1-2-7 試練
マージョリーは子供達が眠る寝室を見回り、寝相で崩れた寝具を整えて回る。
今日はみんな、持ち帰ったお土産に大はしゃぎだった。
「無理もないか。」
子供達の喜ぶ顔を思いだし、マージョリーはにっこりと微笑む。
彼女がこの日持ち帰ったお土産は、水蜜桃、火竜果、甜瓜等々、滅多に口にするどころか、見た事すら無い高級果実の山だった。
「マージお姉ちゃん、ありがとう。」
子供達は口々にマージョリーに礼を言い、目を輝かせてそれらを心行くまで味わった。
子供達を見回ったマージョリーは、静かに子供達の部屋を後にし、そのまま家の外に出た。
裏庭に回り、少し離れた泉のほとりに座り、そこに生えている一本の、実に無節操な木に背中を預けると、ぽっかりと夜空に浮かぶ、真ん丸の月を見上げた。
「勝てっこ無いわよ……、あんなの。」
マージョリーは、昼間の出来事を思い出す。
「あんなの……勝てる訳無いよ……。」
月明かりが、頬を伝う涙を優しく照らした。
「……キョウ。」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
リュミエールの体勢を立て直したマージョリーは、アザトースの豹変に絶句した。
「何よ……、あれ……。」
何かがカチカチ鳴っている。
何だろう、マージョリーはコクピット内を素早く確認したが、何も異常は無かった。
何だろう、うるさい、気が散る。
そんな事より、目の前のアザトースよ、早く攻撃しなくちゃ、早く!
逸る気持ちとは裏腹に、射竦められた様に動けないマージョリーに、アザトースのキョウが声をかけた。
「プラズマと絶対零度の同時展開制御か、凄いな、マージ。」
キョウは心から感心した様子で言い、この日初めてアザトースが、木剣を手に構えを取る。
「でも、俺ならこうするな。」
静かに笑みをたたえ、キョウは構えた木剣に魔力を込めた。
マージョリーが息を飲む。有り得ない現象が目の前で起きていた。名状し難い恐怖が、真綿で締め付ける様に彼女の胃を握る。
キョウは木剣の刀身に、超高熱のプラズマと絶対零度の氷が融合し、モザイクの様に織り成す刃を形成させた。
性質の異なる魔法を同時展開する場合、今のマージョリーの様に、左右または上下に分けて展開するのが普通である。展開する魔法の性質が真逆の場合、対消滅の危険性が有るので、尚更分けて展開しなければならない。
しかし、キョウはそれを分ける事無く、涼しい顔で同時に融合展開している。
相対する性質の魔法を、同時展開出来る魔導師の数は限られている。極大レベルでの同時展開が可能な者は更に少数である、マージョリーの様に戦闘に使える者は、ほんの数名しか存在しない。
キョウの様に融合展開をし、更にその上戦闘までこなすとなると、最早それは人間の技では無かった。
ただの分離展開にしても、普通は制御するだけで精一杯なのだ。
唖然として見つめるマージョリーの耳朶を、キョウの声が打つ。
「どうした、マージ? 突っ立ってるだけじゃ、俺には勝てんぞ。」
その声に、マージョリーは我に返る。そうだ! 立ってるだけじゃダメ!
マージョリーの脳裏に、子供達の笑顔が浮かぶ。あの子達の為に、戦って勝たねば!
「私は負けない! 貴方に勝ってみせる!」
そう言おうとしたマージョリーだったが、思う様に口が開かない、舌が動かない。さっきからカチカチ鳴っているのは、恐怖で根が合わなくなった自分の歯が打ち鳴らす音である事に、今ようやく気がついた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ! 」
恐怖で霧散してしまいそうな闘争心をつなぎ止め、再び奮い立たせる為に、マージョリーは肚の底から大声で叫んだ。ありったけの勇気を振り絞り、アザトースに、キョウにぶつかって行った。
キョウはそんな必死のマージョリーの姿に、満足そうな笑みを浮かべて迎え撃った。
「それでこそマージだ。でも、いくら強大な魔力を持っているからといって……」
リュミエールの必死の斬撃を、アザトースは余裕を持ってプラズマと絶対零度が融合した刃で受け流す。
「ただそれを全力でひたすら振り回すだけでは、魔力の制御も機動の制御も雑になる。だから簡単に受け流されて、崩される。」
リュミエールはバランスを失い、たたらを踏む。
「ほら、足元がお留守だ。」
アザトースはプラズマと絶対零度の刃を木剣から消し、リュミエールの足を払う。
「きゃっ! 」
リュミエールは無様に地に伏した。
「さぁ、立て、マージ、もう一回だ! 」
キョウは厳しく言い放つ、マージョリーは悔しそうに歯を食い縛ってリュミエールを立ち上がらせ、再びプラズマと絶対零度の刃を展開させる。
その意気や良し、とばかりにキョウも再び木剣に、あのモザイクの様な刃を展開させた。
