1-2-3 邂逅

「にゃる、しゅたん! 」


 ナイアルラートは、大荷物である羊皮紙を抱えながらも、見事な着地を決めた。


 ここはキョウに頼まれた、もう一仕事のお使い先、ダンウィッチにある孤児院、その経営者の寝室である。


 ここにはもう何度もお使いに来ており、もう勝手知ったる何とやらである。

 ではあるが、お使いとはいえ、彼女は正面から堂々と


「ごめんください。」


 と断って、家人に案内されて中に入る訳ではない。

 こっそりと、誰に気付かれる事無く忍び込むのが常であった。

 そして例の羊皮紙を、さりげなく目立つ場所に置いて、来た時同様にこっそりとキョウの元に帰るのだった。


「にゃる、がしゃんな。」


 前回はキッチンの水場に置いたから、今回はここにしましょうと、ベッドの枕の上に羊皮紙を置いた。

 ここまではいつもの如く、さて帰ろうと飛び立とうとした時、いつもとは違う大事件が彼女の身に起きた。


「かわいい。あなた、だあれ? 」


 と、いきなり後ろから抱きかかえられたのである。


「にゃ~~~~る~~~~~~!」


 驚いてパニックに陥ったナイアルラートは、自分を抱える腕を夢中で振りほどき、滅茶苦茶に寝室の中を逃げ回った。


 その後ろを、抱きかかえた人物が、声をかけながら後を追う。


「こんにちは、わたしアビィよ。あなたはなんていうおなまえ?おともだちになりましょう。」


 そんな言葉も、パニクるナイアルラートの耳には入らない。ベッドの脚やら壁やら天井やらへ、鼻の頭やおでこをガッチンゴッチンぶつけながら、ほうほうの体で天井近くの棚の隅に身を隠し、頭を抱え震えてうずくまる。


