モスキートミラージュ
キラキラ輝く砂のような魔力の奔流に抱かれて、意識だけの川を漂う。そこには何の感覚も制約も無く、ずっと夢の続きを見ているようだ。
だが、このまま身を委ねているわけにはいかない。俺は意識を保ち、魔力で成分をかきあつめて蚊ほどの小さな肉体の器を形成した。
きっと今頃キールたちはパンドラ制圧の計画を進めていることだろう。不本意だが予知夢は正夢になりそうだ。
俺が夢の中で、なかなか登場しなかったのは、そういう理由があったんだろう。
完全なる蚊の姿で、俺は意識を集中して精神世界から抜け出した。生暖かい魔界の大気を感じて、大きく深呼吸する。
身体に力が入らず、ふらふらと落ちるように、大きな岩の影に身を隠した。
今の俺には身を守る魔力が無い。クリサスに仮を返すには、力を取り戻す必要がある。
「おい、見ろよ。蚊がいるぞ、しかも弱ってやがる」
「本当だ、なんだか嫌いな奴の臭いもするなあ」
俺は舌打ちして声のする方を見た。名前は忘れたが見覚えがある。俺の散歩道でミシカと言い争っていて、邪魔だったんで蹴散らしたザコだ。
何を言い争っていたんだっけ?
「あん時は世話になったなあ、どうやら復讐のチャンスが巡ってきたようだ。神も粋な計らいをする」
「お、俺にやらせてくれよ、こいつにはたんまり借りがあるんだ」
気持ち悪いにやけ面で近付いてくる。醜い顔とブヨブヨの身体。ボロボロでヨレヨレのボタンの取れかかったみすぼらしい服。
見る者にむしずをはしらせる姿を平然とさらすなんて、俺には理解できない。
ちっともスマートじゃないし、声を聞いているだけで反吐がでそうだ。
だが、その丸太のような腕をスマートに振り下ろされたらと思うと、余計な
「オイ何か言うことは無いのかぁん?」
「あの時は申し訳ございませんでしたってよぉ!」
そいつが怒鳴りながら俺の足下の岩に蹴りを入れたせいで、岩は石となって吹き飛んだ。足場を失って飛ぶしかなかったが、すぐさまバランスを崩して落下した。
地面に激突した衝撃で思い出した。こいつら俺様の散歩道で、偉そうに妖精を痛めつけていたところをミシカに止められて、揉めていたんだった。
「すまない、思い出していたんだ。あんたらのことを」
岩を吹き飛ばされたいま、
「もう済んだことじゃないか、復讐は復讐を生む。同じ悪魔同士仲良くしようじゃないか。こんな無益な争いはやめにしよう」
俺は自分のことを棚に上げて説得を試みた。クリサスに借りを返す為に戻ってきた俺が言うことじゃあないのはわかっている。
どこか逃げ道はないか、あるとすれば空。力を振り絞って、この大空に翼を広げ、飛んでいきたい。
「都合のいいこと言ってら」
「どうやら、ずいぶん余裕がないと見える」
落ち着いてヤツらの顔を良く見ろ、あいかわらずの余裕顔が頭にくる。俺がチラチラと空に視線を送って、逃げるそぶりを見せても笑ってやがる。
ってことは罠だ。
見えないが魔力の網か、なんらかのトラップが仕掛けられているのだろう。
「見逃して欲しかったら、土下座してもらおうか。そしてみっともなく命乞いしろ」
おそらく嘘だ。逃がすつもりはない。そんな慈悲深いヤツだったら、たかが土下座くらい喜んでする。
俺の残り魔力で出来ることは、勇敢にも蜂に変身して、せめてひと針お見舞いするくらいだろう。
「そうか、ならやりあうまでだ。かかってこい虫ケラども」
俺は虫ケラの姿で言ってやった。小さくて見えなかったかもしれないが、細腕でファイティングポーズも決めた。
威嚇代わりにモスキート音を鳴らして、狙いやすい高さに飛び上がる。
「良い度胸だ、お望みならぶっつぶしてやる!」
ヤツは右腕を振りかぶって襲いかかってきた。俺がいた空間に豪腕が振り下ろされて突風が巻き起こると、俺はモスキート音と共にヤツらの視界から消えることに成功した。
「消えた!」
「落ち着け! 逃げ場はなかったはずだ! 上の罠にもかかってないか? くそったれどこに行きやがった!」
「卑怯だぞ! 出て来い!」
俺がどこに行ったかって?
ヤツの袖口さ。
俺は攻撃の瞬間、姿をボタンに変えてヤツの取れかかったボタンを弾き飛ばすと、入れかわった。
どうせなら美女の袖口に張り付きたいが、魔力を取り戻すまでの我慢だ。居心地としては、臭くて汚いし最低だが、身を隠すには悪くない。
鼻に魔力を集中させて臭いで探そうとしても、耳に魔力を集中させて音で見つけようとしても、臭くてうるさいこいつらなら、外敵に対しても良いカモフラージュになる。
やつらは、しばらく悪態をつきながら俺を捜していたが、やがてあきらめてどこかへ歩き出した。
俺は静かに魔力を回復させ、今後のことについて考えを巡らせた。
やはり、認めたくはないが、いまの俺には助けが必要だ。信用できるとすればミシカだろう。
ミシカを探さなければ。
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