1-2-4 サードマリア

「いやだ、マージおねえちゃん、いっちゃいやだ。」


 マージョリーは昼間の約束通り、キョウを訪ねるべく、アビィを寝かしつけようと試みたが、その意に反して、アビィは全く寝付かなかった。


 お気に入りの子守唄もお話も、今夜に限っては全く効果を発揮しなかった。


 一度目を閉じ、寝息を立てても、マージョリーが腰を上げると、アビィは目を開けて激しくむずかる。


「寝床が合わないのかしら? 」


 マージョリーは一瞬そう思ったが、すぐにその考えを打ち消した。


 いえ、きっとこの子には分かっているんだわ。


 自分がキョウに何を話に行くのか、この子は分かっているに違いない、きっとそれを止めたくて、こうしてむずかっているのに違いない。


 何とか安心させて、寝かしつけないと。


 マージョリーに焦りの色が浮かび始める、そんな時、不意に部屋のドアをノックする音がした。


「もう! 誰よ、こんな時に! 」


 プチイラ状態の不機嫌顔でドアを開ける。


「よっ。」


 ドアの向こうの顔を確認し、マージョリーは自分の不調法を激しく後悔する。


「ちょっと待って! 」


 慌ててドアを閉め、鏡に駆け寄り手早く手櫛で髪を整える、他に変な所がないか確認して、呼吸を整える。


 高鳴る心を抑えて、恐る恐るドアを開いた。


「お待たせ、どうぞ、入って。」


 来訪者を招き入れるより先に、アビィがベッドから飛び出し、その脚にしがみつく。


「キョウおにいちゃん! 」

「おっ、まだ起きてたんだ、アビィ。」


 キョウはアビィを抱き上げ、部屋の中に入る。


「ごめんなさい、なかなか寝ついてくれなくて。でも、いつもはこんな事無いのよ。」

「初めての泊まりがけの遠出なんだって、無理もないさ。」

「いつもは本当にいい子なのよ。さぁ、座って。」

「分かってるよ、なぁ~、アビィ。」


 キョウはアビィを膝の上に抱え、勧められた椅子に腰掛けた。


 アビィはご満悦な表情で、両手を広げてキョウにもたれかかる。


「で、話って? 」

「ごめんなさい、この子の前では……ちょっと。」


 マージョリーの目には、アビィが両手を広げてキョウを庇っている様に見えた。

 分かっているんだなと改めて思う。


「そっか、だよなぁ~。」


 キョウはおどけた口調で相槌を打ちながら、アビィの首に、自分が下げている物と同じ


 輝くトラペゾヘドロン製の勾玉の首飾り


をかける。


「ナイアルラート」


 キョウが呼び掛けると、アビィの首にかけた勾玉から、黒い光の粒子が飛び出した。


「にゃる、がしゃんな。」


 空中でループする粒子の中から、ナイアルラートが姿を現す。


「にゃるちゃん! 」


 アビィが目を輝かせる。マージョリーは驚いてキョウを見つめた。


「なぁ、アビィ。お兄ちゃんとお姉ちゃん、これからみんなが喜ぶお土産の、内緒の相談をするんだ。ちょっとの間、ナイアルラートと一緒に、いい子でお留守番出来るかな? 」

「ほんとう? 」

「ええ、本当よ、みんながず~っと仲良く、楽しく一緒に暮らして行く為の、飛びっきり素敵なお土産よ。」


 マージョリーが慌てて口裏を合わせる。


 少し疑いの籠った瞳で二人を見上げるアビィだったが、すぐにその表情は明るくなった。


「うん、アビィ、にゃるちゃんとお留守番する。」

「にゃる、がしゃんな。」


 元気に明るく返事をしたアビィとナイアルラートを残し、二人は部屋を後にした。


 キョウの部屋に移ってから、マージョリーはずっと俯いて黙っていた。

 彼女は、どうやって話を切り出すべきか分からずに、目の前のテーブルの一点を凝視していた。


 意を決して話そうと顔を上げると、優しく、それでいて心の奥迄見透かす様な、キョウの瞳に気持ちが萎え、また俯いてテーブルの一点を凝視する。

 そんな事を何度も繰り返し、いたずらに時間は過ぎて行った。


 とにかく、まずは礼を言わねば。

 今日のアビィを保護してくれた事、それからあの羊皮紙の事も、それをきっかけに話を進めよう。


「今日は本当にありがとう。もし、あの子が悪い人拐ひとさらいなんかに連れ去られていたらと思うと……。それから、あの羊皮紙も貴方だったのね、お陰で孤児院の運営も楽になったわ。」


