▼第十章  『決戦! バトル・オブ・メインベルト 前編』

 ――八時間後。


「おはよう! おまたせ!!」 


 充分な睡眠をとったユリノ達は、バトルブリッジに入るなり各々の席に飛び乗った。

 彼女達はいつもの軟式宇宙服の上に、瞬時に展開してヘルメットとなるプロテクター状のベストと、耐宙グローブを装着し、戦闘時の万が一の減圧に備えている。

 ブリッジにはダメコン席に付いている副長の他に、ブリッジ奥に新たに用意されたアクセスボード上に、まるで狛犬のように座ったエクスプリカが、カメラを明滅させながら高速で情報処理を行っていた。


「ケイジ君は? オリジナルUVDへの換装作業はどうなってるのかしら?」

「おはようございます。ケイジ三曹は現在、船外の人造UVD上にて最終チェック中です」


 開口一番の問いに副長が答えると、ユリノは反射的に艦尾方向ビュワーを向いた。

 艦尾上部格納庫後端から、メインスラスターノズルを見下ろす位置にあるカメラ映像には、昨日まで無かったはずの物体が映しだされていた。

 画面下から、孤を描いた銀色の物体が地平線のように覗いている。その上で、豆粒のように小さな人型が手を振っていた。


『艦長おはようございます。オリジナルUVD換装作業、および人造UVDの艦尾メインノズルへの接続作業、ほぼ終わってます』


 船外からのケイジの声がブリッジに響いた。

 画面に映っているのは主機関室から抜き出された人造UVDの後端であった。

 今、〈じんりゅう〉の艦尾メインスラスターノズルの先端には、オリジナルUVDを起動させるためのキックスターターとして、人造UVDが取り付けられているのだ。

 確かに〈じんりゅう〉の元のメインエンジンたる人造UVDは、ケイジが修理を試みたものの完全な機能復元はならず、動かせば数分で大爆発するはずであった。

 が、それで充分なのだ。たとえ数分間であっても、動いてオリジナルUVDシャフトにエネルギーを送ってくれさえすれば!

 これが、ケイジがオリジナルUVD起動の為に出した答なのだ。

 メインスラスターの中心には円錐状のノズルコーンが付いており、その尖った先端に人造UVDを取り付けるのは非常にバランスが悪い。そこで安定して取りつける為の治具ガイドとして、艦内の不要な資材から仮設の太く短い円筒状の仮設フレームが作られ、それをノズルの間に挟みこむ事により無理矢理人造UVDは固定されていた。

 この仮設フレームは、人造UVDの投棄と同時にバラバラになり、ノズルコーンから取り除かれる。


『……ですが、確実な点火には入念にチェックしておきたいところですね。失敗しても予備は無いんですから。今そっちでエクスプリカがシステム上の最終チェックをしてるはずです』


 どうやらケイジは臨時機関長としての仕事をやり遂げたようだ。

 ユリノはとりあえずの懸案がクリアされていることに胸を撫でおろした。もちろん最終チェックで問題が見つかる可能性だってあるが、それは常に付きまとう問題だ。


『艦長、良ければ朝食が厨房に用意してあるんで食べておいてください』


 腹を括っているからなのか、徹夜明けでハイだからか、ケイジがどこかのんびりとした口調で言った。


「……」


 ――そういえば朝食という制度も存在したわね……。


 どちらにしろ今クルー達に出来る事は無い。ユリノは彼の提案を受け入れることにした。とはいえ、ブリッジを空けて皆で食堂に行く勇気は無く、とりあえず暇なミユミとフィニィに食堂まで朝食を取りに行ってもらい、皆でバトルブリッジで摂ることにした。





「警戒ブイが敵の斥候と思われる小型機多数と駆逐艦を捕捉。先頭はあと十五分で本小惑星に最接近しますデス。さらに後続艦が多数接近中!」


 ケイジの用意したサンドイッチを詰め込み、食後のコーヒーを飲む頃になってルジーナが叫んだ。ユリノは報告を聞きながら時刻を確認した。予測接近時刻より三〇分は早い。グォイドは偵察隊だけを先行させたということなのか?


 ――ちと寝過ぎたかしらん?


 グォイドが斥候を出したのは、やはり破壊した救援艦の二隻の存在や、エクスプリカを捜索に来た小型グォイドのロストから、人類側の艦の存在を類推したからだろうか……。

 予測すべき事態であったが、どちらにせよ、どうすることもできなかった事だ。

 出来るのは事態の把握に完璧を期すこと。それまでは希望的観測も悲観的予測も無しだ。


「ケイジ君、仮に今すぐオリジナルUVDの起動を試みたとして、時間はどれくらいかかるのかしら?」

『補助エンジンのエネルギーで人造UVDを起動し、さらに人造UVDのエネルギーでオリジナルUVDを点火するまで、最短で二〇分ってとこですかね。それともう一つ、仮に今、オリジナルUVD起動を試みた場合、確実にグォイドに発見されます』

「なんですって?」

「艦長、オリジナルUVD起動に使った人造UVDは、起動の成否に関わらず必ず爆発します。グォイドに発見されないはずはありません」

「ああそうだったわね!」


 補足してくれた副長に、ユリノは天を仰いで呻いた。

 総合位置情報図スィロムに、警戒ブイから得た無数のグォイドを示す光点ブリップが映し出される。それらは広く散開して移動しており、この小惑星から数キロの位置を通る小型グォイドもいた。

 もし今グォイドに気づかれたら手も足も出ない。かといって仮にオリジナルUVDの起動に成功したとしても、この規模のグォイド艦隊と正面戦闘など御免被りたいところだ。

 ユリノはひたすら息を潜めてグォイドの通過を待つことを選んだ。

 今焦ってオリジナルUVDを起動したところでグォイドとの正面戦闘に勝てるとは思えない。危険な賭けだったが、〈じんりゅう〉の持ちうる戦力でこの状況を切りぬけるには、グォイドの通過を待ち、その後背をとるしかない。


