第二部 第二章 腹黒い奴ら 第一話 セラエノ
キャプテン・デュノワはここ数日間、自分自身の忍耐力の限界に挑戦していた。彼は苛立たし気な足取りで、絵に書いたような不機嫌面を首から上に据付けて、駐機してある精霊機甲の周りをグルグルと歩きまわりながら、たった一つの報告を待っていた。
「全く、奴等は本当にやる気があるのか! 」
忌々しげにそう呟くと、怒りに血走った
「フン! 」
彼等の仕草の中に、闘志の薄れつつあるのを感じたデュノワは、自身の不機嫌さを隠そうともせずに鼻を鳴らした、そしてこの地に進発してから幾度発したか分からない言葉を荒々しく発した。
「後詰めの隊はまだ来んのか!? 」
「まだ来る気配も有りません」
期待してなかったとは言え、毎度判で押した様に同じ返事が予想通りに返って来ると、いい加減気が滅入りそうになる。これではいかんと全身を震わせ、闘志を掻き立て咆哮する。
「馬鹿野郎! 畜生め!! 」
キャプテン本人は闘志を掻き立てたつもりだったが、もはやそれは闘志ではなく単なる怒気であった。
怒気は闘志とは違う、味方の心をささくれ立たせ、自らの思考と行動を雑にさせる。セラエノ自警騎士団は、敵の眼前で、本格的な戦闘を行う前に、士気の崩壊という危険な兆候を見せ始めていた。
そんな危うい空気を、鈴の様ではあるが、凛とした力強い芯の通った声が救った。
「キャプテン、此度は引きましょう」
「しかしジャンヌ……」
悔しげに声の主に顔を向けるキャプテン、彼の視界には美しい金髪を短く刈り揃えた、たおやかではあるが強い意思を感じさせる美しい顔立ちの少女が首を左右に振っていた。少女の目は、なぜか固く閉じられている。
「我々セラエノ自警騎士団は団員の練度も高く、個々の技量や戦術では何ら敵、いや、ルルイエ中のどの騎士団にも劣るものではありません」
「……」
「しかし、敵に対して圧倒的に少数です、後詰めが無くば奪還したとて城塞の維持は望めません。悔しいのはやまやまですが、此度もある程度の住民が救出できた事で良しとしましょう」
「ぐぬぬぬ、又してもあの腰抜け共め……」
キャプテンは、閉じられた少女の瞼の向こうに、苦渋の光を感じ取る。彼女の言葉は正しい、キャプテンも自分の感情を抜きにして判断すれば、もはや撤収しかないと考えていた。彼には自分の感情をねじ伏せて決断する能力が有る、なんと言っても彼は目の前の少女を鍛え上げ、騎士団長にまで育てた実績を持つ優秀な指揮官なのだ。何を隠そう彼は先代のセラエノ自警騎士団団長であり、自分より優れた後進を認め、地位を譲り補佐をする度量を持ち合わせている、器の大きな男でもある。そんな彼をして、ここまで感情を露わにするのには大きな理由が有った。しかし、そんな事に囚われ、感情に支配されて荒れ狂っていても、事態は好転する筈もない、あの口先だけの腰抜け共は来ないのだ、それならば……
彼は割り切る事の出来ない感情をねじ伏せ、自分が手塩にかけた少女の成長のみに目を向け喜ぶ事にして、心の折り合いをつけた。
「騎士団撤収、追撃に用心して後退するぞ! 」
キャプテンの号令を背中で聞きながら、悔しげに表情を曇らせてアレンオルンの城壁に顔を向ける少女の名はジャンヌ・ダークという。
セラエノ
そこは古い歴史を持つ、今のルルイエ世界において数少ない領主制の城塞都市国家群である。
