▼第九章  『きっと、うまくいく』

 エクスプリカは語った。

 五年前のあの日、第四次迎撃戦の果てに〈じんりゅう〉初代艦長レイカは、シードピラーの地球着床を阻止すべく、〈じんりゅう〉によるシードピラーへの体当たりを地球大気圏上層部で敢行した。

 その際、シードピラーと〈じんりゅう〉の破片の地球飛来を最少限に抑えつつ、貫通したオリジナルUVDを将来人類が再回収できるような位置に向かうように、レイカ艦長は一人で【ANESYS】を行い、正確なコースと速度を算出し艦をコントロールしたのだそうだ。

 貫通したオリジナルUVDシャフトが月や火星や木星圏に向かってもらえるのが理想的であったが、残念ながら、その当時はそれらの位置へ飛ばすウィンドウは開いていなかった。

 故に、レイカは唯一開いていたメインベルト〈テルモピュレー集団クラスター〉へのウィンドウに向かってシャフトが飛んで行くように仕向けたのだ。

 結果、搭載されていたオリジナルUVDシャフトは、その慣性のままにシードピラーを貫通し破壊、衝突時の凄まじい衝撃にも傷一つつかず、そのまま地球重力圏を飛び出し、数年かけてメインべルト〈テルモピュレー集団クラスター〉にまで到達、この小惑星の一つに衝突してようやく止まったのだという。

 エクスプリカが無事だったのは、将来人類がオリジナルUVDを再発見する為の番人とすべく、絶対に破壊不可能なオリジナルUVDシャフトの後端部分の底に捕まり、全ての衝撃から身を守りつつシャフトの傍についているようレイカに命じられたからだった。

 しかし、事はほぼレイカの狙い通りに進んだものの、オリジナルUVDはグォイドにはもちろん、人類にも容易には再発見できない場所へと行ってしまった。

 エクスプリカはグォイドに発見される危険を考え、オリジナルUVDの刺さった小惑星から僅かに離れた位置を漂いながら、人類側の航宙艦が付近を航行する度に回収要請信号を送っていたのだが、バッテリーの電力低下とジャミング塵の効果によって、今まで誰にも発見してもらえなかったのだ。

 しかし、今回二代目〈じんりゅう〉が付近を通りかかった際に、僅かながらも傍受したエクスプリカの信号がミユミの耳に入り、【ANESYS】を駆使することによって発見、ようやく回収されたというわけだ。

 危うくグォイドにも発見されかけたが……。

 因みに彼の声色の変化は、五年もの間ジャミング塵にさらされたのが原因らしい。

 ユリノはケイジや姉の言うところの『勝ち目』の発見をとりあえず優先し、決定的な判断を先送りしてここまで来たわけだが、これでそういうわけにもいかなくなってしまった。

 今、目の前にあるのは間違いなく、この状況を打開する『勝ち目』であった。


「でもメインUVDをこれに換装させたとして、始動エネルギーは? オリジナルのUVDを起動させるには、現在動く二基の補助エンジンだけでは、到底足りないんじゃなくて?」


 ユリノは誰ともなしに尋ねた。

 無限のエネルギーを汲み出すUVDを始動させるには、そのサイズや出力に見合った始動エネルギーが必要だ。それを使ってUVDをキックスタートさせるのだ。

 補助エンジンレベルであれば大したことないが、膨大な出力を誇るオリジナルUVDを始動させるには、その分、膨大な始動エネルギーが必要なはずだ。当然、補助エンジン二機では始動エネルギーは調達不可能だ。


「大丈夫です。キックスタート用エネルギーならありますよ」


 ユリノの懸念を余所に、ケイジがあっさりと答えた。


「どこに?」

「もちろんこの〈じんりゅう〉に。〈じんりゅう〉の主機関室に」

「そんな! だって〈じんりゅう〉のメインエンジンは壊れてるのよ。今動かしたら数分で爆発す……あ!」


 そこまで言ってユリノは気づいた。


「だけど……でも……………」


 ユリノはもうそれ以上、その可能性を否定する言葉が思いつかなかった。


「時間はあと三日弱しか無い。たとえそれまでにあのオリジナルシャフトが使えるようになったとしても、今の〈じんりゅう〉には武装は半分しか使えないし、無人艦も無い」


 それでクルーの決心を変えられるとは思えはしなかった。がそれでもユリノはそうたたみ掛けずにはいれれなかった。


「ボロボロの〈じんりゅう〉と数機の無人機と昇電だけで、シードピラーとその護衛艦を倒さなければならない。もちろん失敗すれば皆お陀仏。あなたたち、その覚悟はあるの?」


