2-1-3 セラエノ道中膝栗毛① これは一体……?

「あれだな。」


 ハスタァがイタクァのコクピットの内で、外周モニターが映す外の光景の中に、棚引く魔導気プラーナの輝きを視認する、それはあたかもイタクァを誘導するかのように、煌めき流れていた。


 ハスタァはその先に、マージョリー一行を乗せた、大型輸送用ンガ・クトゥン、通称メガ・クトゥンの爆進する姿を視認する。メガ・クトゥンの動力源、二基の小型魔導炉が吐き出す魔導気は、ハスタァの思った通り、イタクァを誘導する為に、人為的に魔力でコントロールされていた。


 誘導する魔導気の流れに従い、ハスタァはイタクァを操り、走行するメガ・クトゥンへの着地アプローチに入る。後方から接近するイタクァに、まるで後ろに目がついている様に、メガ・クトゥンは速度を合わせ、格納庫のハッチを開く。その中へ、ハスタァはまるで揺りかごの中に、そっと赤子を寝かせる様な感覚で、イタクァを着地させた。


 見事なメガ・クトゥンの操縦に、ハスタァは感嘆の声を漏らす。


「流石はキョウ殿。」


 だがしかし、その感想は全くの人違いである事を、彼はこの時知る由も無かった、それ程までにメガ・クトゥンの操縦は完璧であった。


 ハスタァがマージョリー一行のメガ・クトゥンを訪ねたのは、一行がセラエノまであと数日という位置に歩を進めたある日の夕刻である。

 出迎えたマージョリーに、上司であるオズ・ボーン枢機卿からの土産の樽を差し出すと、彼女は目を輝かせてそれを受け取った。

 ハスタァの上司オズ・ボーン枢機卿は、マージョリーにとって、亡き父親の盟友という旧知の間柄である。懐かしい名前を耳にした彼女は「まぁ懐かしい、オズおじ様から?何かしら……」と言いながら中身を確認すると、素っ頓狂な叫び声をあげる。


「きゃーっ!! ツァトゥグアの生き血ー。」


 彼女の叫び声を耳にして、ハスタァは「あの馬鹿オヤジ、何てモノを」と思ったが、不思議な事に彼女の声のトーンには喜びはしゃぐ要素のみで、嫌悪感は一切含まれていない。ニコニコ笑顔のマージョリーは、二重の意味で驚くハスタァなどお構い無しに本日の旅程の終了を宣言し、旅の同行者達を格納庫に呼び寄せる。


「今日はもう野営にしましょう。みんなこっちに来て。」


 ハスタァの頭上には疑問符が浮かび上がっていた。そんな不気味な物を土産に貰い、何故マージョリー殿は喜びはしゃいでいるのだろう。確かに夕刻ではあるが、まだまだ暗くなるには間がある、こんな薄気味悪い物の為に何故?

 そう訝しく思ったハスタァの頭上の疑問符が消えない内に、新たな疑問符が視覚を通して彼の頭上に湧き上がる。


「どうしたんだい、マージ。」


 マージョリーの呼ぶ声に、キョウが格納庫に入って来た、いつもの様に彼の傍らには闇の端女マグダラが浮いている、そして続いて入って来たのは……


「何かあったの!? マージお姉ちゃん! 」


 元気良く口を開いたのは、マージョリーが経営する孤児院のムードメーカー、ラーズである。彼の後に、新入りでラーズの兄貴分のウル、そしてなんと最年少の女の子、アビィまでがゾロゾロと格納庫にやって来た。


「ハスタァおにいちゃん、いらっしゃい。」

「にゃる、がしゃんな。」


 呆気に取られるハスタァに、アビィとナイアルラートが礼儀正しく、可愛らしい挨拶をする。


「やぁ、ハスタァ。」


 と、キョウに声をかけられ、我に返ったハスタァは、もう一つ重大な事に気がついた。このメガ・クトゥンはまだ動いている。キョウ殿が操縦していないのであれば、一体誰が操縦しているのだ!?


 やがてメガ・クトゥンが停止し、操縦者とおぼしき人物が格納庫にやって来ると、ハスタァは疑問が解消されると同時に度肝を抜かれた。


「マージお姉ちゃん、キョウお兄ちゃん、メガ・クトゥンの固定とオートキャンプ変型完了です。あっ、ハスタァさん、こんばんは。」


 二人に報告を済ませ、ハスタァに頭を下げた人物、それは……


「腕を上げたわね、アンナ。走行しながらイタクァの収容、見事だったわよ。」

「ありがとうございます、マグダラ先生。」


 マグダラの言葉に、はにかんで顔を赤らめるアンナを、驚きの余りハスタァは目を剥いて見つめた。


 まさか、あの見事なまでの誘導と操縦は、この娘の手で行われていたのか!? いや、それよりも、少人数のパーティーで子供連れ、それも女の子連れで旅するなど危険過ぎる。いくらキョウ殿やマージョリー殿が強力な精霊騎士、機械魔導師でも、これは無謀と言わざるを得ない。