 棚の奥に隠れたナイアルラートに、その人物は必死に声をかける。


「ねぇ、わたしとおともだちになって。こわいことしないから、にげないで、なかよくして。」


 人物の声はしだいに涙声になって行く。


 様子の変化に気がついたナイアルラートは、恐る恐る棚の上から窺うと、小さな女の子が目に一杯涙を浮かべ、こっちを見上げている。

 女の子と目が合い、思わずナイアルラートは頭を引っ込めると、女の子は声をあげて泣き出した。

 もう一度、そ~っと頭を出す。

 泣いている女の子の姿に、ナイアルラートの胸は締め付けられた。


 彼女は意を決して棚から飛び出し、女の子の顔の高さまで降りた。 そ~っと顔を覗き込み、そして両手で目を覆って泣く女の子のおでこにキスをした。

 女の子は驚いて、覆った目から手を放す。


「にゃる。」


 ナイアルラートが、恥ずかしそうに微笑みかけると、女の子は泣き止んで、大輪のひまわりの様な笑顔を浮かべた。


「にゃるにゃるにゃるにゃる~」


 その笑顔に、ナイアルラートは一撃でキュン死した。


「にゃるちゃん? にゃるちゃんね、わたしアビィ! 」

「にゃる、がしゃんな! 」


 二人は手を取り合って遊びだし、いつしか遊び疲れ、仲良くベッドの中で眠りについた。


  二人が可愛らしい寝息をたてて、夢の中で遊びの続きを楽しんでいる最中、この家の主人がダンウィッチギルドから帰宅した。

 子供達がちゃんと昼寝しているかどうか、そっと部屋を回って確認する。


 一人姿が見えない。


「またアビィね、ほんと甘えん坊さんなんだから。」


 居場所は見当がついている、自分の寝室のベッドで寝ているのだろう。

 自分の外出が長引くと、孤児院の年長の子が宥めても、恋しがってぐずりだし、自分のベッドに潜り込み眠るのだ。


 ならば急がねば、早く起こして安心させなければ、おねしょの危険がある。


 主人は自分の寝室へと急いだ。


 寝室の扉を開けると、今目を覚ましたらしい幼い女の子が、寝惚けまなこを擦りながら、ベッドの上で半身を起こしていた。


「……マージおねえちゃん、おかえりなさい。」

「ただいま、アビィ。いい子にしてた?おしっこ大丈夫?」


 マージおねえちゃんことこの家の女主人、マージョリー・リュミエール・アイオミは、優しくアビィの頭を撫でた。


「だいじょうぶ。これ、おてがみ。」


 未だに寝惚け気味のアビィは、少し眠たそうにナイアルラートが持って来た羊皮紙を手渡した。


「! 」


 マージョリーは、アビィの差し出した羊皮紙を見て驚いた。この羊皮紙は、ここしばらく送られて来る、送り主不明の賞金首情報である。


「ねぇアビィ、このお手紙、誰が持って来たの? 分かる? 」

「にゃるちゃん。」

「にゃるちゃん? 誰、その子?一体誰なの? 」

「おともだち。」

「お友達? 近所にそんな子いたかしら? 」


 思案するマージョリーの眼前を、不意に身長三十センチ程の黒い妖精が、寝惚けながらふわふわと横切った。


 アビィが妖精を指差して、もう一度答える。


「にゃるちゃん、アビィのおともだち。」

「! 」


 マージョリーは思わず息を飲んだ。


「ニャルラトホテプ!? 」


 ニャルラトホテプとは、最高位の精霊の一種である。

 アザトースの眷族であり、古くは人間界と精霊界を繋ぐ役割を持つ存在と信じられ、信仰の対象にされる事もあったが、今では完全に衰退してしまった。

 人間界に顕現した妖精体は、もはや絶滅危惧種であり、ここ百年余り目撃情報は無い。


 原因は人間による乱獲、いや、虐殺である。


 虐殺の理由は、初代ネオンナイト、ロニー・ジェイムスの遣い魔妖精がニャルラトホテプであった、という事である。


 禁忌の精霊機甲アザトースの眷族であり、反逆のネオンナイトの遣い魔妖精。


 白騎士教団がニャルラトホテプに多額の賞金を懸け、絶滅指定種と認定するには充分過ぎる理由だった。


 そして、その認定は未だ解除されてはいない、マージョリーの目の色が変わった。

 この妖精を捕まえたら、多額の賞金が手に入る。それは自分が守れなくなった後、この子達の将来に大きく寄与する物となるだろう。

