1-3-5狂気山脈①
イブン・ガジが幽閉されているという、狂気山脈の白騎士教団の修行施設には目立った建築物は無い。山々自体が修行の為の道場で、修行僧の宿泊施設や管理事務所は、洞窟等を利用して建てられ、人の手は最小限しか加えられていない。険しい山道と孤独に耐え、自分の心の中の狂気を制し、救世の聖女を支えた白騎士の境地に近づく。
表向きにはそんな目的で建設されたこの修行施設に、今、修行僧以外の人物が足を踏み入れていた。
遁甲盤を頼りに、人目を避ける様に木々の影から影を伝い、施設の奥に向かい進むのは、白騎士教団がB級賞金首と定めた不倶戴天の敵。ネオンナイトの称号を持つ機械魔導師にして聖霊騎士、キョウである。
お供のナイアルラートが肩の上で見張りをしていたが、やがて退屈そうに大きな欠伸をした。キョウがそれに気が付きクスリと笑うと、ナイアルラートはハッとして見張りを再開するが、すぐにうつらうつらと鼻から提灯を膨らませ、舟を漕ぎ始めた。
「無理しなくていいよ、ナイアルラート。」
キョウの言葉に、パチンと提灯を破裂させたナイアルラートは、ブンブンと頭を振り睡魔を追いやる。そして肩の上から遁甲盤の上に移動して四つん這いになり、小手をかざして目を凝らし、見張りを開始するが、睡魔に負けてだんだん頭の位置が下がっていき、遂にお尻を高く上げたうつ伏せの姿勢で眠ってしまう。
「だから無理するなって。」
キョウがナイアルラートの小さなお尻を、人差し指で突っついてそう言うと、彼女はお尻を両手で押さえながら抗議の視線を彼に向けた。そして小さな手で、ポカポカと彼の頭を叩き出す。
「ゴメンゴメン、悪かったよ、ナイアルラート。」
ナイアルラートは手の平で頭を庇い、笑顔で謝罪するキョウに、身体全体を使った大きな動作でベエッと舌を出し、勢いよくクルリと背中を向けた。
そしてチラリと振り返ると、先ほどとは打って変わって厳しい表情のキョウがいた。
本気で怒らせたと勘違いをして、わたわたと慌てるナイアルラート。
「静かに、誰か来る!」
鋭く言ったキョウは、素早くナイアルラートを懐に抱え、闇の中に姿を消した。
足早に、野盗とおぼしき人物が、施設の奥に駆け込んで行く。
「妙だな……」
闇の中からその姿を認めたキョウは、顎に手を添えて首を傾げた。懐からそれを見上げたナイアルラートは、真似をして同じ様に首を傾げる。
キョウが施設に忍び込んでから、教団関係者を一度も目にしていなかった。
今の様に野盗の仲間らしき人物と、うずくまる様な姿勢で、よろよろと身体を左右に揺すりながら歩く、奇怪な風貌の人物の二通りであった。
やはり白騎士教団と野盗には、何らかの繋がりが有るのだろうか? それに、あの奇怪な風貌の人達も気になる。そう考えたキョウは、野盗の後をつけることにした。
野盗の影に潜み後をつけると、他の洞窟とは明らかに違い、歩きやすい様に整地した地面と、壁面には照明用のトーチに灯をともした、高位の僧侶の宿泊施設とおぼしき洞窟の奥に入って行った。
洞窟の奥というには、かなり手前の地点に、豪奢な造りの壁と扉が建てられていた。
「お頭、報告でやす。」
野盗が声をかけると、扉が中から開かれた。
中に入る野盗の影に潜んでいるキョウも、そのまま一緒に中に忍び込んだ。
「申し訳ありやせんお頭、また失敗だそうです。」
野盗は中に入ると、豪奢な椅子にふんぞり返って腰掛ける、派手な身なりの男の前に跪いて報告した。
「ふん、これで三回目か。まぁ良い、俺も簡単に行くは思っちゃいねぇ。」
お頭と呼ばれた男は、ニヤリと笑って言葉を続ける。
「まだアーミティッジの旦那の用意した切り札がある、旦那の指示があるまでは我慢だ、それまでは連中を疲れさせれば上出来よ。なぁに、まだ夜は永げぇ。」
舌なめずりする様に話すお頭の言葉の中に、アーミティッジ枢機卿の名前が出たのを、影の中で耳をそばだてるキョウは聞き逃さなかった。
「やっぱり野盗の白騎士教団は裏で繋がっていたんだ、マージの言った通りだ。」
