その通り。ボールは決して浮かない。しかし、浮いてるように見えるのは本当だ。

 咲はよく言われる。ボールにノビがあると。


「そうなんだけど、でも本当に浮いたんだよ!」


「ふむ……それは多分球が速かったから、そう見えただけじゃない」


「うーん、そうなのかな。まあ、そういうのはよく分からないからいいや。それより――決めた!」


 そういうと、友香と呼ばれていた子がキラキラ目を輝かせて、こちらに向き直してきた。

 瞬間、咲は何だか嫌な予感がした。ここは逃げるべきだと本能が告げている。


「あっ、あの、それじゃあ……」


 そう言って咲はさっさと立ち去ろうとするが、


「ちょっ、ちょっと待ってよ、君ー!」


 ――やっ、ヤバい。近付いて来てる! って、足速っ! 

 友香の足はとても速く、すぐに追い付かれてしまった。


「君みたいな人を探していたんだ!」


「えっ、私みたいな人って……」


 そして彼女が興奮しながら告げる。


「一緒に野球やろうよ!」

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