1-1-6苦悩

  相沢との一騎討ちに敗れた翌日の午後、ようやく意識を回復したハスタァは、昨夜の事の顛末を直属の上司であるアーミティッジ枢機卿に報告した。

 その時、慰労の休暇と共に受けた指示に深く悩んだ彼は、その事を相談しようかと迷いつつ、出来ずとも気が紛れれば良いと考え、夕刻になってディオの親爺を訪ねるべく、ミスカトニックのギルドに向かった。


 ギルドの事務室でディオの親爺の所在を確かめると、来客と共にホテル&レストラン『シュブ=二グラス亭』に食事に出ていると知らされ、来客中失礼かと思ったが、親爺さんとは共通の知り合いも多い、自分の知った顔なら同席させてもらい、知らない者なら席を違えれば良い。

 そう考えて、シュブ=二グラス亭に向かう事にした。


 途中、昨夜の事件の現場、倉庫の前を通ると、既に修理の業者が作業に取り掛かっている。

 どうも元通りに修理するのではなく、ちょっとした大型機が楽に出入り出来る様に改装する様子だ。

 人の心もあんな風に作り直す事が出来たら、どれ程楽に生きられるだろう……、フッ、栓無い事だな。

 自嘲の笑いを浮かべたところで、目的地のシュブ=二グラス亭に到着した。


 ふう


 ため息をつきながら扉を開ける、扉は今のハスタァの心情の様に重く感じた。


 中に入ると、奥のテーブルに、ディオの親爺がこちらを向いて座っている。あちらもこちらに気がついた様だ、軽く目礼をしてから同席している人物の後ろ姿を見た。


 ハスタァの心は後ずさった、まさか!


 その人物が振り返り、人懐っこい笑顔を見せた。

 その屈託の無い笑顔を見たハスタァの頭は、驚きの余り真っ白に飛んだ。


「よっ。」


 驚愕の対象の人物は、ハスタァの狼狽などお構い無しで、ナイフを持った右手を軽く上げ、ラフな挨拶をしてきた。


「何故君がここに居る! キョウ! 」

「いやぁ、夕べあの後格好つけて飛んでいったのはいいんだけどさ、俺、ここには来たばかりで行く当てがなくて、心神の事もあるし、結局ンガイの森の上を一回りして戻って来たんだ。」

「戻ってって……」


 ハスタァのこめかみに血管が浮く。


「しばらく此処で厄介になるから、宜しくな。」

「宜しくって! 」


 昨日の今日でよくもぬけぬけと!


 感情が爆発しかけたハスタァの機先を制し、キョウが口を開いた。


「監視し易いだろ。」


 砕けた表情のままだがく、その目は笑っていなかった。その目に威圧され、ハスタァは感情を抑えた、見透かされている。


「そんな事より、今日はあれやらないの? いあ! いあ! って。」

「今日はプライベートです。」

「ふうん、じゃ、メシ食った? 」

「いや、まだですが。」

「なら一緒に食って行けよ、美味いぞ! 黒い仔山羊のステーキ! 」

「遠慮します。」


 人懐っこく誘って来るキョウに、少し苛立ち気味に、ハスタァがピシャリと答えた。

 めげずにキョウは、屈託ない口調で聞く。


「何で? 」

「何でって! それは私が白騎士教団の戦闘僧伽で、君がネオンナイトだからだ! 」


 ハスタァは思わず声を荒げた。『ネオンナイト』という言葉に、店内の数名が食事の手を止める。

 数ヶ所のテーブルに漂う、異様な緊張感を感じたハスタァは、軽く咳払いをして誤魔化した。


 キョウは相変わらずの調子で聞いて来る。


「だから……、何で? 」

「私と君は、敵同士だからだ! 」


 ハスタァは、声を抑えて答えた。


「昨日の事を根に持ってるのか? 小さいなぁ、それでもビヤーキー隊を束ねる、戦闘僧伽のハスタァかい? 」


 茶化す様に言ったキョウのその言葉は、ハスタァの胸に鋭く突き刺さる。


 決して根に持っているのでは無い、昨日の敗北で己れの未熟さを思い知る事が出来た、感謝しているし、正直キョウの強さには憧れる、自分もかくありたいと痛烈に思う。何より自分はこの人物に、敵対心を抱けない、闇だ混沌だと言いながら、キョウから邪悪で陰湿なものを感じない、むしろそんな物とは対極の存在と感じる。