今からおよそ五百年程前、ミッシェル・ド・セラエノが、精霊アトラク=ナクアのお告げを聞き、この地に入植し開拓したのが歴史の始まりと言われている。彼はアトラク=ナクアの指示に従い、馬蹄型カルデラの中心地にある巨大な湖に橋を掛け、広大な中洲に城塞都市を築き上げると、そこを拠点に一帯のカルデラ盆地を開発し、農工商業を発展させていった。滅魔亡機戦争勃発迄に、拠点の城塞都市を含む九つの城塞都市を建設し、完全完結型の巨大な経済圏『セラエノ』を作り上げた。
戦争勃発当時も、中立の立場を表明し、戦災難民と政治亡命者を無制限に受け入れ、人的資源を増大させて発展を続けていった。この姿勢に両陣営は激怒し、自陣営参加を強要して代わる代わる攻め込んだが、馬蹄型の巨大なカルデラという天然の要害たるセラエノの地を、何人も侵す事は叶わなかった。戦争末期、マリア騎士団の蜂起に賛同した当時のセラエノ侯シャルルは、それまでのマリア騎士団本拠地のハイパーボリアに代わる本拠地、策源地としてセラエノの地を提供した。以降、二人のマリアと厚い友誼を交わしたセラエノの民には、戦後白騎士教団とは異なる独自のマリア信仰が発生する事となった。彼等と白騎士教団の関係は、基本的に相互不干渉の姿勢ではあるが、良好と言って良い友好関係を結んでいた。その関係は白騎士教団門外不出の聖典『断章』の守護者は、代々セラエノのマリア教徒が任ぜられる事から、強固な関係を結んでいる事がうかがい知れる。
さて、この様に古くから発展を続けてきたセラエノに陰りが生じたのには、幾つもの原因がある、成長期を終え経済が停滞から衰亡を始めた事、マリア病による活力の減衰、野盗の跳梁による治安の悪化等が挙げられるが、最も直接的な原因は奸婦イザーボの反乱だろう。イザーボとは、先代セラエノ侯ジャンの妾腹の娘である。彼女は美人の産地として有名なセラエノでも、群を抜いて容姿端麗な上に、幼い頃から才気煥発で、父親に献策しては、停滞を見せ始めたセラエノ経済を立て直し、馬蹄型カルデラという地の利に加え、八門禁鎖を元に支城塞都市の再編を行い、精鋭ではあるが少数の騎士団でも野盗等外敵からの防備体制を万全な物に改良する。もしこの娘が男ならば、セラエノ中興の祖として未来永劫に名を残したであろうと噂した。彼女自身も陰りの見えてきたセラエノの行く末に不安を抱いており、十六歳の誕生日に『セラエノ百年の計』と題する献策書を父親に贈った。しかし、余りに斬新で先進過ぎるその献策は、セラエノ侯及び近習の者全てが理解不能で有ったという。その旨をイザーボに伝えると、彼女は「始めは分からないかも知れないが、やっていくうちに理解出来る筈です。人は学習する生き物です、経験則を積み重ねれば、必ず理解に至るでしょう、私はその様にこれを書きました。それに、百年の間に私を超える才の持ち主が現れる筈です、そのために、併せて教育に力を入れる事を献策します」と、食い下がった。しかし、ジャンは教育に力を入れる事のみを入れ、献策書については今後検討するとお茶を濁してお終わりとなる。イザーボはこの仕置きに我慢が出来ず、折に触れ話を蒸し返すが、ジャンは言葉を左右にはぐらかし続けた挙句、「これ以上の献策は無用、今後は
この献策書は、彼女が生きた証である、廃案されるのも癪であるが、人に奪われ功績とされるのはもっと許せない。妾腹とはいえ、愛する父親の仕打ちに、イザーボは壊れてしまった。
「私の愛を裏切るなんて許さない、どうせ衰亡の未来しか無いのだから、今すぐ私が滅ぼしてやる!! 」
