~メモリアル・ファーム・ホテル - 菩提~

また今年も客のいないメモリアル・ファーム・ホテルのバーチャル・ライフ・サービスの一つが始まろうとしていた。


メモリアル・ファーム・ホテル

二〇五七年にバーチャル・ブレイン・テクノロジー社により設立

それは人間のあらゆる生体データを保存し、そのデータはコンピュータという虚構の世界の中でひとりの人間として生き続け、実社会で人間が味わう様々な経験を虚構の世界で味わいながら、現実と同じ速さで年を重ねる社会連動型育成シミュレーション・サービスである。


客は色々な事情からこのサービスを利用していた。


ある者は亡き我が子を生前と同じように再現して、いつまでも偲びたいという望みから利用する。

ある子宝に恵まれない夫婦は二人の生体データを保存して実在さえしなかった我が子を作り出し共に人生を歩む。

またある女性は自分自身の生体データを保存して、ひとりっ子の寂しさを姉妹として分かち合いたいと利用する。

ある大学では心理学的な観点で、大量の個体を生成して現実では人道的に許されない様々な治験を施し、結果的にどのような人格形成がなされるかを高速シミュレーションで利用している。これは犯罪心理学や児童心理学の面においても目覚ましい成果を上げている好例である。


ある老人もこのシステムの利用者であった。彼には長年連れ添った5歳下の伴侶がいたが、彼女は彼が70歳の時に病で既に亡くなっていた。それ以来、彼は亡き最愛の妻にこのホテルで3か月に一度再会出来る事を励みに、82歳の生涯を全うし、最期は同様に年齢を重ね77歳になる老妻に立体映像の向こうで看取られながら眠りについた。

彼には莫大な財産があったが、二人に子供はいなかったため、財産のすべてをこのサービスの維持のために支払われた。これは現実世界では妻への遺産相続とも言えるだろう。

そこで8月15日には、メモリアル・ファーム・ホテルの一室で一人で年を重ねる妻が夫の墓に花を手向け、菩提を弔う光景が毎年繰り返されてきたのだ。


見る守る者は誰もいないのに。


老人が亡くなって五年後、妻は夫と同じ年になった命日の日に自ら命を絶った。

メモリアル・ファーム・ホテルのバーチャル・ライフ・サービスでは、契約者が死亡していなくならない限り、虚構の住人が何らかの理由で先に死ぬことはない。契約者がいなくなった時点で契約により自動的に削除されるか、年を追うごとに死亡イベントの発生確率が上昇して、いつか病死や事故死や老衰で死ぬようになっていた。

しかし、ある年齢に合わせて死ぬことは虚構の世界でも自ら命を絶つしかなかったが、これは非常に稀な事である。

このシステムを運営するバーチャル・ブレイン・テクノロジー社の技術者の間でも、これは単にその時死亡イベントが発生し、それがたまたま自殺イベントであったに過ぎないとする意見と、二進数のデジタル世界のなかでも個性と愛が育ち、いつしか人間と変わらぬ感情が芽生えているという説を唱える者もいた。


彼女が自殺してしまった日が亡き夫の命日であった事は、偶然では説明しがたいことであるという意見が優勢だった。


今、部屋の明かりは消え立体映像の向こうにはまばゆい夕日が沈み、それを望む海岸べりの小高い丘では、誰にも見られる事もなく二人の名が刻まれた墓標が静かにたたずむのである。

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