 皆は答えるまでもないとばかりに、熱い視線を返してくる。


「艦長……いや、ユリノよ。私はこれでも将来について、自分なりの人生設計があるんだ」

「な、何よカオルコ、いきなり」


 唐突に口を開いたカオルコに、ユリノは問い返した。


「私はだなぁ、このグォイドとの戦に終止符が付いて、VS艦隊のクルーを円満引退したなら、自叙伝を書いて印税暮らしをする予定なのだ」

「はぁ?」

「だからさっ、その自叙伝に、我らがVS艦隊の〈じんりゅう〉は、ここぞという時にグォイドに負けるのが怖くて逃げ出した~などとは書けないだろ?」

「…………あ、あのねぇ」

「書くならこうさ! 『かくして我らが〈じんりゅう〉は、クルー達の活躍によりケレスを守り抜き、見事人類を守り抜いたのであった! つづく!』ってね!」


 カオルコは結構なドヤ顔で言ってのけると、どうよ? とばかりに皆を見まわした。

 一瞬、皆どうしたらいいのか分からない空気がブリッジに漂う。


「あ~、えぇ? え~っとねカオルコ……」

「…………………く………ふふ……ひっ……」


 意外にも最初にリアクションしたのは副長のサヲリだった。ユリノは隣にいた彼女が突然身身を屈め、肩を震わせて始めたのでビックリした。

 ……どうやら彼女の笑いのツボに入ってしまったらしいと分かるまで数秒かかった。

 普段のクールな印象など捨て去り、彼女は文字通り腹を抱えて爆笑しているのだ、これでも。


「あ、あのねサヲリ……さすがにそれはちょっと失……ふっ」


 ユリノは心配して声をかけたつもりだったが、全く自覚していないうちに、自分でもよく分からない笑いが込み上げて来て止められなかった。

 いつの間にか周りでも、さざ波のように始まった笑い声が、いつしか大爆笑に変わっていた。


「はははは、カオルコ、あなたあの報告書の文才で本を書く気なのぉ?」


 ユリノは何故か零れてきた涙を拭いながら、割と本気でそう声を絞り出した。そして自叙伝を出すときは自分も一枚噛ませてもらおうとも。

 カオルコの言う通りだ。どうせ語り継がれるならば、希望に満ちた未来へと続く物語を、姪のユイや、これから生まれて来るであろうシアーシャの子や、自分自身に残したいと、ユリノは願わずのはいられなかった。

 ユリノはいま一度深く深呼吸してなんとか落ちつきを取り戻すと、皆を見据えた。

 もし今の状況に勝算があるとしたら、姉が残してくれたオリジナルUVDがもたらす大出力しか無い。

 オリジナルUVDは人造UVDの出力を遥かに超える。出力だけなら並ぶものは無い圧倒的なパワーだ。だが、この状況でそれがどれほどの意味をもつのか……。

 しかし、我らがクルー達の心を一つにした【ANESYS】と合わせればあるいは……。


「現時刻より、シードピラー・ケレス着床阻止作戦を開始します!」


 ユリノは声高らかに宣言した。














 早速〈じんりゅう〉の眼前に突き刺さるオリジナルUVDの回収作業が開始された。

 作業は主に格納庫で機体整備等に使われる力仕事専門の重ヒューボによって行われた。

 オリジナルUVDシャフトは絶対に壊れないという特性と、弱い重力によって形成された小惑星の壁面が存外に脆かったことが幸いして、作業は比較的容易に進みそうであった。

 どんなに乱暴に扱おうが、絶対に壊れないのだから力任せで引き抜けば良いのだ。

 平行して、〈じんりゅう〉艦尾からメイン人造UVDを引き抜く作業も開始されていた。

 SSDFの航宙艦には、メインエンジンが暴走・爆発する事態に備え、メインUVDシャフトに緊急投棄システムが組み込まれている、それをこの作業に利用することができた。

 もちろん、そのままこの緊急投棄システムを使えば、爆砕ボルトと投棄用ロケットリングで、まだ使うメインUVDとメインスラスターノズルも遥か彼方に投棄されてしまう為、調整して使う必要がある。

 取り外し作業はまず、主機関室の蓋を兼ねた艦尾のメインスラスターノズルを取り外すことから始められる。作業はもちろん汎用ヒューボ達によって行われた。

 補給艦の残骸から回収したヒューボが二〇体もいるため、人手不足の心配は無い。

 ケイジがしたことはと言えば、この一連の作業の大雑把なプランを立て、作業の進捗状況を船外に出て確認しただけだ。

 細かなヒューボへの指示は、副長とシズの他に、新たなクルーであるエクスプリカが大いに役立ってくれたため、ケイジは思っていたよりも暇になってしまっていた。


「………あ……れ?」


 ケイジは結局、厨房でのクルーの食事作りに戻っていた。ヒューボが再び全て作業に取られてしまった為、また一人で全員分の食事を作らねばならなくなったが、作業がある程度進むまで、次の船外での作業状況の確認作業も無い。


 ――あんまりいつもと変わらないような……。


 ちょっと拍子抜けしてしまうケイジであった。あんな啖呵をきってグォイドとの決戦に挑むことになったはずが、今、自分に出来ることは限られていた。

 そんな時、大慌てでミユミが厨房に駆け込んできた。


「けいちゃん、副長が倒れた!!」


 ミユミはケイジの顔を見るなり叫んだ。















「ただの過労なのです!」


 うろたえるミユミと共に、血相を変えて医療室前まで駆けつけたケイジの前に、シズがここから先は通さん! とばかりに立ちはだかり宣言した。

 副長は、ブリッジで艦長達と、今後の戦闘プランを練っている最中に倒れたのだそうだ。

 AIドクターによって、すでに単なる過労だと診断が出ているらしい。

 確かに、彼女はケイジから見ても、この人が居なければこの艦はどうなるんだろう? と思わせる程に働き者だった。

 今のこの状況では、彼女に掛かる仕事量と精神的負担が、彼女のその華奢な身体のキャパシティをオーバーしてしまうのも無理の無い話に思えた。


「副長は今カプセルの中なのです! だから男子は入室禁止なのです!」


 ……それは入るわけにはいくまい……シズの言葉の意味にケイジは納得した。


「艦長が医療室で付き添っていますから、あなた方は自分の仕事に戻って下さい」


 シズはにべも無く断言した。

 ケイジはおとなしく厨房に戻るしかなかった。慌てて医療室に来たはいいが、そもそも自分に出来ることなど何も無かったのだ。


「……びっくりしたね」


 とぼとぼと医療室から厨房に戻る通路を一緒に歩きながら、ミユミがポツリと言った。

 ケイジの隣を歩くミユミは、どこかそわそわしているように見えた。


「ミユミちゃ……」


 ケイジが声をかけた途端、ミユミはビクッと飛び跳ねた。


「な、なにかな?」

「いや、ミユミちゃんも、具合悪いとこ無いか訊きたかっただけなんだけどさ……」

「ぜ、全然大丈夫だよ、これこの通り!」


 ミユミは細い腕でガッツポーズして見せた。だが、それで心配でなくなるわけ無かった。


「なら、良いんだけれどさ……、無理しないで、具合悪くなったら、ちゃっちゃと休んでなおさなきゃだよ。それが出来るのは今だけなんだからさ」

「あ、ああ……うん、けいちゃんもね」


 ミユミはわずかな沈黙のあと素直に頷いた。

 ケイジの知るミユミは、そもそも戦などとは縁の無い性格だった。だが五年たちVSクルーとなった彼女が、今、何をどう思っているのか、ケイジには良く分からなかった。

 VS艦隊にミユミが入っていると知った時、ケイジは驚きと同時に軽い憤りのようなものを覚えた。それは自分が航宙艦乗りになったのは、五年前の一件の以来、離れ離れにはなったがどこかで生きているだろうこの幼なじみを、グォイドの災厄から少しでも守りたい思ったからだ。五年前、彼女を危険に巻き込んだ贖罪だ。