 ここまで話して、マージョリーは上目遣いにキョウの様子を伺った。


 相変わらずのキョウの優しげな態度に、決意が挫けそうになり、慌てて俯いて視線を逸らし、言葉を続ける。


「実は、アビィを引き取ってから、なかなか討伐遠征に出られなくて、家計が火の車だったのよ。それが、貴方の情報のお陰でだいぶ楽になったの、本当に貴方は私達の恩人だわ、感謝しても、し足りない程感謝してるの。」


 マージョリーの声が震え出す。


「そんな恩人に……、こんな事言うの。こんなお願いするのは間違っているのは分かってるの……、恥知らずだって分かってるの、でも、でも……」


 もう後戻りは出来ない、意を決してマージョリーは顔を上げ、キョウの瞳を力強目で見据えて話す。彼女の目には、涙が溢れていた。


「でも、でもまだ運営資金が足りないの! 私にはもう時間が無いの! 私が守れなくなった後も、あの子達が幸せに生きて行くには、もっともっとお金が要るの! だからお願い、私と戦って! 勿論、ただでとは言わないわ! 」


 マージョリーは立ち上がり、服を脱ぎ捨てた。若いみずみずしい裸体をキョウに晒す。


「もし、戦ってくれるのなら、今すぐ私をあげる! 好きにしていいわ。その代わり私も必ず貴方の子を宿す! 二十歳の誕生日迄、まだ一年ちょっとある、必ず貴方の子供を産んであげる! それから二十歳の誕生日まで、毎日貴方を想いながら、弔いながら生きるわ! マリアの迎えが来たら、貴方の棺に入れて貰う。遥かなるカダスで、貴方の魂と永遠に添い遂げる! 約束するわ! 勝手な言い分だって分かってる、貴方にとって、割りに合わない話だってのも分かってる! でも、でも私が貴方にしてあげられる事は、こんな事しか無いの! 」


 マージョリーは涙を流し、食い入る様な目でキョウの目を見つめる。


「だから……、だから……、あの子達の為に、私と戦って! 」


 キョウは嘆息し、目を閉じて立ち上がった、そしてベッドに向かって歩き出す。マージョリーも、我が身を捧げる為に後に続いた。

 しかし、ベッドに近づくにつれ、足がすくみ、身は強張る。


 今さらながらの恥ずかしさで、膝が震え、目が開けられなくなる。


「わっ、私……、初めてだから……、その、あの…….、えっ!? 」


 頭からシーツを被せられ、驚くマージョリーを余所に、キョウはてきぱきとマージョリーの裸身をシーツで覆い隠し、ベッドに腰掛けた。


「女の子がそんな覚悟で挑んで来るんだ、受けてやるよ、一騎討ち。」


 呆けた様な表情で、マージョリーはキョウを見つめる。


「だから、早く服を着てくれ。」


 キョウは少し困った表情で、マージョリーから視線を逸らせた。


 マージョリーは安堵と同時に、プライドを傷つけられた思いと、コンプレックスを刺激された思いを抱き、語気を強めて詰問する。


「どうして! 私に恥をかかせる気! それとも、この火傷の痕が醜いから!? 」


 マージョリーは、シーツを叩きつける様に脱ぎ捨てた。


「恥をかかせるなんて、そんなつもりは無いよ。それに、火傷の痕なんて気にしないよ。マージはとても魅力的だよ、特にそんな格好していると、僕だって男の本能の赴くままに行動したくなる。」


