第二部 第一章 セラエノへ 一話 ダンウィッチ攻防戦始末記、もしくは真っ白になった人達
「何でこうなるのよ!? 」
マージョリーは、二足歩行機ンガ・クトゥンを必死に操りながら、この理不尽な仕打ちに対して心の底から抗議の声をあげていた。
彼女は今、信じられない程の『正確で精密な射撃』の標的になっている。よけても避けても逃げても、正確に彼女の動きを予測して放たれる弾丸は、しっかりとマージョリーという的を捕捉して離さない。
マージョリーのンガ・クトゥンにも、同じ弾丸を放つべく射撃武器が備えられているが、彼女にそれを使う余裕など存在しない。
実力が数段とか、段違いという表現が陳腐になるほど隔絶した敵手がそれを許さなかった。
射撃の主は、マージョリーのンガ・クトゥンが避けて移動し、着地する瞬間の足下を狙い、弾丸を撃つ。それを避けてマージョリーは足を上げる、射撃の主は反対の足下を狙い撃つ、上げる、反対の足下、上げる、また反対の足下。両足を上げると、乗員保護のロールバーを狙い、地に伏せれば連続射撃で転がされ、必死の思いでマージョリーが自機を立て直し、立ち上がらせると、又最初から繰り返し。
射撃の主は、マージョリーのンガ・クトゥンに、見事なまでに無様なカンカン踊りを踊らせていた。
「説明ならさんざんしたでしょう! つべこべ言わずに、真面目にやんなさい! 」
遥か前方で、両手をメガホンにして叱咤しているのは、闇の
理由は分かる、充分納得がいく、しかし……。
しかし、幾らなんでもこの状況は反則だろう、他の方法は無かったのか?
何処にもぶつけ所が無い、やり場の無い不満がマージョリーの集中力を削いだ、その時。
「あ痛ッ! 」
マージョリーの顔面に弾丸が炸裂した、弾丸は訓練用のペイント弾で、命中しても生命に危険は無いが、とても痛い。
ペイント弾は次々と命中し、操縦するンガ・クトゥンもろともマージョリーは、色とりどりに染め上げられた。
「ちょっと待って! タンマタンマ! キャーッ! 」
ペイント弾の濃密な弾幕をまともに喰らったマージョリーは、たまらず操縦ミスを犯し、盛大にンガ・クトゥンを転倒させた。
「大丈夫か、マージ? 」
転倒したマージョリーのンガ・クトゥンの許に、もう一機のンガ・クトゥンが近づいて、操縦者が彼女に笑いながら声をかける。
「意地悪! ちょっと待ってって言ったじゃない! 」
マージョリーがむくれて口を尖らせながら、近づいて来たンガ・クトゥンの操縦者の男に抗議した、この男が彼女のンガ・クトゥンにカンカン踊りを踊らせていた張本人だった。
男はマージョリーの抗議を、莞爾とした笑みを浮かべて受け止める。
彼はルルイエ世界で最高金額の賞金を懸けられたB級賞金首にして、最強の賞金稼ぎ。
ルルイエ世界に闇と渾沌をもたらす、ネオンナイトの称号を持つ、最強の機械魔導師にして精霊騎士、名前を相沢恭平ことキョウという。
キョウは頭を掻きながら、マージョリーの抗議に答える。
「悪い悪い、でも前に言ったろ、マージには時間が無いんだし、早く強くなるためには……」
「ギリギリの刹那の中から、体験して掴み取るしか無い! 分かってるわよ! 」
マージョリーはキョウの言葉が終わるのを待たず、そう言いながら倒れた機体を立て直し、口を尖らせてプイと横を向いた。
そんな彼女にマグダラが雷を落とす。
「何を言ってるの、マージ! この特訓は、元々あなたから申し込んだのでしょう! だから私もこのンガ・クトゥンを造ったってのに、全く情けない! 」
こう言われると、マージョリーは何の反論も出来ない、肩を竦めながら、罰の悪そうな表情を浮かべていた。
マグダラの言った通り、特訓を申し出たのはマージョリーだった、理由は二つ。
まず一つは、超長距離魔導槍砲の扱いである。
前のダンウィッチ防衛戦で、初めて超長距離魔導槍砲を撃ったマージョリーは、その桁違いの威力に戦慄した。
その破壊力が周りに及ぼす影響を考えると、これを撃つ時には絶対に失敗は許されない、そしてキョウやマグダラのアシストが得られない局面も有るだろう。
何としても、自分一人で完璧に使いこなさねば!
そうマージョリーが覚悟した事。
もう一つは、あの戦いで真の姿、クティーラ四号機『ラヴクラフト』となった筈のマージョリーの精霊機甲が、何と一夜明けるとリュミエールの姿に戻ってしまっていた事である。
「あの覚醒は、火事場の馬鹿力だったのね! 」
と、悔しがるマグダラを横目に見ながら、内心ラヴクラフトが、父の形見のリュミエールの姿を取り戻した事に少しホッとしたマージョリーだった。
しかし同時に彼女は、ダンウィッチの戦いの後半で、自分の未熟さを痛い程思い知っていた。
そして真の力を発揮したラヴクラフトの名状し難い底知れぬパワーは、今後ルルイエ世界をマリア病から解放する戦いを挑むために、必要不可欠なファクターだという事も自覚している。
ルルイエ世界をマリア病から解放するためには、自分の実力の底上げと、サードマリアへの覚醒を確かな物にしなくてはならない。
この想いを胸に、マージョリーはキョウとマグダラに特訓を申し出たのだった。
その意気や良し!