 多数の疑問が一度に湧き上がったハスタァは、キョウ、マージョリー、マグダラの顔を見渡して


「マージョリー殿、これは一体……」


 と、呻く様に絞り出すのが精一杯だった。そんなハスタァの様子から、彼の頭の中に、様々な疑問が浮いているのだろうと察しのついたマージョリーは、はあっとため息をついた。


「まぁ、色々有ったのよ。」


 そう言って脱力した表情を浮かべながら、マージョリーは傍らのキョウを軽くジト目で睨む。するとキョウはマージョリーから視線から目をを逸らし、バツの悪そうな表情を浮かべ、誤魔化す様に口笛を吹き始めた。

 そんなキョウに「反省が足りない! 」と、マージョリーが怒鳴ると、彼はビクッと首を竦めてから、子供達と顔を見合わせて笑い合う。その笑顔は、力無い誤魔化し笑いのキョウと、してやったりと会心の笑顔の子供達と、対照的な笑顔だった。

 彼等の笑顔に毒気を抜かれたマージョリーは、やれやれといった表情を浮かべたが、すぐに気持ちを切り替えた。


「まぁ仕方ないわ、そんな事よりツァトゥグアの生き血よ。早速いただきましょう。」


 マージョリーはそう言って、樽の底近い側面に蛇口をねじ込むと、グラスを口に近づけてコックを捻る。


 グラスに注がれたのは、甘い香りの芳しい、透明な赤い液体だった。マージョリーはそれを、嬉しそうに鼻歌交じりで人数分のグラスに注ぎ、全員に渡すと、手にしたグラスを高々と掲げた。


「乾杯!!」


 マージョリーの乾杯の音頭で、キョウとマグダラ、そして子供達がグラスに口をつけると、その味に驚いたキョウとマグダラがそれぞれ目を丸くして「おっ」「まぁ」と、感嘆の声をあげ、子供達の顔は弾ける様にほころんだ。


 彼等の反応に驚いたハスタァは、まずグラスに鼻を近づけて匂いを確認する。グラスから果実の甘い香りが、ハスタァの鼻腔を優しくくすぐる。意を決したハスタァが、皆に遅れてグラスに口をつけると、その液体の余りの美味しさに愕然とした。ツァトゥグァの生き血とは、オズ・ボーン枢機卿手製のミックスベリージュースだった。


 一気に飲み干したマージョリーが、「くはぁっ」と息をついて、久しぶりの感動を口にする。


「くぅ~っ!! これよ、これ、この味。流石はオズおじ様、キレが違うわ! 懐かしい!」


 喜びはしゃぐマージョリーに、ハスタァが質問した。


「マージョリー殿、これは一体……」


 恐る恐る聞くハスタァに、マージョリーはあっけらかんと答える。


「ああ、これ? 飲んでの通り、ただのミックスベリージュース、通称ツァトゥグァの生き血よ。オズおじ様が孤児相手の慰問のミサを開く時、必ずこれを振る舞うの。私も昔、お父さんに連れられて、よくお手伝いに行ったものよ。ご褒美に頂けるこれが楽しみで、オズおじ様のミサが毎日待ち遠しかったのよ。」


 懐かしい思い出にひたるマージョリーの耳に、眉をひそめるハスタァの声が入る。


「確かにこの味は絶品です、しかしツァトゥグァの生き血とは……」


 上司のネーミングセンスに顔を顰めるハスタァに、マージョリーはその真意を説明する。


「ジョークよ、確かにちょっとズレてるけど、親を喪って沈みがちな孤児達に、何とか明るく笑って貰おうと、オズおじ様なりの気遣いなの。実は私が孤児院を開いたのは、そんなオズおじ様の影響なんだ……」


 ハスタァはしみじみ語るマージョリーの言葉に、枢機卿と言うよりは数奇卿と言った方が正しいと感じる、新しい自分の上司に対する認識を、大幅に上方修正をして改めた。


「では、毒霧と言うのも?」

「ええ、勿論。」


 マージョリーの瞳が、悪戯っぽく輝いた。


「それ〜っ!!」


 オートキャンプ変形をして、街道沿いの森の入り口付近の原っぱに停車、固定されたメガ・クトゥンは、ちょっとしたバンガローの趣きがあった。そのせいで辺りはプライベートのキャンプ場といった感がある、原っぱは急造のフィールドアスレチック場だろうか。

 そのフィールドアスレチック場で、マージョリーと子供達の歓声が上がっていた。彼女達が手にした瓶の口から、勢い良く赤い液体が噴出して男性陣、キョウ、ハスタァ、そしてイブン・ガジを襲う。


「さぁ、毒霧攻撃、次いくわよ!」


 そう言ってマージョリーは、手に持つ瓶の中のツァトゥグァの生き血の中に、氷系魔法と圧力魔法を駆使して炭酸を溶かし込む。そして親指を栓代わりにして口を封じ、激しく上下に振りだした。子供達もそれに倣い、激しく瓶を振り始める。