 マージョリーは、ナイアルラートを捕らえるべく身構え、そして飛びかかっていった。


 アビィは、マージョリーの異変に気がついて、必死に訴える。


「にゃるちゃん、アビィのおともだちなんだよ、おてがみもってきてくれたのよ、いいこなんだよ。」


 多額の賞金に心奪われたマージョリーに、アビィの心と声は届かなかった。


「アビィ、いい子だからそこをどいて。」


 マージョリーは視線をナイアルラートに向けたまま、アビィに命じた。


 アビィは、いつもの優しいマージおねえちゃんが、とっても怖いマージおねえちゃんに変わってしまい、激しく狼狽した。

 しかし、大切なお友達を守る為、そして何より大好きなマージおねえちゃんに、元の優しいマージおねえちゃんに戻って貰いたくて、必死にしがみついた。


「だめ、マージおねえちゃん、だめ。にゃるちゃん、アビィのおともだち。こわいことしないって、やくそくしたの。」


 マージョリーはナイアルラートを見据えたままにじり寄り、必死のアビィを振りほどく。


「アビィ、お願いだから邪魔しないで! いい子だからじっとしてて! 」


 アビィはなおも、マージョリーの足にしがみついて訴える。


「だめ、マージおねえちゃん、にゃるちゃんをいじめないで! 」

「アビィ! 」


 振り払おうとした手の勢いが余り、マージョリーはアビィを突き飛ばしてしまった。


「! 」


 我に返ったマージョリーが目を向けると、そこには怯えきった表情で、自分を見上げるアビィがいた。


「いやだ……、マージおねえちゃん……、こわい、こわいよ~。」


 アビィは堰を切った様に泣き出した、その姿を認めたナイアルラートは逃げ回るのを止め、自分が捕まる危険を顧みず彼女に飛び寄り、一瞬慰める表情を浮かべて顔を覗き込む。

 その後、凛とした表情でマージョリーを睨み付け、両手を広げてアビィを庇った。


 悔恨の念がマージョリーを襲う、思わず天を仰ぎ歯軋りをする。


 何をやっているんだ、私は。


 苦い思いを胸にしまい、マージョリーは再び優しい表情を懸命に浮かべる。

 静かにアビィの前に歩み寄り、しゃがんで顔を覗き込む。


「ごめんね、ごめんなさい、アビィ。お姉ちゃんが悪かったわ、お姉ちゃん……どうかしてた、本当にごめんね。」


 一生懸命アビィを守る、ナイアルラートにも声をかける。


「あなたもごめんなさい、折角アビィのお友達になってくれたのに、酷い事して悪かったわ。ありがとう、アビィと友達になってくれて。」


 ナイアルラートは警戒心を解いて、二人の間から離れた。


「マージおねえちゃ~ん! 」


 アビィがマージョリーの胸に飛び込んだ、マージョリーは優しく、そしてきつく抱きしめ、頬擦りをした。

 ナイアルラートもアビィの後頭部を、両手を一杯に広げて抱きしめる。


 安心したアビィは、ようやく泣き止んで、あの大輪のひまわりの様な笑顔を見せた。


「さぁ、もう大丈夫だから、あなたもご主人の所に帰りなさい。それと、これ、ありがとうって伝えて。」


 羊皮紙を掲げて、マージョリーはナイアルラートに声をかけた。窓を開け放ち、送り出す際に、もう一度声をかける。


「怖い思いをさせた私が、言えた義理じゃ無いかも知れないけど、よかったら又来て、この子と遊んであげて、お願い。」

「にゃる、がしゃんな。」


 ナイアルラートは笑顔で答え、飛び去った。


「にゃるちゃん、バイバイ、またきてね。」


 手を振って見送るアビィと一緒に、ナイアルラートの後ろ姿を見送るマージョリーの胸中には、自己嫌悪の嵐が吹き荒れていた。


 最低だ……、私は。


  翌日、愛機のリュミエールを駆り、情報の賞金首を捕らえる為に、マージョリーは孤児院を後にした。


「あの羊皮紙の情報によると、大体この辺りね。」


 マージョリーは周囲の警戒を始めた。


 ダンウィッチの美しき精霊騎士

 機械魔導師マージョリー・リュミエール・アイオミ殿

 貴公に『供物』を捧げる為

 某所にて祭壇を築くものなり

 願わくばお受け取りいただきますように望みまする

 因みに『供物』は高額賞金首であるが故

 精霊機甲に搭乗しておいでませ

 万が一にも悪戯などと疑う事なかれ

 謎の男より