 ところが守ろうとしたミユミもまた戦場にいると知り、ケイジはなんで君が危ないことしてるんだよ! と憤ったのである。だが、良く考えて見れば、この幼なじみには、守るどころか、VS艦隊クルーとして自分の方が守られたのだ。まったくもって自分には怒る資格がない。

 ……それにしても何故、彼女はVS艦隊に入ったのだろう?

 歩けば歩いた分だけ、食堂に近づく。ミユミはブリッジに戻るはずだ。

 こうして二人だけで会話する機会が、またあるだろうか?


「あ、あのけいちゃん、あのね……」


 ミユミが急に立ち止まって言った。


「何?」


 急に立ち止まった彼女を追い越したケイジが振り向くと、ミユミは黙ってしまった。


「ア……あはははは……やっぱり……、なんでもない」

「……なんだいそりゃ?」

「えへへ、あのさ、けいちゃん、今回の作戦が終わったあとで話すよ。一杯話そう! ね?」

「ああ、うん。あんま話せなかったしね。せっかく再会できたのに」


 ずずいっと顔を寄せながら言う彼女に、ケイジは何故かドキドキとしながら頷いた。


「よし! うむうむ、よし! じゃあそういうことで、またね!」


 ミユミはそう言うとブリッジへと向かった。

 ケイジには茫然と見送ることしか出来なかった。が、少しほっとしてもいた。

 もしここで沢山話してしまって、思い残すことを無くしてしまったら、生き延びる理由が一つ減ってしまうような気がしたからだ。












 数時間後、ヒューボ達によって、〈じんりゅう〉艦尾のメイン・スラスターノズルが外され、むき出しとなった主機関室から壊れたメイン人造UVDシャフトが引き出された。

 空になった主機関室にオリジナルUVDを代わりに入れ、再びメインスラスターノズルで蓋をする。作業は拍子抜けするほどに順調であった。

 主な仕事はヒューボがしてくれるため、ケイジは暇といっても良いくらいであった。


「良かった……」


 医療室、ようやく面会が許された副長に、ケイジが作業の進捗状況を話すと、彼女はそう呟き胸に手を当てた。

 カプセルから出た彼女は、今は患者服でベッドの上に横たわっていた。


「だから言ったでしょ、案ずるより産むが安しよって」

「はい。ケイジ三曹、ありがとうございます」


 ベッドに寄り添うユリノ艦長に、副長は素直に頷いた。彼女が倒れたことに責任を感じているのか、艦長は時間が許す限り副長のそばに付き添っていたらしい。

 艦長は入ってきたケイジに目もくれず、副長の手をひたすら両手で握りしめていた。

 ベッドの上の副長は、ケイジの目には、いつにもまして儚そうに見えた。


「あ、あのお腹は空いてませんか? 何かリクエストがあれば作りますよ」


 ケイジは、医療室に来た当初の目的を言った。自分に出来ることで、彼女が早く元気になる足しになることといったらこれ位しかない。


「ごめんさい。今は……まだ……食欲が沸かなくて」


 彼女はすまなそうにそう答えた。もう半日以上何も口にしていないはずであったが。


「駄目だよサヲリ! なんか食べなきゃ」

「だけど……」


 副長にしては珍しく、艦長の言うことにもぞもぞとむずがりながら、彼女はシーツで顔を隠した。まだ具合が悪いのだろうか、それとも単に精神的なものなのか。


「サヲリ……」

「あの……甘いものならどうですか? すぐ用意しますよ」


 こんな子供を釣るような手が通じるとは思えなかったが、ケイジは提案してみた。

 副長はさておき、ケイジは大概の女性は皆甘い物が好きだという偏見を、極最近になって持ち始めていた。

 艦長は一瞬、ケイジの顔を見ると、すぐに副長に視線を移し、目で彼女の答えを窺った。


「…………もし面倒でなければ……」


 副長はそろりと顔を半分布団からだすと、恥ずかし気にそう言った。

 ケイジは医療室を飛び出して厨房へと向かった。









 ユリノにとって副長、サヲリ・レオカディア・シュトルヴィナは、掛け替えの無い親友でありまた妹のような存在であった。

 彼女とはVS艦隊クルーとして、幼い頃から姉やカオルコと共に戦ってきた。

 テューラが務めていた二代目〈じんりゅう〉の次の艦長が決まる時、ユリノは自分などではなく彼女が艦長になるものだと思っていた。彼女の方が圧倒的に優秀で真面目で、仕事も正確だ。自分などよりよほど艦長職に相応しい、そう思っていた。

 そんな彼女が倒れた時、ユリノはすぐさま“自分のせいだ”と確信した。

 サヲリはいつも文句一つ言わず、黙々と自分の我ままのような指示に従ってくれる。それに自分は甘え過ぎたのだ。

 ただでさえ彼女は、いわゆるサイボーグであるが故に、成長する生身の肉体に合わせ、人工物である半身を定期的に調整せねばならない身なのだ。

 その調整の度に、彼女は生身と義肢の間に、自分達には到底知り得ぬ鈍い痛みに襲われ続けているのだという。今回はそれに第五次グォイド迎撃戦以後の騒動が加わったのだ。

 AIドクターはただの過労だと診断したが、その過労が自分達と同じレベルのものだとはとても思えなかった。

 ユリノは、もしかしたら彼女を失うかもしれなかったという恐怖に、彼女の手を握る自分の手が震えるのを、どうしても止められなかった。

 トラウマが蘇る。大切な人を失うのはもう沢山だった。

 医療室から飛び出していったケイジは、五分もしないうちに戻ってきた。


「はぁ……はぁ……お待たせしました」


 そう言って、持ってきたトレーをサヲリの前に置いた。


「……これは?」


 サヲリがユリノに支えられながら上体を起こすと訊いた。


「プリン・アラモードですよ。どうです食べれそうですか?」


 ケイジの持ってきたトレーの上には、短い脚のガラス製の器の上に、黒に近い濃い飴色のソースが掛かけられた薄黄色の台形が、ふるふる震えながら乗っており、その周りを生クリームと色取りどり様々なフルーツがデコレートしていた。

