1-2-9 弟子入り
マージョリーは、彼女の意に反して木の上にいた、見える風景は逆さまである。木の下ではキョウと、今ではすっかり彼になついた子供達が、楽しそうに話している。
樹上のマージョリーは、複雑な気持ちでそれを聞いていた。
「さぁ、みんな、何が食べたい? 」
楽しそうに笑いながら、キョウは子供達に聞いた。
「甘芭蕉! 」
子供達は皆、嬉しそうに答える。
「だってさ、マージ、人数分頼むよ。」
キョウは樹上で枝が足に絡まり、逆さ吊りでもがくマージョリーに声をかけた。
「分かったわよ! 」
なんとか体勢を立て直したマージョリーは、悔しそうに答える。彼女は、剣技でキョウに挑み、見事に敗北して
子供達がキョウになつくきっかけとなった出来事は、一騎討ちの翌日に起こった。
前日の疲れから、今日は惰眠を貪ろうと決めていたマージョリーだったが、可愛い目覚まし時計がそれを許してくれなかった。
「じょうおうさまがきたの! おきて、マージおねえちゃん! 」
アビィは、ベッドで眠るマージョリーの上に馬乗りになり、身体全体を使って彼女を揺り起こす。
「うーん……、どうしたの、アビィ……、おしっこ? 」
寝ぼけるマージョリーを、アビィはなおも揺さぶり続ける。
「おきて、マージおねえちゃん! じょうおうさま! じょうおうさまだよ! 」
「はいはい、分かった、分かったから、アビィ……」
寝ぼけまなこを擦りながら、マージョリーは下着同然のあられもない寝間着姿で、ご機嫌の笑顔で歩くアビィに手を曳かれ玄関に立った。そして、アビィのワクワクキラキラの目に従い、半覚醒状態のまま、玄関のドアを開けた。
「はいはい、どなた? 」
女王様と言うから、女性だろうと寝ぼけ頭で決めつけていたマージョリーは、、ドアの向こうの来訪者を確認して、一瞬で覚醒する。そして、顔から火を吹いた。
「イッ! 」
両腕で身体を隠し、乱暴にドアを閉める。
「嫌ぁああああああああ! 」
けたたましい悲鳴を上げて、自室に駆け戻るマージョリーを、呆気に取られた顔で見送る子供達。
その背後で再び玄関のドアが開いた、そこにはさっきドアを閉める間際に、電光石火の早技でマージョリーが繰り出した平手打ちの痕を、くっきりと頬に貼り付けた困惑顔のキョウと、目をぱちくりさせたマグダラ。そして、二人の間に金色に輝く点が浮いていた。
マージョリーが大急ぎで、そして念入りに身支度を整え、食堂に下りると、そこには子供達に案内されたキョウとマグダラがテーブルに着いていた。
「アビィ、キョウが来たのなら、ちゃんとそう言ってくれないと……」
お小言が始まったマージョリーを、年長の女の子に手渡された、冷たい濡れタオルで頬を冷やしながら、キョウがやんわりと制止する。
「ちょっとした子供の稚気だよ、あまり怒らないでやってくれ。」
「でも。」
「あら、あの位どうって事無いわ、マスターは毎晩私のセクシーランジェリー姿を見馴れているから、あんな程度じゃ……。あっ、そうか、野暮ったい下着が恥ずかしかったのね、気がつかなくってごめんなさい。」
冷笑を浮かべるマグダラに、負けじとマージョリーは言い返す。
「どういたしまして。でもお生憎様、私は中身で勝負するのよ。そんなつるぺたの貧相な身体じゃ勝負にならないわ。セクシーランジェリーとやらの効果も怪しいわね。」
「ぬぁんですってぇ~! 」
「何を~! 」
「はいはい、二人とも喧嘩をしない。」
火花を散らす二人の間に、キョウが割って入る。
二人はお互いに「ふんっ! 」と言って顔を背け合った。
一瞬の間を置いて、マージョリーはアビィの言っていた『女王様』を思い出す。
「ねぇキョウ、女王様って一体何なの? まさか、マグダラの事じゃ無いわよね? 」
「ああ、実は、その事でマージに頼みが有るんだ。」
そう言ったキョウの狩衣の袖から、金色に輝くサヤエンドウ程度の大きさの物体が飛び出し、彼のかざした手の上に降りた。それを覗き込みながら、マージョリーは聞いた。
「これは? 」
「黄金のミツバチさ、彼女は