 という内容の羊皮紙が、マージョリーの下に届けられる様になって、かなりの日数が経つ。


 初めは単なる悪戯の類いと思ったマージョリーであったが、仮に空振りでも損は無し、情報通りに近場で賞金首を捕縛できるのなら儲け物と、軽い気持ちで指定の場所に赴くと……


 いた、それもかなりの上物。


 金色の触手に、うねうねと無様に絡み捕らえられている『供物』を、濡れ手で粟と捕らえようとした時。

 触手は金色の粒子になった後、霧消してしまった。

 自由を回復した『供物』と一戦を交え、辛くも捕縛してギルドに突き出した。


 賞金を受け取ったマージョリーは、情報を有難く思いながら、同時に釈然としない思いを抱いた。


「何で触手を消しちゃうのよ、供物を捧げると言うなら、最後までちゃんと捕まえてなさいよ! 」


 苦情をぶつけに、謎の男第一候補者のハスタァを訪ねると、彼はとても狼狽していたものの、その様な羊皮紙を出した覚えは無いと完全否定し、公務に出かけると誤魔化して遁走した。


 送り主の情報を掴む事は出来なかったが


「まぁいいか、私とリュミエールに狩れない賞金首なんて居ない筈だし、とりあえず釘にはなったでしょう。」


 と納得する事にした。


 その後、幾度も羊皮紙は届き、その度マージョリーは賞金を稼いだ。


 謎の男の言う所の、所謂『祭壇』に近づいたら、警戒のレベルを上げれば済む話だ、なんという事ではない。


 昨日の一件で、謎の男がハスタァではない事がはっきりした。

 本当に一体誰なのだろう?

 ニャルラトホテプを遣い魔に持つ男、まるで伝説のロニー・ジェイムスではないか。


 そんな事を考えていると、祭壇であろう金色の触手の塊を発見した。


 さて、本日の『供物』は誰だろう?


 目を凝らすと、そこには忘れたくても忘れられない、憎い男の姿があった。


 かつて娘狩りに襲われた時、私を捕まえ服を脱がせ、逆さに掲げたあの男だ!

 脇腹の火傷の痕が疼く、マージョリーの感情は爆発した。怒りと復讐心の赴くままに、憎い仇に突撃をかけた。

 


  祭壇から少し離れた場所で、結界呪法に身を隠し、一部始終を見届けようと、特等席に陣取る者がいた。謎の男こと、キョウとマグダラのコンビである。


「始まったね、さて、今回のお手並みは? 」


 と、言い終わらないうちに、祭壇は光と共に超高熱に曝されて分子結合が崩壊した後、極低温の洗礼を受けて原子は振動を停止する。最後は超高圧に飲み込まれて圧壊した。


 祭壇のあった場所は醜くえぐれ、文字通り『草木も残らず』の状態である。


「瞬殺でしたわね、マスター。」

「光って凍って潰れたか……、あの程度の相手じゃ、もう訓練にもならないね。」

「ええ、次の段階に進む頃合いですわね。あら、ハッチが開きますわ。」


 精霊機甲のハッチが開き、中の搭乗者の顔が露になる。その顔を見て、マグダラは心底感心した声を出す。


「本当に……、見れば見るほどマリア達にそっくり。」


 キョウも同様に、感心した声を漏らす。


「うん、見れば見るほど鞠川三尉にそっくり。」

「あら、誰ですの、その方? 」


 少し嫉妬を含んだマグダラの問いに、キョウは口笛を吹いて誤魔化した。


「マスター! 」

「内緒。」


 語気を強めたマグダラに、キョウはしれっと答えると、マグダラは更に語気を強めて問い詰める。


「マスター! 私達の間に、内緒や秘密は厳禁ですわ! 誰ですの、今の方は? 」

「そのうち分かるよ。」

「い~や~で~す~! そのうちだなんて、い~や~で~す~。い~ま~、い~ま~お~し~え~て~く~だ~さ~い~。」

 キャッキャウフフな二人だった。


 ◆◆◆


「これで良し、と。」


 アビィに男の子の服を着せ、長い髪をひっつめて帽子に隠し、マージョリーは頷く。


 昨日仕留めた賞金首を提出し、賞金と引き換える手続きをする為にギルドに出掛けねばならないのだが、少々問題があった。


 クラノンに懸けられた賞金は、A級二種丙であり、更に単独退治の一類となる為(本来は協力退治なので二類となるが、協力者不明の為マージョリーはちゃっかり一類で申告)、小規模のダンウィッチギルドでは処理出来ないので、統括ギルド機能を持つ、大規模のミスカトニックギルドに手続きに行かねばならない。


