第8話 遺恨
自然とこの場所に足が向かった。何でかは分からない。
友香と話した後、帰路に着いたのに。もう少しで家に着いたのに。何故だか、咲はこの場所に戻ってきてしまっていた。
「よっしゃこーい! ――って、うわあぁぁー!」
今日も元気な、明るい友香の声が聞こえてくる。強烈なゴロを前に出て捕ろうとして失敗していた。それと共に複数の笑い声も聞こえてくる。
咲がいるのは、校門前。そこから今日は二日間男子野球部が休みの為第二グラウンドで練習している女子野球部の練習を見ていた。
咲は、友香が先程会いに来た時とは違って元気になっているのに驚いた。昨日の自分の所為で川相さんの元気が無くなったのではないかと咲は杞憂していた。でも大丈夫そうだ。さっきのは気の所為だったのだろうか。いや、だけど今のあの顔はただ無理しているようにも見える。
やっぱり昨日の自分の所為だよね、と咲はまた自分を責める。だから咲は、先程友香に「野球を本当にやりたいと思ったらまた来てね」と言われたのは余計心に染みた。その優しさがありがたくて辛い。そしてその優しさに応えられるか分からない罪悪感が徐々に積み重なっていく。やりたいか。その答えが出せない。そんな中途半端な気持ちでやりたくない。それに例えそんな時が来て、私が野球をやることになったってどうせあの時みたいにチームに迷惑をかけてしまう。だからやらない方が良いんだ。
そう思っているのに、分からない。何故、自分は引き返してまでこの場所に来てしまったのか。
――あの人はどうなのだろう。
ふと、咲は考えた。前に佳苗から、そして今日も友香に聞いた、自分とほとんど同じ経験をした男の人の話。
佳苗に話を聞いた時から、そして実際あってより感じたもの。この人は自分に似ているという感覚。あの人はこれから野球とどう向き合っていくのだろうか。それを知りたい。
「真田!」
だから、丁度考えていたから驚いた。振り返ったその先。
そこには、息を荒らしたその人がいたのだから。
☆★☆★☆★☆★☆
いた。
やっと見付けた。
校門前から彼女達を見つめるその姿を見て、一度止まった足が自然とまた駆け出していた。
進む程に速さが増していく。抑えきれない気持ちをエネルギーに変換したように、足はひたすら前に向かっていく。
それでも足に行き足りないエネルギーが声となって喉に詰まっていく。でも、溜まる一方ではいずれ抑えきれなくなる。
あー、ていうかもう限界だ。
「……やろう」
「……えっ?」
「――だから、一緒に野球をやろう、真田!」
困惑する彼女の近くに寄り、叫ぶ。
「……えっ、どういうこと、ですか? …………野球をやろう? 何であなたが?」
俺の叫びに困惑する様子を見せる真田。信じられないものを見たという顔をしている。
でも言葉が、喉に詰まっている言葉が早く出せと催促してくる。俺はそいつらを留めておける程余裕がない。
「俺は、中学二年の夏の大会の試合でエラーをした。…………それでチームは負けた」
また胸の奥が苦しくなる。癒えることなく残る古傷が、塩を塗り込んだようにヒリヒリと痛む。
急な俺の発言に一瞬驚きの表情を見せた真田は、しかしすぐに顔を俯き加減にして呟く。
「……すいません、知ってました。川相さんに聞いたから」
川相に? あいつに話した記憶は無いのに何故知っているんだ。
疑問はあるが、それよりも言葉が溢れ出る。
「九回裏、相手の攻撃でツーアウト一、二塁。一点勝ってたんだ。勝ってた筈なんだ。――その時に相手の当たりはセンター前へのヒットになった。でも俺達は前進守備を敷いていたし、相手の打球が速かったから普通は三塁で止まるところを得点を急いだ二塁ランナーは暴走して、明らかに無理があるのに三塁を回った。普通にホームに投げてれば勝ってた筈なんだ。……なのに、体が動かなかった。投げる際に疲れで体のバランスが崩れたんだ。――ボールはキャッチャーの遥か上を行った。その間に一塁ランナーも還って俺達は負けた。その時、先輩達泣いていたんだよ。あー、俺の所為で負けたんだ。俺の所為でこの人達は。……気付けば俺も泣いていた」