「先行小型グォイド群、本小惑星付近に到達しますデス」

「メインビュワーに映して」


 ユリノの指示に従い、〈じんりゅう〉が隠れている小惑星の亀裂の淵に設置された、警戒ブイのカメラから得た映像が投影される。

 皆、声も無くその映像を凝視した。

 一機、また一機と、小型グォイドがカメラ前を通過する。

 幸い、〈じんりゅう〉に気づいたような素振りは見られない。だが、途切れること無く通過し続ける小型グォイドに神経がどうにかなりそうだった。ケイジが用意した朝食を食べていなかったら、胃酸過多で胃に穴があいてしまってたかもしれないとユリノは思った。

 しばらくすると、小型グォイドに混じり、駆逐艦型、救援艦二隻を沈めた強攻偵察艦型や、空母型グォイド艦が次々と通過し、クルー達が見守る中、直径二キロ、長さ一〇キロはあろうかというシードピラーが延々とカメラの前にその横腹を見せながら通り過ぎる。

 もし、ここでグォイドに〈じんりゅう〉の存在を気づかれたら、確実なる死が待っている。ユリノは基本的に無宗教者だったが、こういう時には祈るのを躊躇わなかった。


「続いて、後衛の駆逐艦の残りが通過しますデス」


 ルジーナが静かに報告した。シードピラーが通り過ぎてもまだ緊張を解くことは出来ない。画面上をシードピラー後方を守る駆逐艦型グォイドが一隻、また一隻と通過していく。


「……グォイド艦、……全艦通過」


 ルジーナがそう言うまで、たっぷり三十分はかかった。

 ブリッジのそこかしこで、はわぁ~と溜息を洩らす音が聞こえる。

 しかし、ユリノはにまだそれが許されなかった。まだ多数の小型グォイドが総合位置情報図スィロム画面上に残っていたからだ。


「あ、……マズイかも」


 ルジーナがポツリと呟いた。


「なに? なんですって!?」


 ユリノが訊き返す。が、ルジーナはしばらく答えなかった。

 彼女のかけた電側ゴーグルには、〈じんりゅう〉がばら蒔いた数十機の警戒ブイから送られた映像が映しだされていた。その映像の一つに、機首をこちらに向けた小型グォイドのアップが映っていたのだ。


 ――見られ……た?


 ルジーナがそう感じた直後、その警戒ブイの画面がノイズに変わった。


「艦長、グォイドに警戒ブイが発見されましたデス!」

「な!」


 ユリノは総合位置情報図スィロムを振り返った。

 映し出されていた〈じんりゅう〉を囲む警戒ブイを示すアイコンが、一つ、また一つ、やがて次々と破壊されたことを示す赤いマークへと一瞬変わると消えていった。

 炊飯ジャー位のサイズしか無い警戒ブイの方が発見されてしまうとは!

 まさか遠隔操作用レーザー通信が傍受されたのか? それともレーザー通信の軸線上を、たまたま小型グォイドが横切ったとでもいうのか!?

 どちらにせよ、何故発見されたのかを知る術は無い。

 警戒ブイは発見されたが〈じんりゅう〉の位置が特定されたわけではない。それを撒いた者の存在を知られたことは間違い無いが。

 瞬く間に全ての警戒ブイは破壊され、〈じんりゅう〉は自艦が隠れる小惑星表面に設置された無人カメラ以外の外部観測手段が失われた。しかし、状況確認にはそれで充分だった。無人カメラで観測できる距離に、続々と小型グォイドが殺到しはじめ、警戒ブイを設置した主を破壊すべく、手当たりしだいに周辺の小惑星を攻撃しはじめたからだ。

 無数の火球が、カメラ映像に映し出されていた。小型グォイドによる対艦ミサイル攻撃の結果だ。艦載機の母艦が隠れられそうなサイズの全ての小惑星が、その標的だ。

 〈じんりゅう〉に残された手段は、一つしか残されていなかった。


「ケイジ君、最終チェック中止! 直ちにオリジナルUVD起動シークエンスを開始!!! あなたは早く艦内に戻って!」

『了解しました。以後は主機関制御室でオリジナルUVDの操作にあたります』


 叫ぶユリノに、ケイジは極めて冷静な声音で答えた。


『エクスプリカ、オリジナルUVD起動シークエンス開始。第一、第四補助エンジン全力運転、出力最大へ。全キャパシタへのエネルギー充填開始せよ』

[了解シタ。第一及ビ第四補助えんじん出力最大。全きゃぱしたヘノえねるぎー充填開始]


 ケイジの指示にエクスプリカが答えると、カメラを明滅させ、アクセスしたメインコンピュータから補助エンジンを操作した。

 生命維持と僅かな防御シールドに使う以外の、全ての補助エンジンが生み出したUVエネルギーが、まずは艦尾外付けの、人造UVD起動の為のエネルギー充填を開始する。


「ルジーナ、敵艦の様子は?」

「シードピラー後衛の駆逐艦十三隻が減速を開始。反転加速して〈じんりゅう〉を射程内の納めるまで、あとおよそ二十二分デス艦長!」


 当然、警戒すべきなのは小型グォイドだけでなく、その母艦等の大型グォイド艦だ。

 幸運にも、敵艦が〈じんりゅう〉のそばを通り過ぎた後であったため、再び〈じんりゅう〉まで戻って来るまで時間があった。

 小型グォイドに比べ圧倒的に重量のあるグォイド艦は、一端停止してそれまでの運動エネルギーを帳消しにし、それから逆方向に加速するのに、どうしても時間がかかるのだ。

 だが今はとりあえず、小型グォイドさえなんとかすれば良い。


「フォムフォム。残存セーピアー全機発艦用意」

『フォムフォム、了解した』

『艦長、昇電は出さないのか?』

「まだ!」


 どうせクィンティルラがそう訊いてくると思っていたユリノは即答した。


「カオルコは残存対宙レーザー全基起動。小型グォイド迎撃用意!」

「小型グォイド、本小惑星に接……」


 ルジーナがそう言い終わらないうちに、ブリッジを衝撃が襲った。小型グォイドのミサイルが〈じんりゅう〉のいる小惑星に命中したのだ。


「艦尾映像!」


 ユリノが叫ぶ。〈じんりゅう〉は爆発する人造UVDを投棄する関係から、小惑星の亀裂の入口に艦尾を向けている。ビュワーに映されたのは横一直線の光の筋だった。暗い亀裂の奥深くから見ると、外の宇宙空間がそう見えるのだ。