 キョウは床に落ちたシーツを拾い上げ、再びマージョリーの裸身を覆う。


「なら、どうして!? 」

「好きな人がいるんだ。」

「えっ! 」


 マージョリーは、思わぬ不意討ちを喰らい、立ち尽くす。


「その人に、いつも見られている気がしてね。それから……」

「それから? 」

「マージ、君は一つ重要な事を失念しているよ。」

「重要な……事? 」

「君は必ず僕を倒せると思っている様だけど、残念だが、君に僕を倒す事は出来ない。」

「! 」

「君は自分自身の力をどう使うべきか、この世界の何と戦うべきか、まるっきり分かっていない。そんな君に僕が、この最強のネオンナイトが負ける事はあり得ない。」


 莞爾として微笑みながら、キョウはそう断言した。

 言葉の内容と、キョウの表情が、マージョリーの心を雷鳴の様に貫く。


「君にがその力をどう使うべきか、君が本当に戦うべき相手は誰なのか、それを僕が導いてあげる、全力で挑んで来ると良い、サードマリア。」

「サード……マリア……」


 マージョリーの頭の中に、二人の娘の苛酷な戦いの記憶と、最期の瞬間の記憶が奔流の様に流れ込み、脚がガクガク震え出す。


 キョウの双眸に映る、二人の自分が手を広げて懇願してきた。


「「お願い、目覚めて。」」


 マージョリーという存在の中に、巨大な衝撃が一陣の旋風となり吹き抜けた。


 全身の力が抜けたマージョリーは、呆けた様にその場にへたりこんだ、シーツが肩から落ち、形の良い美しい胸が、三度みたびあらわとなる。


「流石に三回目は、僕も本能に抗える自信が無い。」


 キョウの言葉に、マージョリーは我に返る。


「その素敵な二つの満月の力で、狼さんに変身する前に、アビィを安心させてくる。マージも早く落ち着いて、服を着ておいで。」


 マージョリーは慌てて胸を隠し、部屋を出て行くキョウの後ろ姿を見送った。


「今の……何よ? サードマリアって、何なのよ? 」


 マージョリーは混乱する頭の中を、必死で整理しようとしたが、答えを見つける事が出来なかった。


  服を着て部屋に戻ると、キョウは輪になった紐に指をかけて、いろいろな形を作り出している。指をかけたり抜いたりすると、紐は色々な形に変化していく。

 アビィとナイアルラートは、それをキラキラした目で見つめ、形が変わる度に、きゃいきゃいと歓声をあげている。


「ただいま、アビィ。」

「おかえりなさい、マージおねえちゃん。みて。」


 アビィは早速キョウに教わった『あやとり』という紐遊びを披露する。


「あら、何かしら? 」

「ほうき。」

「まぁ、上手ね。」

「キョウおにいちゃんにおそわったの。」


 屈託の無い笑顔が、マージョリーの心をかきむしる。


「そう、良かったわね~、アビィ。」


 苦い想いを抱き、心の中で詫びながら、マージョリーも笑顔を返す。


「じゃあ、もう遅いから僕はこれで。またね、アビィ。」


 キョウが腰を上げると、アビィは駆け寄り、キョウの手をギュッと握った。


「あらあら、我が儘言っちゃダメよ、アビィ。」


 マージョリーはアビィに歩み寄り、しゃがんで優しく諭す。


 アビィは空いているもう一方の手で、マージョリーの手をギュッと握る、そして、真剣な表情で二人を見つめた。

 その表情は、この先二人が戦うのを、必死に止めようとしている様に見えた。


「ようし、じゃあお兄ちゃん、今日はアビィと一緒に寝ようかな。」


 アビィの顔がパッと輝く、そして安心して眠くなったのか、大きな欠伸をした。


 キョウはアビィを抱き上げ、ベッドに運ぶ、そして窮屈なベッドの上、アビィを中心に川の字になった。


「おみやげ、きまった? 」


 明かりを消した部屋で、アビィは二人に聞いた。

 二人の答えを待たす、アビィは続ける。


「アビィね、いもうとがほしいの。マージおねえちゃんとキョウおにいちゃんのあかちゃん。アビィね、まいにちまいにちおせわするの、かわいいかわいいってしてあげるの。」


 ごめんなさい、心の中で謝りながら、マージョリーはそっとアビィを抱き締めた。


「アビィ、お土産はね、マージお姉ちゃんやアビィが、二十一歳なれる……、いやもっともっと生きられて、お婆ちゃんになれる世界だよ、大勢の子供や孫に囲まれて、楽しく暮らせる世界なんだ。そこではもう、女の子が娘狩りに怯える事も無く、マージお姉ちゃんも、賞金稼ぎなんて危ない事しなくていいんだよ。素敵な世界だと思わないかい? 」