 問題はここで発生する、ダンウィッチからミスカトニックへは、マージョリーのリュミエールで約半日の時間を要する、更に手続きの時間を考えると、泊まりがけを覚悟しなければならない。

 しかし、自分がそれだけ家を開けると、アビィが寂しさに耐えきれず、一日中泣いてしまい、他の留守番の子供達の負担になってしまう。

 そんな訳で、マージョリーは先日の罪滅ぼしの意を含め、アビィを連れて行く事にした。


 男装させる理由は、誘拐や連れ去りを恐れての事である。

 ミスカトニックは、懇意にしているディオの親爺が睨みを利かせているので、ギルド内は比較的安心出来るが、用心に越した事はない。道中の心配もある。


「じゃあ、行ってくるわね。みんな、留守番よろしく頼んだわよ。」


 他の子供達はアビィを羨んで、不承不承の返事をする。特にアビィと年齢の近いラーズの不満は大きく、ついつい本音を口走る。


「チェッ、アビィばっかり、ずるい。」


 口を尖らせるラーズを、マージョリーは優しく諭す。


「ごめんねラーズ、今回は我慢してね。その代わり、良い子で留守番してくれるって約束してくれたら、お姉ちゃんお土産買って来てあげる。」


 お土産という言葉に、ラーズは目を輝かせる。


「本当! 絶対だよ! 」

「ええ、勿論、約束よ。みんなにも買って来るから、お願いね。」

「は~い、お姉ちゃん行ってらっしゃい。」


 元気良く返事した子供達は、飛び去るリュミエールを、見えなくなるまで見送った。


 往路は何事も無く、アビィは初めて見るダンウィッチの外の景色に、終始ご満悦だった。

 ミスカトニックに到着すると、事務手続きを行う為に、ギルドの窓口に向かう。


「こんにちは。親爺さん、居る? 」

「おお、マージじゃないか、久しぶりだな、元気にしておったか? 」


 ディオの親爺は、マージョリーを笑顔で出迎えた。


「はい、お陰様で。親爺さんも元気そうで。」

「おう。この子は? 新しく引き取った孤児か? 」


 ディオの親爺の問いに、マージョリーは辺りを警戒し、小声で答える。


「アビィよ。ちょっと訳ありで、連れて来たの。」

「そうか、絶対に目を離すんじゃ無いぞ。」

「分かってる。」

「うむ。で、今日は何の用じゃ? 」

「賞金首の手続きに、ブツはリュミエールのウエポンラッチに取り付けた箱に入っているわ。」

「おお、そうか、人を遣って取りに行かせよう。じゃが、それなら何もここまで……」

「丙が有るのよ。」

「ふむ、なら仕方ないな。」

「時間、どのくらい掛かる? 」

「明日の午前中には手形を発行出来るだろう、宿でも取って来るといい。」

「ええ、そうするわ。じゃあ、また後で。」


 ギルドを後にしたマージョリーは、アビィの手を引いてホテル&レストラン『シュブ=ニグラス亭』に向かった。


 初めて見る大きな街にはしゃぐアビィに目を細めながら、手を繋いで歩いて行くと、反対方向から大勢の人だかりが向かって来た。


 人だかりの中央には、白騎士教団のアーミティッジ枢機卿が、肩にペットのシャンタック鳥を乗せ、従者を従えて歩いている。取り囲む信者達は、口々に「マリアの御加護を」「白騎士の慈悲を」と唱えている。


「この子に、マリアの御加護を。」


 マージョリーはアビィの手を引いて、彼等に道を譲り、頭を垂れて祈りを捧げた。


 ふと、彼女は違和感を感じて頭を上げた、シャンタック鳥と目が合った。


 テケリ・リ テケリ・リ テケリ・リ テケリ・リ


 突然シャンタック鳥が鳴き声を上げた。


「このシャンタック鳥、変。」


 マージョリーは、本能的に嫌悪感を感じた。


「さぁ、アビィ、行きましょう。」


 その場を離れようとしたマージョリーは慄然した。


「アビィ……、アビィ! 」


 ついさっきまで手を繋いでいた筈のアビィが、忽然と姿を消している。


「アビィ、アビィ! 」


 マージョリーは、アビィの姿を求めて走り出した。


 ◆◆◆


「ここ、どこ? 」


 アビィはキョロキョロと周りを見回す。


「マージおねえちゃん、どこいったの? 」


 いきなりマージョリーとはぐれてしまったアビィは、心細くなって後ずさる、バランスを崩して尻餅をついた。その拍子で帽子が落ち、ひっつめていた髪がほどける。


 道行く者が、アビィに注目した。


 女の子じゃないか!