 画面を拡大してパンさせると、亀裂の彼方、漆黒の宇宙をバックに動く無数の光の粒が見えた。小型グォイドの群だ。小型グォイドは亀裂の上を旋回したかと思うと、獲物を見つけた猛禽のごとく亀裂内部へと急降下してきた。


 ――見つかった!


「フォムフォム、セーピアー全機発進! 小型グォイドを小惑星の外に誘導して! カオルコ、対空迎撃始め!」

「了解!」『了解!』


 直ちに〈じんりゅう〉艦尾左右発進口から、四機の無人機セーピアーが発進。同時に〈じんりゅう〉搭載の対宙レーザー群が火を吹いた。

 主導権を握られぬまま、〈じんりゅう〉とグォイドとの戦闘の火蓋は切って落とされた。


 


 最大直径約二〇キロの小惑星の中心付近まで届く亀裂は、最大幅が二キロ程もあり、セーピアーは小型グォイドとその空間の中で、苛烈なドッグファイトを繰り広げつつ、亀裂の外への誘導を試みた。

 多勢に無勢なのは明白な状況ではあったが、セーピアーにとって幸いことに、戦域が狭い為に小型グォイド群は数の有利を活かせないでいた。


「この有象無象どもめ~!」


 そこへ、撃てば必ず当たる状態となったカオルコの放つ対宙レーザーが炸裂する。

 亀裂内がたちまち小型グォイドの爆発光と、その衝撃で溢れた。

 ブリッジを衝撃破が揺さぶり、けたたましい爆発の効果音が響きわたる。


「ケイジ君、起動まであと時間は!?」

『全キャパシタ充填完了。人造UVD起動からオリジナルUVD点火まで四分です』

「……よし」


 我知らずユリノは呟いていた。 

 引き返してきたグォイド艦の射程距離に入るまであと五分、ギリギリで間に合う計算だ。


 ――ひょっとして、ひょっとすると上手くいくんじゃない!?


 もちろん、ほんの一瞬でも気を抜いたら即おじゃんだ。今、対艦ミサイルが一発でも命中したら即轟沈するだろう。今の〈じんりゅう〉の防御シールドはデブリは防ぐことができても、ミサイルや艦砲を防ぐ強度は無い。

 だが、そのギリギリの状況でも尚、持ちこたえ、さらに逆襲するチャンスが残されている事に、ユリノは幸運を感じずにはいられなかったのだ。


「直ちに人造UVDを起動、一気にオリジナルUVDを動かして!」

『了解。キャパシタ内全エネルギー、人造UVDへ接続、点火!』


 ブリッジ内の艦側面が描かれたコンディションパネルに、艦尾に接続された人造UVDに、流れるエネルギーが光のラインとなって示された。

 画面上で、補助エンジンとキャパシタに溜めこまれた全UVエネルギーが流し込まれると、人造UVDは一瞬の沈黙の後に、爆発的な光を発して起動したことが示される。


『人造UVD起動成功。直ちにオリジナルUVD用点火エネルギー充填開始、オリジナルUVD起動まで後三分二〇秒! なお、人造UVDはその直後に直ちに投棄の予定!』

「了解ケイジ君。エクスプリカ、人造UVDの正確な爆発までの残り時間は分かる?」

[恐ラク起動カラ五分前後ダロウガ、現時点デハ正確ナ予測ハ困難ダゆりの]

「機械のくせにザックリした答えね!」


 思わずユリノはエクスプリカにぼやいた。その直後、大きな衝撃が艦を襲った。

 ミユミか誰かのクルーの悲鳴が響く。


「被害報告!」

「艦尾の至近距離で小型グォイドが爆発した模様、艦内に目立った被害は無し」


 ダメコン担当席の副長がすぐに報告する。


「人造UVDは!?」

『こちら主機関室ケイジ、今の爆風で人造UVD上のヒューボが吹き飛ばされ、人造UVDとの接続の一部が断たれました。すぐに別のヒューボを修理に向かわせます』

「なんですって!」


 〈じんりゅう〉のコンディションパネル、その艦尾外付けの人造UVD部分にエラーメッセージが点滅していた。接続が断たれて情報が来ないのだ。


[艦長、断タレタノハ人造UVD先端ノ投棄用ろけっとりんぐトノ接続ダ。ソノ他ハ問題ナイ。ダガ アレガ動カナイト人造UVDハ、艦ニ接続サレタママ爆発スルコトニナルぞ]


 艦のメインコンピュータに繋がっているエクスプリカが答えた。

 投棄用ロケットリングとは、その名の通り、元から人造UVDの後端に、爆発の危険が迫った際に投棄する為にはめ込まれたロケット付きの輪だ。

 人造UVDは、オリジナルUVDの起動が成功し次第、その輪についたロケットを点火することによって彼方に飛ばし、その爆発から〈じんりゅう〉を守る予定であった。

 現在人造UVDには、そのロケットリングを操作する為のケーブルの他、様々なケーブルがむき出しで繋がっている状態であった。とても戦闘向きな状態とは言えない。が、今はどうすることもできなかった。


[人造UVDノこあガ限界ニ達スル マデ ニ再接続シナイト マズイナ、コレハ]


