ディストピア

初代閻魔大王が地獄を支配する頃は、人間が魔界にやってきても罪を悔い改める作業に従事していたが、数が増えて偉人達のもとに罪人が結束すると、状況は変わった。


偉人達が形を成さない朧気おぼろげな魂でしかない人間どもに、姿を形成する術を教え、魔力のコントロールを覚えると、閻魔大王には管理しきれなくなり勢力図が変わった。


「どこに行くんだ?」


「まずはディストピアに潜入するわ。ついてきて」


もともと人間だった初代閻魔大王は、毎日の責務に疲弊しきっていた。次々とやってくる人間の為を思って、転生への進むべき道を示す事が重圧プレッシャーだったのだろう。


俺が初めて会った時は威厳を保つためと言って、自分の姿をより大きく見せることに魔力を注ぎ込んでいた。


中身よりも外見で威圧感を与えようなど、愚か…いや意味の無いことだと忠告しても、悪魔の俺の助言など聞き入れはしなかった。そして時代遅れな制度が崩壊するのに、時間はかからなかった。


人間達は力を合わせて、罪を悔い改める地獄を数と力で変えた。住みやすい地獄「ディストピア」を作り上げたのだ。


自分勝手で尊大な生き物、人間。


「ディストピアに行くなら方向が逆だろう」


「まずは準備が必要でしょ」


ミシカはディストピアを大きく迂回して、時速70キロくらいのペースで荒野を突っ切ると、山岳地帯に向かっていた。俺は疑問を抱いた。


はっきり目的地を言わないのはなんでだ?


俺は嫌な予感がした。考えてみれば、過去に1度でも行ったことがある場所なら、時空を歪めて移動した方が早い。つまり俺が地獄に生まれ落ちて数千年。足を踏み入れていない場所に向かってるってこった。


「おっと、すまん用事を思い出した。この件はまた今度な」


俺が砂埃を上げて立ち止まると、ミシカは挑発的でさげすむような目をして俺に言った。


「あら逃げるの? 思っていたよりビビりなのね」


「なんだと……? 言葉には気を付けろよ、オマエを消し飛ばすくらいワケないんだぞ?」


「お好きにどうぞ。別にアタシを消し飛ばしても、ビビって逃げた事実は変わらないわ」


「勘違いするなよ、俺を誰だと思っているんだ。地獄から俺達を追い出し、絶滅させようとする人間どもを、ディストピアという箱庭に閉じ込め、それでも侵略を企てる数々の偉人どもを奈落(地獄にある底の無い穴)に突き落とし、俺たちの魔界という居場所を確保できたのは、俺のおかげだろう。その俺に怖いものなんてあるわけが無い」


正確には俺だけの活躍で魔界を救ったわけじゃないが、歴史ってのは少しずつ歪められていくもんだろ?


俺は身体を巨大化させて立派なたてがみを伸ばしたライオンに姿を変え、鋭い爪と牙をいてミシカを威嚇いかくしていた。


魔界は想像力のコントロールがすべてだ。例えば単純に肉体の強化なら、硬質化した身体をイメージすればいい。存在するものを想像で簡単に加工できるのが魔界の特色だ。


逆に存在しないものを創造することは難しい。目の前に突然リンゴを生み出そうとしても、簡単にはできない。食事の必要がない魔界ではリンゴを生み出そうなんて思わないがな。


「まあまあ喧嘩はよしなさい。姿を大きく見せた所で本質的な器のデカさは変わらんよ」


何も無い空間から声がして咄嗟に身構えた俺は、いくつかの目を切り替えて周囲に注意を向けた。


第3の目には映らなかったが、第4の目に切り替えたとき、うっすらと人間の男が穏やかな笑みで後ろ手に立っているのをみつけた。


人間が地獄に来て最初に覚えることは、肉体の想像だ。炎の揺らめきみたいな魂を人間の形に創造しなきゃ、生前のように自由に行動できない。


人間は自分の身体だってのに、普段細部まで見ていないのか意外と苦労するらしい。もちろん他人の姿にもなれるが、意識せずにその姿を保つには訓練が必要だろう。


「あんた誰だ?」


だいたいの人間が他人に認識させるべく姿を形成するのに、コイツは第4の目を使わないと姿が見えないようにしていた。


俺は念の為、第5、第6の目でも確認してみたが、悪魔が人間に変装しているわけではなく、紛れもなく人間のようだ。


「私だよティミー。良く知っているはずだ」


俺が低い声で唸ると、男は胸の前で手をくるりとまわすと、昔馴染みの旧友に握手を求めるように、何も無い空間から手品のごとくスミレの花を生み出した。


これは実に賢いやり方だ。まず地獄に花は咲かない。悪魔でスミレを知っているのは限られた者だけだ。これは人間だという根拠に固い。また何も無い空間から何かを生み出すのは高度な魔力のコントロールが必要だ。最近地獄に来た人間には無理な芸当である。


そしてこのタイミングでスミレの花を出したのは単なる偶然じゃなければ、俺の事をよく知り、意味をもって出したということだ。


見てみろ、ミシカなんかマヌケ面でアクビをしながら背中の毛繕いを始めたぞ。つまり目の前のこいつに敵意は無く、微かに残る記憶が間違っていなければ、俺の苦手な人間のロイ以外にはありえない。


「俺の知っているロイは、もっとハゲ散らかってて老眼鏡を掛けていたはずだが」


「ちょっと! アンタがディストピアに行くのを手伝ってくれるのよ、無礼な態度は止めて感謝しなさい」


「いいんだよミシカ。お気遣いどうも。ティミーの知ってる昔の姿より、今の若い姿の方が仕事がはかどるんでね、まあ、ここじゃなんだ、自宅に招待しよう」


どうして苦手なのかって?


ロイがいいやつだからさ。いいやつの頼みは断れない。ことにロイはいつだって何かを成し遂げようと忙しそうにしている。


怠け者の俺とは大違いだ。ミシカの狙いは俺をロイと引き合わせる事。きっと今回も頼み事をされて手伝うハメになりそうだ。


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