 なんというチョイス。フルーツ、生クリーム、そしてプリン! これを食べたく無い女子なんていようか? それに病み上がりの体でも食べやすそうだ。

 ユリノは驚くと同時に、少しばかり悔しくなった。今の自分よりもケイジのほうがよほどサヲリの助けになることに。

 サオリは声を出すのも忘れて、コクンと頷くと、無言でスプーンを手に取りプリンをすくい口に入れ、そしてゆっくりと味わうと、「美味しい……」とポツリと言った。


「良かったわね」 


 二口、三口とスプーンを進めるサヲリを見ながらユリノは言った。気のせいか、彼女の顔が精気を取り戻してきているような気がする。プリンを食べる前とは見違える程だ。

 サヲリはふとスプーンを持つ手を止めると、ユリノの顔を見つめた。


「なに?」

「艦長も一口食べますか?」

「い、いや! そんなつもりで見ていたわけでは無くて。いや決してプリンが好きじゃないとかそういう意味ではなくて……」


 とユリノが言うそばから、彼女はスプーンに一口すくうと問答無用で顔に近づけてきた。

 抗う間も無くスプーンを咥えるユリノであった。


「ああ……うん。美味ひぃ……」


 そんな単純な感想しか言葉にならない。

「ケイジ三曹も」

「はひぃ?」


 サオリはユリノが味わってる横で、今度はケイジにもスプーンを突き付けていた。


「ええぇ!? ……あ、はい」


 上官かつ病人かつ美少女から上目づかいでお願いされ、無下にする度胸がケイジにあるはずもなく、ケイジはおずおずと口を開けスプーンを受け入れた。


「え~あ~うん、我ながら美味ひ~です」

「……これで間接キスですね」


 ケイジの反応を満足気に見つめると、サヲリはサラリとそう言った。ユリノとケイジは盛大にむせかえった。


「な、サヲリぃ、突然何を言い出すかな!?」

「すみません艦長。このような行いが、二人の間に親近感を産むと聞いたものですから」


 サヲリはスプーンを置くと、すまなそうに俯きながら答えた。


「な、何故に突然ケイジ君と親近感をもたせたがるのよ!?」


 ――そしてそんな方法、誰から聞いたしっ!?


「……それは、……その、お二人が……喧嘩してるようだったので……」

「はいぃ?」「はいぃ?」


 ユリノとケイジは同時に訊き返すと、御互いに目を合わせ、すぐに反らした。


「そんなことな……」

「確かにあからさまな喧嘩でなありません。ですが、お二人は救援艦がグォイドに沈められた直後のあのブリーフィング以来、目を合わそうとしていません。それらはワタシの責任なのです。ですからワタシが仲直りさせないと……」

「ちょ、ちょっと待って! 今、私の責任て言った? なんでサヲリの責任なのよ」


 口を挟む間もなく一気呵成に言いそうなサヲリに、思わずユリノは口を挟んだ。


「それはあの時、ケイジ三曹が艦長の命令に抗うよう焚きつけたのがワタシだからです」

「はいぃ?」

「はいぃい!?」

「あの時、ケイジ三曹が、シードピラーがケレスを狙っていると説明する、ワタシの冷淡な報告の仕方を不快に思っていたのは分かっていました。ワタシはそう分かっていながら、わざとケイジ三曹が憤る口調で報告を続けることによって、ケイジ三曹がグォイドに立ち向かうことを艦長に進言するよう仕向けたのです」

「な、なんでそんなことを?」


 ――そしてなんでそんな、ちょっとムスっとしながら状況を説明したくらいで、少年を焚きつけられると思った!?

 訥々と話すサヲリに、ユリノはたまらず問うた。


「ワタシに、自分の口から艦長の意見に反対する勇気が無かったからです。他のクルーにも無理でしょう。ですがケイジ三曹なら、艦長に反対してくれるとワタシは思ったのです」


 いつの間にか、サヲリの頬に大粒の涙が零れてはプリンの器へと落ちていた。


「……ごめんなさい。……本当に、ごめんさい」


 彼女は下唇を戦慄かせながら、震える声で続けた。


「……艦長が、ワタシ達を死なせたくなくて、ワタシ達を大切に思うからグォイドとの戦いを避けようとしているのは分かっています。でも……ワタシは、逃げたく無かった……」

「サヲリ……」

「もちろん、ワタシも死にたくないし、皆にも死んでほしくありません。でも……ここで逃げ出せば、他の大勢の大切な人達が死にます。ワタシの家族も……そんなのは……」


 サヲリはそこまで言うと、嗚咽を堪えるのに一杯で何も喋れなくなった。

 ユリノはサヲリを強く抱きしめた。そして震える彼女の背中をただ優しく撫でた。

 ユリノもまた、サヲリの背中を撫でながら頬を涙が伝うのを感じた。

 サヲリはこのことをずっと気に病み、倒れてしまったのだろう。長い付き合いにもかかわらず、サヲリの心中を察してやれなかった自分が情けなかった。

 皆、それぞれ守りたいものがあってここで戦っているのに、自分はその気持ちを皆の命を守るという口実の元に無視していたのだ。

 まったく、なんてことを考える娘なのだろう。口調一つで自分が少年を焚きつけたと思い込んだり、間接キスで仲直りさせられると思ったり……。


「ごめんねサヲリ、気づいてあげられなくって。でもね、あなた一つ間違ってるわよ」

「何がですか?」


 サヲリは目元を赤くして顔を上げた。


「だって私達、喧嘩なんかしてないもの。だから心配しなくていいのよ。ね? ケイジ君」

「……そ、そそそそうですよ! 僕が艦長と喧嘩するわけ無いじゃないですか! ははは」


 サヲリに見つめられる中、少年は空気を読むスキルを総動員してなんとか答えた。

 もちろん嘘だった。確かに明確な喧嘩というわけではないが、ここしばらく、お互いにどこかよそよそしい態度で、目を合わせないようにしていたのは事実だ。でもユリノはサヲリが少しでも安心できるなら、そんな気まずさなどねじ伏せてしまえと思った。