とマグダラが特訓用に、精霊機甲と全く同じ操縦席のンガ・クトゥンを突貫で組み上げたのだった(実際に組み上げたのは、アリシアと孤児院の子供達なのだか)。
そんな経緯があり、泣き言を言ったマージョリーに、マグダラは活を入れたのだ。
しかし、それはそれとして、マージョリーには腑に落ちない事が一つ有った、思わずその事柄が愚痴となり口をついてこぼれる。
「それにしたって、剣しか装備していないアザトースに乗ってるのに、キョウのあの射撃能力は何なのよ! 射撃上手のハスタァだって、あそこまで正確な射撃なんて無理、あんなの反則よ! 聞いてないわ! 」
マージョリーの愚痴に、キョウとマグダラは思わず顔を見合わせた。
そしてキョウは、やれやれという表情で笑みを浮かべ、マグダラは堪えきれずに吹き出した。
「何よ! 何が可笑しいのよ! 」
「マージ、アザトースの武装は剣だけじゃないのよ、使う必要が無かったから、見せていないだけ。それにあなた、私のマスターを一体誰だと思っているのかしら? 」
憤るマージョリーを、笑いすぎの涙目で見ながら、マグダラが呆れ気味な口調で話す。
その口調にカチンと来て、口をへの字にして睨むマージョリーを見下ろし、マグダラが話を続ける。
「マスターはね、輝ける夢幻境ニホンでは、コウクウジエイタイという騎士団に所属していたのよ。」
「コウクウジエイタイ……」
思わぬところから、キョウの過去の話となり、マージョリーは神妙ではあるが、興味津々ミーハー丸出しの目つきとなる。
「マスターはその騎士団で、電子という妖精と契約し、機械の怪鳥を縦横無尽に操っていたの。」
「そ、それで? 」
身を乗り出して聞き入るマージョリーに、マグダラはすまし顔で講義を続ける。
「マスターの操る機械の怪鳥が放つ、炎の飛礫と火焔の投げ槍は百発百中の精度を誇り、最強騎士の名をほしいままにしていたの。その勇名はニホンだけじゃなく、近隣諸国の騎士団にも鳴り響いていたのよ。ハスタァなんかと一緒にしないで欲しいわ。」
「おおーっ。」
エッヘンと胸を反らすマグダラの言葉に、思わずパチパチと拍手をしながら、敬意を新たにキョウを見つめたマージョリーだった。
しかし、すぐに思い直し、抗議の声をあげる。
「だったら、少し位手加減してくれたって……」
マージョリーの言葉を遮り、マグダラはニヤリと笑いながら答えた。
「手加減ならしてるわよ、当たり前じゃない! 」
まさか、と目を剥くマージョリーに、マグダラは言葉を続ける。
「マスターが本気になったら、一ミット(我々の時間に換算して、約一分)に六千六百発の飛礫を放ち、火焔の投げ槍は狙わずに投げても、地獄の底まで敵を追いつめて殲滅するの。今のあなたが相手なら、一瞬で消し飛んじゃうわよ。」
思わず「うへぇ」と、額に冷や汗を浮かべるマージョリーに、マグダラは淡々と現実的に必要な努力目標を突きつけた。
「超長距離魔導槍砲を自在に扱いたいのなら、あなたもその位の射撃スキルを身につける必要があるわ。」
非常識な努力目標を呈示されたマージョリーは、「へっ? 」という目で、マグダラを見た。
「可及的速やかにね、マージ。」
屈託の無い笑顔を浮かべてそう言ったキョウの前には、この先の特訓の苛酷さを思い、真っ白になったマージョリーがいた。
「……うそ……」
固まったマージョリーに、本日の稽古の終了を告げたキョウは、新たに迎えた三人の弟子の所に向かった。
「おっ、やってるな……」
遠くに聞こえる歓声を耳にして、微笑みながらキョウは歓声のする方へ、ンガ・クトゥンを進める。
やがて、囃し立てる子供達の人垣と、その向こうに三機のンガ・クトゥンが見えてきた。
「やぁい! 大人のくせに、だらしないぞ! 」
「早く本気を出してよ、ノーデンスさん! 」
二機のンガ・クトゥンが勝ち誇る様に腕を上げている。
乗っているのは、ラーズとウルである。
その足下に、一機のンガ・クトゥンが横たわっていた、乗っているのは苦虫を噛み潰した表情のノーデンスである。
「ぐぬぬぬぬぬぬぬ……」
ノーデンスは訓練の模擬戦で、二人のトリッキーな連携に全く歯が立たず、翻弄されて倒されていた。
キョウは三人に手を振り、声をかけた。
「お~い、やってるかぁ~。」
その声に、子供達が一斉に振り返る。
「あっ! キョウ兄ちゃんだ! 」
「師匠! 」
ラーズとウルは、ンガ・クトゥンを見事に操って、我先にとキョウの元に駆け向かう、しかし……。
「うぬっ! このっ! 言うことを聞け! 」
ノーデンスは、倒れたンガ・クトゥンを立ち上がらせようと悪戦苦闘していた。
そんなノーデンスに、キョウは二人を伴い歩み寄る。
「そういきり立つと、逆効果だぞ、ノーデンス。」
「そうは言うが、ネオンナイト、こいつは扱い難いなんて物じゃないぞ……」
「はいはい、子供達の憧れのノーデンスが、そんな弱音を吐かない。マスターもマージも同じ物を操っているのよ」
思わず弱音を吐くノーデンスに、マグダラがパンパンと手を叩きながら、キョウを引き合いに出して叱咤した。
しかしながら壁にぶつかり自信喪失気味の彼には、いつもなら発破になるはずのキョウの名も、その効果が薄かった。
マージョリーのみならず、子供達、そしてノーデンスを鍛える為に、マグダラはダンウィッチで撃退した野盗達が打ち捨てて行ったンガ・クトゥンを改造して再利用していた。
改造内容はンガ・クトゥンに
それも教官機であるキョウの機体は言うに及ばず、マージョリー機、ノーデンス機は平衡制御のジャイロを外し、機体制御の全てを完全に手動で行う、という念の入れようだ。
モノに出来れば、魔力に頼りきっていた以前に比べ、短期間で格段の実力向上が見込めるのだが、長年有り余る魔力に物を言わせていたノーデンスに、いきなり完全手動操縦はハードルが高かった。
以前からキョウやマグダラの手解きを受けていたマージョリーはともかく、まだ子供のラーズやウルが短期間でメキメキと腕を上げていくのに対し、きっかけを全く掴めずにいる自分自身の不甲斐なさに苛立ち、焦り、ノーデンスは自信を喪い始めていた。
落ち込むノーデンスに、キョウが発破をかける。
「らしくないぞ、ノーデンス。君には僕達の留守中、ここの護衛をしながら、子供達に精霊機甲戦の王道を教えてもらうつもりなんだから。」
「むう……」
キョウの言葉に、力なく俯くノーデンスだった。
そんな彼に、キョウは人懐っこい笑みを浮かべ、一つのアドバイスを贈る。
「ノーデンス、完全手動操縦だからと言って、魔力が全て封じられた訳じゃ無いぞ。」
「何! ? それはどういう事だ! ? 」
食い入る様な眼差しのノーデンスに、キョウは穏やかに話を続ける。
「耳を澄ませ。その機体を通じて、君に話しかける精霊の言葉に、耳を傾けるんだ。」
キョウの言葉に、半信半疑ながらノーデンスは目を閉じ、自身の魔力を耳に集中し、精霊の言葉に耳を澄ませた。
何かが聞こえた気がしたノーデンスは、さらに集中して耳を澄ませる、そして……
操縦レバーを握り直し、操作ペダルに足を乗せ直す。
「フンッ! 」
自らに気合いを入れたノーデンスは、今までとは打って変わって、流れる様なスムーズさでンガ・クトゥンを操り、見事な操作で立ち上がらせた。
ノーデンスは自分の五感を通じ、ンガ・クトゥンに宿る精霊達が囁きかける声を感じていた。
「そうか……、あの時貴様が言っていたのは、こういう事か……。」
ノーデンスは、かつて三度ンガイの森の上空から地面に叩きつけられた時、キョウから受けたアドバイスを思い出した。