 立場がなければ、いや、気を抜けばすぐにでも膝を折り、教えを乞いたいと叫ぶ自分が心の中にいる。

 そんな意識を抑える為、わざとキョウに対して突き放した態度で接している自分に、大きな自己嫌悪を覚えるハスタァだった。


「ネオンナイトは、我々白騎士教団にとって、不倶戴天の敵なのだ。」


 自身の複雑な思いを胸に、ハスタァは絞り出す様に答えた。


 キョウはハスタァの答えを聞いて、少し寂しそうな顔をした。ディオの親爺も小さくため息を就いた。

 気まずい空気が流れた、が、この雰囲気を壊したのは、意外な事にハスタァだった。

 彼は自己嫌悪に耐えられなくなったのである。


「しかし、今は非番であるし、私もプライベートである以上、折角の誘いを無下に断る程野暮ではない、それに敵と食べる食事は美味いとも言う、どうしてもと言うなら同席しようではないか。」


 ハスタァは席に着いて給仕係を呼び、「彼と同じ物を」と、注文した。


 キョウは嬉しそうに歓迎した。


「流石ハスタァ君、話せるじゃん。俺の田舎に、『タイマン張ったらダチ』って言葉が有るんだ、まぁ今じゃ廃れた古い言葉なんだけど、正々堂々の勝負の後は、勝者は敗者を労い、敗者は勝者を称え、遺恨を残さず次回の健闘を誓い合い、握手して別れる、って意味なんだけど、いい言葉だと思わない? 」


 そう簡単に割り切れたら、どれ程楽だろうな、ハスタァは思う。同席して改めて感じたが、やはり自分にはキョウを敵として認識する事は出来ない、まして憎む事など出来ないだろう。

 しかし、どれ程友と呼び、親しくしたくとも、白騎士教団とネオンナイトは敵なのだ……。


 ハスタァの前に料理が運ばれた、三人は食事をしながら、とりとめもない世間話を始めた。

 キョウはミスカトニック、というより、ルルイエ世界の事を聞きたがった。


 ハスタァはそんなキョウの様子から、出会った時から抱き続けている疑念が頭に浮かぶ。

 彼は一体どこから来たのだろう、いくら田舎者とはいえ世辞に疎すぎる。名前も一般的なルルイエの物ではない、機械の鳥を操る怪鳥使い、そしてあれ程の実力の持ち主、これだけ目立つ特徴を持っているのに、今まで彼が噂にならなかったのも腑に落ちない。


 気になる事もあり、ハスタァは思いきって尋ねる事にした。


「キョウ、君は何処の出身なんだ? 」

「俺の出身? 日本の北海道と言っても分からないだろうな。」


 ハスタァは耳慣れない地名に首を傾げる。


「ニホン? ホカイド? 何処だ? そこは? 聞いた事が無いな? 」

「『金枝篇きんしへん』を読んだ事はあるか? ハスタァ。」


 ディオの親爺が口を挟んだ。


「かつてのマシンナリィで記された書物ですね、確か滅魔維新運動のきっかけになった物と聞きますが……、まだ読んだ事は。それが何か? 」

「読書家のお主がまだ読んでないとは意外じゃな。金枝篇はお主の言う通り、マシンナリィの急進活動家が書いた本で、魔導文明からの脱却、機械文明への速やかなる移行が人類の繁栄の道であると説いた書物じゃ。」