ズキンと一段と傷が痛む。
あの涙は一生忘れることは無いだろう。
「試合が終わってから何人かのチームメイトに、そして中学での野球をやめざるを得なくなった先輩に言われたよ。――何が天才だ、お前の所為で負けた、お前の所為で俺の最後の夏が終わったじゃねえかって。……本当だよな。だから俺は野球部をやめた。それ以降も野球に関わらなくなった」
真田は俺の話をただ黙って聞いてくれていた。俺から目を逸らすことなく。だから俺も真田から目を逸らすこと無く、『傷』を語った。
でも、俺の『傷』を聞いて、真田は驚愕が隠せない顔をしていた。
「……やっぱり私に似ていますね」
そしてその表情が治まってから、口を開いた。
似ている、か。そうか、真田も感じていたのか。
「……そうだな。似てるな。それは俺も感じていた。でも、さっきお前の母さんに聞いたんだ。同じだって。詳しい内容は聞いてないけど、真田、お前も自分のミスの所為でチームが負けてしまったって」
「……お母さんが?」
「ああ。だから野球が好きだったのに、やめざるを得なくなった。確かにそれは一緒だ。――でも、違うんだ。俺とお前は同じでもなけりゃ、全然似てもいないんだよ」
「どういう、こと、ですか?」
途切れ途切れの声を出す真田。
その声からは驚きと疑問の感情を感じ取ることが出来た。
「俺はあの負けた瞬間と、チームメイトに言われた言葉を思い出すと胸の奥が痛くなる。気持ち悪くなる。まだ引き摺ってるんだ、過去を。だから、この傷が癒えるまでって、気持ちに整理が着くまでってそんないつ来るか、どころか来るかすら分からない未来を言い訳にしてずっと逃げてきた。あの苦い過去から。そして、野球から……」
「それなら、私だって……」
「違う! ……お前は俺とは違う。ずっと向き合ってきたじゃないか。ただ過去から逃げるだけじゃなくて、必死に野球と向き合ってきたじゃないか。俺はあれ以降、バットも、ボールすらも触ることも出来なかった。だから、俺は似ていると思う反面似ていないとも感じた。正直、お前のことが羨ましいって思ってた。苦しくても野球と向き合うお前に嫉妬していた……」
正直に強いと思う。だから、
「でも俺、久しぶりにボール持って、バット握ってドクンって心臓が跳ねたんだよ。球投げて、バット振って気持ち良いって思った。――やっぱり好きなんだよ。どんな言い訳して逃げたって、やっぱり俺は野球が好きなんだ。だから、もう逃げない! もう良い加減ただ嫉妬するだけなんて嫌なんだよ! 逃げてばかりなんて嫌だ! 何で好きなものから逃げてるんだよ、俺は! 踏み出せばまた出来るのに、好きって気持ちを恐怖で抑え込んで。自分で勝手に逃げるのはもう嫌なんだよ! だから、俺も野球に向き合ってやる! 踏み出してやる!」
一番言いたかった言葉を、今までで一番の感情を込めて放つ。
「だから、君ももっと踏み出そう、真田!」
いつかを待っていたって来るのかは分からないなら、今踏み出すべきだ。
その土壌が整っているなら、尚。進むべきだ。
「……だから一緒に野球を?」
「そうだ。……それに許せないんだ。俺は、好きでも勝手に塞ぎ込んで逃げて来た。権利を放棄して逃げてきた俺みたいな奴がいるくせに、あいつらは野球をやりたがっているのにやれなくなるかもしれないんだ。そんなの理不尽だろ。それが許せない」
やりたいと思う気持ちがあって人数が集まってるなら、やらせてやれば良いのに。