 気がついた者達の反応は、二通りであった。


「可哀想に、運が無かったな。」

「いい儲け口を見つけたぜ。」


 前者は争いに巻き込まれるのを避け、足早に立ち去り。

 後者は有力者に売る為、『保護』を口実に連れ去ろうと近づいた。

 近づいた者は、獲物を独り占めすべく牽制し合う。


 そんな事には気がつかないアビィは、マージョリーの姿を求めて見回すと、落とした帽子に気がついた。

 立ち上がって拾おうとすると、帽子はコロコロと道を転がりだした。


「あっ、待って! 」


 アビィは慌てて、帽子を追って駆け出した。


 帽子は、アビィの知らない男の足下で止まった。男はしゃがんで帽子を拾い上げて埃を払い、アビィと目線を合わせて手渡した。


「これ、お嬢ちゃんの? 」

「うん……」


 優しく微笑む男に安心したアビィは、気が緩んで泣き出した。


「マージおねえちゃん、いないの。マージおねえちゃん、どこいったの? 」


 男はアビィを抱き上げた。


「そっか、お姉ちゃんとはぐれちゃったのか~? それは困ったねぇ~。」


 男はそう言って、アビィを肩車する。


「よし、お兄ちゃんが一緒に探してあげる。」

「ほんとう? 」

「ああ、本当だよ。」


 グゥ~ッ。今度はアビィのお腹の虫が鳴き出した。


「あっ。」

「その前に、何か美味しい物でも食べようか? 実はお兄ちゃんも、お腹がペコペコなんだ。」

「うん。」


 アビィを肩車して歩き出した男に、連れ去ろうとした男達が声をかけた。


「よう、兄さん。」

「何だい。」

「その子、俺達の連れなんだ。保護してくれて有難うよ。こっちに渡してくれねぇか。」

「お~、随分ゴツい『お姉ちゃん』だな。ねぇ、この人達、知ってる?」


 肩車の男は、彼等に一瞥をくれた後、アビィに聞いた。


「しらない。」

「だってさ。」


 アビィの答えを聞いた男は、にべもなく吐き捨てて立ち去ろうとした。


 連れ去ろうとした男達は本性を表し、二人を取り囲む。


「この優男! 俺達の獲物を横取りしようとしたって、そうはいかねぇぞ! 」


 一斉に飛び掛かるが、手が触れる瞬間、そこにいた二人が消え、俺達はぶつかり合い、もつれ合って倒れた。


 優男と言われた男が、嫌悪感と軽蔑の混じった冷ややかな目付きで彼等を見下ろす。


「小さな女の子に、野蛮だな。ご退場願おうか。」


 男の首飾りが輝くと、倒れた男達は、這い寄る何かに連れ去られた。


 アビィは首飾りの中で、手を振る小さな影を見つけ、不安な気持ちが全部消し飛んだ。上機嫌で男の頭にしがみついた。


「じゃあ、行こうか。」

「うん。」


 そこから立ち去った二人は、道行く途中、多くの信者を従えて歩く、白騎士教団枢機卿一行と出くわした。

 男と枢機卿の視線が一瞬鋭く交錯する、小さく激しい火花が二人の視線の間に散った。


 枢機卿は男の肩の上のアビィに視線を移すと、忌々しげな表情を、対して肩車する男の方は不敵な笑みを、それぞれ一瞬浮かべてすれ違った。


 ◆◆◆


「アビィ、どこ! 」


 マージョリーは、アビィの姿を求めてミスカトニックの街を必死に走った。


 途中、ギルドに戻り、ディオの親爺に助力を求めた。

 ディオの親爺はすぐにハスタァとノーデンスに声をかけ、捜索の協力を要請し、自らもミスカトニックの街を走った。


 ある交差点でマージョリーと出くわし、息を切らせて声をかけた。


「どうじゃな、マージ。」


 焦りの色を浮かべ、マージョリーは答える。


「ううん、見つからない。」

「そうか、こっちもじゃ。こんな時に、一番頼りになる男と連絡が取れないとは、忌々しい。」

「ハスタァよりも頼れる奴なんているんだ。」


 マージョリーは、少し驚いた。


「ああ、キョウと言ってな、ただ、少し風来坊な所が有って、たまに連絡が取れなくなるんじゃ。」

「なら仕方ないわね。私、今度はこっちを探してみる。」


 息を整え、駆け出そうとするマージョリーを、遠くから呼び止める声がした。


「マージョリー殿~! 親爺さ~ん! 」


 ハスタァが大きく手を振りながら、走って来る。


「ハスタァ。」


 足を止めるマージョリー。


「マージョリー殿、親爺さん。」


 息を切らせたハスタァは、一息ついて呼吸を整えてから続けた。


「ビヤーキー隊が、アビィちゃん目撃情報を掴みました。」


 マージョリーの顔に、生気が戻る。


「本当! 」

「はい、シュブ=ニグラス亭に、男に肩車されて入って行く所を見たという情報が。今ビヤーキー隊が建物を包囲しています。」

「行きましょう!」


 ハスタァの言葉が終わらないうち、マージョリーは全速力で走り出した。


 マージョリー達の目指すシュブ=ニグラス亭では、男とアビィが食事中だった。


「美味しい? 」

「うん。おにいちゃん、ありがとう。」


 他愛もないキッズランチプレートだが、初めて体験する外食に、アビィは少し興奮気味である。


「どういたしまして。冷めないうちに、たんとお食べ。」


 男は優しく微笑む。


 男に促され、アビィは嬉しそうにもう一口頬張ると、今度は悲しそうな表情を浮かべ、涙ぐんだ。

 その姿に、男は内心驚きつつも、包み込む様な優しい口調で理由を尋ねる。


「どうしたの? 嫌いな物でも入っていた? 」


 アビィは大きく首を左右に振って答えた。


「ううん、マージおねえちゃんや、おうちのみんなにも、これ、たべさせてあげたい。」


 優しい子だな、この子を見ればサードマリアの人となりも分かる。

 男は感心する。そして、わざと少しおどけた口調でアビィを宥める。


「そうだ、良いことを教えてあげる。」


 アビィはきょとんとして、男を見上げた。


「お兄ちゃんの田舎にはね、『笑う門には福来る』っていう言葉が有るんだ。」

「わらうかどにはふくきたる?」


 不思議そうな表情で、意味も分からずにアビィは男の言葉を復唱した。男は頷いて、にっこり笑うながら話を続ける。


「うん。どんなに辛い時や、悲しい時も、それに負けて悪い事や、狡い事をしないで、ニコニコ笑ってみんなの幸せを願って行動すれば、きっと神様がご褒美をくれますよ。って意味なんだ。」

