1-1-2月下の誓い

 はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……


 夜の闇の中を、必死になって走り続けた。

 いきなり起こされて、早く逃げなさいと言われた。

 外に出ると、村のあちこちから火の手と悲鳴があがっている。


 ここにいては危ない。


 本能がそう告げた、足が自然に動き出す、必死に走り出す。何度も転んで、膝を擦りむいた、それでも立ち上がり、走り続けた。


 はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……


 泣きながら走り続けた。何処へ逃げていいのかも分からずに、それでも必死に逃げた。


 逃げる途中、時折怖い声が聞こえる。


「そっちはどうだ、いないか、女のガキは!? 」

「いねぇな、男のガキばっかりだ! 」

「男のガキに用はねぇ! 面倒臭いから殺っちまいな。チッ! 何処に隠しやがった! 」

「徹底的に探し出せ! 女のガキはお宝だ! 」


 こっちはダメ! あっちへ、怖い声のしない方へ!

 向きを変えて走り出した途端、何かにぶつかって尻餅をついた。頭上から怖い声がする。


「おお、ガキだ! ガキがいるぞ! 」


 恐る恐る見上げると、知らない怖い顔のおじさんが見下ろしていた。

 別の怖いおじさんが、大声で怒鳴っている。


「女か!? 男か!? 」


 怖い顔のおじさんは、乱暴に私の服を脱がせて、物凄い力で足首を掴んで私を逆さまにして持ち上げ、高く掲げた。


「お宝だ! 」

「イャッホ~! 」


 下卑た歓声に包まれる不快感と、この上無い恐怖。


 痛い! 痛い! 痛い!

 放して! 放して! 放して!

 怖い! 怖い! 怖い!

 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ!


 私は無理矢理臭い袋に押し込まれ、荷車に載せられた、中は他の捕らえられた女の子の泣き声で溢れている。


 助けて! お父さん、助けて!


  気が遠くなる程の時間を荷車で揺られ、恐怖と憔悴で涙が涸れた頃、荷車は止まった。

 袋のまま担ぎ上げられ、何処かへ運ばれて行く、女の子の悲鳴が聞こえてきた。

 悲鳴はだんだん近づいてくる、乱暴に床に下ろされ、袋から出され、恐怖の光景を目の当たりにした。


「お前達はもう、このウォーラン一家の売り物だ! その印を刻んでやるから有り難く思いな! 」


 泣き叫ぶ悲鳴と肉の焼ける臭い、恐怖に身体が凍りつく。


「次はお前か、楽しみにしてろよ。」


 嫌だ! どうしてそんな酷い事するの! 怖い! 助けて!