セラエノの統治は、セラエノ侯を頂点とする内閣と、商工農の各産業ギルドから選出された自治委員、それに騎士団団長から成る議会で行われていた。議会の長は、数代前に枝分かれしたセラエノ一族の末裔が代々務めている。建前上、内閣と議会は平等とされているが、実際はそうではない。議会の長は、セラエノ侯一族本流の者達から『分家の裔』と蔑まれており、この事からも分かる通り、議会は実質的に内閣の数段下の扱いを受けていた。イザーボはこの現実につけ込んだ、彼女は嘆願が有りますと、ある夜単身議長宅を訪れる。この時の彼女の身なりは胸元を強調した上に背中が大きく開き、腰までスリットの入った、実に煽情的なデザインの赤いドレスだったという。
どのような嘆願が有るのかと問い質す議長の言葉を左右にはぐらかし、手ぶらでは失礼という名目で持ち込んだ酒を勧め、自らもそれを口にする。戸惑う議長に、イザーボは婀娜っぽい視線を向けながら議長の隣に座ると、父親の愚痴をもらした。議長は君は実子と言っても妾腹なのだから、慎み弁えなさいと当たり障りのない言葉を選んで受け答えしていたが、そんな議長にイザーボは可愛らしく拗ねた上目遣いで、不満気な視線を送る。
「私はセラエノのために、一生懸命考えているんですよ、酷いと思いませんか? 」
そう言いながら、議長にしなだれかかって訴えた。議長の腕に、少女特有の硬さが微かに残る、豊かな胸が無防備に触れる。議長は理性を総動員し、話を早く切り上げて彼女を帰そうと考えたが、蠱惑的な彼女の視線に、次第に理性を蝕まれていった。這い上がる様に訴える彼女の胸の谷間を、ドレスの胸元から垣間見た時、議長の理性は事象の地平線の彼方へと消え失せる。我を忘れて抱きしめようとした議長の腕をすり抜けると、イザーボは少なくなったグラスに酒を注ぎ込み、「酔ったのかしら」と言ってバルコニーに歩み出た。
月光にグラスを掲げる彼女の後ろ姿、薄衣に浮かび上がる少女のシルエットに、遂に議長は紳士から、一匹の『
「!!!! 」
獣欲に任せ、議長は乱暴にイザーボを床に押し倒した。グラスの割れる音が室内に響き渡った後、一瞬の静寂が訪れる。荒い息で己を組み敷く議長に向け、イザーボは戸惑いと怯えの混じった、哀願の瞳を向けた。
「嫌、やめて」
そんな少女の仕草と言葉が、
セラエノ一と言われる頭脳と美貌を誇る美少女の肉の蕾をこじ開けて花開かせた事、そしてその少女の秘境の全てを征服した事の達成感に議長は深く酔い痴れる。そんな議長に、肉の花弁を絢爛に咲き誇らせながら、イザーボは喘ぎよがり囁きかけた。
「セラエノは、貴方の様な、聡明で、逞しい殿方に、治められる、べきなのよ、市民達も、きっと、それを、望んで、いる、わ」
何度も何度も甘く囁かれるその言葉は、深い快楽と達成感、征服感に痺れきった議長の脳に、野心という仇花をしっかりと花開かせた。議長は雄の本能と獣欲の全てを、美少女という名の桃源郷の隅々に放出しつくし、生涯最高の絶頂感を味わった。息も絶え絶えに胸の谷間に顔を埋める議長の頭を優しく抱きしめ、イザーボは止めとなる言葉を彼の耳の中に落とし込んだ。
「貴方に今の地位はそぐわない、貴方はセラエノの王になるべきよ」
「私が、セラエノの、王に!?」
「ええ、貴方なら出来るわ」
議長の心に咲いた仇花に、確固たる根が張ったのを確認したイザーボの目には、傾城の光が妖しく輝いていた。