でもそうも行かないなら、方法は一つだけになる。出された条件をクリアするしかない。
「だから、勝たせるんだよ。俺は野球部の監督になって、あいつらを勝たせる」
本当はそれだけではない。
感謝しているんだ、あいつらには。もう一度、野球と向き合うチャンスをくれたから。
だから、勝たせてやりたい。野球を楽しんでもらいたい。
それに俺も困るんだよ。踏み出すって決めたその一歩目で躓くのは。
「でも俺一人じゃ無理だ。勝たせてあげることが出来ない。――勝つ為には必要なんだ君の力が。人の投球を見てあんなに衝撃を受けたのは久しぶりだった。あんなノビた生き生きとした球を見たのは初めてだった。あの球を皆必要としている。だから頼む! ――もう一度見せてくれ」
あれ以降何度も思い出してしまう。本当に今でも忘れられないんだよ、あの時の衝撃は。
「――だから、君の力を貸して欲しい」
頭を下げて、嘆願する。
これは俺のただの一方的な願いだ。だから断られたって、それはしょうがない。でもだからこそ、中途半端な気持ちは嫌だった。精一杯の誠意は見せておきたかった。
「…………私はまだ怖いです」
弱々しいその声は何とか俺の耳元に届いた。
でもその声には恐怖だけではない、様々な感情が込められているのが伝わってきた。
その続きを言おうとして、でも口を噤む。何か言おうとしている、それは雰囲気から伝わってくる。俺はただ続きを待つ。
遠くからは、部活動の元気で、しかし騒がしい声が聞こえて来た。
「……私も、似たような状況だったんです」
目を瞑って一度深く呼吸をしてから、真田はその言葉を発した。
予想していなかった言葉に一瞬戸惑うが、すぐに過去のことだと理解する。
「リトルの夏の大会。私達は勝ち上がって決勝戦まであと一勝に迫った試合でした。九回裏ツーアウト二、三塁で相手の攻撃、一打逆転もありましたが、こっちが一点リードしてあとアウト一つで勝っていたんです。……そんな時に私のところに球が来た。平凡なセンターフライでした。余裕もあって、ふと見えたチームメイトの顔は、喜びを隠しきれず勝利の瞬間を待ち侘びていました……」
その時のことを思い出しているのだろう。
声が萎む。顔もまた俯き加減になる。
「でも視線をボールに戻した時、そこにある筈だったボールが無かったんです。そこには太陽の光しか無くて、ボールは消えていたんです。気付いた時にはボールは落ちていました……」
わずかに見える顔からは、悔しそうに歯を食い縛る表情が見えた。両の拳も強く握られている。
「…………そこにボールはあった筈なのに、直前まで勝ってた筈なのに、今頃試合に勝ってる筈だったのに。……皆喜んでいた筈なのに。何で、スコアボードの得点が相手の方が高くなってるの。私達が既に負けになっているの。何で――何で。勝ってたのに、さっきまで勝ってたのに……。私は現実が受け入れられませんでした。でも、視線を移すと、さっき喜びの表情を見せていたチームメイトが泣いているのが見えました。その大会を最後にリトルを離れる六年生の先輩も涙を流していました。その時、やっと現実を認識したんです。勝ってた試合が私の所為で負けてしまったんだって。私は受け止めきれなくて、その場に崩れ落ちました。……涙が止まらなかった」
語り終えた真田は、顔を上げ、真っ直ぐ前を見据える。
一瞬、私は平気ですっと言わんばかりの強がりの笑顔を見せたが、そんな張りぼてのような顔はすぐに壊れる。沈痛な面持ちになり、思い出される過去をまた悔いているようだ。
まだ、自分を責めているのか。罪の意識で自分を縛っているのだろう。
気持ちが痛い程分かる。多分、誰よりも。
「……だから、私は未だに怖い。誰かとやったら、また傷付けてしまうんじゃないかって。私の所為で負けちゃうんじゃないかって」