 真っ赤に焼けた『焼きごて』を掴み、脇腹に押し付けた。


「嫌ああああああああああああああああああああ! 」


 そこで目が覚めて、飛び起きた。


 大きく肩で息をする、乱れた呼吸を整える為に深呼吸。

 たった今見た悪夢を振り切る様に顔を上げる、目を開けると、そこには心配そうに見つめる子供達の顔、顔、顔、顔。


「こわいゆめみたの? マージおねえちゃん。」


 一番小さい女の子が、膝の上に登って来ておずおずと尋ねた。


「あはははは、お姉ちゃん、怖いオバケの夢見ちゃった。」

「だいじょうぶ? 」

「うん、大丈夫、ありがとね。」


 優しく微笑み答える、しかし女の子は自分の内心にわずかに残る恐怖を感じ取っているのか、未だ心配そうに見つめている。いけない、気分を変えなくちゃ。

 そう思った瞬間、ドアが開いた。


「マージお姉ちゃん、お水持って来たよ。」


 一番年長の(それでも十二歳位の)女の子が差し出すコップを受け取り、感謝して一気に飲み干す。

 有難い、これで生き返った、最高の笑顔で子供達を見渡す、最後に最も心配しているであろう、一番小さい女の子と目が合った。


「だいじょうぶ? マージおねえちゃん、おねしょしてない? 」

「ぷっ! あはははは。」


 思わず吹き出してしまった、これで完全に気分が変わった、有り難う。


「バーカ、マージお姉ちゃんがおねしょなんかするもんか! 」


 やや年嵩の男の子の言葉に、女の子がぐずりだす。


「だって、だってわたしがこわいゆめみたら、おねしょしちゃうから……、うわぁ~ん。」


 泣き出した女の子に向かって、男の子が囃し立てる。


「なんだ!アビィの奴まだおねしょしてやんの、おっかしぃ~。」

「え~ん、マージおねえちゃん、ラーズがいじめる~。」

「ラーズ、駄目よ、男の子がそんな事しちゃ、それに、おねしょならあなたも先週したじゃない。ほらほら、アビィもいい子だから泣き止んで。」


 優しくたしなめ、宥める。


「お姉ちゃんね、怖い怖いオバケにいじめられる夢を見たの。」


 そう、野盜の『娘狩り』という、忘れたくても忘れられない、過去の恐怖体験の悪夢を。脇腹の刻印が鈍く疼く……


「怖い怖いオバケに囲まれて、何処にも逃げられなくて、怖くて悲しくて泣いてたら」


 ここで一旦言葉を区切り、子供達の顔を見回す。子供達の目が、話の続きを無言でせがむ。


「ジャジャーン、みんなが駆け付けてくれて、怖いオバケをやっつけてくれました! ラーズもアビィも大活躍だったぞ~、みんな有り難う。」

「やったぁ! 」


 子供達から安堵の歓声が上がる、良かった、安心してくれた。アビィの顔を抱き寄せて頬擦りし、ラーズの頭をクシャクシャに撫で回す。


「さあ、お姉ちゃんはもう大丈夫だから、みんなも寝床に戻って、早く寝ましょう。」


 ベッドの上に立ち上がり、パンパンと手を叩いて促したが、子供達は誰も自分の寝床に戻ろうとはしない。


「どうしたの?早く寝ないと寝坊しちうぞ、寝坊したら朝ごはん抜きだぞ~。」


 おどけながら注意をすると、アビィが腰に抱きついて言った。


「マージおねえちゃんが、もうこわいゆめみないように、アビィがいっしょにねて、まもってあげる。」


 アビィの言葉が呼び水となり、他の子供達も口々に言う。


「僕も!」

「私も!」


 なんて優しい子供達なの!


 涙が溢れそうになるのを堪えて答えた。


「本当?お姉ちゃん嬉しいな!じゃあみんな、守ってくれる?」


 月明かりが僅かに窓から射し込む暗い部屋の中で、子供達の顔が明るく輝く。


「じゃあみんな、おねしょが怖いから、先におトイレ済ませてから寝ましょうね。」

「は~い。」


 守らなくては、この子供達は、なんとしても守らなくては。

 絶対にあんな目に遭わせる訳にはいかない。



  悪夢の続き、恐怖の記憶が鮮明に蘇る。


「馬鹿野郎! 失敗したじゃねぇか! しっかり押さえとけ! このスカタン! 」

「へぇ、すんません、おかしら。コラッ! このガキ、暴れるんじゃねぇ! 」


 さっきよりも強い力で押さえつけられた。


「今度は暴れるんじゃねぇぞ、ガキ。あんまり手こずらせたら、全身焼き痕だらけになっちまうぞ、それでもいいのかい。」


 お頭と呼ばれた男は、なぶる様な口調で脅しつける。恐怖の余り、思わず失禁してしまった。


「コラッ! このガキ! 漏らしやがって! 」


 腹部に衝撃を受け、息がつまる。親方に蹴り飛ばされたのだ。

 蹴り飛ばされて転がった先で、白銀の高貴な甲冑に身を包んだ男が、何かを言いながら室内に入って来るのが目に入った。


 騎士様だ! 助かった!


 距離が遠かったのと、余りに大き過ぎる喜びと安堵で、彼が何と言っていたのか聞き取れていなかった。


「おい、まだ終わらないのか! 早くしろ! 」


 騎士はそう言っていた……


 そうとも知らず、力を振り絞り、騎士に近づいて助けを求めた。


「私は白騎士教団の騎士、トニー・『リュミエール』・アイオミの娘、マージョリー・アイオミです、騎士様、どうかここにいるみんなをお救い下さい。」


 ああ、これでみんな助かる、良かった!


 そう思ったマージョリーの、期待と安堵を騎士の言葉が打ち砕いた。


「反逆者アイオミ卿の娘だと! 」


 ねめる様に見下ろす騎士の目と目が合った、刹那、またしても腹部に激痛が走り、視界が回転する。騎士に蹴り飛ばされたのだ。


 何故?


「殺せ! 」


 騎士は冷酷に言い放った。


 お頭はマージョリーにいやらしい視線を浴びせ、騎士におもねる様に聞いた。


「旦那、それなら俺達の所で廃れさせてもいいですか? 」

「駄目だ! 殺せ! 」


 騎士の言葉に、お頭は軽くため息をついた。


「だとよ、騎士の嬢ちゃん、運が無かったな。旦那、殺っちまう前に、楽しんでも構いませんよね? 」

「好きにしろ。」


 騎士は踵を返して出て行った。


「ゲス共が……」


 去り際にそう吐き捨てて。


 野盜共が下卑た笑いを浮かべながら、マージョリーを取り囲む。


「てな訳で騎士の嬢ちゃん、嬢ちゃんが天国に行く前に、俺達を天国に連れて行ってくれないかなぁ、ん~。」


 下卑た哄笑が上がる、マージョリーは恐怖の質が変わって行くのを感じた。

 何されるの、怖い! 嫌だ! 助けて、助けてお父さん!