セラエノの王となる。野心に目覚めた議長だったが、基本的に暗愚に寄った凡人である彼には、その具体的な方策を思いつかずに懊悩していた。あの甘美な一夜を思い出し、現実逃避する彼を、看過出来ない現実が襲う。それは数名の若手自治委員からの激しい突き上げであった。突然の事に、人を使って調査した議長に、更に看過出来ない現実が突きつけられる。それは、彼等若手自治委員は、全てイザーボと密会を行っていたという事実である。急ぎイザーボを呼び出し、彼女の不貞を激しくなじった議長に、悪びれる事無く彼女はしれっとこう答えた。
「あら、私の期待を裏切った議長が悪いんですのよ。折角私の初めてを差し上げたのに、議長ったら何にもしないんですもの、幻滅してしまいましたわ」
「そ、それは」
逆に居直られてたじろぐ議長に、イザーボは小悪魔的な笑顔で、誘うような視線を絡めて言葉を紡ぐ。
「私、王足る強い殿方に抱かれたいの。私を独り占めしたいなら、それを証明して下さいな」
議長は震えながら生唾を呑み込み、イザーボの胸に、腰に、脚にねっとりとした視線を這わせる、彼女を視姦しながら、あの官能の一夜を思い出した議長の目に、狂気の炎が浮かび上がった。再び己の獣性に火を着けた議長は、激しく彼女を犯しながら「嫌だ、この娘は死ぬまで俺一人の物だ!! 」と、心に強く誓っていた。
次の日から、セラエノの民政の一切がストップした。箍が外れた議長は、セラエノの王となるべく行動を開始する。今までその方法が分からなかった彼だったが、それは若手自治委員が教えてくれた。分かってしまえば簡単な事だ、セラエノ侯をはじめとする、内閣を攻撃すれば良いのだ。
こうして我欲に目が眩んだ議長の先導で、自治議会は常に内閣の政策に反対を続け、ピンはゴミの収集、キリは予算案というありとあらゆる政治案件が停滞していった。代案の提出もせず、狂犬の様に反対する為の反対を繰り返す自治議会と、それを抑える事が出来ないセラエノ侯内閣に、市民の間に次第に政治不信が積もっていき、どうしようもない厭政感に覆われた。その状況を見て、イザーボは作戦を第二段階に移行した。
イザーボはセラエノ周辺の有力野盗の首魁に、自らの身体を与えて籠絡し、政情不安のセラエノに止めを刺すべく行動を開始した。首魁は始めはイザーボに対し、お前も売ってセラエノも頂くと嘯いていたが、あっさりイザーボの肉体の虜となり、彼女の方策に従う事となった。その内容は、セラエノ伝統の『流民受け入れ』政策と、『少数精鋭による専守防衛』戦略を逆手に取った内容である。イザーボは首魁を誑かし隊商や近隣の集落を襲わせると、逃げ出してセラエノに保護を求める流民の中に手下を混ぜ、セラエノの城塞内部に潜入させた。審査基準がザルも同然だったのは、イザーボの肉の魅力に籠絡された、自治委員の激しい突き上げの結果である。そしてその数は自警騎士団の数を凌駕していき、周到な用意の末、叛逆の時が来た。セラエノ内部に埋伏した野盗が一斉蜂起し、城門をこじ開けて外の野盗本隊を城壁内に引き入れたのは、イザーボ十九歳の時だった。イザーボの手引きで野盗の軍団は自警騎士団の作戦の裏をかき続け、行きがけの駄賃と言わんばかりにセラエノ侯家に伝わる精霊機甲アイホートを強奪すると、瞬く間に西部三郡の城塞都市を落としたのだ。そんな中でキャプテン・デュノワ率いる自警騎士団は奮戦するも、野盗の撃退は遂に叶わず、三郡からの難民を護りつつ、撤退を余儀なくされたのだった。唯一の救いは、三郡の中の中央に位置するアレンオルンで、喘息療養中だったセラエノ公女シャルロットの保護に成功した事と、ダーク家の末裔ジャンヌの精霊騎士、機械魔導師への覚醒だろう。ジャンヌは野盗の群れの只中に、家祖伝来の精霊機甲アトラク=ナクアを駆って飛び込み、血路を拓いてシャルロットをはじめとする、多くの住民の避難に成功したのである。後に、自身を遥かに凌駕するであろうジャンヌの才能に惚れ込んだデュノワは、彼女を徹底的に鍛え上げると、自警騎士団団長に推薦して自らの職を彼女に譲って現在に至る。