記憶に蘇る過去の罪に押し潰されてか、声はより力を失っていく。
ミスしたのはたったの一回だろ。しかも何試合とある中のたった一試合負けただけじゃないか。気にするなよ。
そんな言葉を掛けることなんて出来ない。特に俺が掛けてはいけない言葉だ。
ただ一試合でも、その所為で誰かのまだ続く筈だった思い出を奪ってしまった。ひょっとしたら優勝していたかもしれない。その権利を失わせてしまった。その痛みはよく分かるから。
「……怖いのは俺も一緒だよ」
ああ、怖いね。何のプレッシャーも無い練習ならともかく、もし試合に出るなんてことになったら足が震えてとても立っていられなくなるかもしれない。
「でも、好きだから。やっぱり、野球を失いたくないんだよ。――それとも、真田は野球が好きですら無くなった?」
自分で言っといて、何て意地の悪い質問だと思うよ。だって答えは分かりきっている。
「……っ! っな訳……そんな訳ないじゃないですか! 好きです! 好きだから苦しいんじゃ無いですか!」
だよな。そう言うと思ってたよ。
だって、嫌いならとっくに野球のことなんか忘れている。でも、好きだから苦しいんだよな。
それに、あんな顔して野球やる奴が、野球を嫌いなんて言える訳ないよな。
もう答えが出てるなら簡単だ。
「俺もそうだったから、いや、そうだから分かる。どんな言い訳したって、やっぱり好きだから野球をやりたいんだよな」
それにどっかのサッカーバカさんと人数すら揃っていない仮の野球部に気付かせてもらったから。もうふて腐れるのはやめだ。
「……あたり前じゃないですか。私だってもう一度、やりたい! 野球を……やりたいんです!」
壁が崩壊するように、彼女の心のわだかまりが瓦解していくのを感じる。
やっと聞けた彼女の本音。
何だ、この気持ち。あれっ、別におかしくないのか。でも、何でだ。真田が野球をやりたいと言ってくれて喜んでいる。俺が喜んでいる。
だよな。そうだよな。良かった。
「なら、踏み出そう!」
「……るなら、踏み出せるならとっくに踏み出しています。でも、やりたいと思っても怖くて前を向けないんです……」
「それはさっき言った通り、俺も一緒だ。――俺一人じゃ、足が竦んでしまうかもしれない。やっぱり怖いからって、逃げ出してしまうかもしれない。だから、そういう時は隣で支えて欲しいんだ。代わりに俺も、君を支える。逃げ出したくなったら俺が止める! だから、一緒にもう一度野球を始めよう」
「……本当に一緒にやってくれるんでしょうか?」
そう言う真田の顔は、涙を必死に堪える子供のような顔で。やっぱり守ってあげたいな、っと思わせられる。
「ああ、やる」
「……そっか。私はまた野球をやっても良いんですね」
ずっと俺を見つめていた目は、西日に照らされ輝きを放っていた。
雫が零れ落ちていた。
「野球を、やめてから、ずっと苦しかったです……。自分で、殻に、籠っていたから」
途切れ途切れ、突っかかりながら、でも真田は想いを語る。
「……まだ怖いけど、不安だけど、それでも野球をやりたいから。必要としてくれている人達がいるから。――私も踏み出します。だから、お願いします。私が躓きそうなったら。その時は私を支えてください」
「任せとけ」
真摯な目で、真田の目をしっかり見つめて応えた。しかし、数秒経つと自然と頬が緩んできた。
「それじゃあまずは、あいつらの所に改めて挨拶にいこうか」
「……はい」
ぎゅっと握られた拳に、より力を加える真田。覚悟を決めたって言ったって、そりゃ実際にすぐはいはいって出来るものでは無いよな。
「うおぉぉぉぉーい!」
「痛ってー! なっ、何だ!?」