 感情など解さぬエクスプリカは、ユリノの焦りなど一切関せずにさらりと告げた。


『ケイジよりブリッジ。大丈夫、ヒューボ三体を向かわせました。すぐに直させます』


 ケイジがユリノ達を安心させるようにそう告げて来た。

 だが艦を襲った次の衝撃で、ケイジのその言葉の意味は無くなった。

 またもや艦の至近距離で小型グォイドが爆発したのだ。必至にコンソールに捕まらなければ席から振り落とされそうな衝撃がブリッジを襲う。直後にコンピュータの作りだした効果音では無い、艦それ自体が発するギギギィーという耳障りな音がブリッジに響く。

 正面ビュワーを見れば、艦の外を映した景色がゆっくりと横に流れていた。爆風が停止しているはずの〈じんりゅう〉を動かし、艦のフレームを軋ませたのだ。


「ケイジ君!」

『艦長、前言取り消しです。今の爆発でまた外のヒューボが吹き飛ばされました』

「そんな! 他のヒューボは?」

「艦長……それが」


 副長がユリノを振り返った。


「後三分で人造UVDにたどり着けるヒューボは、艦尾周辺にはいません」

「!!」


 今の段階で、すでに艦尾配置の七体のヒューボが失われた。他のヒューボは戦闘でのダメージコントロールに備え艦内各所に分散配置されており、艦尾付近にはもういないのだ。


『大丈夫です艦長、僕が向かいます。僕の位置からなら人造UVDまですぐです』

「そんな! 危険すぎるわ!」


 戦闘中に船外出るというケイジの発言の危険性に、ユリノは反射的に叫んだ。

 船外は今、グォイドにミサイルに爆発にデブリ、危険じゃ無い要素は一つも無いと言っていい。今は防御シールドの恩恵はあてにできないのだ。


『人造UVDが爆発するまで時間がありません! すでにメインノズル基部まで来ました。これから外に出ます!』

「ケイジ君! 待っ……」


 ユリノはそこから先を言うことが出来なかった。ケイジの判断が唯一無二の選択肢だと、瞬時に理解してしまったからだ。


 ――でも!……。


 ユリノはそんな自分に酷い嫌悪を覚えながらも、コンディションパネルの艦尾に点灯しているケイ

ジの位置アイコンを、ただ歯をくいしばって見つめる事しか出来なかった。

 ……しかし、










「人造UVDが爆発するまで時間がありません! すでにメインノズル基部まで来ました。これから外に出ます!」


 そう啖呵を切って艦尾エアロックのハッチを開けた瞬間、ケイジは再び襲って来たあの感覚に立ち竦んだ。

 威勢の良い事を言って出てきた癖に、自分の足が一歩も動かないことに、ケイジは自分でも驚くと共に、我知らずひきつった笑みを浮かべた。

 あまりにも静か過ぎて耳が痛くなりそうだ。代わりに己が発する鼓動と呼吸音が頭蓋骨にやかましい程に響く。しかし、網膜に映る景色は違った。


 ――これは……あれだ……。


 ケイジの眼前には、あの、ありとあらゆる光で満ちた光景が広がっていた。宇宙を漂っていた時のあの記憶が、再び蘇ってきたのだ。

 無数の小型グォイドが亀裂の中を舞い、セーピアーとドッグファイトを繰り広げ、時に撃ち落とされ火球となり、時に亀裂の内壁に激突し爆発四散しする。

 対空レーザーが、〈じんりゅう〉に迫る対艦ミサイルを命中寸前で切り裂き、凶器となって迫る破片を、防御シールドが辛うじて船体へのダメージから守っていた。

 目の前に広がっているのは、ありとあらゆる光で満ちた破壊の世界だ。

 動かねば、動こう、動けよ! いくらそう念じてもケイジの足は動かなかった。恐怖が物理的な力となって身体を拘束しているかのようだ。

 目標の人造UVD後端まで約50メートル、しかし今は地の果てのように思えた。

 一瞬、引き返そうかという思いが身体を支配しかける。


『勝ち目のない戦いなんて無い!』『勝算ゼロなんて信じない』


 だがあのフレーズが、ふと胸に響きかけてきた。


 ――だけど……だけど僕は!


 今のケイジには、それでも譲れない願いがあった。









 ――〈じんりゅう〉バトルブリッジ。


「ケイちゃん! ケイちゃんってば! 返事して!」


 たまらず通信席からケイジに呼びかけるミユミの声が、ブリッジに響いていた。

 ユリノはそれを黙認した。こちらからできることなど、もうそれくらいしか無いのだ。今〈じんりゅう〉の運命は一人の少年に委ねられているのだから。

 カオルコとフォムフォムが小型グォイド迎撃に挑む中、ユリノ達はコンディションパネルに映るケイジのアイコンをひたすら睨むことしかできなかった。

 パネルのアイコンは艦尾ハッチ付近で静止したまま動く気配がない。

 永遠にも思える数十秒が過ぎただろうか、何度も少年を呼び続けるミユミの声が、ふと止んだ。ユリノはミユミの通信席を振り返った。

 彼女はインカムを両手で押さえ、目を瞑って耳を澄ましていた。そして「なにか……、何か歌が聞こえます」ミユミは顔を上げると、そう呟いた。


「う、歌?」

「は、はい。なんだか……鼻歌みたいなのが……これって……」


 思わず訊き返したユリノに、ミユミは両手でインカムを押さえながら答えた。


「艦長、ケイジ三曹が移動を開始しました!」


 さらにコンディションパネルを見ていた副長が呼びかける。

 コンディションパネルのケイジを示すアイコンが、ゆっくりとだが人造UVDへ移動を開始していた。そのスピードは徐々に加速していく。そしてその加速に合わせるように、ミユミの言うケイジの鼻歌が、ユリノにもはっきりと聞こえるボリュームとなってブリッジのスピーカーにから響いた。