さて、野盗の引き込みに成功したイザーボは、セラエノ転覆作戦の最終フェイズに移行した。自身の二十歳の誕生日の前日の夜、逞しい貴方に抱かれて逝きたいと、言葉巧に野盗の首魁を呼び出した。充分にイザーボに情が移っていた彼は、単身彼女の指定した場所に行くと、そこに待っていたのはイザーボだけではなく、自警騎士団をはじめとする治安維持部隊のメンバーだった。おのれ! 謀ったな! と、抵抗、逃走を試みる首魁だったが、多勢に無勢、幾重にも渡る包囲網に屈して生命を散らした。その場に居合わせた、何も知らない自警騎士団やセラエノ政府関係者が、イザーボの勇気と最期の献身を褒め讃えると、彼女は狂った様に大笑いを始めた。
「ああ、おかしい! 何を言っているの。これを仕組んだのは私だっていうのに、馬鹿じゃないの、アンタ達」
イザーボはこれに至る詳細を、詳らかに明かすと、狂った嘲笑の果てに二十歳の朝日に包まれながら身罷って逝った。この瞬間、セラエノ政府と議会の権威は地に落ちた。議長をはじめとするイザーボの肉体に溺れた議会関係者の殆どは、恣意的内政停滞で罷免された後、外患招致の罪で縛り首となった。セラエノ侯一族もその存在意義を失い、共和制移行の機運が高まっていった。そんな中、時期領主のジャン・ピエールが暗殺され、ジャンが失意の内に病没し、わずか十三歳のシャルロットがセラエノ侯に即位する。彼女は幼いながらも懸命にその職務を勤めようとするが、過激な共和制移行派と、西部三郡に居座る野盗達に阻まれ、政情不安の解消には至らなかった。彼女はせめて西部三郡の解放を試みるが、自警騎士団の特色、少数精鋭がここで仇となる。
少数精鋭とは聞こえが良いが、要するに慢性の人員不足なのである。幾度かの戦闘で野盗を打倒し、一郡を解放しても、数の不足で押さえが利かず、すぐに奪還されるというイタチごっこの繰り返しであった。そんな状況を打開するために、新セラエノ候シャルロットが取った策は、親交のある白騎士教団への助力要請だった。
教団はこれを受け、
二人は援軍としてやって来ると、可憐なセラエノ候シャルロットに恭しく慇懃な挨拶をした後、自警騎士団との打ち合わせにおいて、開口一番にこう言った。
「諸君等は手出し無用、ここは我等の手で害虫共を退治しましょう」
「さよう、諸君等は、祝勝会の準備でもして待っていて下され」
と、丁寧ではあるが、聞く者に微かに違和感を感じさせる口調で宣言した二人に、キャプテン・デュノワは危ういものを感じていた。
「恥ずかしながら奴等は我が領主家に伝わる精霊機甲アイホートを強奪していった手練である、貴公等は地の利を知らぬ不利が有る。手始めに我等が進軍する由、合力願えないか? 」
と、提案したが、僧正補の二人はその言を鼻で嗤い、木で鼻をくくった態度を示したのだった。
「いやいや、貴公等の手を煩わすなど、我等が教祖白騎士様が許さないというもの。大船に乗ったつもりでお任せあれ」
「うむ、白騎士様に帰依する我等が、野盗づれに遅れは取りませぬ。シャルロット殿と、我等の凱旋をお待ち下さい」
「とは仰いますが、悔しい事に地の利は奴等に有ります。地理不案内で思わぬ窮地に陥るやも知れません。せめて案内役を連れて行かれてはいかがでしょう」