「……ほんとにぃ?」


 目を潤ませていうサヲリに、一瞬にしてハートを撃ち抜かれたユリノとケイジは、大慌てでアイコンタクトすると、顔を赤くしながらヤケクソ気味に握手したり肩をくんだりして見せた。サヲリの前にして恐ろしく息のあったコンビネーションであった。


「ほらね!?」


 そう言うユリノと共にコクコクと頷くケイジ。


「……………………………………良かったぁ」


 サヲリはやっと肩の主にがとれたのか、涙をぬぐうと言った。


「艦長、もうあと二時間だけ休ませてもらえますか? そしたら任務に復帰します」

「うん。分かったわ、待ってる」 


 もし今すぐ任務に戻る言ったら、絶対に許可しないと見越した上でのサヲリの言葉に、ユリノは苦笑しつつ了承した。

 サヲリはユリノの許可を貰うと、猛然とプリンアラモードを平らげ、器をケイジに返すと再びベッドにもぐりこんだ。二人は半ば追い出されるようにして、医療室を後にした。


「はぁ、疲れた……」「まったく」


 ユリノとケイジは医療室を出るなり、そろって通路の壁に背中をついた。


「ありがとうケイジ君、話合わせてくれて」

「良いんです別に。それに最初から喧嘩なんてしてなかったんですから。そうでしょ?」

「そうね…………そうだね」


 まだ面と向かって話すと、なんとなく気まずい。

 なぜこうなってしまったのだろうか? もちろんサヲリの言う通り、艦長の決定に一番下っ端の三曹が反対したからというのもあるだろう。

 でも、そんなことは本当の原因では無いとユリノだって分かっていた。では何が原因なのかと問われたら、それも答えられないのだが。


「さて、私はブリッジに戻るわ、ブリッジにいつまでも艦長も副長もいないのは問題だしね。ケイジ君は?」

「僕は、少し早いですけど、食堂でご飯の仕込してます」

「そう……それじゃ、またね」


 ユリノはそう言うとブリッジへと向かった。何か彼に話しかけたい。話けかけるべきだとそう思っているのに、結局何も言えぬまま。












 ケイジが食堂に戻ると、フィニィ、シズ、ルジーナ、クィンティルラとフォムフォムが思い思いに座り、壁に掛けられた大型モニターを眺めていた。

 皆、スナックや飲み物を確保して万全の態勢だ。


「何事っ!?」

「おおう、おかえりケイジ三曹、ちょうど良いところに来ましたデスナ」


 ルジーナがいつものゴーグルをかけたまま、口元をニマニマとさせて迎えた。


「あ~良かったらケイジ三曹も一緒に見る?」


 フィニィがそう言うと、モニター真正面を向いた大型ソファーに座っていた人間の間で一瞬のアイコンタクトが行われ、ソファーの上の身体を左右にずらして席を空けた。


 ――そこに座れと申すか!?


「ああ、あの始まるって一体何が?」

「もちろん『美少女航宙戦闘艦隊ヴィルギニースターズ』劇場版の第一作なのです!」


 縫いぐるみの方のエクスプリカを抱えたシズが、どこか誇らしげに答えた。

 モニターでは予告編と制作会社のロゴマークに続いて、映画本編が始まろうとしている。


「え~と、何故にこのタイミングで皆して映画観賞を……?」

「まぁ恒例行事~みたいなものかな、作戦が始まる前にこうして手が空いている人間でこの映画を見て、士気を高めよう! みたいなことをボク達は毎回してるんだ。ははは」


 フィニィが答えてくれたが、自分でも上手く説明出来ているのか自信無さ気だ。


 ――なんて恒例行事だ! ……っていうかみんな暇なんだね……。


 オフィシャルにこの誘いを断る理由は、残念ながら今のケイジには無かった。

 このデリケートな時期に、アニメ映画を、それも『VS』の映画版を見ようとは一体どういう心境なのかサッパリだが、ケイジは瞳(……と電側ゴーグル)を輝かせて、期待をこめて誘われたとあっては、是非も無かった。


「えと、じゃ失礼します」


 得体の知れない緊張を感じつつ、開けられたソファーの間に身体を滑り込ませる。

 ソファーの真ん中の一番良い席を空けてもらってしまった。


 ――なんだこのプレッシャーは!


 なんだか良い匂いがする空間に包まれ、ケイジは早くも座った判断を後悔し始めた。

 他になにかすべき仕事無かったっけ? これが無いのだ! 幸か不幸か。


「あの、何故に劇場版第一作なんですか?」

「それは起源にして至高だからなのです。ケイジ三曹はこの作品は見た事があるのですか?」


 緊張を少しでも打ち消そうと尋ねたケイジに、待ってましたとばかりにシズが答えた。


「ありますよ、何回か。大分昔ですけどね」

「え」


 ケイジの言葉に、何故かシズは軽く驚いたようだった。

 ケイジがこの映画を観たのは五年以上前だ。

 確かにこのシリーズの大ファンではあったが、初代〈じんりゅう〉が沈んで以来、この映画も他の『VS』シリーズも一切見ていなかった。


「そうだったのですか……なんでしたら他のにしましょうか?」

「いや、べつに僕の為に作品変えなくても良いですけど。久しぶりだし」

「そう……ですか……」

「なぁ早く始めようぜ」


 シズと話しているうちに、クィンティルラが痺れを切らした。


「失敬失敬、んじゃ再生っとナ」


 ケイジが来た為、一時停止していた画面が、ルジーナの操作で再生された。

 やたら引きの遠景の宇宙から、画面がひたすらズーム、虚無空間、泡構造宇宙、銀河団、天の河銀河、オリオン腕、太陽系、そして土星軌道上の戦場シーンへと繋がっていく。

 ド派手なBGMに合わせ、大仰な筆文字で描かれた映画タイトルが起き上がってくる。


「う~む、やっぱテンションあがるよなぁ!」


 ユリノ艦長と交代してブリッジからやって来たカオルコが、いつの間にケイジの背後に座ってしみじみと呟くのを聞きながら、ケイジは以外と新鮮な気分で見れるこの映画に吸い込まれていた。