何かの雄叫びのようなものが聞こえたかと思うと、その後に後頭部に痛みが走った。そこを抑えながら後ろを振り向くと、川相が額を同じく抑えて痛そうにしていた。
「何やってんだよ、一体!?」
「何やってんだよはこっちの台詞だよ! 何を二人でやってるんだと思って来てみたら、監督! なに、咲を泣かせてるんだよー!」
「べっ、別に泣かせたくて泣かせた訳じゃねえよ……」
「そっ、そうだよ。川相さん、別に常田さんは悪いことをした訳じゃないよ」
真田が目元を拭きながら、フォローを入れてくれる。そっ、そうだ。真田の言う通りだ。
「じゃあ、何で泣いてんの! さっき気持ちぶつけるとか言ってどっか言った監督が戻ってきてるし――んっ……。気持ちをぶつける……二人っきりで対面している……咲が泣いてる……はっ! 分かった! さては監督、告白して咲オッケー出したんでしょ! 嬉しくて泣いてたんだな、さては」
「「違うから!」」
俺と真田、同時に心からの否定の叫びを上げる。
どんな勘違いしてるんだよ、この人……。あれっ、いや、でもある意味告白とオッケーは貰ってるな。強ち間違いでもないのか。
「じゃあ、何でさー!」
まあ、どうせ入る際には色々話そうと思っていた。今あったことを話すことにしよう。
「あのな、川相、実は――」
「ちょっと、友香まだー? ボール探しに行ったっきり何やってんの! ――って、あれっ。咲と常田君! 何やってんの、二人とも?」
戻ってこない川相の様子を見に来たようで、風木もグラウンドから駆け寄ってきた。くそっ、尚更面倒くさくなりそうだ。
「いや、それが――」
「監督が咲を泣かせたんだよ!」
「だから、違うって! いや、それは違わないけど」
余計面倒くさくするなよ!
「えっ、咲を泣かせた! ――って、あっ、本当だ。目が少し腫れてる! ちょっと何して――ははん、なるほど」
何だ。急に嫌らしい含みのある笑みを見せる風木。何だ、この嫌な感じ。
「常田君が咲に告白して、嬉しくて泣いちゃったって訳ね!」
「「違う!」」
何で! 何でこの二人は解答が被るんだよ! ていうか、何で風木は特に情報が無いのにその答えに辿り着くんだよ!
「っていうのは冗談だとして……何かあった?」
途端、風木のにやけていた顔が真剣になる。
川相の様に子供らしい一面があると思ったら、やっぱり第一印象の大人っぽい雰囲気も見せてきて、何というか本当に掴みどころがない。
で、何かあったか、か。そうだな。どう言ったものか。何故なら色々ありすぎた。
でもそれに答える前に、
「その前にまず一つ言っておきたいことがある」
「……何?」
キッと顔を引き締め言った俺、そして真田の顔を交互に見て、川相も茶目っ気を無くし真剣な面持ちで問うてくる。
「やっぱり俺はまた野球がやりたい。――だから、才城女子野球部の監督をやらせてくれ! 俺に協力させて欲しい!」
頭を下げて、懇願する。
監督依頼への認可ではない、こちらからの嘆願だ。
「私ももう一度野球がやりたい。だから、私がチームを勝たせる……ことは出来るかは分からない。でも頑張りたい。――どうか私も女子野球部に入れさせてください!」
真田も俺の隣に詰め寄って、一緒に頭を下げる。
しかし、返事が無い。だからほぼ二人同時に顔を上げた。すると、川相と風木は呆然とした顔でこちらを見つめていた。
が、急に頬を緩めた。
「ふう……やっとね」
「遅っそいなー、監督も咲も……」
遅いって……。
分かってたように言ってるけど、言った瞬間は凄い驚いた顔してたよな、お前。
なのに何だよ、二人して今のその予想通りって顔は。そういえば川相は、俺が野球と向き合えたその時は来てくれって言ってたよな。こんな来るかも分からなかった時が来ることを確信してたってことなのか。
「良いけど、一つ条件付きね」
「条件……?」
何だ?