 それとキョウの出身に何の関係がある? と思いつつも、ハスタァはディオの親爺に話を合わせる。


「ずいぶんと偏った主張ですね。魔導も機械も密接に補完し合い、どちらが欠けても我々の文化は成り立たないと言うのに。」

「その金枝篇で、目指すべき輝ける夢幻郷として紹介されたユートピアが、ニホンという国じゃ。」


 ハスタァの顔色が変わった、動揺の色がありありと浮かぶ。


「それは、どういう事ですか!? 」

「キョウは、異世界からの客人という事じゃ。」

「何ですって! 」


 ハスタァは思わず食器を床に落とし、驚愕の瞳でキョウを見た。

 キョウは諦観に似た表情と笑みを浮かべ、肩を竦めていた。



  ハスタァは数刻前の出来事、白騎士教団ミスカトニック管区、サイクラノーシュ教会の枢機卿にして僧兵部門の長。管区全ての戦闘僧伽を束ねるアーミティッジ枢機卿との会話を思い出す。


「そうですか、ネオンナイトを名乗る者が現れ、アザトースを起動させましたか。」


 四十年配で白髪混じりの頭と、僧兵の長にしては線の細い体躯を持つアーミティッジは、ペットのシャンタック鳥に餌を与えながら、温和な口調でハスタァの報告を聞いていた。


「で、ハスタァ僧正、此度のネオンナイトはどうかね? 」


 物腰と言葉は温和だが、こちらを向こうとはしないアーミティッジに少し違和感を覚えつつ、ハスタァは答える。


「強いです。精霊機甲戦だけではなく、恐らく魔導戦闘や体術においても、彼に比肩する者は限られるでしょう。恥ずかしながら、既に上がった報告の通り、私とイタクァも子供扱いされました。いえ、子供扱いどころではありません……」

「赤子の手を捻る様に? 」

「はい、まさしく赤子の手を捻る様に……、全く歯が立ちませんでした。」

「あっはっはっは。」


 ハスタァの正直な言葉に、アーミティッジは楽しげな笑い声をあげた。


「うむ、良いぞ、実に良い。ハスタァ僧正、正直な事は実に良い。」

「はぁ……。」


 叱責の言葉を覚悟していたハスタァは、いささか拍子抜けした返信をする。


「ハスタァ僧正、常に上には上がいる。強さや賢さという物には限界が無い、極めたと思っても、周りをよく見れば、必ず上がいるものだ。自分という存在は、永遠に『井の中の蛙』である事を自覚して精進しなさい。」

「はい、お言葉胸に刻み、このハスタァ一層の精進を致します。」


 ハスタァは深々とこうべを垂れた。アーミティッジはその態度に満足して、「重畳ちょうじょう」と答えた。


 ハスタァは姿勢を正し、胸中にわだかまる疑念を吐露した。

 

「しかし、あれ程の人物が、今まで噂になる事もなく、野に存在していたとは驚きです。」

「ふむ。」

「在野の賢人、埋もれた才能というのは、決して珍しいものではありません。」

「で? 」

「しかし、実際には玉石混淆で、会ってみたら大した人物ではなかった、という例が大多数です。」


 アーミティッジは振り返り、目で続ける様に促す。


「しかし、そんな大した事の無い人物でさえ、人々の噂になるのです。たとえ今までどんな寂れた寒村に住んでいたとしても、あれ程傑出した才能の持ち主の噂があがらなかった事が不自然です。いえ、むしろ寂れた寒村でこそ、大きな噂になっていて然るべきです。我が白騎士教団も人材発掘活動を精力的に行っているのに、その網にすらかからなかったとは、正直信じられません。」


 一気に疑問を吐露したハスタァの言葉には、早くからキョウを見つけていれば、彼が賞金首にならなかったのでは、という悔やみの感情が滲んでいた。


 そんなハスタァの感情を宥める様に、曖昧な笑顔を浮かべながら答える。


「では、存在していなかったのでしょう。」

 アーミティッジの断定に、ハスタァは驚いて聞き返す。

「それは、どういう事でしょうか? 」

「他を圧倒する程の傑出した才能を持つにもかかわらず、今まで全く噂にもならず、更に我が白騎士教団の情報網にすらかかる事無く、その存在を知られていなかった人物……」


 アーミティッジはバルコニーに出て、遠くの景色を眺める。その肩にペットのシャンタック鳥がとまり、嘴で主人の頭にじゃれついた。「これ、くすぐったい、止めなさい、タクヒ。」と戯れながら、言葉を続ける。