 キョウはアビィに囁く様に語りかけた、アビィは返事代わりに、可愛らしい寝息をたてた。

 アビィの寝息を確認したキョウは、にっこり笑って、自分も眠ろうと目を閉じた。


 一人取り残されたマージョリーは、今のキョウの話、アビィの願い、そしてキョウの部屋での出来事について考えていた。


 この人は何処から来て、何をしようとしているんだろう?


 色々考えているうちに、最後は一つの事しか考えられなくなっていた。


 この人の好きな人って、どんな人なんだろう?


 きっと私なんかより可愛くて、おしとやかな子なんだろうな……

 そんな考えが、頭の中を占拠して駆け回り、切なさがこみ上げ、胸を焦がした。


 でも、でも私だって負けないんだから。


 拳を握り締めた所で、マージョリーは我に返る。


 私ったら、何を考えているのかしら?


 握った拳でキョウをひっぱたきたくなる衝動を抑え、マージョリーは力一杯瞼を閉じた。


 翌朝、マージョリーとキョウに挟まれて目覚めたアビィは、とても上機嫌だった。


 因みにこの日は寝覚めが良く、最高の朝を迎えた人間は、他にも一名存在した。

 その者は、ルルイエ世界から遠く離れた別世界、マグダラの言う処の輝ける夢幻郷ニホンこと、キョウの故郷の日本に存在した。


「んもう、相沢一尉ったら、ジェ・ン・ト・ル・マ・ン。きゃはっ。」


 鞠川綾音三等空尉は、この日は一日すこぶる付きで上機嫌であった。


 閑話休題


 三人は身仕度を終え、朝食を摂りギルドに向かった。そこで賞金の手形を受け取った後、孤児院で留守番中の子供達へのお土産を買い、別れの時がやってきた。


 マージョリーは、アビィがキョウと別れるのを嫌がるのでは?


 と危惧していたが、それは杞憂に終わった。


「キョウおにいちゃん、バイバイ、またね。」


 アビィは意外な程あっさり聞き分けた。


「バイバイ、アビィ。」


 キョウは笑顔で先にコクピットに収まったアビィにコルナを送った。

 アビィは可愛らしい手で、キョウにコルナを返す。

 その脇で、ディオの親爺が真剣な眼差しでマージョリーに聞く。


「本当に良いんじゃな? 」

「ええ、お願いします、親爺さん。」

「分かった。キョウ、お主もそれで異存は無いな? 」

「ああ、任せるよ、おやっさん。」


 キョウはアビィに手を振りながら、興味無さそうに答えた。


「キョウ、貴方には本当に感謝している。でも、次に会った時が貴方の最期よ。」


 マージョリーはそう言い残し、想いを振り切る様にリュミエールのコクピットに駆け上がった。操縦席に座り、アビィを膝の上に乗せ、魔導炉を始動させる。


 リュミエールを飛翔させたマージョリーは、後ろ髪引かれる想いで振り返ると、思わず息を呑んだ。

 キョウの傍らには、紫色の髪をした、とてもこの世の存在とは思えない、目を見張る程美しい少女が、彼に甘える様な仕草で立っていた。


 あの子がキョウの好きな人?


 その思いが、少女が突然現れたという不自然さをかき消した。


 あんな可愛い子が相手なら、私なんて……。


 マージョリーの胸が、切なく痛む。

 しかし、同時に別の感情が頭をもたげた。


 でも、胸なら私が勝ってるわ!


 ふつふつと敵愾心と負けん気が湧き上がる。


「負けるものですか! 」


 マージョリーはリュミエールをダンウィッチに向け、飛燕の様に飛び去った。

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