彼は更に感覚を研ぎ澄ませ、精霊達の囁きを全身でとらえる、ノーデンスは世界との一体感を感じ始めていた。
機体を立て直したきり、目を閉じて動かなくなったノーデンスを前に、ラーズとウルは悪戯っぽい目で目配せを交わす。
「スキあり! 」
「ゴメンね、ノーデンスさん! 」
ラーズは機体をジャンプさせて上から、ウルは機体を沈み込ませる様な機動で下から、息の合った連携でノーデンスに襲いかかった。
今まで機体の操縦すら覚束なく、二人の子供らしい発想力で繰り出される連携攻撃に、全く対応出来ずにいたノーデンスが、別人の様な機動でンガ・クトゥンを操る。
ラーズの繰り出す上段からの一撃をくぐる様にかわすと同時に、ウルが狙った足払いの一撃を踏ん張って受け止める。
攻撃をかわされたラーズは、空中でバランスを崩して宙を泳ぎながら落下する。
一方の攻撃を受け止められたウルは、操縦桿を通じて衝撃がバックラッシュし、全身が痺れて動きが止まった。
「喰らえぃ! 」
ノーデンスは宙を泳ぐラーズのンガ・クトゥンを、手にした棍棒でウルのンガ・クトゥンめがけて叩き落とした。
「「うわぁあああああ! 」」
悲鳴を上げて地に伏した二人に、キョウが諭す様に声をかける。
「二人とも、これが王道の戦い方だ。戦いの基本をしっかり身に付けた相手には、小手先の奇策は通用しない。二人はノーデンスからそれを学ぶ様に。」
「わかったよ、キョウ兄ちゃん! 」
「はい、師匠! 」
素直に返事をした二人に、キョウは優しく微笑んで頷いた。そして、「二人を頼む」と言おうとしてノーデンスに目を向ける。
「うおおおおおおおお! 」
今まで動かす事もままならず、てこずり苦しんでいたンガ・クトゥンが初めて意のままになり、遅れを取っていた子供達に一矢報いる事ができたノーデンスは、感涙に咽び雄叫びをあげていた。
よほど嬉しかったんだな。
と、少し苦笑するキョウの機体に、ノーデンスは自機を抱きつかせて暑苦しい程の謝辞を述べる。
「うおおおおおおおお! 貴様のお陰だ! ネオンナイト! 礼を言うぞ! 」
「分かった分かった、ノーデンス。子供達を頼むぞ。」
ノーデンスの暑苦しい抱擁に、苦笑しながらキョウは子供達を彼に託す。
「まぁ~っ! さかりがついた金太郎! ! 」
この光景を見ていたマグダラが悲鳴を上げて、嫌悪感丸出しの表情でノーデンスを毒づいた。
「ノーデンス! やっぱりアンタ、マスターにびいえるなのね! ? 気持ち悪い! 変熊! ! 今すぐ私のマスターから離なれさ~いっ! 」
ノーデンスは、そんなマグダラの悪態など耳に入らない様子で、キョウの機体を抱き締め、左右に揺する。彼の目の中で炎が灯り、徐々に大きく燃え盛りだす。
「……これなら、勝てる……」
自信を取り戻したノーデンスは、背後に炎のオーラを燃え立たせ、キョウの機体を突き飛ばし、己の機体が握りしめる棍棒を突き付け、睚を吊り上げて叫ぶ。
「ネオンナイト! 俺と戦え! ! 」
「はぁっ? 何言ってるの、アンタ。」
突然のノーデンスの挑戦に、呆れるマグダラを宥め、キョウがそれを受けた。
「ああ、良いぜ、ノーデンス。」
「ええっ! ? 受けちゃうんですか? マスター! 」
「恩に着るぞ、ネオンナイト! 」
まさかキョウが一騎討ちを受けるとは思っていなかった二人が、同じ驚きから発する正反対の反応を示す。
子供達の間から、ヤンヤの歓声が上がる。
「キョウ兄ちゃん! 頑張れ~っ! 」
「キョウお兄ちゃん、負けないで~っ! 」
子供達は皆、声を枯らしてキョウへの声援を送っている。
そんな完全アウェイの中、ノーデンスは今までキョウに挑戦するも、のらりくらりとかわされ、あしらわれ続けた苦渋の日々を思い出し、闘志を沸き立たせていた。
「ネオンナイト! よくも今まで散々コケにしてくれたな! 」
ノーデンスは威嚇する様に、ンガ・クトゥンの
泰然自若とした態度でその様子を眺めながら、キョウは内心、素直になった時のノーデンスの学習能力の高さに感心していた。流石、最強クラスの賞金稼ぎとして勇名を馳せていただけの事はある。
やはり留守を任せるのは、ノーデンス以外に考えられない。
「しかぁし、此処で会ったが百年目! このノーデンス様が貴様を成敗し、この世に悪が栄えない事を証明してやるから覚悟しろ、ネオンナイト! 」
「能書きは要らない、かかって来い、ノーデンス。」
「行くぞ! ネオンナイト! 」
キョウの瞳が青白く輝いた。
心の中はおろか世界の深淵まで見透す様な瞳の輝きに、一瞬気圧されたノーデンスだったが、裂帛の気合いを込めて一撃を繰り出す。
「うおおおおおおおおお! 」
大気すら斬り裂く鋭さの打撃が、キョウのンガ・クトゥンに炸裂する刹那、彼の片頬がつり上がった。
「フッ。」
キョウが操縦桿とフットバーを操作する、その動きは素早くではあるが、焦り急ぐとは対極の、余裕を持った最小限の無駄の無い動きだった。
キョウのンガ・クトゥンは、
その動きに、ノーデンスは驚愕する。
これがハスタァの言っていた『後の先』か!?
驚愕しつつも、ノーデンスの闘志は衰えない、むしろ強敵に
「流石はネオンナイト、相手に取って不足無し。」
ノーデンスは再びキョウの機体めがけ、鋭い打撃を連続で繰り出した。
今まで操縦すらままならなかった者が動かしているとは思えない機動を、ノーデンスのンガ・クトゥンは見せる。
コツを掴み、一動作毎に習熟度を増すノーデンスの攻撃は、繰り出される毎に鋭さを増していく。
しかし、それでもノーデンスはキョウの顔から笑みを消す事が出来ない。
どれだけ必死に攻撃しても、キョウのンガ・クトゥンが揺らめく、揺らめく、揺らめく。
「こなくそォ~! 」
何度かわされても、諦めないノーデンスの闘志が奇跡を呼ぶ、彼の繰り出す攻撃に、無意識のうちに魔力が加わり始める。
ノーデンスの頭の中に、精霊達から啓示が下されていた。
「ノーデンス、完全手動操縦だからと言って、魔力が全て封じられた訳じゃ無いぞ。」
ノーデンスは頭の中に閃いた精霊達の啓示に従い、キョウに向かって更に打撃を加える、そしてその攻撃を繰り出す毎に、加わる魔力の量が増えていった。
「流石、ノーデンス。」
ノーデンスの攻撃に魔力が加わり、更に厳しさを増し、回避に余裕が無くなっていく。
しかし、キョウの顔から笑みは消えなかった。
いや、それどころか、益々キョウの顔に浮かぶ笑みは大きくなっていく。
「うぉぉぉぉぉぉっ! 」
ノーデンス渾身の魔力打撃に、キョウのンガ・クトゥンはついに揺らめく余裕を失った。
「貰った! ! 」
今度こそ! と、思った瞬間、ノーデンスの目の前から、キョウのンガ・クトゥンが消えた。
キョウの魔導戦技、ヘブンアンドヘルが、ノーデンスのンガ・クトゥンに襲いかかる。
巨大な魔力のぶつかり合いに地面が揺れ、厚い土煙が舞う。
「うわぁ……」
あまりの光景に、二人の戦いを見つめる子供達は、一瞬放心状態となった。
土煙が晴れ、二人のンガ・クトゥンの姿を視認したマグダラが驚きの声を上げる。
「まさか……、マスターのヘブンアンドヘルが……」
キョウのヘブンアンドヘルからの一撃を、ノーデンスのンガ・クトゥンがしっかりと防いでいた。
「初見でコレを防ぐとは、大したものだな、ノーデンス。」
「この技はハスタァから聞いている。貴様が消えたら、死角から攻撃が来るとな。分っていれば、防ぐのは簡単だ。ここから先は、もう貴様の思う様にはさせんぞ、覚悟しろ、ネオンナイト! 」