「そんな人物など存在しなかった。そう断定する方が自然ではありませんか? 」


 ハスタァに向き直り、ニヤリと笑う。


「馬鹿な! では一体彼は何処から……」


 声を荒らげ、答えを急ぐハスタァを目で制し、アーミティッジは話を続ける。


「その、キョウとやらと一緒にいた『実体』を持たない少女マグダラ。彼女が偉大なる白騎士アレイスターに滅せられ、アザトースに封印された伝説の『闇の端女はしため』だとすると、考えられる答えは一つですね。」


 ハスタァは息を呑んで聞き入る。


「セラエノの地に封印している『断章』という、教団門外不出の予言書に、こういう文章があります。闇の端女にいざなわれた異世界の無頼漢が、稀代の魔女を覚醒させる、二人の暴威に世界は危機に曝される。と。」


 バルコニーから再び室内に戻り、アーミティッジは応接用のソファーに腰掛け、控えの者にお茶を用意する様に命じながら、ハスタァにも腰掛ける様に勧める。


 ハスタァはアーミティッジの厚意に従い、向かいのソファーに腰掛ける。何気なくシャンタック鳥のタクヒに目をやった。


 何だ、このシャンタック鳥、脚が一本しか無いのか……


 程なくしてお茶が用意された、豊潤なその香りに、こういう事には疎いハスタァも、これは最高級の素材と腕で淹れられた物と理解できた。

 ハスタァにもお茶を勧め、自らも唇を湿らせたアーミティッジは話を再開した。


「此度、ネオンナイトを僭称する、そのキョウという輩、断章に照らし合わせると『異世界』からやって来たと見て間違いないでしょう。」

「まさか、そんな事が……」


 あり得るわけがない、口では否定するハスタァではあるが、それを完全に否定する事は出来なかった。

 キョウの超人的な能力を、その身を以て体験したとあれば、なおさら否定しきる事が出来なかった。


「まぁ、眠っていた才能が、最近になって爆発的に開花したという可能性も有りますがね。どちらにしても、ネオンナイトの復活は重大事件です、速やかに教団総本部に報告せねばなりません。」

「はい。」

「さて、ハスタァ僧正。そなたには、ネオンナイトの捜索と監視を命じます。」

「はっ、直ちに取り掛かります。」


 腰を浮かせたハスタァを、アーミティッジは押し止める。


「捜索は、僧正配下のビヤーキー隊に任せれば良いでしょう。指揮官率先も大事ですが、行き過ぎると部下の仕事を取ってしまい、逆に隊の為にはなりません。ハスタァ僧正には、明日いっぱい迄休暇を取る事を命じます、ゆっくり身体を休めなさい。」

「はい、有り難うございます。」


 ハスタァはソファーに座り直し、その後アーミティッジの茶飲み話に付き合った。

 そろそろ話題も尽き、その場を辞そうとしたハスタァに、思い出した様にアーミティッジは訊ねる。


「そう言えば、ハスタァ僧正には、懇意にしている女性騎士がいましたね? 」

「ダンウィッチで孤児院を営んでいる、マージョリー殿の事でしょうか? 」

「その女性騎士の事ですが、絶対にネオンナイトと接触させてはなりません。」

「はぁ……」


 何故でしょうか? と言葉を続けようとしたハスタァは、アーミティッジの言葉に遮られる。


「もし、二人が接触する様な事があれば、そのマージョリーという女性騎士を殺しなさい、これは命令です。」


 ハスタァは思わずカップを落としてしまった。カップが割れる音が、室内に鳴り響く。


「それは、一体どういう事ですか!? 何故マージョリー殿を!? 」

「彼女はかつて、狂気山脈で反逆したアイオミ卿の娘です。ネオンナイトとの接触が、彼女にどの様な影響を及ぼすか予想が出来ません。」

「しかし! 」

「彼女が魔女として覚醒してからでは遅いのです。」

「……」



  数刻前の出来事が脳裏に浮かび、ハスタァは今後の立ち回り方を考えて気が重くなる。


 どうやら本当にキョウは異世界人の様だ、しかし予言の言う無頼漢とは思えない。

 白騎士教団と彼の間に、何か上手い落とし所は無いだろうか?