 この時代、実写映像作品は発達しすぎたCG技術により、想像するかぎりのありとあらゆる映像がたやすく生み出せるようになってしまった為、逆に価値がさがり衰退していた。

 代わりに流行りだしたのが、いかにCG技術が発達しようとも、絵を描く人間のセンスがものを言う二次元アニメ―ション作品群であった。

 今見ている『美少女航宙艦隊ヴィルギニー・スターズ』通称『VS』シリーズは、いち早くアニメの価値に気付いた太陽系防衛艦隊SSDF広報部が、戦意発揚、新隊員募集のプロパガンダとして資金をだして作らせたものだ。

 当時、まだ誕生して間もないVS艦隊を大胆にアレンジし、アニメ化したこのシリーズは、本物のVS艦隊の活躍もあって大ヒットし、今なお続編が制作されるに至っている。

 中でもファンの間では『無印』と呼ばれている第一期シリーズは評価が高く、こうして劇場版が作られた。劇場版とはいっても、新作カットを加えたTVシリーズの総集編だが。

 ケイジがかつてVS艦隊ファンだったのは、ミユミの勧めでこれを見たのがきっかけだった。結果、大いにハマり、やがてミユミを危険に巻き込む事になるわけなのだが。

 ケイジは次にどんなシーンが来るのか、全て知っているにも関わらず、普通に楽しめている自分に気づき驚いた。

 劇中のVS艦隊クルーの少女達は、いかなる時も決して希望を忘れずに、知恵と勇気、友情、想いやりや優しさ、努力と根性、団結力をもって数々の苦難を乗り越えていく。

 一瞬沈んだと思われた〈じんりゅう〉が爆煙を突き破って現れた時、勇壮の極みの様なBGMと共に、ケイジは滂沱の涙を拭うことも忘れ画面にくぎ付けになっていた。

 『心』なんていらないのに! こんなの御都合なフィクションなのに!

 まわりを見れば、ケイジ以外にも鼻を啜り上げたり、ハンカチで涙を拭う姿があった。

 隣ではシズが涙と鼻水でグチャグチャにしていた。ケイジがティッシュを取って渡すと、彼女は素直に受け取った。

 所詮はアニメなんてフィクションで、現実のグォイドの戦いに比べたら露ほどの価値も無い……五年前の一件以来ケイジはそう思っていた。

 だが今、彼女達とこの映画を見て、同じように涙を流し、わずかとはいえ心が一つになれた気がしたのは、まぎれも無くこのアニメの力だった。

 悪く言えばありきたりな話、別の言葉で言えばあまりにも王道、御都合で理想的な物語が続いていく。だが五年ぶりに見たそれにケイジは、夢物語だと百も承知で、それでもなお希望を声高らかに謳い上げる制作者達のその心意気を想像し、今になって心を揺さぶられたのだ。

 製作者の人達は、このご時世に、どんな気持ちでこのアニメを作ったのだろう?

 それはきっと、カオルコ少佐が自叙伝を書こうと思った事と同じ理由なのかも知れない……。

 どうせ世に残すなら、見終わって良い気分になる、未来に希望が持てる話が良いに決まっている。それがたとえ今はフィクションだとしても……。


 ――ちょっと頑張って……みようかな……。


 ケイジは自分でも良く分からない、とても清々しい気分で立ち上がると、大きく伸びをして任務をやり遂げる決意を新たにした。

 必ずやり遂げる! やり遂げてみせると。


「な、何事?」


 医療室から復帰した副長が、通りかかった食堂で涙にくれる一同を見て、いつもの冷静な表情を珍しく驚愕させて言った。













 初めて間近で見るオリジナルUVDは、人がコピーしたUVDとも、グォイドが持つ様々な特徴とも合致しない不可思議な物体であった。

 まず目につくのは、オリジナルUVDのその鏡の様に滑らかな表面だ。その表面には継ぎ目が一切見えず、一体どうやってこれを作り上げたのか皆目分からない。

 覗きこめば、円柱の表面に硬式宇宙服姿の自分が歪んで映って見えた。その表面が一体どんな材質によって、どうやって作らたのか、人類は未だにその答えを得ていない。

 円柱の表面には、らせん状に謎の文様が刻まれていた。それが文字なのか、それとも単なる装飾なのか、何か機能があるのか、それらももちろん不明だ。

 その文様と同じものがグォイドから見つかったことも無い。

 オリジナルUVDは、グォイドとの戦争初期に六柱が発見されて以来、新たに発見されておらず、何故それ以上見つからないのか? 何故グォイドの特徴と合致しないのか? その原理と絶対破壊不可能な秘密は? その謎は考え出したら切りが無い程だ。

 最も有力な説は、オリジナルUVDとは、グォイドが太陽系にやって来る前に出会った地球外文明の産物である……という説だ。そう考えれば、オリジナルUVDが限られた数しか発見されないのも、グォイドの特徴と合致しないのにも一応の説明がつく。

 だがもしこの説が事実なら、仮に人類が太陽系の外へ脱出したとしても、その先でもまたグォイドと遭遇する可能性があるということになる。

 ケイジはその可能性を考えたく無かった。

 今大切なのは、このオリジナルUVDが、人造UVDに比べて圧倒的な大出力を出せるということだ。理論上、その出力に限界は無いと言われている。ただ、人類が生み出した船体の耐久力には限界が存在する為、実際に使える出力は人造UVDの6~7倍、それもごく短時間の間だけである。が、それでも圧倒的な戦力には代わり無かった。