仕切り直しを終え、ノーデンスのンガ・クトゥンがキョウのンガ・クトゥンに襲いかかる。
嵐の様な攻撃を、キョウは揺らめきかわし続ける、そして……
「甘いわ!! 」
キョウのンガ・クトゥンが消たのを確認したノーデンスは、再び防御態勢を取り攻撃に備えた、しかし。
「……あれ? 」
予測したキョウからの攻撃が無く、ノーデンスはキョロキョロと左右を見回す。
「あのなぁ、ノーデンス。」
背後からかけれた声に振り向くと、そこには右脚部を上げ、今まさに自分を蹴り飛ばそうとするキョウのンガ・クトゥンが有った。
「何とぉ~!! 」
蹴り飛ばされて、地に転がるノーデンスに、キョウはまだまだ甘いと声をかける。
「ノーデンス、死角も攻撃のタイミングも、一つじゃ無いんだぞ。」
「おのれ、こしゃくなネオンナイト、まだこれからだ! 」
「その意気だ、ノーデンス。来い! 」
二人の戦いが再開する、しかし今度はキョウは回避のみに使っていた後の先を取る機動からも攻撃を織り交ぜ、更にヘブンアンドヘルも様々なタイミングと方向から仕掛け、変幻自在の機動でノーデンスを翻弄する、それも圧倒的な力量差を見せつけるのでは無く、あと少しで! と思わせる絶妙な匙加減で。
この瞬間、ノーデンスは確実にキョウに鍛えられ、格段に実力を上げていった。
そんな事とは露知らず、ノーデンスはがむしゃらにンガ・クトゥンを操り、棍棒を振り回す。
やがて息が上がったノーデンスは、キョウの機体から距離を取り、呼吸を整える。
「おのれ、チョコマカと……」
「どうした、もう終わりか、ノーデンス。」
問いかけるキョウは呼吸を乱すどころか、汗すらかいていない。
ノーデンスは額に浮かぶ玉の汗を拭いながら、余裕の表情を浮かべるキョウを睨みつけて返答する。
「まだまだ、これからよ! 精霊さんの教えを受けたこの俺の、真の力を見せてやる!! 」
そう宣言してノーデンスは目を閉じた、そして機体を操作して構えを取らせる。
「ネオンナイト、貴様は自分から攻撃しない。まず相手に攻撃をさせ、それを回避する事で隙を作り、攻撃に移る。」
「で? 」
「だから俺はもう動かん、貴様のヘラヘラした顔を見ると、手が出そうになるから目も瞑る。」
目を閉じて集中するノーデンスに、マグダラがツッコミを入れる。
「馬鹿ねぇ、目を瞑って、どうやってマスターの動きを知るのよ。」
「ふふん、闇の端女、我に秘策有り。お願いします、精霊さん!! 」
「何やってるの……? アンタ。」
訝しげに聞くマグダラに、ノーデンスは自信満々に答える。
「ヤツの動きは、精霊さんに教えて貰うのさ! さぁ、お願いします、精霊さん!!」
「はぁっ!? 」
呆れた表情を浮かべたマグダラは、子供達の中から姿を消し、キョウの傍らに現れ、苦笑する彼と顔を見合わせた。
キョウはしばらく、目を閉じて「精霊さん、奴はどこですか? 」とブツブツ呟くノーデンスを眺めていたが、やがて大きなため息をつき、無造作にンガ・クトゥンを操りノーデンスに歩み寄った。
途中、作業腕部が握る棍棒に魔力を込める、すると棍棒は大きなハリセンに変化した。
キョウは自分のンガ・クトゥンを、ノーデンスのンガ・クトゥンの傍らに立たせると、ハリセンをゆっくりと大上段に振りかぶる。
「甘い!! 」
キョウが一喝すると同時に、ハリセンが振り下ろされた。
ハリセンはノーデンスの後頭部に炸裂し、彼を操縦席から叩き出し、天高く飛ばす。
「何故ですか〜!? 精霊さ〜ん!? 」
勝負が決し、子供達が歓声を上げてキョウのンガ・クトゥンに駆け寄った。
子供達は口々に、「さすが、キョウ兄ちゃんは強いや。」「キョウお兄ちゃん、恰好いい。」と言いながら、ンガ・クトゥンから降りたキョウを取り囲み、もみくちゃにした。
その中に、一瞬昼間の星となったノーデンスが、叫び声を上げて落下して来た。
その傍らに、ふわふわとマグダラがやって来て、「馬鹿なの? ノーデンス、あなたって本当に馬鹿なの? ノーデンス。」と、言葉の追い撃ちをかけていた。
キョウはようやく上体を起こし、頭を振るノーデンスにアドバイスを送る。
「声に耳を傾けるのと他力本願は違うぞ、ノーデンス。それから君は、戦い方も考え方も単純過ぎる、ラーズとウルから柔軟な発想を学ぶ様に。」
苦虫を噛み潰した表情ではあるが、ノーデンスは潔く負けを認め、キョウの助言を受け入れた。
「うぬぬぬぬ、致し方無い。お前達、誰が一番早く強くなるか、競争だ! 」
「負けないよ! 僕が一番だ! 」
「頑張ろうね、ノーデンスさん。」
「おう、その意気だ! 二人共。がっはっはっは。」
可愛いライバルに破顔するノーデンスに、マグダラが白い目を向ける。
「全く、子供相手に、恥ずかしくないのかしら、この脳筋変熊は。」
「まぁ、そこがノーデンスの良いところさ。」
「甘いですわ、マスター。」
「それよりマグダラ、あれはもう組み上がったんだろ。これだけ出来る様になったんだ、渡してもいいんじゃないかな? 」
「マスターがそう仰るのでしたら……。」
「君に渡す物が有る、ついて来てくれないか、ノーデンス。」
マグダラの首肯を得たキョウは、再びンガ・クトゥンに乗り込み、何処かへ向かって歩き始めた。
子供達も、キョウの後をついて行く。
「おおい、待ってくれ。」
ノーデンスは慌ててンガ・クトゥンに飛び乗り、キョウと子供達の後を追った。
一行はやがて、大きな倉庫の前に到着する。
倉庫の前では、アビィとナイアルラートが仲良く砂遊びをしていた。
「キョウおにいちゃん! 」
「にゃる、がしゃんな! 」
二人はキョウの姿を目にすると、砂遊びを中断して、キョウの元へとかけ向かう、そして彼が機体から飛び降りると、アビィは思い切りジャンプして抱きついた。
「やぁ、アビィ。いい子にしてたかい? 」
キョウは背中に飛びつく格好となったアビィを、そのままおんぶして聞く。
「うん、アビィ、いいこにしてたよ。にゃるちゃんと、こなのおじいちゃんといっしょにあそんでたの。」
「そうか、良かったね、アビィ。ナイアルラート、ありがとう。」
「にゃる、がしゃんな。」
そんな会話に割って入る様に、悲鳴の様な言葉が、誰もいないはずの、砂遊びをしていた場所から響いてきた。
「遅い、待ちかねたぞ、キョウ。」
キョウがその場所に目を遣ると、アビィ達が砂遊びをしていた『砂』が、ひとりでに傍らに有る瓶の中に入って行った。
砂が全部瓶の中に入ると、勝手に蓋が締まり、ふわりと空中に浮かんだ。
瓶は空中をふわふわとキョウの元に飛んで来て、結びつけている革紐を、彼の肩からたすき掛けに通す。
「ふぃ〜、散々な目に逢ったわい。」
「ご苦労さん、イブン・ガジ。」
アビィとナイアルラートが遊んでいた砂らしきものは、イブン・ガジだった。アビィは命の恩人である、『粉のお爺ちゃん』ことイブン・ガジにすっかりなついていた。
「やれやれ、年寄りに子供の相手は酷じゃわい。」
「何言ってるんだ、子供の相手は年寄りの楽しみだろう。それに、カワイコちゃんを紹介しろって言ったのは、イブン・ガジじゃないか。」
「カテゴリーが違うわい!! 儂の言ったカワイコちゃんはこんな幼女じゃのうて、こう、ボイ~ン、キュッ、プリ〜ンとした……」
キョウの言葉に激しく反駁したイブン・ガジは、ここまで言ったところで、涙目で自分を見つめるアビィの視線に気づいた。
「……ヒック、……ヒック、こなのおじいちゃん……、アビィのこと、きらいなの……? 」
目頭をおさえて俯くアビィを慰めながら、ナイアルラートが、イブン・ガジを『メッ! 』と睨む。