キョウは以前マージョリーから聞いた、娘狩りの体験談に出てきた、白銀の甲冑の男の事を思い出す。
「おい、誰かいないか!酒と食い物を持って来い!」
お頭が奥に向かって怒鳴ると、しばらくして盆を抱えた人物がよろよろとやって来た。
この修行施設に忍び込んでから何度か見かけた、あのうずくまる様に歩いていた者達と同類の人物。
この人物を、至近距離で正面から初めて見たキョウは、その余りの異形ぶりに驚いた。
「ナイアルラート、あんな人達って、ルルイエには沢山いるの? 」
「にゃるにゃるにゃるにゃる!」
キョウの問いに、ナイアルラートは全力で首を左右に振って否定する。
「だろうね……。」
キョウは視線をその人物に戻し、注意深くその風貌を観察する。
幅の狭い頭の形、のっぺりと扁平した顔に離れた目、低い鼻梁、貧弱な額と顎、小さな耳、両側の肉が垂れて皺になった首、顔や腕の皮膚は皮膚病の様に荒れていて、まるで鱗の様にひび割れていた。
特にキョウが奇異に感じたのはその目だった、丸く見開いた目には、
その瞳がキョウの心に鋭く突き刺さった。
そんな印象をキョウに与えたこの異形な人物は、何か粗相をしたのかお頭の怒りを買った様だ、お頭はしきりに異形の人物を罵り、暴力を振るう。
「この醜い出来損ない!何度言えば分かるんだ!このウスノロ!」
倒れ込んだ異形の人物を口汚く罵りながら、なおも足蹴にする。
「酷いな……」
キョウは無抵抗の者に対し、一方的に振るうお頭の暴力に激しい嫌悪感を感じ、少し悪戯する事に決めた。忍び込む影を伝令の野盗からお頭の影に変えて飛び移る、そしてその影を操作してお頭を転倒させた。
「どわっ!」
「大丈夫でやすかい、お頭。」
伝令の男に助け起こされたお頭は、不思議そうに辺りを見回すが、自分を転倒させた物を見つける事が出来なかった。
代わりに視界に入った異形の人物を、腹いせにもう一度足蹴にしようとしたが、またしてもキョウに影を操作され、派手に蹴り足を空振りさせられて無様に転倒した。お頭は倒れた姿勢から上体を起こし、異形の人物を忌々しそうに見つめ、怒鳴りつける。
「もういい!アッチへ行け!すっこんでいろ、この気持ちの悪い出来損ないの化け物め!」
異形の者はしばらくお頭の影を見つめ、頭を下げて立ち去った。
「何を騒いでいるのですか、ウォーラン。」
扉が開き、中に入って来た男は、キョウが忍び込んでから初めて見る白騎士教団関係者で、見覚えのある男だった。
「こいつはアーミティッジの旦那。」
「枢機卿と呼べ。」
肩にペットのシャンタック鳥を乗せたアーミティッジは、渋い顔でウォーランをたしなめる。
「こいつはすいやせん、上品な言葉には不馴れでして。」
「で、戦況はどうなっていますか? 」
おもねる様に話すウォーランに構わず、アーミティッジは娘狩りの戦況を尋ねる。
二人の会話から今回の娘狩り、ダンウィッチ襲撃には白騎士教団の意志が働いている事を知ったキョウは、更に真相を詳しく知るべく耳を澄ました。
「三度仕掛けて失敗しやした。枢機卿、そろそろ切り札ってヤツを切っちゃ貰えやせんか。」
ウォーランの言葉に少し考える素振りを見せたアーミティッジは、視線をウォーランの影に向けて答える。
「そうですね、罠とは知らずに鼠が餌に飛びついた様ですし、鼠狩りが済んだら切るとしましょう。」
そう言い終わったアーミティッジは、手にする杖をウォーランの影に突き立てた。
杖が影に刺さる直前、中からキョウが飛び出し、距離を取って対峙する。
「だっ、誰だ!」
狼狽するウォーランとは対照的に、余裕の薄笑いを浮かべてアーミティッジが口を開く。
「ようこそ、ネオンナイト。バルザイのシミターという餌に釣られてノコノコやって来るとは、此度のネオンナイトは大した事は無い様ですね。」
「お邪魔してるよ、さそり道人。いや、実に面白い事実を掴ませて貰ったよ、有難い。」
悪びれる事無く、瓢然と人を食った態度でキョウは応じた。
「ふふふ、口は達者の様ですね。ところで、さそり道人とは私の事ですか? 」