「ほんとう? 」


 半信半疑のアビィの目に、男は自信たっぷりに答える。


「ああ、本当さ。よし、じゃあ今から、お兄ちゃんと一緒に、神様にお願いしようか。」

「うん。」


 男の提案に、アビィは勢い良く返事をした。


「よ~し、じゃあ、笑って。」


 男の言葉に従い、アビィは笑顔を浮かべる。

 その笑顔を眩しそうに見つめながら、男は思案をまとめる。


 え~と、この世界で神様と言ったら、やっぱり二人のマリアだよな、うん。


 男は両手を合わせて、目を閉じた。

 アビィも男の真似をして、急いで両手を合わせ、目をつぶる。


「救世の聖女、二人のマリア様。」

「きゅうせいのせいじょ、ふたりのマリアさま。」


 男の急造の祈りの言葉に、アビィは真剣に続く。


「どうか、優しいマージお姉ちゃんや、大好きなお家のみんなと一緒に。」

「どうか、やさしいマージおねえちゃんや、、だいすきなおうちのみんなといっしょに。」

「毎日こんな美味しい物を食べて、いつもニコニコ笑いながら。」

「まいにちこんなおいしいものをたべて、いつもニコニコわらいながら。」

「いつまでも仲良く、一緒に暮らせます様に。」

「いつまでもなかよく、いっしょにくらせますように。」

「いい子にしますから、どうか、望みを叶えて下さい。」

「いいこにしますから、どうか、のぞみをかなえてください。」

「お願いします。」

「おねがいします。」


 二人が即席の祈りを捧げ終わった瞬間、重い店のドアが、蹴破られる様な勢いで開かれた。


 店内の一同、店の従業員、客に関係無く、全ての者が、丸い目でドアに注目する。

 そこには、厳しい表情の若い女騎士が立っていた。

 女騎士を認めたアビィは、嬉しそうな笑顔を浮かべた。


 男はアビィに、良かったね、と、微笑む。


「アビィ! 」


 女騎士はアビィを発見するや、疾風の勢いで駆け寄り、そして……


「てぇんめぇ~~! 」


 アビィと同席する男の顔面に、渾身の右ストレートを炸裂させた。


 男は顔面に拳を受けたまま、ゆっくりと立ち上がる。


「良い右ストレートだ、世界を狙えるぞ。」


 そう言って、男はニヤリと笑う。


 アビィは呆然として、二人の顔を交互に見上げた。

 店内の空気が張りつめる。


 そこに、また店のドアがけたたましく開けられ、ハスタァとディオの親爺が駆け込んで来た。


「マージョリー殿! 」

「マージ! 」


 二人は店内の光景を見て驚愕する。


 ハスタァは「あっ! 」という表情で固まり、ディオの親爺は「やれやれ」と目を閉じ、首を小さく左右に振った。


 男は二人を認めると、顔面に拳を受けたままの状態で彼等にコルナを送り、声をかける。


「よお。」


『女騎士』マージョリーは、右ストレートを放った姿勢のまま後ろを振り返る、そして罰の悪い表情を浮かべ、男に向き直る。


「知り合い……、だったの……? 」


 男は答える代わりに、ゆっくりと崩れ落ちた。


「キョウ殿! 」

「キョウ! 」


  ハスタァとディオの親爺は、急いで二人に駆け寄った。



「ごめんなさい、本当に悪かったわ。」


 マージョリーはテーブルに両手をつき、額を擦り付けてキョウに謝罪した。


「儂からも謝る、マージは子供達の事となると、見境がつかなくなるんじゃ。子供思いの優しさに免じて、許してやってくれ。」


 ディオの親爺が、マージョリーをフォローする。


「キョウ殿、本当に済まない。私がもっと正確に情報を掴んでから報告していれば、こんな事には、本当に申し訳ない。」


 ハスタァも頭を下げる。


「だから、もう良いって、気にしてないから。」


 キョウは面倒臭そうに答える、そこに店の給仕係が、新たに料理の皿を運んできた。


「お待たせしました。」


 給仕係は料理の盛られた皿を、それぞれマージョリー、ディオの親爺、ハスタァの前に置くと、三人は複雑な表情でその皿を見つめる。


「ごゆっくりどうぞ。」

「ああ、ありがとう。」


 会釈をして去る給仕係を、キョウは笑顔で礼を言って見送った。


 マージョリー勢い良く立ち上がり、左手をテーブルに叩きつけ、右拳を握りしめ、真っ赤な顔でキョウを睨みつける。


「気にしていないなら、これは一体何の罰ゲームよ! 」


 マージョリーは、たった今目の前に置かれた料理を指差し、キョウに食って掛かる。


「どういたしまして。冷めないうちに、たんとお食べ。」


 キョウは飄々と答える。


「あんたねぇ……」


 三人の前に運ばれたのは、アビィと同じキッズランチプレートだった。


「この歳になって、こんな物食べられる訳無いでしょう! 」


 料理に立てられた旗を指差し、マージョリーはキョウに迫った。


「儂もこの歳になって、こういう物を奢られても……」

「私も栄光ある白騎士教団の戦闘僧伽として、このような食べ物を口にするのは……」


 ディオの親爺とハスタァも、顔を見合わせてため息をつく。


 キョウは呆れた表情で、躊躇ためらう三人を見つめると、給仕係を呼び、もう一枚キッズランチプレートをオーダーした。そして猛烈な勢いで、自分の食べかけの料理を胃の府に送り込みながら、さっき迄のアビィとのやり取り、笑う門には福来たる、を懇切丁寧に訥々と説明する。