幼女の涙に「いや違う、そうじゃなくて」と動揺するイブン・ガジに、キョウとマグダラが追い討ちをかけた。
「ああ、泣かした。」
「最低ですわ、全く。」
周囲の子供達も、ノーデンスも非難の眼差しを向けると、耐えきれなくなったイブン・ガジは、堪らず白旗を上げた。
「分かった分かった! 儂が悪かった〜っ! 儂はアビィちゃんが大好きじゃい!! 」
半ばヤケになって叫ぶイブン・ガジの言葉に、アビィは顔を上げる。
「……ほんとう?」
「ああ、本当じゃ。アビィちゃんを嫌う者なんか居るものか。」
イブン・ガジの言葉にアビィは泣き止むと、大輪のひまわりの笑顔で瓶にキスをして言った。
「アビィも、こなのおじいちゃん、だいすき。」
「ぬはははは〜、そうかそうか〜……」
年がいもなく照れるイブン・ガジに、キョウが冷やかしの茶々を入れる。
「良かったなぁ、イブン・ガジ。」
「うるさいわい!! 」
一同の間に大爆笑が起こる、キョウは楽しそうに笑う一同を引き連れ、倉庫の中へと入って行った。
倉庫の中は格納庫兼工場になっていて、精霊機甲や機動機械等の整備、改装が出来る様になっている。規模は小さいが、内容は一流の工房と比べても遜色しない。
短期間でこれだけの施設を整える財産と経済力を生み出すとは、黄金の蜂蜜の力、おそるべしである。
「あら、キョウ様、お姉様。」
倉庫の中にいた少女が一同に気がついて、声をかけてきた。
少女の名はアリシア・ベタニア、キョウとマージョリーに請われ、黄金の蜂蜜と高級果実の卸売を一手に引き受ける、新生ベタニア商会の女主人である。
いくら黄金の蜂蜜が優れた商品であっても、それを扱う者が愚鈍であれば意味をなさない。短期間で工場一式を軽くひと揃えするほどの利益を上げた、彼女の手腕と才能の程は推して知るべしである。
しかし、彼女の才能はそれだけではなかった。
幼い頃から大伯母であるマグダラに強い憧れを抱き、彼女に近づくために、幼少期から努力を重ねていた。結果、科学知識や本来の意味での闇の魔法は言うに及ばず、精霊機甲の設計、開発、整備に操縦と多才な能力を、器用貧乏とはほど遠い高いレベルで身につけていた。そのおかげでマグダラは、ナイトゴーント改修作業の基本コンセプトをアリシアに丸投げし、キョウが召喚された時に乗って来た、ATD-X心神Ⅱの解析に時間を費やす事が可能になった。
「やぁ、アリシア、邪魔するよ。」
キョウがそう挨拶をすると、目を丸くしてアリシアは駆け寄って答える。
「キョウ様が邪魔なんて有り得ませんわ。アンナ、お茶を用意して。」
アリシアは助手のアンナにそう言いつけると、キョウの手を取りアザトースの前に移動する。
「キョウ様、アザトースとリュミエールの整備は完璧に終わってます。もう我ながら惚れ惚れするほどの出来栄えです、いつでも出発が可能ですよ。」
「うん、いい出来だね、アザトースもリュミエールも喜んでいるよ。ありがとう、アリシア。」
自慢げに胸を張るアリシアに礼を言うキョウの胸からマグダラがすり抜けて顔を出し、二人の間に割って入った。
「アリシア、ナイトゴーントの最終調整は? 」
「はいお姉様、バッチリ完了しています。いつでもお渡し出来ますよ。」
アリシアはそう言って、作業台の上で上体を起こし、シートを掛けられて固定されている精霊機甲を指差した。
マグダラは頷いて、ノーデンスにその機体を示す。
「ノーデンス、あなたの新しいナイトゴーントよ。」
「これが……、俺の……。」
マグダラとアリシアに示されたその機体は、シート越しでも圧倒的な力強さと存在感を発散している。
新しい愛機に歩み寄るノーデンスに、自慢気にマグダラが機体の説明を始めた。
「このナイトゴーントは、パーツこそ今の物で組み立てているけど、製法は開発当時の方法で組み上げたのよ。パーツ一つ一つに祈りを込め、組み立てる一ネジ毎に魔力を込め、搭乗者の無事を祈り、平和をもたらす機体となることを願って作り上げたのよ。イェグ=ハもそれを受け入れてくれて、元のナイトゴーントは全く別物に仕上がってるわ、心して使うのよ、ノーデンス。」
「組み立てのは、私と子供達ですわよ、お姉様。」
マグダラの説明に、アリシアが口を挟むが、新しいナイトゴーントに心奪われたノーデンスの耳には入らない。彼は二人の言葉に生返事を返しながら、機体を覆うシートに手をかけた。
「さぁ、早く見てみろよ、ノーデンス。」
キョウに促され、ゴクリと生唾を飲み込んだノーデンスは、思い切り両手に力を込め、シートを引っ張り、新たなるナイトゴーントと対面し、予想外のその姿に驚愕の叫び声をあげた。
「何だ! こりゃあ!! 」
口をあんぐりと開け、石の様に固まったノーデンスの隣で、キョウは感に堪えぬといった声で、賛賞の呟きを漏らす。
「凄い機体だ……、素晴らしい。」
意外な言葉に、思わず「へっ? 」と、点になった目でノーデンスはキョウの横顔を見た。
マグダラがキョウの感嘆の言葉を受け、上機嫌で機体の説を続ける。
「魔導炉の出力は、通常のナイトゴーントに比べて二百五十パーセント増で、それを受け止めるフレームも魔力補強を施し、充分な強度を確保しています。機動力は前の物とは比較になりません。ですが、何と言ってもこの機体の特徴は、外装にあります。」
「やっぱり? 」
ノーデンスのために改造された機体は、研ぎ澄まされたナイフの様だと形容された、従来のナイトゴーントとは似つかない、球形や曲面を多用した、丸みをおびたデザインとなっていた。
「はい、避弾、避刃、避魔導経始を考慮したデザインに加え、装甲には入念な対魔導コーティングを施しました。もう、前の戦いの様な事はありません。」
ノーデンスは前のダンウィッチ攻防戦で、アーミティッジ枢機卿の奸計と魔導攻撃で
その経験からこの機体は、頼もしい相棒として大いに期待出来る筈なのだが、ノーデンスは素直に喜んで、受け取るのには大きな抵抗があった。
理由は、マグダラが強調したデザインに有る、邪神ナイトゴーントを模した、八頭身の精悍な機体が、今やその名残りすら存在しない。
デザインの変更を訴えるべく、口を開こうとしたノーデンスの機先を制し、マグダラが言葉を続けた。
「では、デザイン主任のアビィちゃんに、この機体の名前を発表していただきます。どうぞ。」
マグダラに促され、アビィはノーデンスを見上げ、元気良く嬉しそうに、彼の新しい機体の名前を告げる。
「クマちゃん! 」
この子には敵わない、道理で契約精霊イェグ=ハがノリノリで受け入れた訳だ……。
ノーデンスは自分の中の何かを捨てて、新しい機体を受領する事にした。
アリシアに命じられたお茶の仕度を終え、人数分のティーセットを載せたワゴンを押し、この場に戻ったアンナが見た光景は、四頭身の可愛らしいぬいぐるみの熊の様なデザインの精霊機甲、ナイトゴーントハイパーボリアカスタム『クマちゃん』を前に、放心状態で真っ白になって佇むノーデンスの姿であった。
マージョリーとノーデンスが真っ白になって固まっていたその頃、白騎士教団ミスカトニック管区サイクラノーシュ教会の地下牢から、一人の囚人が引き出されていた。
「たった今、新任の枢機卿が赴任されました。早速聴取を行いたいとのご意向です、お出になって下さい。」
「うむ、承知した。」
獄吏が跪いて、恭しく告げると、牢内の囚人は鷹揚に応えて立ち上がった。
開かれた監獄の扉から囚人が出ると、獄吏と護送役の僧兵が三歩下がって囚人に拝跪する。この礼は、ルルイエ世界では、最上級の敬意を表す礼である。