二人の僧正補の態度に、言い知れぬ嫌悪感と不安を感じたジャンヌが、キャプテンの後を継いで進言すると、二人は首を左右に振って大きくため息をついた。
「だからさぁ、足手纏いだから来るなってんだよ! 」
「そうそう、ザコは大人しく引っ込んでろよ! 下手に出てるうちに気づけや、空気読めっての」
二人は野盗を侮るだけではなく、セラエノ自警騎士団も見下していたのだった。セラエノ自警騎士団の面々が二人から感じた違和感は、上辺だけの慇懃な態度では隠しきれない侮蔑だった。
「無礼者!! 」
二人の豹変と無礼な態度に、キャプテンは思わず剣に手をかける。
「よせ、キャプテン! 」
「しかし、ジャンヌ! 」
いきりたつキャプテンを制し、礼節を保ちながらジャンヌは二人の戦闘僧伽に騎士剣礼を捧げる。
「差し出口を申し上げ、お心を煩わせ申し訳ありませんでした。貴君等の健闘と武運をお祈りします」
「当然だ」
「吉報を待つ間、礼節でも学ぶ事だな」
「貴公等に、マリアの御加護があらんことを! 」
ジャンヌの剣礼にろくに応えず、鼻で笑いながら退出して行く二人の背を見送ったキャプテンは、煮えくりかえった
「何様のつもりだ! あの若造共は!! 」
「それ以上言ってはなりません、あのような者達でも、シャルロット様の要請に応えて派遣された援軍なのです」
歯噛みをして悔しがるキャプテンを、苦笑しながら宥めるジャンヌだったが、内心では彼と全く同意していた。自分達以外を侮り見下す彼等の態度に危惧を抱いたジャンヌは、その端麗な顔立ちを曇らせながら指示を出す。
「キャプテン、全員に召集を」
「ジャンヌ? 」
「胸騒ぎがします、彼等はああ言ってましたが、私達も後詰として出撃しましょう、準備を」
「そうだな、分かった」
こうして、ジャンヌ率いる自警騎士団が後を追うように出撃した、そしてアレンオルン城塞の手前で信じられない集団と鉢合わせになった。その集団は、先発していた白騎士教団の戦闘僧伽達である。彼等の向こう側に、やや離れた距離を置き、土煙を上げて向かって来る集団を発見し、自警騎士団は全てを理解した。
彼等は負けたのだ。
「キャプテン、間に割って入ります」
「了解した、ジャンヌ。聞いたな、野郎共? 」
キャプテンがジャンヌの指示を徹底させると、騎士団員達は一様に不敵な笑みを浮かべ、操縦桿を握り直した。先頭を行くジャンヌの精霊機甲(フェアーリー)アトラク=ナクアが、算を乱して無秩序に壊走する白騎士教団の精霊機甲の間を縫う様にすり抜けていくと、キャプテン・デュノワをはじめとする自警騎士団員達の駆る精霊機甲達も、まるで一本の糸の様に乱れの無い機動で彼女の後を続いて行った。ジャンヌは白騎士教団と野盗の間に割って入ると、短く明瞭な指示を下した。
「全機、吶喊! 」
「野郎共、ジャンヌに遅れるな! 」
自警騎士団はジャンヌの号令の下、閧の声をあげて野盗達に襲いかかった。戦利品を求め、無秩序な追撃を行っていた野盗達の突進力は、ジャンヌ率いる自警騎士団という秩序立った壁の前に、跡形もなく粉砕されて退却する。こうして命拾いした二人の僧正補は、安全地帯に退避すると、救われた礼を言うどころか、ジャンヌを口汚く罵った。
「何故もっと早く救援に来ない!? 」
「貴様等がモタモタしていたせいで、負けてしまったではないか!! 」
この言動に、自警騎士団達は目を剥いた。
来るなと言ったのは、お前達だろう。大言壮語を何処に落とした!?