「あいつ……」「こりゃまた……」「あの曲なのです!」


 火器管制を行いながらカオルコが呻き、ルジーナとシズが呟いた。


 ――ヴィルギニー・スターズ、『VS』のテーマだ……――


 その曲を知るクルー達が呟いた。

 クルー達の良く知るテーマが、〈じんりゅう〉バトルブリッジに響いた。









 最初は一歩ずつ、やがて歩くように次々と足を踏み出し、ケイジは進み始めた。

 両足に恐怖がまるで粘液のように纏わりつき、歩みを押し止めんとする。

 だが、それと同じくらいの前に進もうとする力が、ケイジの背中を押す。


    ――まだ見ぬ明日に、虚無の戸張が降りる

       この広き宇宙に、僕らはなぜ生まれたの? ――


 辛い時、悲しい時、勇気が欲しいと願った時、何時だって心の中で響いていたのは、この歌だったような気がする。

 思い出そうとしたわけでも無いのにこのメロディが自然と心の奥から沸き上がってきた


    ――英知 勇気 友情 努力

        全てが無意味と諦めきれるの? ――


 何時だって思っていた。

 人類は僕は、何故、何のためにこの宇宙に誕生したのだろうか? と。

 この宇宙に栄えるべき生命があるとして、それがグォイドだというのなら、人類も地球の全ての生命も、最初から存在する意味なんてないじゃないか……と。


    ――きっといつかは気づくのでしょう

          答えはまだ知らないけれど――


 『心なんていらない』ずっとそう思っていた。この宇宙では。

 でも、今、自分の背中を押しているのはなんだろう? このメロディを口ずさむだけで、恐怖に打ち勝つ勇気が沸いてくるのだ。ただのメロディだというのに。


    ――飛び立て! ヴィルジニ・ステルラ!

        奇跡は舞い降りる 希望と共に

          ここに生きる意義を取り戻すよ――


 ケイジは走りだした。靴底の磁力吸着機能マグロックで人造UVDの表面に足を踏みしめながら。

 音も無く一機の被弾した小型グォイドが、ケイジの立つ位置に突っ込んでくる。

 ケイジは口ずさむメロディを止めることなく前に進んだ。小型グォイドはケイジを守るかのように飛来したセーピアーに撃墜された。


    ――嗚呼 ヴィルジニ・ステルラ!

        人は誰でも 心の奥に―――――――――


 小型グォイドの至近爆発は、今の低出力の防御シールドでは防ぎきれない爆風となって、いともあっさりケイジを人造UVDの上から吹き飛ばした。


「揺るぎないかが~やきぃ~ 秘めて~いるから~! あ~あ~~!」


 ケイジは慌てず焦らず、ワイヤーガンを人造UVDに打ち込み、上下逆さにしたターザンのように、飛び去ってしまわないようワイヤーで飛翔距離を制限しつつ、半円を描いて人造UVDの上に再び着地、同時に磁力吸着機能マグロックで人造UVD表面に張り着いた。

 ブーツの底から衝撃が全身に伝わる。無重力でも勢いよくぶつかれば痛いものは痛い。が、たどりついたそこは、正しく目標であった人造UVDの修理個所だ。


 ――やった! 出来た! たどり着いた!


 一瞬、喜びの感情が沸く。だがまだ達成感に浸るわけにはいかない。

 ケイジは痛みを無視しつつ、ケーブルの断線箇所を見つけた。そしてしばし絶句した。


「……エクスプリカ! ロケットリング以外の接続は無事なんだな!?」


 時間が無い。ケイジは必至で思考停止しそうになる自分を抑えつけて叫んだ。

 機能停止しないのが不思議な程に破壊された人造UVDの表面が、目の前にあった。

 二度の爆発によって深く抉れた人造UVD表面の開口部からは、絶対に露出してはいけないはずの内部機構が見え、生み出されたエネルギーがぼんやりと虹色に輝き溢れていた。







 クルー達は、襲い来るグォイドと戦いながら、ひたすらケイジの吉報を待っていた。


[けいじ三曹、人造UVD側ノせんさー類ガ ヤラレテ イルノデ、艦ノ方カラ得タでーたデシカ分カラナイ ガ、人造UVDトノ接続デ反応ガ返ッテコナイ ノハろけっとりんぐダケダ]

『オリジナルUVDの起動用エネルギーはちゃんと充填されているんだな?』

[大丈夫ダ。ソレニツイテハ問題無イ。おりじなるUVD起動えねるぎーハ順調ニ充填中ダ。タダシ、現状デハ人造UVDノ状態ガ知リ様ガ無イ。爆発マデノ残リ時間ハ不明ダ]

「ケイジ君! 状況を報告して!」


 エクスプリカとケイジの会話を、焦れながら聞いていたユリノは我慢できずに尋ねた。


『艦長、断線した部分は、時間内には修理不可能なレベルで破壊されています。オリジナルUVD起動は問題無いですが、人造UVDの投棄ができない状態です』

「……」

『でもまだ手はあります。手動で直接ロケットリンにグ点火するパネルが人造UVDについています。これからそちらに向かい、僕が直接ロケットに点火します』

「ちょっと待って! それって安全なの!?」

『他に手はありません。それに、ここまで来てたら危険度に大差なんて無いです』


 ――そりゃそうだ。と思わず納得しそうになるユリノだったが、ケイジのこれからやろうとしていることは、導火線の無いダイナマイトにマッチで火を付けるようなものだ。ブリッジ内にいる自分らとは安全度のケタが違う。

 だが、オリジナルUVDが起動しなければ、どちらにしろ我々も命は無い。

 ユリノに出来ることは祈ることだけだった。





「うおおぉぉりゃあぁぁ~!!」


 ケイジはもう怖気づくことなく、再びワイヤーガンを撃ちこみ、決死の覚悟で来た道を戻り、人造UVDの〈じんりゅう〉艦尾メインノズルとの接続部へと飛んだ。

 身体を固定するために多数設置されたバーを掴んで無理矢理停止すると、封印用アルミシールを剥がしてロケットリングの手動点火用パネルの蓋を開けた。

 中には暗証コードを入力する為のキーボードと、拳大の赤いボタンがあった。

 ブリッジからの操作でロケットリングが点火出来ない時に備えての、直接点火パネルだ。

 認証コード入力後にこのボタンを思い切り叩けば、ロケットリングは四十五秒後に点火、遥か彼方の安全距離まで人造UVDは飛んで行くはずだった。


 ――やっぱ航宙艦たるもの、フェイルセーフは用意しとかないとな!