囚人は軽く苦笑いをし、彼等の礼を受けた。
「よい、今の私は只のの囚人だ、君達がその様な礼をしてはいけない。」
「しかし、我等にとって貴方様は……」
いわれなき屈辱を耐える様に、涙ながらに言葉を吐き出す僧兵達に、これ以上話させてはいけないと感じた囚人は、爽やかな笑みを浮かべて彼等の言を遮った。
「では、新任の枢機卿の下へ参ろうか。連れて行ってくれ給え。」
護送役の僧兵達は、囚人の心情を察し、なお一層深い礼をした。
「はい、かしこまりました、ハスタァ僧正。」
汚らしい囚人服を身に纏い、手枷に腰縄姿のハスタァを、断腸の念でビヤーキー隊隊員が引率して行った。
ハスタァは、ダンウィッチ攻防戦の事後処理を終えると、自ら地下牢に赴き、囚人服に着替え腰縄を打ち、手枷をはめて縛(いまし)めの身となった。
理由はダンウィッチ攻防戦において、アーミティッジ枢機卿と野盗共の奸計にはまり、崩壊寸前となった自警団とビヤーキー隊の士気を鼓舞する為に飛ばした激の内容である。
如何なる理由があろうと、白騎士教団に籍を置く身でありながら、不倶戴天のネオンナイトを頼り、賞賛すると取られても反論の出来ない発言をした事。
そして、いくらアーミティッジ枢機卿に非は有れど、これをかのネオンナイトと共に討ち果たした事。
この二つの事実は、ネオンナイトと共謀し、白騎士教団に弓を引く背教行為に当たる。
よって、ハスタァは自らを背教の囚人と裁き、新たに赴任する枢機卿の裁下を仰ぐべく、進んで獄中の人となった。
ビヤーキー隊の面々も、ハスタァに倣い自らに縄を打とうとしたが、命令を下された者には責任を負う義務は無く、命令を下した者のみが責任を負わなければならないという原則を基に、これを許さなかった。
どうしても共に縄目を頂戴したいと申し出た者も多数存在したが、彼等にハスタァはこう言って諭した。
「良き指揮官は、部下に明瞭な指示を与え、如何なる結果になろうとも、責任は自身が取るものである。成果ならば部下と分かち合えるが、道連れに責任を負わせる事は決してしない。諸君、私は諸君等にとって、どのような指揮官だっただろうか? 」
敬愛するハスタァに、この上指揮官失格の汚名を着せる事は出来ない。彼等は涙を飲んで、ハスタァの言葉に従った。
「うっ……」
ビヤーキー隊は真っ暗な地下牢から、急に明るい陽の光の下に出て目が眩むハスタァを労りながら、新たな枢機卿の執務室に向かい、ゆっくりと歩を進める。途中、噴水のある中庭にさしかかった所で、彼等を異変が襲った。季節外れのブリザードが彼等の足下に吹き荒れ、瞬時に凍りつかせて地面に縫いつけ、行動の自由を奪う。
「これは一体……!? 」
「みんな、周りに注意するんだ! 」
「ハスタァ僧正、無事ですか!? ハスタァ僧正をお守りするんだ! 」
突然の魔導攻撃に、ビヤーキー隊は、弱っているハスタァを守る為に、周囲を警戒して見回した。
「わはははははははは……」
警戒するビヤーキー隊の頭上から、いきなり高笑いの声が響きわたる、一同が目を向けると、塀の上に僧衣の怪人物が太陽光を背にし、腰に手を当てて胸を反らして笑っている。風貌は逆光のため、かなり大柄だという事以確認出来ない。
「とうっ!!」
怪人物は掛け声と共に塀の上からジャンプする。
巨体とは思えない、軽やかな動きで空中前転を決め、さらに一回半捻りを入れると、ハスタァに見事な空中飛び蹴りを浴びせた。
「なんとっ!! 」
「ハスタァ僧正!! 」
怪人物の蹴りをまともに受けたハスタァは、腰縄と手枷のせいで受け身を取れず、為すすべもなく噴水の中へと飛ばされる。身を拘束する縛(いまし)めのせいで自由の利かないハスタァは、水の中でもがきながらも、やっとの思いで噴水の外縁に手を掛けて立ち上がり、なんとか噴水の外に這い出る事に成功する。
「全く、何なんだ……、一体……。おわっ! 」
ずぶ濡れのハスタァの前に、壁の様に怪人物が立ちふさがる。
「わはははははははは!! どうだね、私の空中前転一回半捻り蹴りの威力は、それっ!! 」
「どわっ!! 」
怪人物は高笑いしながら、再びハスタァを噴水の中に叩き込んだ。再び必死に噴水から這い出るハスタァ。更に再び高笑いしながらハスタァを噴水に突き落とす怪人物、そして更に再び這い出るハスタァ。
怪人物とハスタァの、この一連の攻防は一ハウア(我々の時間に換算して約一時間)に渡り続けられ、最後は本気で笑い転げ始めた怪人物の隙を突き、ハスタァが噴水の外に脱出する事に成功した。
「あーっはっはっは、いぃーっひっひっひ、ひぃーっ、ひぃーっ、可笑し〜い。」
「一体何なんだ!? あんたは!? 」
ハスタァが、笑い転げる怪人物に、声を荒らげて問い詰める。すると怪人物は、今までの態度とは打って変わって、真剣な表情でハスタァに聞き返す。
「私かね? 」
「そうだ、あんただ。」
憮然として聞き返すハスタァに、怪人物はすまし顔で答えた。
「私はアーミティッジ元枢機卿の後任で、本日付でこのサイクラノーシュ教会の責任者を拝命した、オズ・ボーン枢機卿です。以後、お見知りおきを、ハスタァ君。」
目の前の怪人物が新任の枢機卿と知り、腰を抜かして言葉を失うハスタァ及び、ビヤーキー隊一同。
そんな彼等を
「しかし、君達一体そんな格好で何をやっているのですか? 特にハスタァ君、これから新任の上司と面会するというというのに、そんな汚らしいずぶ濡れの格好で………、常識を弁えているのですか? 」
汚らしい格好は兎も角、ずぶ濡れにしたのはあんたでしょう。という一言を辛うじて飲み下し、事の経緯を説明する。
ハスタァの説明を聞いたオズ・ボーン枢機卿は、ありありと呆れた表情を浮かべ、大きなため息をついた。
「なんとまぁ、兎に角風呂に入って身を清め、正装をして来なさい。話しはそれからです、ハスタァ君。君、臭いますよ。」
「しかし、オズ・ボーン枢機卿、私は罪人です、正式な裁きを受けなければ、示しがつきません。」
食い下がるハスタァに、オズ・ボーン枢機卿は煩さそうに顔をしかめると、「ていっ! 」という掛け声をあげて、ハスタァの眉間にデコピンを食らわせた。
デコピンを食らったハスタァは、その場で一回転して倒れ伏すと、急にガタガタと震えだした。急激に体温が下がり、猛烈な寒気がハスタァを襲う。
「さて、ビヤーキー隊諸君、すまんが、この分からず屋を風呂に入れて、正装させて来てはくれまいか。ああ、そうそう、香を焚くのも忘れないでくれたまえ。ちなみに今彼を襲っている寒気は、風呂で充分温めれば消えるので心配無用。では、私は執務室で待っています、以上。」
オズ・ボーン枢機卿がそう言って立ち去ると、ビヤーキー隊の足を地面に縫いつけていた氷が一瞬で昇華した。
行動の自由を回復したビヤーキー隊一同は、喜び勇んでハスタァを担ぎ上げ、浴室に向かって駆け出した。
そうだ、思い出した。オズ・ボーン枢機卿、ブリザード・オブ・オズの異名を持つ、氷系魔導戦のスペシャリスト。精霊機甲パラノイドで、数々の野盗を屠り、武勲をあげた最強クラスの
ビヤーキー隊の軽い足取りとは対照的に、彼等の肩の上で以上の事を考えていたハスタァの気持ちは、名状しがたい未来への不安で重く沈んでいた。
無理矢理の入浴を終え、身なりを整えたハスタァは、オズ・ボーン枢機卿の執務室を訪ね、中に入って驚愕する。そこには、溢れんばかりの邪神法具の山が存在していた、ちょっとしたザバトの宴なら、すぐにも開けそうな感じである。だが、それ以上に驚いたのは、部屋の主の姿である。