紹介を受けた女王蜂は、マージョリーの顔の高さを、優雅に挨拶をする様に飛行した。
初めて見る黄金のミツバチを、物珍しい眼差しで見つめるマージョリー、小さく咳払いをしてキョウは話を続ける。
「ンガイの森の中で出会ったんだけど、彼女は分封後に巣作りをする、
分封とは、ミツバチの巣分けの事である。
巣の中で成長した若い女王蜂が独立し、新天地を求めて旅立つのだ。
我々の世界のミツバチはこの時、
しかし、ルルイエ世界の黄金のミツバチは、限られた言祝いだ土地にしか巣作りが出来ない。
新女王は分封に先立ち、自らの力でその土地を見つけ出さなければならない、それを以て女王の力の証とするのだ。
だが、分封地を見つけ出す確率は極めて低く、発見出来るのは女王候補の総数の一割にも満たない、発見出来なかった女王候補は、捜索の旅の途中で命を落とす事となる。したがって黄金のミツバチは、ルルイエ世界では希少種であり、彼女達から採れる『黄金の蜂蜜』は、その味、滋養、希少性から最高級の食材として珍重され、同じ重さの純金以上の価値を持つ。これを原料に造る
「どうだろう……って、何が? 」
今一つ状況が飲み込めないマージョリーに、マグダラが畳み掛ける。
「だから、ここに巣作りしても良いかって聞いてるのよ! 鈍いわねぇ。」
「出来た蜂蜜も、巣の維持に必要な分を除いては、マージの好きなだけ提供するってさ。」
「え~っ! 」
養蜂に成功すれば、巣箱の数だけ蔵が建つ
そう言われる黄金のミツバチ、この申し出にマージョリーは、腰を抜かさんばかりに驚いて、素っ頓狂な叫び声を上げた。
◆◆◆
「これでよし! 」
入念なドレスチェックをして、満足気に頷くマグダラに、不安そうにマージョリーが聞く。
「ねぇ、こんなので本当に大丈夫なの? 」
「大丈夫に決まっているじゃない、金枝篇にそう載ってるんだから、間違いないわ! 」
自信満々のマグダラの前には、木刀を片手に、バランスの悪いチョンマゲを結い、たどたどしい平仮名で『たのもお』と書かれた鉢巻きを締め、デタラメなSMっぽい襷掛けという珍妙な勇姿のマージョリーがいた。
「じゃあ、おさらいをするわよ。」
「え、ええ。」
「まず、あなたがマスターの背後に忍び寄り、スキあり! と言って、その木刀で打ちかかるの、手加減は無用よ。」
「本当に良いの? 」
「あなたもしつこいわねぇ、良いったら良いのよ。マスターの技量なら、同然あなたの一撃なんか余裕でかわしてくれるわ、そしたらその木刀を捨てて平伏して一言、はい。」
「参りました、私を弟子にして下さい……って、なんかウソくさいなぁ。」
「金枝篇によると、これがマスターの生まれ故郷、輝ける夢幻郷ニホンでの弟子入り志願の由緒正しい作法なのよ! あなた、マスターの教えを受けたいんでしょう!? 」
「それは……、そうだけど……。」
「だったら、つべこべ言わずに行ってきなさい! 」
キョウの強さの秘密について、マージョリーがマグダラに尋ねると、意外にも「知りたければ、マスターに弟子入りすれば良いわ。」と、マグダラが提案。
一も二もなくその提案に乗ったマージョリーに、以上の知恵を入れたマグダラであった。
一方のマージョリーは、半信半疑ではあったが、マグダラに追い立てられ
「スキあり! 」
「参りました、私を弟子にして下さい。」
を、口の中で交互に繰り返し、子供達に囲まれて養蜂箱を作るキョウの背後に抜き足差し足で忍び寄り、目を丸くして見つめる子供達に構わず、高々と木刀を振り上げた。
「スキあり! 」
木刀を思い切り降り下ろし、さて次はと思ったマージョリーの肩口には、キョウの手刀がめり込んでいた。衝撃で鎖骨と肩甲骨、肋骨が砕ける、片肺が潰れ、他の臓器にも深刻なダメージを与えた。
足から力を失い、仰向けに倒れながら、視界の隅にマグダラを捉えたマージョリーは、血を吐きながら一言呟いた。
「うそつき。」
あと数分で死に至る致命傷を負ったにも関わらず、マージョリーは自分の命の心配はしていなかった。それよりも自分をこんな目に至らしめたマグダラを、後でどうしてくれようと、薄れ行く意識の中で考えていた。
