エマージェンシー
可笑しなお菓子の国のお菓子の森を眼下に、パンドラ方面に向かう。
物好きな人間が戦国シミュレーションよろしくゲームのように群雄割拠する戦乱地域を通り過ぎると、次は衣服を嫌い生まれたままの姿で生活する事に目覚めた人間たちの住むエリアに入った。
俺たち悪魔にとって、衣服は動きにくくなるだけの意味の分からないものだが、それまで着ることに執着していた人間が、自由を求めて羞恥心ごと脱ぎ去るとは、本当に人間はいろんなやつがいて面白い。
さらに進むと焦げ臭さと黒煙、爆発音が届いてきてパンドラの囚人移送にトラブルが発生していることを告げた。
「間に合わなかったか」
状況は混乱の真っ只中で、いくつもの成分のかけらが飛散していた。
俺は、岩陰に身を隠しているひとりの人間の側に降りたった。囚人服を着ていない事から、ディストピアの警備をしていた者である事がわかる。
「大丈夫か? 状況は?」
「誰だ? 味方か? 移送してたら急に囚人たちが魔法を使って暴れ出したんだ……」
もう、ろくに目も見えていないのだろう、意識朦朧とした様子で呻くように言った。死ぬことはないと言っても、脳が痛みを再現するから苦しそうだ。
ひと思いにラクにしてやりたいが、ディストピア内で直接人間に危害は加えられない。魔力を使って間接的にトドメをさしてやる方法も無くはないが、俺には他にやるべき事がある。
「良く耐えたな。もう大丈夫だ。どこか痛むか?」
「あ……足が……」
「ああ、そうだな。下半身がひどいありさまだ。俺に任せろ、すぐに痛みを取り除いてやる。俺の声をよく聞くんだ。集中して意識を保て。どうだ? 傷はすべて治したぞ。もう大丈夫だ。視力が戻って動けるようになるまでは、もう少しかかるかもしれないが、安心してゆっくり魔力を回復させるといい」
どうして俺が人間相手に優しい言葉をかけるのかって? クライブと再会して善の心に目覚めたとでも思っているのなら、それは間違いだ。
俺にはこいつの協力がいる。目の見えないこいつは想像で苦しんでいるだけだから、傷が治ったと思いこませるだけでいい。
「ああ……すまない助かったよ。どこのだれだか知らないが礼を言わせてくれ、ありがとう」
「いいんだ。それより何人かは囚人を倒したはずだな? 名前か顔を思い出せないか?」
言っておくが魔法は万能じゃない。思い浮かべた頭の中の映像を相手に伝える魔法は存在しない。見たものを描いたり、成分や光をコントロールして形作るのも、絵を描くのがヘタな者がいるようにセンスによる。
ただ、俺の特性でもある悪魔の目には、見えないものを視る能力がある。俺の言葉に導かれて、そいつの記憶から浮かび上がった3人の囚人を俺は写真を撮るように焼き付けた。
記憶は曖昧なことが多いから過信は禁物だ。首尾良くミシカが動いていれば、間もなく救援が来るだろう。欲しかった情報を手に入れた俺は、パンドラに潜入するため、ひとりの小柄な囚人に姿を変えた。
髪は長く陰気そうで、痩せすぎの手足は枝のように細い。生気のない肌と恨めしそうな目は病気でも患っているようだが、見た目について不満を言っても仕方がない。
「オメー何してんだ?」
囚人服。浅黒い肌の筋骨隆々な男が、こちらを見ていた。スキンヘッドで真っ白い歯の笑顔だが、目は笑っていない。
どこから見られていた? 場合によっては始末しなければ。
「そっちこそこんなところで何を? パンドラに向かわなくていいのか?」
「んあ? 俺はアレよ。昨晩夢の中で魔法の使い方を教わってよ、聞けば他の奴らも同じ夢を見たって言うじゃねーか。そんで試しに言われた通りにしたら、本当に魔法が使えたもんでよ、いろいろ試してたんだ」
敵意は無さそうだが、どちらかといえば他者に興味がないようだ。右手にはぐったりした人間の髪を掴んでいた。まるでオモチャでも扱うようだ。
「その右手のは?」
「ああ、これは降りかかる火の粉を払った結果だな」
「まだ原形をとどめているようだが?」
魔力を使った破壊の痕跡が顕著で、周囲には肉体を吹き飛ばされた人間が多い。どうやら目の前の男は他の者とは違ったタイプという事が見て取れた。
「うん、いろいろ試してるって言ったろ? 力を放出するより、内側でコントロールする方が面白くてね」
魔力で細胞を活性化させて身体能力を向上させる。簡単なようで繊細なコントロールを要求する技術だ。
誰かに教えられるまでもなく自分で到達できるようなものじゃない。
「人体に詳しいようだな。医者か?」
「ハハハ、そんな頭がありゃ良かったんだけど。どっちかっていうと頭は悪い方でね、ただ好奇心が強かったんだ。人の身体の中をたくさん覗いたよ。それで少し、仕組みを勉強したかな」
なるほど危険人物だ。生前に多くの殺人を犯して来たのだろう。好奇心で他者を切り刻む残酷さを備え、無垢な子供のように善悪の判断がつかない。そのくせ適応力があり柔軟だ。
おそらくキールは魔力の使い方を教え、自由を与えた後、さらなる情報をダシにパンドラへ誘導しようとしたのだろう。
ほとんどの囚人がパンドラへ向かったように見える。強き者やカリスマ性のあるリーダーに従うやつらよりも、こうして自分で考え、行動する者がやっかいな敵になることは、経験上間違いない。
ここで手を打っておくべきか。
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