 マージョリー殿の事も同様である、ここからダンウィッチは目と鼻の先である、ネオンナイトの噂は直ぐに彼女の耳に入るだろう。

 どの様な形であれ、二人が接触するのは時間の問題である。


 自分には彼女を殺める事など出来ない、二人が出会ったら、自分はどうしたら良いのか? どうすべきなのか?

 ハスタァには全く分からなかった。


「所でハスタァ君。」


 キョウの呼び掛けが、ハスタァの意識を現実に戻した。


「君、マージョリーって子、知ってる? 」


 続く言葉は、ハスタァの心に最大級の警報を鳴らした。不味い、非常に不味い!


「知っている、だが、答えられない。」

「? 」


 何故? とキョウは目で聞いた。


「白騎士教団の公務に関わる事です、答えられない。」


 下手に誤魔化すべきではない、そう直感したハスタァの、答えられるギリギリの回答だった。

 彼の苦しい胸の内を察してか、キョウは「そう。」と言っただけで、深く追求する事は無かった。


 給仕係が、替えの食器を持って来たので、食事を再開したハスタァだったが、高級料理として名高い『黒い仔山羊のステーキ』であるにもかかわらず、味を全く感じる事が出来なかった。


 兎に角、この二人は決して会わせてはならない、せめてキョウと白騎士教団の間に良好な落とし所を見つけるまでは。


 その後、誰もが言葉を発するのを躊躇い、無言の食事となった。

 まるで通夜の様な雰囲気の食事が終わり、食後のお茶が運ばれてそろそろお開きという時、沈痛の面持ちのキョウが、ハスタァに質問した。


「なぁ、ハスタァ君、俺達……やっぱり敵同士なのか? 」

「すまない、私は白騎士教団に帰依する身、君がネオンナイトで有る限り……敵同士です。」


 ハスタァは悔しげにそう答えた。


「そうか……残念だ。」


 と言った後のキョウの態度は、それまでの重苦しい態度から一転し、うって変わって明るい物となる。


「じゃあ、ここの払いは任せた。」

「! 」

「ツケで大丈夫だから。」

「何で私が!? 」


 意外な話の急展開について来れず、驚き目を剥くハスタァを尻目に、ディオの親爺に目配せをした。

 キョウの目配せを受け、「うむ。」と頷いたディオの親爺は、鞄の中から一通の羊皮紙で出来た書類を取り出し、キョウに渡す。


 キョウは受け取った書類をざっと確認し、ハスタァの眼前に突き付けた。


「これ。」


 ハスタァは書類をひったくり確認する、みるみる顔が青ざめ、全身がプルプル震え出す。


「敵同士なら仕方ないよな、俺はいつでもいいから。」


 席を立ったキョウは、呆然とするハスタァの肩をポンと叩いて、二階のホテルフロアに立ち去っていった。


「実はなハスタァ、倉庫の修理改装代はそこから出るんじゃ、キョウはああ言ってるが、なるべく早く頼むぞ。」


 ディオの親爺は、キョウが叩いた反対側の肩をポンと叩いて店から出ていった。


 二人が立ち去った後、呆然と立ち尽くし、書類を確認していたハスタァの震えは、やがてプルプルからワナワナに変わり、それに伴い顔色も青から赤に変化した。

 書類を懐にしまい、物凄い表情で近くにいた店員を睨む。店員は明らかに怯え、ひるんだ。


「おい! おかわり! 」

「は、はい、只今! 」


 運の悪い店員は、脱兎の如く店の奥に駆け込んだ。


「じゃんじゃん持って来い、腹が減って戦が出来るか! 」


 ハスタァは運ばれて来た大量の料理を、まるで親の仇を討つ様に、猛烈な勢いで食べ始めた。


 キョウがハスタァに差し出した書類、それはB級賞金首のルールに則ったキョウの権利。


 損害賠償請求の書類


 であった、五人や十人の賞金首を倒した程度ではとても追い付かないその賠償金額は、このルルイエ世界の人間が三代続けて放蕩し、遊んで暮らしてもまだまだ十分お釣りが出る金額であった。