 ケイジはパネルの機能が生きていることを確認すると、心の中で喝采をあげた。

 通常は機関室内にUVDがある状態で使用する装置の為、ボタンを押し四十五秒以内に艦内の奥に避難し、身の安全を確保するのは容易なはずだった。が、今回は状況が大分違う。はたして四十五秒でここから安全な艦内まで戻れるだろうか?

 戦闘中で無ければ決して難しい行いでは無いはずなのだが。

 ケイジは認証コードを入力する段になって急に震えだした手で、慎重に一つずつコードを入力していった。分厚い宇宙服のグローブを付けた状態でボタンを押すのは中々神経を使うのだ。戦場の真っ只中とあっては尚更だ。

 最後のコードを押し終え、後は赤いボタンを叩くだけとなったその時、ケイジのいる人造UVDの反対側で、一瞬、目の眩むような閃光が走り、遅れて凄まじい衝撃が襲った。


「うわわッ!」


 襲い来る爆風に無様に悲鳴をあげながら、必至にパネルの横のバーを必死で掴む。

 ケイジの身体はそのバーを支点にして一八〇度回転し、人造UVDとメインスラスターノズルを繋ぐ、トラス構造の仮設フレームの上に下半身から叩きつけられた。

 下半身が、その仮設フレームの鉄骨と鉄骨の間の菱形の空間にはまった。

 必至に仮設フレームから身を引き出そうとするケイジ。次の瞬間、ギィーというフレームの軋む音が、人造UVDに伏せたケイジの硬式宇宙服を直接震わしケイジの耳に響いた。

 〈じんりゅう〉艦尾と人造UVDを繋ぐ仮設フレームは、あくまで仮設としてあり合わせの資材でつくったものであり、戦闘で生じる衝撃に耐えうるようには出来ていない。

 人造UVDが受けた爆風により押し流されても。重量で勝る〈じんりゅう〉はその場に居座ろうしたため、その歪みを仮設フレームが一手に引き受けることとなったのだ。

 結果として。仮設フレームを構成する菱形のトラス構造は無残にひしゃげ、パンタグラフの様にその空間を閉じることとなった。そしてその間には、ケイジの下半身があった。





 再び起きた小型グォイドの至近爆発による激しい衝撃と同時に、バトルブリッジの解放状態の無線通信に、耳をつんざくようなケイジの悲鳴が響いた。

 耳を覆いたくなるその叫音が過ぎ去ると、嘘のような静けさがブリッジを包む。


「……けいちゃん! けいちゃん返事して! けいちゃんてば!」


 一瞬放心状態だったミユミが、慌ててケイジに呼びかける。しかし返事は来ない。


「ケイジ君、返事をちょうだい! 何がおきたの!?」


 たまらずユリノも呼びかけるが、返って来るの沈黙だけだった。どう考えても、ケイジの身に恐ろしい事がおきたとしか考えられなかった。

 当然の如く死亡した可能性を検討する自分に、ユリノは心の中が真っ黒に染まるような気持ちになった。が、艦長の職責が立ち止まることを許してくれはしなかった。


「エプリカ! 何がおきたか教えて!」

[人造UVDノせんさー類トハ接続ガ断タレテ イテ分カラナイ。ガ、今ノ爆発デ接続部ノ仮設ふれーむガ僅カニ歪ンダヨウダ。マタ衝撃ヲ クラエバ人造UVDハ千切レ飛ンデシマウゾ]

「そんな、じゃオリジナルUVDの起動はどうなるの!?」

[ソチラ ハ マダ心配無イ。えねるぎーノ充填ハ続イテイル。ダガろけっとりんぐヘノ点火ガ行ワレナイト我々ハオ終イダ]


 エクスプリカの言葉にユリノは絶句した。

 外では小型グォイドとの激しい戦闘が続いている。


 ――万策尽きたのか? やっぱり駄目だったのだろうか? 最初からこんな試み自体が無茶であり、挑戦する前からこんな結果が待っている運命だったのか?


「グォイド艦、被射程距離到達まであと二分デス」


 ルジーナの報告。

 いつに間にか小型グォイドの攻撃が止んでいた。全部撃ち落としたのか? いや、引き返してきたグォイド艦の砲撃に備えて退避しただけだ。

 クルー達の視線が自分に集まるのをユリノは感じた。が、ユリノはどんなに考えても、次に送るべき指示もアイデアも、何も浮かばなかった。

 貴重な一秒一秒が、無為に過ぎていく。


「けいちゃん、返事をして!……」


 泣き出す半歩手前のミユミの呼びかけが虚しく響く。

 ……その時、


『こちらケイジ、エクスプリカ、オリジナルUVD起動まであと何秒だ?』


 クルー達の心配など、全く関知していないケイジの声が響いた。


「ケイジ君、生きてたの!」

『生きてますよ! 勝手に死なせないでください!』


 ケイジは冗談じゃないとばかりに答えた。だがその声は誰が聞いても苦しそうだった。


[けいじヨ、おりじなるUVD起動マデ後三〇秒ダ]

「こら~! けいちゃん、生きてるならちゃっちゃと返事してよぉ!! この大馬鹿!」


 エクスプリカやミユミが各々ケイジに言いたいことを言う。

 ユリノはもっと彼を心配する言葉をかけたかったが、それを飲みこんで訊いた。


「ケイジ君、ロケットリングの手動点火は出来そうなの!?」

『大丈夫です、オリジナルUVDの起動に成功次第、直ちに人造UVDを投棄できます』

「出来るのね!?」

『はい、もちろん』

「………………よかったぁ」


 ユリノは他に何も言えなかった。


[おりじなるUVどらいヴ、起動一〇秒前、八、七……]


 エクスプリカがカウントダウンを開始した。

 〈じんりゅう〉とクルーの運命を決める瞬間が、止めようも無く問答無用で迫りくる。


[三、二、一、全UVエネルギー、オリジナルUVDへ接続、点火!]