「やれやれ、こんな悪戯を仕込むなんて、ダメじゃないか、マグダラ。」
ため息混じりでキョウがたしなめる。
「輝ける夢幻郷ニホンでの、由緒正しい弟子入りの作法と金枝篇に載ってましたが、違うんですか、マスター? 」
「違うし、仮に正しいとしても、いつの時代の話だよ、全く。マージ、君も真に受けないの。」
そしてキョウは、ただ一人アビィを除いて恐怖に腰を抜かし、涙を浮かべて震える子供達に優しく微笑み、話しかける。
「大丈夫、すぐに治す。」
キョウは右手で印を結び、左手をマージョリーの傷口に添える。
口の中で祝詞(のりと)を唱えると、キョウの足元を中心に、地面に巨大な六芒星の魔方陣が現れる。
添えた左手首を、幾重にも魔方陣のリングが取り囲み、治癒の波動をマージョリーに送り込む。
みるみるマージョリーの怪我は治癒され、顔に生気が戻った。
「……ん、……うっ……。」
マージョリーが意識を回復して目を開けた、子供達の顔に輝きが戻る。
「誰か、羅漢果と花梨果、それから人参果を採って来て。羅漢果と花梨果は、マージが食べやすい様に、すりおろして混ぜて持って来て。」
キョウの指示に、数人の子供達が駆け出した。
マージョリーはそれを見送ってから、信頼の眼差しをキョウに向ける。
「んもう、厳し過ぎるんだから。」
上体を起こしなが、口を尖らせて拗ねるマージョリーに、キョウは諭す様に話す。
「短期間で強くなりたいんだろ、なら、ギリギリの刹那の中から体験して、掴み取るしか無いよ。」
「は~い。」
返事をしてマージョリーは、甘える様に上体をキョウに預けた。
しばらくして、キョウの指示通りに、すりおろした羅漢果と花梨果の入った器、それと人参果を持った子供達がやって来る。
女の子の指には包丁傷、男の子の膝とおでこには、それぞれ擦り傷とたんこぶがついている、よほど慌てて急いだのだろう。
「ありがとう。」
キョウが立ち上がり、子供達に礼を言い、優しく頭を撫でると、彼等の傷は跡形も無く消えていた。
驚いて顔を見合せる子供達を優しく見下ろし、キョウの治癒魔法は終了した。
差し出された器を手に取り、口をつけるマージョリーに、悪戯っぽい表情を浮かべたマグダラが声をかける。
「どう、マスターの強さの秘密、何か掴めた? 」
「マーグーダーラー! 」
真っ赤な顔で、頭から湯気を出し、マージョリーはマグダラを睨みつける。
「よくもあんなウソを教えてくれたわねぇ! 」
「あら、ウソじゃなくってよ、ホントに金枝篇にそう記されているんだから。」
「うるさ~い! そこを動くな~! 」
笑いながらシレッと答えるマグダラを、怒り心頭のマージョリーは全速力で追いかける。
圧巻の治癒魔法であった。
魔方陣を可視化させる程の強大な魔力を、余す事無く駆使し、並の魔導師ならば絶対に治癒不可能な致死の大怪我を、ものの数分で完全治癒してしまった。
子供達は、キョウの卓越した技と、強大な魔力に、強く憧れを抱いた。
「こら~! 待ちなさ~い! マグダラ~! 」
「おほほほほ~、捕まえてごらんなさ~い。」
二人の追いかけっこを優しく見守りながら、キョウは人参果を一口かじる。
「
軽く顔をしかめるキョウの仕草すら、子供達にはカッコ良く見え、数人の男の子達が早くも「苦っ。」「苦っ。」と、真似を始めていた。
そんなこんなで弟子入りが叶ったマージョリーは、今樹上にいる。
マージョリーは無節操な程に数種類実った果実の中から、リクエストの甘芭蕉の房をちぎり取り、樹上から身を躍らせた。
キョウに弟子入りした当初は、日に何度も致死の大怪我を負い、その都度キョウの治癒魔法の世話になっていた彼女だったが、本人の筋の良さに加え、血の滲む様な必死の精進で、短期間のうちにめきめきと腕を上げ、今では余り治癒魔法の世話になる事も無く、稽古を進める事が可能になった。
甘芭蕉の実を全員に配り終わり、自分も食べようと皮を剥いて口を開けた瞬間、マージョリーに無慈悲な女の声がかけられた。