こうして赴任直後に白騎士教団戦闘僧伽部隊とセラエノ自警騎士団の間に埋めようの無い溝が産まれ、現在に至る。二人の僧正補は、これ以降後詰め以外では出撃しないと、前線に出る事を拒み続けていた。
戦ってみて敵は存外に強いという事が分かった、そんな相手に本拠地防衛の部隊を残さずに攻撃を仕掛けるのは危険である、故に我等はその任を引き受ける、どうしてもと言うなら、後詰めの部隊なら考えても良い。それが彼等の言い分である。要するに、敵を侮って一当たりしたが、歯が立たなかったので、もう真っ平御免という事だ。
ジャンヌはなんとか歩み寄りを試み、連携強化の為の合同演習や戦術協議を持ちかけ、彼等も一度はそれに応じたが、隔絶した実力差を思い知る事となる。
恐惰と劣等感に支配された彼等はそれ以降、やれその日はミサがある炊き出しをすると、言を左右に演習参加を拒否を続けている。それどころか約束した後詰め部隊の出撃も定刻通りに行わずサボタージュを続け、やむなく撤収してきたジャンヌ達自警騎士団に、後詰めの無い苦労に臍を噛んだ我等の気持ちを思い知ったかと嫌味を言う始末である。更に中央を分断し、野盗の連携を絶つ為のアレンオルン攻略を、彼の地はジャンヌの故郷であり、ここの攻略に固執するのはジャンヌの私利私欲、公私混同であると陰口を叩いていた。流石にジャンヌを重用し、信用篤いセラエノ候シャルロットには通用しなかったが、政治不信に陥っていた一部市民の間では、それが真実となりはじめ、自警騎士団の行動に制限を加える動きがみられ始めていた。カートとジーンの二人の僧正補はその勢力と結託し、自らのプライドを守る為に、三郡解放が成らないのは、自警騎士団の怠慢であると水面下でネガティブキャンペーンを行い、ゆっくりと確実に自警騎士団の力を削いで行った。
二個の戦闘僧伽部隊が白騎士教団から遣わされてから約三年、彼等は野盗を駆逐するという教団から与えられた指示と目的を忘れ、獅子身中の虫と成り果ててセラエノを蚕食していた。指示と目的を盾に利用してネガティブキャンペーンを繰り広げているのだから、なお質が悪いと言えるだろう、そしてその割りを食うのは、最も貢献していながら、市民達に後ろ指差されるまでに、不当に地位を落とされた自警騎士団であった。
この苦境をどうやって打破するか、それはもう自分達の手で三郡を解放するしかない、しかし十九歳となった自分に、果たしてそれが可能なのだろうか?
当てに出来ない白騎士教団戦闘僧伽部隊の後詰めに見切りをつけたジャンヌは、自らが殿軍を務める為に、自身の愛機アトラク=ナクアに乗り込んだ。楽観とは程遠い今後の展望に柳眉をしかめるジャンヌは、ただならぬ気配をアレンオルンから感じ取った。
「何事か? 」
訝しげな表情を浮かべたジャンヌの対峙する、アレンオルンの城壁の左右の城門がいきなり開かれ、怒濤の土煙が一直線に殺到してきた。追撃か、いや、速すぎる、それにこれだけ浮き足立った追撃は無かろう、しかしこの勢いは尋常ではない。
「キャプテン、敵襲だ! 迎撃体制を! 」
「クソッタレ! 野郎共、迎撃だ! 」
ジャンヌの命に従い、悪態をつきながらキャプテンが指示を下すと、自警騎士団は見事な統率で迎撃陣形を完成させた。左右から殺到してくる野盗の軍勢に、騎士団員達は日頃の鬱憤ばらしと気合いを入れたが、彼等はとんでもない肩透かしを食らう事となる。
「降伏だ! 投降する! 」
「助けてくれ! あんな奴が相手じゃ、命が幾つ有っても足りねえ! 」
野盗達は自警騎士団の前に来ると、精霊機甲やンガ・クトゥンから降り、口々に投降を宣言して跪いた。呆気にとられた自警騎士団員達は、野盗達の最後尾に位置する赤い優美な精霊機甲と、蒼い巨大な精霊機甲を視認した。赤い精霊機甲の胸部装甲が展開して、コックピットハッチが開く。
「こっちの首尾は上々よ、そっちはどう、ハスタァ? 」
赤い精霊機甲の女騎士が呼び掛けると、蒼い精霊機甲もコックピットハッチを開いて呼び掛けに応えた。
「万事抜かりありません、マージョリー殿」
二人のただならぬ気に目を見張った自警騎士団員達だったが、その中でジャンヌはもう一つのただならぬ気配を感じ取り、愕然とした。
これは……、人なのか……?