 その瞬間、ユリノは思わず両手を顔の前で握り合わせて目をつぶった。

 真空無音の宇宙が、思い出したように耳の痛くなるような静寂となって彼女らを包む。

 ……一瞬、最悪の事態が頭を過る。

 実際には二秒も経っていないはずなのに、気の遠くなるような長い時が過ぎた気がした。

 ……だが、最初は空耳かと思う程微かに、やがて規則的な振動が、効果音用のスピーカーでは無く、床下を直接伝わって〈じんりゅう〉自身から彼女達の身体を震わした。

 規則的な振動音は力強くなるにつれ、ブリッジ内各席のコンソール上で、第五次迎撃戦以来、赤を指したまま沈黙していた各種兵装のコンディションランプが緑に変わり、推力や防御シールドの出力インジケーターが容易く通常の使用限界位置を振り切った。


[おりじなるUVD、起動成功。主すらすたー及びビ残存全兵装、使用可能]


 エクスプリカが、機械であるが故のなんの感動もへったくれも無い口調で告げた。


「残存主砲UVキャノン全て使用可能! 全部撃てる! 撃てるぞユリノ!」

「防御シールド、全包囲フルパワーで展開可能」

「……凄い……メインスラスターの最大推力が本調子の時の三倍もあるよ」

「UVエネルギーの使用可能限界値が七倍に! 慣性相殺機能もケタ違いなのです」

「ケイちゃん……やったよ! ケイちゃんやってのけちゃったよ!」


 クルー達がオリジナルUVDのもたらすパワーに驚嘆の声を漏らし、歓声をあげた。しかし、ユリノはそんな事よりもはるかに気がかりな事があった。


「ケイジ君聞いてる!? オリジナルUVD起動に成功したわ! ロケットリングに点火して、早くそこから艦内に避難して! はやく!!!!」


 ほとんど悲鳴のようにユリノは叫んだ。がしかし、


『あ~艦長、了解と言いたいところですが、戻るのはちょいと出来そうにありません』


 ユリノはケイジの言葉の意味が、すぐには理解出来なかった。








 それを見た瞬間、ケイジが真っ先に抱いたのは、――ああ、こういうことだったのか……と、そんな感想だった。

 若くして航宙士になったのも、宇宙を漂っていたのを彼女達に救われたのも、協力しあってメインベルト突入を乗り切ったのも、なにもかも全てが、この結末にたどり着く為にあったのだ。そんな気がした。

 一体何故? などという問いなど、今さら無意味だ。

 “そうだったからそうなのだ”としか言いようがない。それに、ケイジは結構その答えが気にいっていた。まぁ、そういうのも良いか……と。

 ロケットリング修理の為に船外に出た時、ケイジは間違いなく恐怖を感じていた。怖かった。一度死にかけたが故に、尚の事、今度こそ死ぬかもと……。

 “『心』なんていらない”なんてお笑いぐさだ。

 そもそも『心』は自然に胸の内に生まれてくるもので、自分でコントロールなんてできやしないのだ。ずっと前から分かっていた事だ。

 だが何故かケイジは動けた。

 とっくの昔に腹を括り終えていたのかもしれない。

 艦長の決断に異議を唱えてまでグォイドの阻止を主張し、オリジナルUVDを見つけ、勝ち目のない戦いに彼女達を巻き込んでしまったあの時から。

 何がなんでも、自分は成し遂げなくてはならない。彼女達を守る為に……と。

 恐怖と同時に、脳裏を〈じんりゅう〉で彼女達と過ごした日々が去来した。

 この感情をなんと呼べばいいのだろう……ケイジには分からなかった。がそれでも良いと思った。それは言葉にしたら幻になってしまいそうな、そんな気がするから。

 今は『心』なんていらなくもない。そう思えて、それがなんだか嬉しかった。

 ケイジの目の前には、歪んだ仮設フレームの間にがっちりと挟みこまれ、切断される寸前の自分の右脚があった。そこからの減圧で死んでいないのは、中に封入されている充填剤が、穴が空いた瞬間に瞬時に硬化して減圧を防いだからだろう。それでも瞬間的な減圧で軽く意識が飛んでしまったようだが。