 最高金額の賞金首とは伊達では無かった。



「お帰りなさい、マスター。」


 マグダラは精一杯明るい態度で、部屋に戻ったキョウを迎えた。


「ああ、ただいま。」


 キョウは意図的にマグダラの服装を無視し、努めて自然にそう答えた。


「え~と、こういう時には、何て言えいいのかしら? あっ、そうそう、お食事…は外で済ませたから……、それともお風呂にします? それとも……わ・た・し? 」


 恥ずかしそうに顔を赤らめ、たどたどしい口調で言うマグダラにキョウは、体調不良とは別の理由で頭痛を感じた。


「どこでそんな言葉を覚えたんだい? 」


 空中にふわふわ浮かびながら、三つ指を着くマグダラに聞く。


 因みにマグダラの服装は、何と『裸エプロン』である。


 エプロンが普通のエプロンではなく、身体の表面積をより多く隠す事が出来る、メイド服用の大きなエプロンであった事がキョウ的に救いだったが、裸エプロンは裸エプロンである。


 困惑するキョウの口調を、不満と勘違いしたマグダラは、慌て取り繕う様に説明を始めた。


「『金枝篇』に書いてありました。マスターの故郷、輝ける夢幻郷ニホンの女性は、愛する旦那様が外から帰宅すした時は、こうしてお出迎えをすると、そして裸にエプロンはお疲れの旦那様にとって最高の癒しなるので、着用して出迎えるのは妻としての心得であると。私は妻ではありませんが、マスターのパートナーとしての務めと思い、勇気を出して着用しました。」


 ここまでの説明に対するキョウの感想、頭痛ぇ……。


「でも、男の方に肌をさらすのは初めてなので、私……恥ずかしくて……布地の多いエプロンを選んでしまいました。ご不満でしたか? マスター。」


 恥ずかしさに顔を赤らめながらも、必死な目でキョウを見つめるマグダラ。


 ロクでもない本だな、金枝篇てぇのは。


 キョウはそう思い、「はあっ」とため息をついた。

 マグダラはキョウのその態度に、勘違いの度合いを更に深めた。


「ごめんなさい、マスター! やっぱり布地が小さなエプロンでなくてはダメなんですね! 」

「待て! マグダラ!」


 勘違いと羞恥心と謝意と羞恥心と、羞恥心と羞恥心と羞恥心で頭が混乱しているマグダラの耳には、最早キョウの制止の言葉など届かない状態になっていた。


 彼女は、ただマスターの為にとエプロンに意識を集中する。


「よせ! 止めるんだ! マグダラ!! 」


 制止するキョウの目の前で、エプロンはみるみる小さくなって行く。


 華奢な身体にお似合いの、可愛らしい『微乳』の輪郭が露わになる。

 少しの衝撃で折れてしまいそうな細い腰、口にするにはまだ早い、色づく前のすももの様に、これまた可愛らしいヒップラインが露になって行く。

 エプロンの布地が、絵葉書程度の大きさに縮んだ所で小型化が停止した。


 マグダラの花開くにはまだ少し早く、ほころび始めた蕾の様な眩しい裸身の大事な場所は、エプロンのストラップと絵葉書大の布地が、今にも破れそうな最終防衛線を展開し、辛うじて隠し守っている。


「これで……、いかがですか? マスター。」


 恥ずかしさに身を捩りながら、消え入りそうな声で、マグダラはキョウにおずおずと尋ねた。


 ヤバい、何を言っても地雷を踏む! かと言って黙っている訳にもいかない、羞恥心に耐え必死に見上げるマグダラに対し、その選択肢だけは男として絶対に選ぶ事は出来ない!