「ああ、マンモスコングと呼ぶには線が細いからな。ま、聖職者の皮を被った腐れ外道にはぴったりの呼び名だろ。」
ネオンナイトの出現に目を剥いたウォーランは、大声で手下を呼び出した。
「おい、誰か来い!賊だ、賊が侵入したぞ!早く取り押さえろ!」
「賊に賊呼ばわりされるとは心外な。」
余裕の軽口を叩くキョウの周りを、ウォーランの手下達が取り囲む。
「野郎共!やっちまえ!」
ベタな悪役そのもののウォーランの号令で、手下共は一斉にキョウに襲いかかる。
しかし、ベタな悪役の手下は、ベタな悪役の手下でしかなかった、彼らは数の優位を生かす事無く、累累と屍の山を築いて行った。
「おい、何をやっている!相手は一人だぞ!」
「だったらお前が相手をしろよ、ウォーラン。」
手下共の不甲斐なさに苛立つウォーランに、キョウは軽口を叩いて、人懐っこい笑顔を浮かべて歩み寄る。二人の間に群がる手下共は、壁の役割さえ果たせなかった。
「ヒイッ!」
手下共を薙ぎ倒し、笑顔で近づいて来るキョウに、底知れぬ恐怖を感じたウォーランは、その場で腰を抜かして後ずさる。
「流石にネオンナイトですね、では私が相手をしましょう。」
二人の間にアーミティッジが割って入ると、意味不明な悲鳴をあげてウォーランが四つん這いで逃げて行く。
アーミティッジは杖を構えた、キョウも檜扇を抜いて応じる。
二人はしばし対峙して睨み合う、緊迫した空気が室内に満ちた。
「タクヒ、やりなさい。」
先に動いたのはアーミティッジの方だった、彼は肩のシャンタック鳥のタクヒに指示を出す。タクヒはそれに応じて翼を大きく広げると、赤い瞳を輝かせて不気味に囀ずった。
テケリ・リ テケリ・リ テケリ・リ テケリ・リ
タクヒの囀ずりを合図にしたかの様に、倒れていた手下共がむくりと立ち上がり、生気の無い赤い瞳を輝かせ、キョウに襲いかかる。
キョウは舞う様に彼らの攻撃を避け、檜扇で一撃を加える、すると手下共はスライムの様に溶けて、床に崩れ落ちて行った。
全ての手下共を倒したキョウは檜扇を構え、アーミティッジに一撃を加える為に懐に飛び込む。
キョウが檜扇の一撃を加えようとした刹那、アーミティッジとの間に、スライムの壁が立ちはだかった。
「何っ!」
スライムはキョウを包み込み、ぶよぶよと激しく蠢いた。
動きがやや収まると、スライムの中からキョウが頭を出した。
「ほほほほほ、無様ですね、ネオンナイト。」
「妖蛆の秘密は、邪法として禁じているんじゃないのかい? 」
不気味な笑みを浮かべて勝ち誇るアーミティッジに、キョウは軽口を叩いて応じる。
「清濁合わせ飲む、という言葉をご存知ですか? ネオンナイト。」
「清がどこにも見当たらないぜ、さそり道人。」
「この期に及んで減らず口を叩けるとは大した物です、最期に言い遺す事はありますか? 」
不気味に舌なめずりをして杖を構えるアーミティッジに、キョウはシニカルな笑みを浮かべて答えた。
「さそり道人、また会おう。」
そう言い終わった瞬間、アーミティッジの杖が降り下ろされ、キョウの首が刎ねられた。
危険な男の死を確めようと、ウォーランは恐る恐る床に転がるキョウの首に近づいた。
「さて、これで手札は揃いました。タクヒ、行きなさい。」
アーミティッジに命じられたタクヒは、ダンウィッチに向かって飛び立った。
「さぁ、それを持ってダンウィッチへ行きますよ、支度をしなさい。」
アーミティッジはウォーランに命じると、狂気を孕んだ笑い声をあげながら出て行った。
ウォーランも慌てて首を拾い上げ、アーミティッジの後に続いた。
静まり返った部屋の中には、キョウの身体を包み込んだスライムの塊が残された。
やがて修業施設からウォーラン一家の姿が消えると、異形の者達がそのスライムの周りに集まって来た。
異形の者達は顔を見合わせると、スライムの塊を抱えて修業施設の奥に消えて行った。
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