ロイズアジト

ロイはびしょ濡れの衣類を気にも止めず、くりぬかれた山の中の何もない空間を歩き出した。


地面はゴツゴツしていて歩きやすいとは言えない。


「いい空間だな。すっきりしていて景色もいいし創作意欲が刺激されそうだ」


俺は無機質な岩壁を見てロイに言った。


「そうだろう? けど驚くのはまだ早かったな。えーと、この辺だったかな」


ロイはそう言って何もない空間を眼鏡を探す人間の芸人みたいにまさぐった。


すると見えていた何もない空間がオーロラのように波打ち、見えてなかったロイのアジトが、透明なカーテンの奥に姿を見せた。


「遅いわよ、ふたりとも」


ミシカが大きなクジラの形をした建物の前で文句を言ったが、天井に映し出された満天の星空と上下する泡のような球体型照明に目を奪われて聞いてなかった。


「なるほど、面白い。本当に人間には恐れ入る。想像豊かで、壊す方が得意な俺たちとは根本的に違うのだろうな」


「何も違わないさ、やらないだけだろう。クリエイターとの境界なんて、創作の苦しみを乗り越えた先の充足感に価値を見いだすかどうかさ」


ロイがクジラの頭を優しく撫でて魔力を注入すると、クジラは閉じていた大きなクチを開いて俺たちを招き入れた。


自由にくつろぐように言い残すと、ロイは着替えの為に奥の部屋へ消えた。例え魔力で大抵の事が実現可能でも、ロイは魔力に頼りきらないようにしている。


真っ赤な舌をモチーフにした、ふかふかのじゅうたん。彫金細工の施された玉手箱型テーブルと歯の椅子。


口内を柔らかな明かりで照らしているのは、のどち……口蓋垂こうがいすいの照明だ。


世界観を壊さぬよう、細部まで配慮が行き届いている。歯の椅子を中央のスペースに移動して腰を下ろし、特別な空間を楽しむ。


「なあミシカ、もういいだろ。ここでゆっくりしていこうぜ 」


「アンタってアレね、人間みたいね。すーぐ楽な方へ行こうとするわね。人間にはロイみたいのもいるから、アンタ人間以下なんじゃない?」


まったく、誰に似たのか口ばっかり達者になりやがって。


「そりゃあいい、ディストピアに着いたら人間に化けて怠惰たいだな日常を楽しむとするか」


「またケンカしているのか? 本当に仲が良いな。ティミーに人間の暮らしは退屈で似合わないと思うがね」


『仲良くない!』


不覚にもミシカと声を合わせてしまい、俺たちは顔を見合わせて睨み合う。


ロイが笑って「さて」と気を取り直すと、計画を話し始めた。


「知っての通り、ディストピアの住人は働かない。その必要が無いからだが、最低限のルールはあった。しかし先日ルールを改正し、新たな死者の案内を1部分ではあるが、民間企業に委託した」


嘆かわしいと首を振って嘆くロイ。そこまではミシカから聞いて知っていた。現世を離れた人間の魂をディストピアの入り口にある死役所まで案内する仕事と、生前の悪行と善行を審議し死後の行き先を言い渡す仕事。


「信じられない事よね、生死の境界が曖昧になって、絶対問題が起こると思うわ」


「現状は? 問題は起こっていないのか?」


「そもそも善悪による罪と罰。これは人間だけのものだ。死後も意識、思考にとらわれ、終わりの無い人生が続くのは、ある種償いなのかもしれん」


眉間にシワを寄せてアゴに手をやると、ロイはブツブツと考え出してしまった。


「まだ問題が起こっていないなら、何をする必要がある? 案外上手くいくかもしれないぞ? 余計な手出しは不要かも」


「起こってからじゃ遅いのよ!」


ミシカが毛を逆立てて抗議した。俺は両ヒレをあげて降参の意を示す。


「わかったから先に進めてくれ、どうしたいんだ?」


「決まってるでしょ、止めさせるのよ」


「どうやって? 止めさせた所で、もう遅いだろう。すでにやっていて、知ってしまった者がいるんだから。人間の口に鍵はかけられない」


相手が魔界の住人ならば、記憶を操作したり、創造した空間に幽閉したり、方法は星の数ほどあるだろうが、魔力が効果を発揮するのは魔界だけだ。


真実を知ってしまった人間を全て殺してしまうくらいの荒療治しか俺には思い付かない。そしてそれは、放任主義の神を怒らせるくらい度が過ぎた行為だ。


「まずは、この手紙を届けてほしい」


ロイが思考の迷路から出てきて言った。差し出された手紙は無地の白い封筒に入っていて、宛名に『ドリーマーズファクトリー』ウメダ所長と書かれていた。


ドリーマーズファクトリーは、人間界への干渉を許されていて、主に人間が眠った時に見る夢を管轄している。


「全部夢だった事にして、お茶を濁すつもりなのか? 夢落ちで納得するとは思えないな」


「あくまでひとつの手段だよ、ティミー。他にも手は打つさ。私はディストピアに行けないからね。君にしか頼めない」


「確かに、また捕まった所を助けるのは遠慮願いたいね。だが、俺が行く理由にはならないな。フェイやボーボウの方が適任なんじゃないか?」


俺は数少ない友人の悪魔を候補として提示した。それでロイが考え直す可能性は低いが、ゼロじゃない。


「逆に聞こう。どうして断るんだ?」


「そりゃ面倒だからさ。危険もあるし、どうして俺がそんな子供のお使いを頼まれなきゃならない? そうさ、ミシカにやらせりゃいい」


それを聞いた途端に、ミシカが目と爪を剥き出して飛び掛かろうとする。


それをロイが穏やかに制して言った。


「そこを頼むよ、ティミー」


な? こう誠実な態度で来られちゃ、断れないだろ? ズルい男だロイってやつは。


「仕方ねぇな。わかったよ」




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