マージョリーはその後何度もキョウに立ち向かい、同じ回数かわされ、弾き返され、打ち据えられて地に伏した。
何度も何度も歯を食い縛り、必死の形相で立ち向かうマージョリー。
彼女とは対照的に、余裕の笑みを浮かべながら受けて立つキョウ。
対照的なのは、表情だけでは無かった。
マージョリーの目は、必死に目標であるキョウのアザトースを見据えるのに対し、キョウの目はリュミエールを捉えつつも、せわしなく動き周囲の状況を見定めていた。
そして、マージョリーが攻撃と操縦の魔力制御に集中して、
この違いは、二人の精霊機甲の操縦法の違いである。
マージョリーの操縦法は、機体制御と攻撃、さらに防御の全てを『魔力操縦』で行っている。
これは別に珍しい事ではなく、この時代のルルイエでは一般的な操縦法である。
それに対して、キョウの操縦法は、魔力に頼らない完全マニュアル操縦である。そして、ここぞ、という局面で魔力の集中展開を行っていた。
これは二人のマリアとマグダラが、精霊機甲を開発した当時の操縦法で、現在キョウの他に出来る者は、白騎士教団の近衛騎士数名と、白騎士アレイスター・クロウリー十三世のみ。いわば白騎士教団門外不出の『最高奥義』である。
この操縦法の差は、精霊機甲の戦闘能力と稼働時間の差となって、如実に現れる。
マージョリーは急速に魔力、体力、気力、所謂SAN値を消耗していった。霞む目を凝らし、遠のく意識を必死につなぎ止め、キョウに食らいつく。
彼女にはもう、雑念を抱く余裕も無く、ただ必死に立ち向かっていた。
不思議な事に雑念が消えた今、マージョリーの心の中から、あれほどキョウから感じていた恐怖感が消えていた。その代わりとても大きな、
「あと少し、あと少しで……」
見える! その思いでマージョリーは必死にリュミエールを動かし、剣を構える。
しかし、今まで魔力全開で戦いに挑んでいた彼女のSAN値は限界に近づいていた。もう剣にはプラズマの刃も、絶対零度の刃も展開出来ない。
「あと少しで……、きっと……。」
何かが掴める、そう確信していたマージョリーは、息も絶え絶えとなりながらも、諦めようとはしなかった。
戦う前には、色々と思う所が有った彼女だったが、今に至ってはたった一つの事しか考えられなくなっていた。
「あそこに、一撃入れる! 」
キョウに何度も叩き伏せられ、マージョリーは気づいた事がある。
全く打ち込む隙が無いと思われたキョウのアザトースには、一点だけ(正確には二点)打ち込める隙が有った。
肩口から入れる、袈裟斬りの一撃である。
ここに必殺の一撃が入れば、魔導炉からの動力供給を断つ事が可能であり、一撃で勝負を決める事が出来る。
これは、精霊機甲戦闘を学ぶ上で、誰もが最初に履修する基本中の基本である。
しかしながら、何事も基本の習得ほど困難なものは無い。特にマージョリーやハスタァ、ついでながらノーデンスの様に、抜きん出て魔力に優れた者は、その大きな魔力故に疎かになりがちである。限られた短い寿命の中、預かる孤児の為に奮闘するマージョリーは、言わずもがなであった。
SAN値が充分であれば、彼女は誘いの隙と勘ぐっただろう。しかし、辛うじて気力を保つ今、マージョリーに勘ぐる余裕など無かった。がむしゃらな一撃を、必死で繰り出した。
「そうだ、マージ、そこに打って来い。」
アザトースのコクピットでキョウは呟く、そして、マージョリーの繰り出す一撃をかわし、リュミエールの肩口に、木剣で情け容赦の無い一撃を加える。
「んあっ! 」
分かっていても避けられない、キョウの一撃にマージョリーは息を詰まらせる。
どうしたら、自分もキョウの様な一撃を放つ事が出来るのだろう?
マージョリーは必死に考え、キョウの放つ一撃から、その答えを見いだそうとした。
袈裟斬りの応報を何度も何度も繰り返すうち、マージョリーは何かを掴んだのか、口の中で小さくぶつぶつと呟き出した。
「……心を静かに、そして熱く。……闘志は細く、鋭く、深く……」
リュミエールが必死に繰り出す、全力のヘロヘロな一撃を弾き返し、キョウは満足そうな笑みを浮かべた。
「今のは良かったぞマージ、何か掴んだな。」
マージョリーは必死にSAN値をかき集め、リュミエールを立ち上がらせる。
「繰り出す軌道は最短距離、リュミエールが無理なく、最速で最大の力を発揮出来る軌道……」
マージョリーは渾身の、だがヘロヘロの一撃を繰り出しながら、同時にこんな事を考えていた。
「私があそこに一撃入れられたら……、キョウは褒めてくれるかしら? 」
マージョリーの想いは報われた。キョウはその渾身のヘロヘロな一撃を、アザトースの肩口で受け止めた。そして、褒めてくれた。
渾身の力を込めた、模範の一撃という形で。
マージョリーは力尽き、満足そうな笑みを浮かべて気絶した。
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