 そうしてるうちに空いた皿が下げられ、キョウの前にキッズランチプレートが静かに置かれた。


「そんなに嫌なら、この俺が手本を見せてやる! 」


 三人は、料理に立てられた旗の向こう側に『おとこ』を見た。


 キョウは、キッズランチプレートにかぶりつく、そしてアビィに優しく微笑みかける。


「美味しいよ、お兄ちゃん嬉しいな。」


 アビィは嬉しそうにキョウを見上げた。


「さぁ、君ももっとおあがり。」


 キョウが促すと、アビィは食事を再開した。


 二人が「美味しいね」と笑い合い、食事をする様子を見て、まずディオの親爺がフォークを手に取った。


「うむ、そういう事ならば、儂も食べるのはやぶさかでは無いぞ。」


 ひとくち口にして、アビィに微笑みかける。


「うむ、旨いぞ、お爺ちゃんも嬉しいな。」


 アビィは目を輝かせる。


「いたいけな子供の夢を叶えるのは、白騎士教団戦闘僧伽の重要な務め、私も喜んでいただこうではないか。」


 意を決して料理を口にするハスタァを、嬉しそうにアビィは仰ぐ。


 そして、四人の視線がマージョリーに注がれた。


「なっ……何よ、食べるわよ! アビィの為だもん、皿までだって食べてやるわよ! 」


 真っ赤な顔で、猛烈にかっ込むマージョリーに、アビィは大輪のひまわりの笑顔を浮かべた。テーブルが明るい雰囲気に包まれ、皆の心が和む。


「ほらね。」

「うん。」


 キョウはアビィに優しい視線を送った、アビィは嬉しそうにキョウを見上げる。


 マージョリーはアビィを見つめ、本当にこの子が無事で良かったと安堵した。

 そして、改めて礼を言おうとキョウに視線を移した。

 キョウはマージョリーの視線に気がついて、彼女の目を覗き込む。

 キョウと目が合った瞬間、マージョリーの心を今まで知らなかった感覚が鷲掴みにした。


 甘くて苦しい、名状しがたい痛みが、心地よく胸を貫いた。顔が熱い、さっきとは違う理由で顔が真っ赤に染まって行くのを自覚する。


 何、これ? 私……、変。


 湧き上がる未知の感情に翻弄され、マージョリーの胸の鼓動が激しく高鳴る。


 そんな彼女の内心など知る由もなく、キョウとアビィは屈託の無い視線をマージョリーに向けていた。

 キョウの視線を意識すると、未知の感情で心がはち切れそうになる。マージョリーは、努めてアビィだけ見ようと試みる。


「マージおねえちゃん、おいしい? 」


 二人の視線が、マージョリーの顔をじっと覗き込む。


 マージョリーは戸惑う、ダメ、このままだと私、爆発しちゃう。


「おっ、美味しいわよ! もっちろ~ん! あは、あはははは。」


 マージョリーは左手でキョウの顔を強引に背けて視線を逸らし、アビィの顔だけを見つめて答えた。


「おい、何だこの仕打ちは? 」


 首に力を入れて、キョウは正面を向こうとするが、マージョリーは更に左手に力を入れてそれを拒む。


「こっち見ないで! 」

「何でだよ。」

「いいから見ないで! 」

「だから何で? 」

「うるさ~い、見ないでったら見ないで! 」


 同席する三人は、三者三様の表情で、二人のやり取りを見つめている。


 ハスタァは、おろおろと戸惑い。

 ディオの親爺は、何かを得心した様に微笑んで頷き。

 アビィは、大好きなマージおねえちゃんが、優しいキョウおにいちゃんと仲良くなったのが嬉しかった。


 キョウはアビィの表情を認めると、首の力を抜き、おどけた表情でコルナを贈った。

 コルナを受けたアビィは、可愛らしい声をあげて笑った。

 キョウも可笑しそうに笑う。

 ディオの親爺もつられて笑いだし、戸惑っていたハスタァもが笑い出した。

 突然笑い出した四人に、一瞬状況が読めずにいたマージョリーも笑い出した。


 幸せな空間が、五人の囲むテーブルを包む。

 ああ、こんな時間がいつまでも続けばいいな……。

 マージョリーは思った。


 キョウ……、と言ったっけ。

 ディオの親爺さんや、ハスタァの信頼も厚い。

 そして何よりも、人見知りの激しいアビィを一発でなつかせた。彼ならば、他の孤児達もすぐに打ち解けるだろう。

 後事を託して孤児院を任せるには、うってつけの人物に思える。

 もしも彼がそれを受け入れてくれたら、私は何の不安も無く旅立って逝ける。

 そうしたら、私は最期の一年余りは、彼の隣で幸せに……。


 マージョリーの心に、普通の娘としての淡い想いが芽生えた頃、シュブ=ニグラス亭の扉がまたしても乱暴に開いた。


「おい、無事に見つかったって本当か! 」


 駆け込んで来たノーデンスが、ハスタァの姿を認めると、五人の囲むテーブルに、ずかずかと大股で近づく。


「何で俺に知らせん! 何にせよ無事で良かったが、俺は今まで街中を……」


 と、まくし立てた所で、キョウの存在に気付く。


「おのれ、貴様! 」


 ノーデンスの舌鋒の矛先がキョウに向いた瞬間、次の言葉を遮るべくハスタァとディオの親爺が拳を構えて立ち上がる。


 しかし、二人の動きより一瞬早く、ノーデンスの口からその言葉は放たれた。


「ネオンナイト、俺と戦え! 」


 言い終わった瞬間、二人の拳がノーデンスの顔面を捉え、撃沈する。


「ビヤーキー隊! こいつをギルドの外に捨ててこい! 」


 ハスタァの命に、控えていたビヤーキー隊がわらわらと飛び出し、例の「いあ! いあ! ハスタァ」の掛け声を上げて、その指示に忠実に従った。


 しかし、マージョリーには、何もかも手遅れだった。


「えっ! 」


 ノーデンスの言葉は、マージョリーの胸の中に芽生えた淡い想いを粉砕すると同時に、大きな喪失感を彼女に与えた。

 それは鉛の様に冷たく、重苦しく彼女の心にのし掛かる。


「あなたが……ネオンナイト……」


 孤児達の未来の為、必ず倒すと誓った男が、まさか目の前の優男だったとは。


 マージョリーの落胆は、筆舌し難い程大きな物だった。


 しかし、彼女は苦い薬を無理矢理飲み込む様に、それらの想いを胸の奥深くに嚥下し、覚悟を決めて優男に話しかける。


「キョウ……さん」


 マージョリーはキョウの手首を掴み、あれほど合わせるのを拒んでいた目を合わせた。


「キョウでいいよ、その代わり俺もマージって呼んでいいかい? 」


 相変わらずの優男の屈託の無い瞳に、胸をかきむしられる思いのマージョリーだったが、必死にそれを捩じ伏せて彼女は言葉を紡ぐ。


「ええ、いいわ。キョウ、あなた、今夜何か予定はある? 」

「いや、別に。」


 マージョリーは、掴む手に力を込める。


「この子を寝かしつけた後で、訪ねても良いかしら? 大事な話が有るの。」

「構わないけど、今ここでじゃ駄目なのかい? マージ。」


 マージョリーは口に出して答える代わりに、強い意志を込めた目でキョウの目を見つめる。


「分かった、ここの二階の突き当たりに部屋を取っている。いつでも来ると良い。」


 そう言って、食事を終えたキョウは立ち上がった。


 マージョリーは、キョウの手首を掴んだ手の力を僅かに緩める。

 その手の中を滑り、キョウの手がするりと抜けて行くのと同時に、自分の心から何か大事な物が抜けて行く様な気がした。

 僅かに触れた、キョウのたなごころの感触が、マージョリーの心を激しく震わせる。

 ああ、何て温かい手!


「じゃ、また。」


 キョウは皆に軽く別れの会釈をした。

 一瞬合ったキョウの目が、またしてもマージョリーの心を激しく揺さぶる。

 ああ、何て優しい目!


 マージョリーはキョウの背中を見送りながら、無言で激しく問いかけた。


 何故!? どうして貴方がネオンナイトなの!?

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