 元々オリジナルUVDが搭載されていた初代〈じんりゅう〉の同型艦である二代目〈じんりゅう〉に、オリジナルUVDを搭載をする事に技術的問題は殆ど無かった。

 〈じんりゅう〉主機関室へのオリジナルUVD搭載が完了したら、直ちにヒューボ達によって艦尾へのメインスラスターノズルの再取り付け作業が始められる。

 換装作業は順調だったが、まだまだすべき事は多い。

 艦内通信によって、セーピアーの帰還が知らされたのは、丁度その時だった。

 完全自立モードで偵察に向かわせたセーピアーは、〈じんりゅう〉が発艦地点から移動した為、帰還すべき場所が分からないはずだったが、〈じんりゅう〉の行き先を送信するよう設定したブイを、セーピアーを発艦させた補給艦の残骸のそばからここの座標にかけて残してきたので、無事帰ってこれたのだった。

 全クルーは直ちにバトルブリッジに集合し、セーピアーの偵察結果を確認する事とした。


「……」


 声も無く一同が見つめるビュワーには、セーピアーの撮影による、デブリを押しのけるようにして突き進むシードピラーと、それを囲む数々の護衛艦の姿が映し出されていた。

「M級のシードピラーが一、強攻偵察艦が三、空母が二、駆逐艦が二六、小型艦載機多数」

 副長が偵察で得た情報を読み上げる。

 グォイド艦隊は、シズ達が予め予測したのとほぼ同じ位置を航行していた。

 シードピラー一隻と強攻偵察艦一隻は確定していたはいえ、あとは護衛艦が数隻ぐらいしかいないことを願っていたのだが、その望みはあっさり打ち砕かれてしまった。


「副長、連中のケレス到着まで、あとどのくらい?」

「あと約十八時間。予測よりやや早い到着です。本艦の位置からグォイドを阻止するには、オリジナルUVDが正常に機能したとして、あと十七時間以内に発進する必要があります」

「ケイジ君、オリジナルUVDの換装作業は?」

「現在、全行程の八五%まで消化。残りはメインノズルと一端外した人造UVDの取り付けです。作業完了まであと十四時間の予定ですが、各部の細かな接続と、チェック作業、オリジナルUVD用の各部調整が必要です。それを含めると発進期限ギリギリになります」

「ふ~む、盛り上げてくれるわね」


 ケイジの報告に、艦長は溜息とともにそう漏らした。


「まだ問題があります」


 無情にも副長がさらに追い打ちをかける。

 副長の目配せに答え、シズがグォイド、〈じんりゅう〉、ケレスの位置関係を描いたホロ総合位置情報図スィロムを映しだした。

 〈じんりゅう〉が隠れている小惑星は、ケレスへ向かうグォイド艦隊の進路上にあった。


「グォイド艦隊の進路とスピードから見て、今から十七時間後に、現在〈じんりゅう〉の隠れているこの小惑星のそばを、交戦可能域内で通過します」

 無防備な〈じんりゅう〉のそばをそんな大艦隊が通るのは、さぞ心臓に悪いことだろう。


「で、この新しい情報に対して我々に出来ることは?」

「特にありません」


 艦長の問いに、副長はさらりとそう答えた。ユリノはカクンと首を傾けた。


「グォイドの接近に関しては、既に警戒ブイを周辺に配置しています。換装作業に関しては、もちろんケイジ三曹とヒューボットに可能な限り急いではもらいますが、それ以外のクルーには、オリジナルUVDを搭載した場合の操艦をシミュレーションをしたあとは、食事と休養をとって、戦闘に備えてもらうくらいしか出来ることはありません」


 副長はきっぱりと言いきった。

 慣れない換装作業をクルーにやらせるよりも、後に控えている戦闘に備えさせた方がプラスになるという事らしい。


「ケイジ君の方は、それで大丈夫なの?」

「ええ、それが良いと思います艦長。僕は戦闘関連じゃあまり役に立てそうにないですし。皆には副長の言う通り、お腹一杯食べて、ぐっすり寝てもらった方が良いと思います」

「……そう、なら良いのだけれど……そうね、分かったわ。じゃあどうせならば……」


 艦長はしばらく考えると、皆に宣言した。














 どこからか、かぽ~ん……という、洗面器がタイルにぶつかる音が響いてきた。加えて背中を流す水音や、少女達の楽しげな笑い声が浴場独特の反響音となって響く。

 ユリノは目を閉じながら、湯船に両足を伸ばし肩まで浸かっていた。

 〈じんりゅう〉大浴場――ユリノはどうせ英気を養うならばと、ここの使用を宣言した。

 幸い、〈じんりゅう〉が停泊中の為、一回ならば特に大浴場を使うエネルギーには困らなかった。……もちろん彼女自身が入りたかったという事情もあったが。

 瞼を上げれば、壁面に設けられた窓から、〈じんりゅう〉の隠れている亀裂の内壁が見えた。これが満天の星空だったら完璧なのだが、飽きる程見た星々より、泥水が凍ってできたような小惑星の内壁が見えた方が、なかなかレアで乙なものなのかもしれない。

 大浴場は、浴槽だけでもプールと言った方が良いのではないかという広さだ。前世紀の航宙艦乗りが知ったら卒倒しそうな施設だ。

 ユリノの周りではクルー達が思い思いに、この時を楽しんでいた。

 ユリノの背後の洗い場では、身体を洗っているミユミとフィニィ、ルジーナの楽しげな声が聞こえてくる。微妙にシズの役割をルジーナが引き継いで、ミユミとフィニィを『背中を洗ってあげませう』という口実で触りまくり、二人の悲鳴らしき何かが聞こえてくるような気がするが、気づかなかったことにしよう。