 親指に充分な圧力を感じると、瓶の口を男性陣に向けて開放する。毒霧とは、ツァトゥグァの生き血を元に魔法で精製したミックスベリーソーダだった。


「キョウ、特訓の仇よ、それ〜っ!!」

「うわっ! マージ、食い物を粗末にするな~!」

「ちょっとマージ! あなた私のマスターになんて事するのよ!」

「こなのおじいちゃん、え〜い!!」

「にゃる、がしゃんな〜!」

「ひょえ〜っ! こりゃたまらんわ〜い!」

「ラーズ、行っくぞ〜!」

「ウル兄ちゃん、負けないよ!」


 マージョリーがキョウに、アビィとナイアルラートがイブン・ガジに狙いを定めて追いかける、狙われた二人はたじたじとなって逃げ回る。ラーズとウルは、互いに瓶の口を向け合い、毒霧をかけ合っている。


 お客さんという事で、一足先に毒霧攻撃から解放されたハスタァは、アンナから手渡された毒霧に口をつけ、その清涼感を味わっていた。上司のネーミングセンスに首を傾げつつ、楽しそうに戯れるマージョリー達を微笑ましく見つめるハスタァは、同時に抜かりなく周囲の警戒を行っていた。何故なら野盗の娘狩りが横行するこのルルイエ世界は、お世辞にも治安が良いとは言えない。いや、はっきり言って相当悪い。ギルドや都市の中でさえ、娘が一人で出歩くと、誘拐や連れ去りの危険があるのだ、その外の状態は推して知るべしである。

 この様に治安の悪いこの時代のルルイエ世界には、当然の如く旅行という概念は無い。旅路となる街道は、集落を離れるにつれ、ほぼ全てが野盗の勢力下になっている、自ら略奪の被害に遭いに行く莫迦はいない。

 野盗の被害を最小限に食い止める為には、大規模なグループを結成し、そして費用を出し合い、白騎士教団や自警団から護衛を雇う、護送船団方式で旅に出る必要があった。

 しかし、いつでも都合良く大規模なグループを結成出来る筈も無い、そんな訳で旅行という概念は廃れていき、一般人が長距離を移動する事は稀となっていた。それでも、どうしても必要に迫られた場合、謝礼金を支払って同じ方向に向かう武装隊商(キャラバン)や、白騎士教団の幹部の任地移動に同行するのが、一般的な手段となっている。ではあるが、やはり道程の安全性を上げる為、娘を同行させる事は忌避されていた。同様に、普通の娘達も、身の安全を守る為、旅に出る事は皆無であると言って良かった。


 危険な相手は野盗だけとは限らない、例えば旅芸人の一座も路銀の確保や、芸人の後継者確保の為に、野盗に早変わりする事も、決して珍しい事では無かった。

 今こうしてマージョリー達が、ツァトゥグァの生き血を使い、夜中に屋外で毒霧遊びに興じる事は、旅の危険をまとめて誘引している様なものである。自分やマージョリーは元より、いくらキョウが想像を絶する精霊騎士、機械魔道士であっても、万が一という事が絶対に無いとは言い切れない。

 ハスタァは毒霧ことミックスベリーソーダで喉を潤しながらも、周囲の警戒を抜かり無く行っていた。


 やがて満足したマージョリーが瓶に口をつけ、中に残ったミックスベリーソーダを飲み干した時、ハスタァの瞳に緊張が走る。


「何奴!?」


 マージョリーの背後の茂みから、怪しい気配を感じ取ったハスタァは、抜く手も見せずに懐のダガーナイフを投擲すると、疾風となって茂みの奥に駆け込んだ。

 キョウ達がその後を追い、茂みの中で目にした物は、ハスタァを前にへたり込み、アワアワと狼狽える十数人の男達だった。頭目と思しき中央の、恰幅の良い男の足元の地面には、ハスタァの投擲したダガーナイフが深々と突き刺さっている。使い込まれたその柄尻が放つ鈍色の輝きは、まるで腰を抜かした男達を脅しつける様に煌めいていた。


「お前達、一体何者だ!? 何のつもりで私達に近づいた!?」


 ハスタァは頭目と思しき男の胸倉を掴み上げ、尋問を開始した。


「ひえええええ! あっ、怪しいモンじゃありやせん! おっ、お助けぇぇぇ!!」

「待って、ハスタァさん。」


 キョウ達の後から追いついたアンナが、みっともない悲鳴を上げる男の声に気がつくと、二人の間に割って入り、尋問するハスタァを制した。すると男はアンナの足下に取り縋り、何度も地面に額を擦り付けて礼を言う。


「大丈夫ですか? サッチさん。」

「ありがとうごさいやす、アンナ様。ありがとうごさいやす、アンナ様。」


 それに倣って他の男達も、輪になってアンナの足下に取り縋り、感謝の言葉を口にする。


「ありがとうごさいやす、アンナ様。ありがとうごさいやす、アンナ様。」


 救いの女神の様な扱いを男達から捧げられ、多少の照れを含む困惑の表情を浮かべるアンナを前に、この日何度も口にした言葉を、再びハスタァは口にした。


「マージョリー殿、これは一体……」


 マージョリーは大きなため息を吐くと首を竦めながら、事態を飲み込めないハスタァに、この日何度も口にした回答を再び口にした。


「まぁ、色々有ったのよ。」

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