 行くも引くも留まるも地獄の状況下、見敵必殺の覚悟を決めたキョウは、努めて優しく、マグダラが傷つかない様に慎重に言葉を選んだ。


「有り難うマグダラ、僕の為に必死で頑張ったんだよね。」


 恥じらうマグダラの顔に、かすかに喜びの表情が加わる。


 マグダラの目を覗き込み、ゆっくり噛んで含める様にキョウは言葉を続ける。


「いいかい、マグダラ、落ち着いて、気を確かに持って、僕の言う事を心して聞いてくれ。」

「はい、マスター。」

「必死で頑張った君に、こんな事を言うのは酷である事は分かっている。でも、それでも君に伝えなければならない事が一つある。だが、信じてくれ、僕は君を困らせたり傷つけたりするつもりは全く無い。いいね、マグダラ、ここまでは理解出来た? 」

「はい、まだ何か足りないのでしょうか?マスター。」


 キョウがある種の覚悟を決めた事を悟ったマグダラは、神妙な態度で彼の目を覗き返した。


「いや、そうじゃなくて。実はその金枝篇という本の内容だが、間違っている。」

「えっ? 」

「日本にそんな風習は無い。」


 マグダラは、何を言っているのか分からない、というていで両目を大きく見開き、キョウの目を見つめた。

 それを受けてキョウはもう一度言葉を繰り返した。


「日本にそんな風習は無い。」


 マグダラの目がぱちくりする、言っている事がだんだん理解出来ている様子である。

 キョウは更に畳み掛けた。


「日本にそんな風習は無い。」


 三度目の正直とは言うが、実際にマグダラが全てを正確に理解する迄、そこから更に十数秒の時間を要した。


 全てを理解し、真っ白になったマグダラの頭の中で、何か重要な物が弾け飛んだ。

 みるみるうちに顔が羞恥心で歪み、真っ赤に染まって行く、あっという間に大粒の涙が両目に浮かぶ。

 マグダラは両腕で裸身を隠し、床に伏せて泣き崩れる。


「嫌ぁああああああああ!」


 大泣きするマグダラに、成す術無くうろたえるキョウ。


「マグダラ! 落ち着け! そんな格好じゃお尻が丸見えだぞ! 」


 慌ててキョウはベッドからシーツを持って来て、裸身を隠してあげようとマグダラに被せるが、いかんせん彼女に実体は無い。

 シーツは虚しく彼女の身体をすり抜け、床に落ちて行った。


「マスター! お願い! 私の事! 私の事! ふしだらな娘だと思わないで! 」


 大泣きしながら訴えるマグダラの言葉に、キョウ ははっとした。


「じゃないと! じゃないと! 私! もうお嫁に行けな~い! 」


 泣きじゃくるマグダラの姿に、キョウはある事に気がついた。

 そう、精霊化という苛酷な運命を選び、三百年もアザトースと共に魂と精神を永らえていても、この子は決して神や悪魔ではない、十七歳の普通の少女なのだ。

 本来なら楽しい事や美味しい物に夢中で、恋に恋する多感な年頃の少女なのだ。


 それを……!


 キョウの心に怒りの感情がわき上がる、だが、今はその感情はしまっておく。

 何故なら今はそんな事より重要な事がある。

 そう、十七歳の麗しき姫君の心を安んじる事が、最優先事項なのだから。


 キョウはうずくまって泣き伏すマグダラの横に、彼女の身体に背中を向け、床に両足を投げ出して座った。そして肩越しに、マグダラの後頭部に優しく話しかける。


「ふしだらな娘だなんて、そんな事絶対に思わないよ。」

「本当ですか? マスター。」


 マグダラが少し顔を上げると、視界にキョウの腰が映った。


「本当だよ。」


 上からキョウの優しい声がする、首を捻って見上げると、肩越しに自分を見下ろすキョウと目が合った。恥ずかしさですぐ顔を背け、床に視線を落とすと、そこには先程はパニックで気がつかなかったシーツを発見した、そしてキョウの気遣いを 正確に理解する。