「ようこそ、私の執務室へ。ハスタァ君。」
そう言って、フレンドリーに右手を差し出したオズ・ボーン枢機卿の手のひら、甲には魔法陣を描いたタトゥーがびっしりと彫られている。
手だけではない、マントを脱いで、ノースリーブの戦闘法衣姿となった彼の、皮膚の露出した部分全てにタトゥーが彫られている、恐らく顔以外の全身に彫られているのだろう。
初対面での事もあり、どう対応すべきか戸惑うハスタァが、躊躇いがちにその手を握る。
オズ・ボーン枢機卿は、その手を上下に大きく揺らしながら自己紹介を続けた。
「改めて、私が新任のオズ・ボーン、破戒僧だ。以後、宜しく頼むよ、ああ、かけてくれたまえ。」
ハスタァは言われるままに、執務机の対面に置かれた木の椅子に座ろうとした。
「そっちじゃない、こちらに。」
オズ・ボーン枢機卿は、自らも豪奢というよりは不気味な応接用のソファーに腰を下ろし、ハスタァにはテーブル越しの対面に設置されたソファーに座るように勧める。
「では、失礼します。」
「何か飲むかね? 遠慮はいらんよ。」
ハスタァが座ると、オズ・ボーン枢機卿は相好を崩して飲み物を勧めながら、グラスを二つ用意して立ち上がり、ソファーのクッションを取り外す、そして中に隠してあった大きな酒瓶をテーブルに置くと、クッションを元に戻し座り直す。
「今巷で騒がれている、何とかいう孤児院で採れた黄金の蜂蜜から作った、黄金の蜂蜜酒だ。まだまだ若い酒だが、それだけに軽い飲み口で、スッキリしたのどごしを楽しめる、君もどうだね? 」
「いえ、まだ陽が高いので、私は。」
白騎士教団は飲酒自体を禁じてはいない、だが、戒律で日中及び日をまたいで、そして連日の飲酒、更に教団施設内での飲酒を禁じていた。戒律通りの反応を示したハスタァに、オズ・ボーン枢機卿は心の底から残念そうな顔を向け、大きなため息をついてから従卒に声をかける。
「なんだ、残念だな。ランディ君、ハスタァ君に水と毒以外の何かを出してくれたまえ。」
「枢機卿、枢機卿の持つ液体で、水と毒以外の物といえば、酒かミサで使う毒霧用のツァトゥグアの生き血しか有りませんが? 」
目の前の怪人の従卒には全く似つかわしくない、貴公子然とした男、ランディが典雅な物腰でそう答えた。
すると、一瞬思案顔を浮かべたオズ・ボーン枢機卿と、その表情に危険以上の災厄を読み取ったハスタァが同時に口を開く。
「では、ツァトゥグアの……」
「水で結構です!! 」
睨める様に見下ろすオズ・ボーン枢機卿の視線と、守るべき一線を背に、必死に見上げるハスタァの視線がぶつかり、激しく火花を散らした。
「……だそうだ。」
「かしこまりました。」
ランディは典雅な動作でグラスに水を注いだ後、優雅に頭を下げて退出する。それを見送ったオズ・ボーン枢機卿は、自分のグラスを一口舐めてから話を切り出す。
「ハスタァ君、君は資料に書いてある通りの堅物だねぇ。つまらない、実につまらない。君は生真面目だ、生真面目過ぎるほどに生真面目だ、個人の資質ならば立派なものだが、人の上に立つ者は、それだけではいけない。むしろ、過ぎた生真面目さは、それだけで害悪になりかねん。」
「それは、どういう事でしょうか? 」
ハスタァは、自分の取り柄は生真面目さだと思っていた、時折キョウやディオの親爺から揶揄される事はあっても、非難された事は無い。しかし、目の前に座る男は、真っ向から否定してきた。こんな事は初めてである、ハスタァは気分を害するよりも、好奇心が先にたった。
「部下を危険に晒すからだよ。考えてもみたまえ、君は今回の一件で、どれほど部下を傷つけ、悲しませたのか、君は地下牢になんか籠らずに、普通に執務を行いながら、私を待っていれば良かったのさ、まぁ、どうしてもというなら、謹慎程度で済ませるべきだったな。」
オズ・ボーン枢機卿は一旦言葉を区切り、黄金の蜂蜜酒で唇を湿らせて喉を潤す。そして、ハスタァの目を見据えて話を再開した、その目は破戒僧と自嘲する者のそれでは無かった。
「戦闘記録を見たよ、アーミティッジの奸計にしてやられ、士気回復の為に飛ばした檄が、ネオンナイトを称賛して当てにするものだったそうだね? 」
「はい、その通りです。」
「そして、それを罪として地下牢に籠った。その際、部下を不問にし、全ての責任を背負った、間違い無いね? 」
「はい、間違いありません。」
ハスタァの返事を聞いたオズ・ボーン枢機卿は、大きなため息をついて天を仰いだ。
「君、それは最悪の悪手だよ、部下の立場で考えてみたまえ、自分達の不甲斐なさで、敬愛する隊長を牢に送った事になるんだぜ。その上その罪を償う機会すら取り上げられたら、ビヤーキー隊の諸君は立つ瀬がないだろう、違うかね? 」
ハスタァの顔色が変わった、オズ・ボーン枢機卿は話を続ける。
「ビヤーキー隊の諸君は、次の任務では、君に失敗させまいと、今まで以上の精励ぶりを見せるだろう、命も惜しまずにね。果たして、これは正しい事だろうか? 否、我々は上司の名誉の為に任務を果たすのではない、救いを必要とする者の為に任務を果たすのだ。仮に命を落とした場合、間違った目的の為に命を落とした事になります、浮かばれませんね。」
ハスタァは悔恨の表情を浮かべ、身を震わせながら、オズ・ボーン枢機卿の話に聞き入っていた。
「行き過ぎた生真面目さは、組織や部下の道を誤らせる原因になりかねない。組織を束ねる立場の者は、締める所、抜く所をしっかり見極めて、清濁あわせ飲む度量が求められるのです。分かりますか?」
「私が浅はかでした……」
オズ・ボーン枢機卿は、忸怩たる想いにがっくりと項垂れるハスタァに厳かな口調で提案する。
「破戒するかね? 」
ハスタァが顔を上げると、その鼻先に黄金の蜂蜜酒をなみなみと注いだグラスを掲げ、会心の悪戯を決めた子供の様な目で含み笑いをする、オズ・ボーン枢機卿の顔があった。
「いえ! 結構です! 」
驚いて飛び退くハスタァを、オズ・ボーン枢機卿は笑いながら見下ろす。
「なんだ、残念だな、君は立派な破戒僧になれる素質があるのに。さて、話は変わるがハスタァ君、実はアーミティッジ元枢機卿の事だがね、君の報告にあった通り、完全に邪法に染まっていたね。」
オズ・ボーン枢機卿は話題を変え、アーミティッジ元枢機卿について話し始めた。
「狂気山脈の教団施設を根城にして、好き放題やっていた様子でね、施設の一部を隠れ家として野盗に貸し与えたり、娘狩りを指示して、狩り集めた娘達を、マリア病克服の為といって人体実験もしていたよ。調査隊が被害者の生き残りを数名発見してね、保護したそうだよ。」
ハスタァは話しを聞いて、顔をしかめる。
「その他にも、君の報告を裏付ける証拠が、狂気山脈からゾロゾロ見つかってね、アーミティッジは破門が決定したよ。ま、酌量の余地も無い、当然の処置だ。そんな訳で、君には何の落ち度は無い、地下牢には籠り損だったな。所でハスタァ司祭、折り入って、君に相談があるのだが……。」
「あの、自分は僧正ですが、枢機卿…… 」
相談の内容も気になる所だが、注意されたとて、生来の生真面目さは急には直らない、 ハスタァは律儀にも間違いを正すが、オズ・ボーン枢機卿は無視して話しを続ける。
「君の懇意にしている女性騎士の、マージョリー・リュミエール・アイオミ嬢の事なんだが……、彼女はこの度、マリア病から世界を救う旅に出るそうだね? 」
「はい、まずはセラエノに向かう様ですが…… 」
何だろう、まさかアーミティッジ枢機卿の様に、殺せと言うのでは無かろうな!?