 浴槽のユリノの隣では、副長が瞑想するかのように目を閉じ、静々と湯に浸かっていた。浴槽の端ではクィンティルラが小柄な身体をいかして情け容赦無く泳いでいた。

 運良くというかなんというか、シズとカオルコがブリッジの当直の番の為、前回大浴場を使ったときのような大騒ぎにはならずに済んでいる。皆と一緒に湯に入れなかった彼女達には悪いが、当直とはそういうものだ。ユリノは今を満喫することにした。

 ――と、突然ユリノの前の水面が盛り上がると、ざぼ~んと盛大に湯をまき散らしながら、フォムフォムが半身を浮上させてきた。わぷっと頭に派手に湯を浴びるユリノ。


「な、何? どったのフォムフォム」

「フォムフォム、艦長よ、一つ質問をしてもいいか?」

「突然なに?」


 その薄褐色の肌に、玉となった無数の水滴を滴らせた見事なプロポーションに、ユリノは軽く見とれてしまいながら答えた。Fか!? いやさひょっとしてGなのか!?……と。

 ユリノ自身もカオルコ、フォムフォム程では無くともクルーベスト5に入るサイズを誇っているのだが、実際彼女を前にしては、戦力差を実感せずにはいられなかった。


 ――ば、ばるばすばうばすとですと!!!!


 ……やたら人の身体を洗いたがる、シズやルジーナの気持ちが少し分かるような気がするユリノであった。


「で、艦長はケイジをどう思っているのだ?」


 余りに突然の質問に、彼女のバストに見惚れていたユリノは、思わず頭まで湯に沈んだ。


「ぷはぁっ、な、突然何を訊くかなぁ!?」

「フォムフォムは好きだぞ艦長」

「……は、はあ」


 ユリノはなんとかそう生返事を絞り出す一方で、そばにいる副長やミユミや、他のクルー達の視線が一斉に集まるのを感じた。

 先ほどまで喧騒に包まれていた大浴場が、一瞬にして静まりかえっていた。


「ケイジはセーピアー達に気に入られている。ケイジが無人機に捕まってこの艦に来たのは、単なる偶然では無い」

「そ、そうなんだ」


 フォムフォムはスピリチュアルな雰囲気と、超絶的な無人機操作技術を誇る謎の美女だ。

 彼女がいったいどんな過去を経てそういうスキルを獲得したのか、ユリノは未だによく知らなかった。そんな彼女の言葉を常人が理解するのは、なかなかコツがいるのだが、後になってみると意味が分かり驚愕することになったりするのだ。

 エクスプリカの回収も、彼女がクィンティルラのバディにケイジを推したから達成できたことだと言える。

 その彼女が恋バナとは……確かに女子とはそういう話が好きなものなのだろうけど……。


「艦長?」


 フォムフォムはいかなる感情も窺わせずに、首を傾げて訊いてくる。

 ……そう言えば、そもそも宇宙空間を漂うケイジ少年を一番最初に救ったのも、彼女が操るセーピアーではなかったか。


「え、え~とぉ……」


 ――急に何を訊き出すのよ! 他のクルー達の視線から逃げるように、ユリノはぶくぶくと顔を半分湯船に沈めた。

 もちろんあの少年の事が嫌いなわけではない、むしろ好感を持っていると言っても良いだろう。だがフォムフォムがそういうことを訊いているわけでは無いだろう。

 エクスプリカ発見のきっかけとなったあのアネシス以来……そこはかとなくあった少年の存在によるクルー達の心理的変化が、より顕著になってきた気がする。だがユリノは目の前の懸案解決を優先し、あえてそれから目を逸らし続けてきたのだ。

 少年がクルーにもたらした影響は、けっして悪いものではないと感じていたから。

 確かに彼は真面目だし、そこそこ想いやりもあるし、意外にタフだし料理も上手い。だけどだけど、四つも年下だし……いや、そもそもVSクルーには男女交際禁止ががががが。


「え~、えっとフォムフォム、それを訊いてどうするのかな?」

「フォムフォム、別にどうもしない」

「ふぁい?」


 よもや恋のライバル宣言か? などと予想していたユリノは間の抜けた声で訊き返した。

「艦長、我々は今、自分達が何を思い、感じ、何を望んでいるのかを、正確に自覚しておく必要がある。心があやふやのままではこれからの戦には勝てない」


「フォムフォム……」

「だから、別にケイジをどう思っているのかなんて答えなくても良いぞ艦長、フォムフォムには恋とは良く分からない。ケイジの子供を産んでみたいとは思うが……」

「フォむふぉぶくぶく……」


 今度こそユリノは頭まで水没していった。




 風呂から上がり、身も心もリフレッシュした彼女達を、ケイジが用意したシチューと特製トンカツを主菜とした夕食が待っていた。

 ケイジが古来より伝わりしゲンをかついで選んだメニューだという。

 おまじないなんて信じちゃないと言いつつ、それを口実に美味しいものが食べれるなら、それでいいじゃないかと彼は言い残すと、作業に戻っていった。

「今日は皆ここで寝ませんか? その艦長とカオルコ少佐もおシズちゃんも」

 食事が終わる頃になって、ミユミが突然そんな事を言いだした。

 その提案によって、急遽食堂のパーティションの中で、普段は私室で眠るユリノとカオルコ。電算室を巣にしているシズも混じって眠りに着くことになった。

 何故ミユミが突然そのような提案をしたのかは、誰も訊かなかった。――ただ、そうしたいからそうした――それで充分だったし、誰も意義を唱えなかった。

 起きているのは、倒れてずっと寝て過ごした分、当直に名乗り出てくれた副長と、作業を続けているケイジの二人、それと眠りのいらないエクスプリカだけだ。

 やっと念願のパジャマパーティができる。議題はもちろん、あの突然の来訪者についてだ。なのに……ユリノは皆とガールズトークを楽しむ間も無く、あっさり眠りについてしまったのを少し残念に思った。

 皆の温もりをそばに感じられた彼女達は、思いのほか安らかに眠りへと誘われていった。

 その夜、ユリノが悪夢を見ることはなかった。 

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