「げへへへへへ」


 下劣な本性を剥き出しにして、野盜のお頭はマージョリーを組み敷いた。マージョリーの恐怖は臨界を越えた。


「お父さあぁぁぁぁぁぁぁぁん! 」


 マージョリーの必死の叫びに呼応したかの様に、建物が半壊し、屋根と壁の一部が崩れ落ちる、土煙にむせびながら、野盜共は「何だどうした」と右往左往している。


 この異変に、先ほど出て行った仮面の騎士が駆け戻ってきた。


「どうした! 何が起きた! 」


 薄れ行く土煙の中、呆け面の野盜共の向こうに、巨大なシルエットを認めた。


「あれは精霊機甲フェアーリー、何故こんな所に、誰が乗っている!? 」


 力強く神々しい巨人の出現に、野盜共は肝を潰した。


「助けてくれ~。」

「にっ、逃げろ~。」


 野盜共が口々に叫びながら、腰を抜かし、こけつまろびつ無様に逃げ惑う最中、巨人は優しくマージョリーを見下ろしている。

 マージョリーは巨人に、父親の幻影を見た。


「お父さん……」

「マージ……」


 父親の幻影は優しく微笑み、光の粒子となり四散した。


「待って、お父さん! 」


 手を伸ばして呼び止めるマージョリーに向かって、巨人の胸から紅蓮の赤、聖水の青、大地の黄の3色の光の筋が伸びて、優しく包み込む。

 かつて抱かれた優しく力強い父親の腕の感触を光に感じたマージョリーは、目を閉じて身を委ねた。

 再び目を開けると、そこは精霊機甲のコクピットだった、コンソール中央のクリスタルが輝き、威厳のある、しかし優しい口調でマージョリーに語りかけた。


「吾はかつて汝の父親、トニー・アイオミ卿と契約せし精霊リュミエール、亡きアイオミ卿の遺志に従い汝に問う。汝、吾との契約を望むか?」


 父親との最後の絆である、嫌も応も無かった。


「はい、望みます。」

「契約の受諾を確認しました、吾、精霊リュミエールはこれより、マージョリー・リュミエール・アイオミ卿に忠節を尽くす事を誓います。」


 まだ明けきらぬ空の中、精霊機甲リュミエールは、新たな主を乗せて飛翔した。


  あれから八年が過ぎた……

 十三歳を過ぎてから、本格的に賞金稼ぎとして活動を始めた。

 数多くの野盜を退治し、娘狩りの被害から多くの村を救い、子供達を守った。

 運悪く親を喪った子供達を引き取り、孤児院の運営も始めた。

 窓から射し込む月明かりの下、あどけなく寝息を立てる子供達、孤児達を見つめ、マージョリーは決意を固める。

 この子達を絶対守り抜く、自分の力が及ぶ限り。

 明日も、来週も、来月も、来年も、そしてその次の年も!


 その次の年


 マージョリーの心に、暗い影がさした。


「その次の年なんか、私には無いのに……」


 現実がマージョリーを打ちのめし、どうしようもない無力感に苛まされる。

 現実……

 このルルイエ世界では、女性は全て、産まれながらにして呪いの病に罹患している。


 マリア病


 それが病の名前である、この病気の為にルルイエ世界の女性は、二十歳の誕生日を越えて永らえる者はいない。

 よって、権力者、有力者は、血縁後継者維持の為に、こぞって多くの娘の確保に努めた。

 その確保の手段の一つに、野盜による娘狩りがある、野盜達は権力者達に闇で売る為に、また直接雇われて娘狩りを行っていた。

 マージョリーは現実が許せなかった、そしてこの世界を憎んだ。しかし、何と、どう戦うべきなのか分からなかった。

 彼女に出来る事は、目の前の子供達を救い、守る事だけだった。

 だからマージョリーは恐れた、命が尽きる事ではない、守れなくなる事が…


「ママ……」


 アビィの可愛らしい寝言に、マージョリーは我に返った。ルルイエ世界の女性は、通常十代半ばで結婚して、後半までに子供を産む、そして二十歳の誕生日の朝、我が子を想い、後ろ髪を引かれながら天へと旅立つのである。遺された子供達は母親の優しさや温もり、面影すら知らない。

 マージョリーはアビィの髪を優しく撫でながら、そっと囁く。


「安心しておやすみ、私がママの代わりよ、絶対に守り抜いてあげるからね……」


 自分の死後、如何にしてこの子達を守り抜くか


 この命題に対し、十八歳の誕生日を半年後に控えたマージョリーの答えは


 より多くの賞金首を倒し、賞金を遺産として子供達に遺す


 である、月明かりの下究極の目標を口にした。


「ネオンナイトは私が倒す。」


 最強の賞金稼ぎにして、最高金額の賞金首ネオンナイトの首を獲る事が究極の目標である。


 出来るだろうか……


 不意に不安が心をよぎる、子供達の寝顔を見回す。


「お願い、みんな、私に力を貸して。」


 マージョリーは子供達への想いを力に変え、弱気な心を追い払った。


「必ずやってやる、私はかつて鋼鉄アイアン精霊騎士マンと称された白騎士教団近衛十二騎衆マジェスティックトゥエルブ筆頭、トニー・リュミエール・アイオミの娘、マージョリー・リュミエール・アイオミなんだから。」


 マージョリーは月下に誓った。

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