名指ししないってことは俺ら二人共か。
「――二人は、私のことを名前で呼ぶこと!」
「「……えっ?」」
俺は、真田もポカンとして聞き返してしまう。
条件って何かと思えば、名前で呼べだと……。
「えっ、じゃなくて、だから二人共友香って呼ぶこと! 同じチームになるのに名字のままじゃ、余所余所しいじゃん!」
「そうね、友香。二人には私のことも佳苗って呼んでもらおうかな」
「はあ……分かったよ、えっと……川相、風木」
「「何にも分かってないよね!」」
二人揃って声を上げてきた。
でも、無理だ。今まで同い年の女子を名前で呼んだ経験が無いし、それにあれだ。何より照れくさい。
「えっと……友香さんと佳苗さん……?」
そんな中、照れくさそうに真田が二人の名前を言う。
おいおい、マジかよ。恥ずかしながらもよく呼べるな。
「うーん、惜しいわね、咲」
「そうだよ、咲々! 同い年なんだから、呼び捨てでしょ」
「じゃあ……友香と佳苗」
「はい、オッケーです。友香、今のどう?」
「うーん、まあギリ合格ラインかな」
ギリ合格ラインって何!? っていうか、二人とも凄い偉そうだな!
「ってことで次、監督行ってみよー!」
「いや、俺は名字のままで良いよ……」
「ダメよ、智史君。これはチームとして近付く為なんだから」
「そうだよ、監督! って、ことで行ってみよー!」
くっ、急に下の名前で呼んできやがって。でも、川相は監督のままなのかよ。
ていうか、あー、もう、分かったよ! 言えば、良いんだろ、言えば!
「友香……っと佳苗、で良いんだろ?」
くっ、照れくさ過ぎる。慣れないことはするものでは無えな、本当。
「えー、なにー? 聞こえなーい」
こっ、こいつ……! 女子だけど、マジ腹立つんだけど、川……友香の奴!
「だから、これから頼むよ、友香と佳苗!」
叫んでやった。こうなったら、もうやけだ、やけ。
「まあ、良いでしょう。ねっ、友香?」
「まあ、しょうがないからオッケーかな」
握られた拳を出すな。相手は女子だ、相手は女子だ、相手は女子だ。
「ってことで、この話はここら辺にしといて、さっきの話の続きをしよっか」
風木が再び顔を真剣モードに戻す。
さっきのっというのは、何かあったかっという話か。
俺も熱くなった気持ちを落ち着けるように一度溜息を吐いて、気持ちを整える。
「野球部に身を置かせてもらう以上、チームの皆には知っておいてもらいたいことがある。俺も真田もな」
目をやると、こくりと頷く真田。
「時間が惜しいし、練習もしなきゃいけない。だけど、練習は俺達も参加するから、その前に話を聞いてもらいたい」
「じゃあ――あっ、ていうか、皆待たせっぱなしだったじゃん! やばっ! さっさと戻らないと」
「あっ、私も友香遅いから呼びにきたのに、思わず長居しちゃったわ。さて、戻りましょうか――二人とも、その時に話し聞かせてよね」
「ああ、聞いてくれ」
「……お願いします」
「じゃあ、グラウンドまでダッシュだー!」
先に駆けていった、川相……友香とそれを追いかける佳苗。佳苗は友香に追い付くことは出来なさそうだ。やっぱり足はかなりのものだな、っとその場に立ち止まりながら見つめて言う。
だが、俺の隣から声が聞こえて為意識をそちらに向けた。
「私達も近付かないといけないですね。――あっ、それは勿論チームとしてなんですが、だから、」
真田はふうっと軽く息を吐いて、
「これからはタメ口で喋らせてもらって良いでしょうか。代わりに私のことも、その……咲って呼んで良いので」
横を見ると、真田は前を見続けているが、その頬は朱色に染められている。
別に俺はその条件を望んでいる訳では無いんだけど、まっ、いっか。二人も三人も変わらない。
「ああ、別に良いよ」
自分で言っておいてなのだが、咲はその照れた顔を向けて言った。
「じゃあ……改めて。――これからよろしくね、常田君」
「こちらこそ、よろしくな」
その若干ギクシャクな笑顔を見て、俺も頬が綻んだのが分かった。
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