「あなたはお勉強の時間よ、マージョリー。」
マージョリーが声の方に顔を向けると、そこには先生を気取っているのか、
「何よ、一本位いいじゃない! 」
むくれるマージョリーに、マグダラは語気を強める。
「短期間で強くなりたいんでしょう! あなたには時間が無いの! 」
「とか何とか言って~、本当は自分に実体が無くて、食べられないのが悔しいんでしょう。」
「なんですってぇ~! 」
マージョリーは駆け出し、マグダラから少し距離を取って振り返り、甘芭蕉を一口頬張る。
「あなたの分も味わってあげるわ、マグダラ。」
「全く、もう。」
呆れるマグダラの傍らに、一人の女の子が歩み寄る。
「あの、マグダラ先生、今日も勉強よろしくお願いします。」
ペコリと頭を下げる女の子、名前をアンナといい、孤児院で一番年長の子供である。
彼女はマージョリーがキョウに弟子入りしたその日から、キョウから治癒魔法、マグダラから精霊機甲の整備術を学んでいる。
二人から学んでいるのは、アンナだけではなかった。子供達は競って興味や適性に合った何かを、二人から学び始めていた。
これまで勉強と言えば、時折訪れるハスタァの白騎士教団の教義と歴史という、退屈な講義だけだったが、キョウとマグダラの教える物は、完全に実学であった。
それまで、マージョリーの庇護下で、つましく生きるだけの子供達の心は飢えていた。
キョウとマグダラは、その飢えを完全に満たした。
自分達は、マージお姉ちゃんに守られるだけでは無く、力になる事が出来る!
その一心で皆、必死になって励んだ。
これまでは優しさだけで、どこか閉塞感に包まれていたマージョリーの孤児院からは、かつての閉塞感は消え失せ、活気と希望に満ち溢れている。
「あら、アンナ、あなたは真面目で偉いわね。じゃあ不真面目な劣等生は放っておいて、早速始めましょうか。」
聞こえよがしに言うマグダラに、慌ててマージョリーが叫ぶ。
「ちょ、ちょっと待ってよ、マグダラ~! 今行くから~! 」
甘芭蕉を喉に詰まらせ、胸を叩きながら走って二人を追いかけるマージョリーを無視する様に背を向け、マグダラはアンナを伴い歩き去る。
「さぁ、行きましょう。アンナ、宿題はやった? 」
「はい、マグダラ先生。」
「もう、意地悪~! 」
顔を真っ赤にしながら、それでも楽しそうにマージョリーは二人を追いかけた。
遠くにキョウが男の子達に、ンガ・クトゥンの操縦法を教えているのが見えた。
「いってらっしゃ~い。」
花粉を求めて飛び立つ黄金のミツバチ達を、アビィは手を振って見送る。
留守になった養蜂箱に数人の女の子が取り付き、蜂蜜の採取や排泄物の掃除等の手入れを開始する。
アビィはみんなの邪魔にならない様に気をつけて、養蜂箱を覗き込む。
そこには沢山の幼虫達が、整然と蜂房に収まっていた。彼女はこの新しく出来たお友達に御執心である。
「ようちゅうさん、こんにちは。」
アビィが蜂房に手を伸ばすと、一匹の幼虫が蜂房から這い出して、その手の上に乗った。
アビィは幼虫が落ちない様に注意して、そっと持ち上げてキスをした。
「かわいい、おともだちになってくれてありがとう。」
にっこり微笑みかけて、そっと蜂房に幼虫を戻した。
アビィの傍らでは、いつの間にか現れたナイアルラートが、まるで子守りをする様に幼虫を背負っている。その姿を見たアビィは、可愛らしい声で笑い転げる。
幼虫達もみんな一緒に笑い転げるかの様に、蜂房の中で身をくねらせている。
子供達の活気と希望がこの土地の言祝ぎを活性化させ、短期間で爆発的に黄金のミツバチ達の数は増え、あっという間に養蜂箱は十基を数える様になった。裏庭の木々も、それが影響したのか、全て数種類の高級果実を実らせる様になった。
子供達の笑顔は、互いを慰め合うものから、励まし合うものに変化していった。
マージョリーの、そしてアビィの求めた幸せが実現した。
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