「君、同行して、彼女を守ってあげては貰えんだろうか? 」
予想外の言葉に、ハスタァは目を丸くしてオズ・ボーン枢機卿を見つめる。
「実は彼女は私の盟友の、今は亡きトニー・リュミエール・アイオミの娘なんだ、彼女にもしもの事が有ったら、私は彼に顔向けできん。今回の娘狩りも、気が気じゃなかったのだよ。」
その言葉に安堵したハスタァは、彼にしか浮かべる事の出来ない爽やかな笑みをオズ・ボーン枢機卿に向けて、胸を張る。
「お安い御用です、お任せ下さい、オズ・ボーン枢機卿。」
「おおっ! 有難い! マージ子ちゃんは、私にとって姪っ子同然なんだ! いや、良かった! 断られたら、どうしようと思っていたんだ。おや、グラスが空じゃないか!? おーい、ランディ君、ハスタァ司祭にツァトゥグアの……」
「水で結構です!! 」
再びランディが現れ、典雅な動作で空いたグラスに水を注ぐ、その傍らでオズ・ボーン枢機卿は、もう一つの頼み事をハスタァに切り出した。
「ハスタァ司祭、頼まれついでに、もう一つ頼まれて欲しいのだか……」
「何でしょうか、枢機卿? 」
「マージ子ちゃんの所に、男が一人居座っているだろう、名前は確か……アイ……、アイ……ザ、アイ~ン……」
「キョウ殿の事でしょうか? 」
「そう、それ、そいつ。いや、異世界人の名前は発音がしにくくて困る。」
ハスタァの心の中に、再び警鐘が鳴り響く。
「キョウ殿が、何か? 」
「彼を、我等が白騎士教団に入信させなさい。」
常に自分の予想の斜め上を行く、オズ・ボーン枢機卿の顔を、ハスタァは驚きの表情でまじまじと見つめた。
「彼は四代目ネオンナイトを名乗り、この世界に闇と渾沌をもたらすと言いながら、やっている事は野盗の退治、我が教団に弓引くといっても、実際は膿出しに協力してくれた様な物だ。お陰でンガイの森周辺の治安は、飛躍的に上昇している。」
確かにその通り、アザトースと契約する時、彼は「世界を敵に回さなければならない」と言っていたが、実際にはその後そんな気配は全く無い。
「その為、周辺住民の人気も高く、そして君が心の師と仰ぐネオンナイトが、白騎士教団に帰依し、マージ子ちゃんと一緒にマリア病から世界を解放したら、教団は更なる発展を遂げられる、どうだね? 」
ハスタァが求めていた、ネオンナイトと白騎士教団の間の上手い落としどころ。
それを示されたハスタァは、気色ばんで答えた。
「はい、その役目、是非このハスタァにお任せ下さい。」
「では、ハスタァ君、君は今から僧正から司祭に昇進する。そして機動司祭として治安維持から最も危険な場所での布教活動へと、その職務の移動を命じる。」
「確かに、承りました。」
跪いて答えるハスタァに、オズ・ボーン枢機卿は、古びた革製の大きなアタッシュケースを差し出す。
「私からの昇進祝いと餞別だ、精霊機甲の完全手動操縦の方法を刻んだ陶片が入っている、役に立てると良い。」
白騎士教団戦闘僧伽最終奥義、近衛十二騎衆以外門外不出の秘伝書を渡されたハスタァは、新たな使命の重さと、それに伴うオズ・ボーン枢機卿の期待の大きさに気を引き締めた。
「では私は、直ちに出立の準備を……」
腰を上げようとしたハスタァを、オズ・ボーン枢機卿が引き止めた。
「まぁ、待ちなさい、もう少し付き合って行きたまえ。我々は今後の職務を全うするにあたり、単なる上司と部下といった枠を越えて理解し合う必要がある、もう少し位話しをしようではないか。」
その提案を、無下に断る理由の無いハスタァはそれを受け入れ、再びソファーに腰を落ち着けた。
話は他愛ない世間話から始まったが、互いに腕の立つ戦闘僧伽同士、話題はすぐに精霊機甲の操縦及び戦闘の事に変わる。
ハスタァは前のダンウィッチ攻防戦での自分自身の立ち回りや、狂戦士(バーサーカー)化したノーデンスへの対処法等反省点を、どう対応すべきだったのかアドバイスを求めた。
オズ・ボーン枢機卿はそれに対し、自分の過去の体験談や失敗談を元に話して聞かせた。
ハスタァにとっては、痒いところに手が届く回答に。オズ・ボーン枢機卿にとっては、打てば響く理解力に、互いに引き込まれ、二人の話は段々と熱を帯びていった。
額と膝を突き合わせて、身振り手振りを交え、熱く語り合う二人は、いつしか時が経つのを忘れていた、そして……。
夜が更けて、さらに時が経ち、東の空が白むのを窓の外に眺めながら、ハスタァはどうして自分はここにいるのだろうと、自問自答していた。
「聞いてくれたまえ、ハスタァ君、最近娘が冷たいんだ。先日私がリビングで寛いでいたら、『お父さん、私タトゥー入れたから。』って……。私がたしなめたら、『お父さんだって、全身に入れているんだから、別にちょっと位いいじゃない。』と言って、話の途中で出て行ってしまったんだよ……。私が昔、初めてのミサに箔をつけるためにタトゥーを入れた時、金と時間が無くて、怪しげな店で入れたら感染症で死ぬ思いをしたというのに、あの子ときたら……。やはり前のミサの時、祭壇に投げ込まれたコウモリの首を噛みちぎったのがいけなかったのだろうか……。どう思う、ハスタァ君……」
これで何回目だろうか? へべれけになったオズ・ボーン枢機卿は、壊れたオルゴールの様に、何度も同じ家族の愚痴を、涙ながらに話していた。
燃え尽きた様に、真っ白になって佇むハスタァの前で……。
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