 マグダラは両腕で胸を隠し、上体を起こし始める、キョウはその動きに合わせ、視界を逸らせて前を向いて言葉を続ける。


「そもそも、金枝篇の内容を真に受けた勘違いなんだし、それに……」

「それに? 」

「それに! 」


 マグダラの言葉につられ、条件反射的にキョウは振り向いた。


 両腕で胸を隠して座るマグダラと目が合い、慌てて前を向き直す。

 マグダラも、キョウと目が合った瞬間、顔を赤らめて後ろを向く。

 二人はお互いに背中合わせで、体育座りをする格好となった。


 キョウは言葉を続ける。


「それに、誰かの為に必死で頑張れる、優しい女の子がお嫁に行けない筈無いじゃん。マグダラは……、その……、凄く綺麗だから、いつかきっと素敵なお嫁さんになれるよ。」


 マグダラは、キョウの言葉を噛み締める様に聞いた。


「マスター……、ごめんなさい……。」

「いいよ、謝る事じゃ無いさ。僕は風呂に入るから、その間お互い落ち着こう。」

「はい、マスター。」


 マグダラは浴室に入るキョウの背中を、やや上気した目で見送った。


  キョウが入浴を終え、浴室を出ると、マグダラはちゃんと服を着て、ふわふわ浮いていた。

 対照的にキョウはパンいちスタイルである。


「もう、だらしないですよ、マスター。」


 マグダラは、もう落ち着いた事を示す為、軽く怒って見せた。


「悪い悪い、寝る時はいつもこうなんだ。」


 キョウはそう言いながらベッドに潜り込む、マグダラがランプを指差すと、明かりは弱まり部屋は薄暗くなった。


「ハスタァさんの件、あれで良かったのですか?マスター。」


 キョウの腰の横に腰掛け、マグダラは聞いた。


「ああ、賠償金は別にチャラでも良かったんだけど、何か上からロクでもない指示を受けて悩んでるみたいだったからね、そういう時は少しでも身体を動かして、忙しくしている方が気が紛れるし、それに僕も何かと立ち回り易くなるからね。」


 そこまで言ったキョウは、疲れからか急激な睡魔に襲われた、大きな欠伸が出る。無理も無い、異世界ルルイエにやって来て二日目の夜、ようやく人心地ついて横になったのである、眠くならない方がおかしい。


「サードマリアに会う為の……、下準備を……、進めやすく……」


 会話の途中で、遂にキョウは深い眠りに落ちた。


「マスター? 」


 キョウの耳元に顔を近づけ、小声でもう一度呼び掛ける。


「マスター。」


 キョウが熟睡したのを確認したマグダラは、もう一度ランプを指差し、明かりを消す。

 真っ暗になった部屋の中で、マグダラは深呼吸をしてから「よし! 」と気合いを入れる、着衣が消えて全裸になった。


「ごめんなさいマスター。マスターの無意識領域の魔力を、今だけもう少し貸して下さい。」


 キョウを起こさない様に注意して、小さな声で囁くと、マグダラの身体は一瞬淡く輝くと、彼女は自分の身体に、三百年ぶりの『重力』を感じる。

 いとおしそうにキョウの寝顔を眺めてから布団の中に潜り込み、そっとキョウの胸に顔を埋めて囁いた。


「おやすみなさい、優しいマスター。」


 その瞬間、キョウはマグダラに覆い被さる様に寝返りを打った。マグダラは成す術無くキョウに抱きかかえられた。


「! 」


 起こしてしまった!


 一瞬身を硬くしたマグダラだったが、すぐに全てを捧げる覚悟を決め、全身の力を抜いた。


「マスター……」


 期待と不安、嬉し恥ずかしい想いを胸に、マグダラはその時を待った。


 しかし、なかなかその時はやって来ない。


「マスター……早く……」


 恥じらいながら声をかけたマグダラのおでこに、キョウは返事代わりに大きな寝息を吹きかけた。


 マグダラは拍子抜けすると同時に、なんだか可笑しくなってきた、おでこに当たる寝息が心地よい。


 マグダラは今まで誰にも見せた事の無い、とびっきりの笑顔でキョウの鼻の頭にキスをした。


「マスター、私はお嫁になんか行きません。だって私は、もうマスターの物ですから……」


 初めて抱く淡い想いを胸に、愛しい人の温もりを全身に感じ、マグダラは実に三百年ぶりの幸せな深い眠りについた。

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