そうジャンヌが感じた瞬間、アレンオルンの中央の城門が轟音をあげて弾け飛んだ、それを目にした野盗達は恐怖に顔を歪め、我先に自警騎士団の後ろに逃げ込んだ。
「わぁっ!! 奴は化け物だ! 」
「殺される! 助けてくれ! 」
恐慌をきたす野盗達を捕縛しながら、キャプテンが中央の城門に目を向けると、そこに信じられない光景があった。
「まさか、疲れているんだな、俺は……」
目を閉じて瞼を揉み、もう一度目を向けると、あんぐりと口を開いて目を見張った。
「何だ、あれは!? 」
キャプテンが目にした光景は、こちらに背中を向けて防戦一方に押されている精霊機甲であった、その精霊機甲は忘れもしない、強奪されたアイホートである。アイホートは『古(いにしえ)のもの』であり、その中でも強力な『ゾスよりのもの』に分類される機体だ。それを一方的に押しているとなると、相手の機体もきっと名の有るビンテージなのだろう、そう判断したキャプテンだったが、彼の目には肝心のその機体の姿が見えない。
「有り得ん、絶対に有り得ん!! 」
アイホートの後ろ姿が近づくにつれ、戦いの様子が明瞭になっていく、その異常な戦いに思わずキャプテンがうめき声を漏らした。アイホートの相手は精霊機甲ではない、ンガ・クトゥンですら無い!!
自警騎士団員達の間に、驚愕のざわめきが起こりだした。
「生身の人間が、アイホートに押し勝っているだと! 」
見馴れない服装の若い男が一振りの刀を手に、巨大な精霊機甲と戦って圧倒的に押し勝っている。この異様な光景に、ジャンヌをはじめとする自警騎士団の全てが、肌を粟立てて見つめていた。やがて、アイホートは男の剛刀により仰向けに斬り伏せられた。
「さっすがぁ! 私のキョウは最強ね! 」
「うむ、いつもながら見事なお手前。」
赤い精霊機甲と、蒼い精霊機甲の騎士が男の活躍を称えている。刀を担ぎ一息入れ、人参果を一口かじり、軽く顔をしかめる男の元に、子供の操る二機のンガ・クトゥンと二連結のメガ・クトゥンが走り寄った、メガ・クトゥンの扉が開くと、一人の幼女が飛び出して、男の太腿にしがみつく。男はンガ・クトゥンの子供達と何やら言葉を交わしながら、刀を鞘に収めて幼女を抱き上げるとそこで、信じられない出来事に感情を失った目で自分を見つめるセラエノ自警騎士団員達の視線に気がついた。男は照れ臭そうに、穏やかな笑みを浮かべると、右手を自警騎士団に向けて高々と掲げた。その手にはメロイックサイン、コルナが示されている。
水を打ったような静寂の中、自警騎士団の中から、誰があげるともなく、地鳴りの様な歓声が沸き起こった。
彼等は男の示したコルナによって、アレンオルンがたった今解放されたのを理解したのだった。
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