 まあ、一歩間違えば下半身がフレームの隙間に挟まれていたわけで、その場合は叫ぶ間も無く即死していたのだろうから、運が良かったとも言えるのだろう。

 ともかく、この状態では、自分が自力ではここから脱出不可能なのは間違い無いようだ。

 それはつまり、人造UVDと運命を共にすることを意味していた。

 意識して深呼吸してみる。そうしないとパニックに陥ってしまうかもしれない。

 普通こういう時はアドレナリンで痛みを感じないと聞くが、挟まれた足は充分な痛みを発しており、お陰で嫌というほど目が覚めた。


 ――意外と平静なのかね僕は……。


 ケイジはブリッジに、自分がもう〈じんりゅう〉に戻れないことを伝えることにした。


『そんな……どうにかならないの!?』


 説明を聞き終えると、艦長の悲痛な声がヘルメット内に響いた。


「いや~、現状ではちょいと厳しいですかね」

『何言ってんのけいちゃん! 勝手に諦めないでなんとかしなさいよ!』


 ミユミが問答無用で怒鳴りつけてきた。


「あ~ごめんよミユミちゃん、な~んにも思いつかないや」


 もしまたこういう機会があったら、自分で脚を切断できるよう斧でも持って来ようか、と考えてケイジは思わず苦笑を洩らした。いや次の機会は無いんだってば、と。

 ケイジの位置からは、今まで灯火管制で消されていた〈じんりゅう〉の両舷灯や各種航行灯が、オリジナルUVDの起動により煌々と点灯している後ろ姿が見えた。

 今、〈じんりゅう〉にかつて無い力が漲っているのだ。


 ――やっぱり、〈じんりゅう〉は最高のフネだよなぁ……。


 ケイジは心の底から、他のどの航宙艦よりも、この船を好きなことを誇らしく思った。

 ケイジは〈じんりゅう〉の後ろ姿に向かってサムズアップして見せた。

 【ANESYS】にも繋がれなければ、直接戦闘で役立つわけでもない、料理と機械修理しか取り柄の無いちっぽけな十六のガキだけれど、なかなかやるもんだろう? と。

 その時、ケイジは唐突に確信した。彼女達は必ずグォイドに勝つと。

 人類よりはるか昔から宇宙で進化し続けてきたグォイドに対し、彼女達、天真爛漫なるクルー達には、グォイドが絶対に持っていない武器がある。

 ケイジは深い達成感と安堵を覚えた。思い残すことは無くも無いが、まあ妥協の範囲だ。

 あとは、最後に残された時間の過ごし方を考えるだけだ。

 ケイジにとってそれはある意味、オリジナルUVDを起動させる以上の難問だった。



 ブリッジのユリノ達も、格納庫のクィンティルラとフォムフォムも、誰も何も、発すべき言葉を持たなかった。もし何か言えば、理性を保てるか自信が無かったからだ。

 オリジナルUVD起動成功の喜びなど、消え去っていた。

 この広大な宇宙で、天文学的偶然の果てに出会った少年は、たった二週間弱の間に、自分達の心に消せない思い出を残してしまった。

 そんな彼と、永遠の別れが訪れようとしている。

 この時代のこの職場で生きる道を選んだ者であれば、珍しい出来事では無いはずなのに。


「ケイジ君、すぐヒューボを向かわせるわ! それまでロケットリングの点火は待っ――」

『絶対にダメっ!!!!』


 悲鳴に近いユリノの言葉は、ケイジの始めて聞く怒声に近い声で遮られた。。」


『既にロケットリングの点火ボタンは押し終えました。あと四十秒で人造UVDは投棄されます。〈じんりゅう〉は、人造UVDの投棄完了次第、手筈通りシードピラーを止めに向かってください』

「……………そんな」


 ケイジの告げた言葉の意味に、ユリノには返すべき声を失った。

 この少年は、ユリノが止めるであろうことを見越して、絶対に自分を助けるために時間を裂くことが出来ないよう、先手を打ったのだ。ユリノ達を守るために……。

 以後の機関長任務はエクスプリカとシズにお願いしますと、クルーの心境など無視するかのように、どこか朗らかな口調でケイジが続けた。

 急に名前を呼ばれたシズは、ハッと顔を上げると、何も言えずにひたすら何度も頷いた。


「グォイド艦にエネルギー反応……砲撃態勢に入った模様……」


 ルジーナが震える声で報告する中、さらにケイジは続けた。

 ルジーナには、あなたが気さくに接してくれたお陰で、凄く緊張が和らぎましたと。

 カオルコには、EVAではとても頼りがいがあって助かったと。。

 フィニィには、真っ先にヒューボの修理を手伝おうと言ってくれてありがとうと。

 クィンティルラとフォムフォムには、いつまでも仲良くしていてくださいと。

 ――ああ……これはアレだ………………ユリノはケイジの言葉の意味に気づくのに時間はいらなかった。今、ケイジは最後の言葉――遺言を残しているのだ。

 サヲリには……正直あなたの裸はとてもとても綺麗でした! とぶっちゃけた。

 ミユミには、約束は、ちょいと守れそうもないや。ごめん! と。

 最後にユリノには、短い間でしたけれど、あなたの艦で過ごせてとても光栄でした!

 艦長はなんていうか、とてもとても綺麗で素敵な艦長でした! と。


『……………なんちゃって! あ~ホントはこんなことじゃなくってもっと気の効いた事が言いたかたのに! ああそうだ! ご飯についてですけど、僕が一番最初に直した継ぎ接ぎのヒューボに、今まで作ったメニューの半分は教えこんでるんで、次のご飯は奴に頼んでください。え~とえ~と、それから、ああ、やっぱこういう時の為に普段から言うべきことを考えておくべきだったかなぁ……45秒って以外と長いよ。っていうかホントに飛んでいくんだろうなコレ! あ! 冷蔵庫に今日、任務達成のお祝い用にデザー……』


 ケイジはムードもへったくれも無く、じっくりと別れの悲しみを噛みしめる間も無いほどに、一気呵成にまくし立てると、とても中途半端なところで彼の通信はブツリとノイズに変わり、微かな振動がブリッジに伝わった。

 艦尾を映すビュワーに、ロケットリングからの噴射炎を輝かせながら、猛烈な勢いで遠ざかっていく人造UVDが見えた。

 人造UVDは小惑星の亀裂を抜け、グォイド艦が待つ空間まで飛びやがて見えなくなると、目の眩むような閃光と共に、一隻のグォイド駆逐艦と、多数の小型グォイドを巻き込んで大爆発し、メインベルトの小惑星達を照らした。

 ユリノは自分でもよくわからない何かを叫んだが、ブリッジにまで届いた衝撃破と、律儀にコンピュータが発したUVDの爆発効果音とによってかき消された。

 直後、〈じんりゅう〉の潜む亀裂の内壁を、何本もの極太のグォイド艦の砲撃が貫いた。

 人造UVDの爆発に劣らぬ凄まじい閃光が、メインベルトを照らした。

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