▼第七章  『およそたった一つの冴えたやり方』

 

「やはりここも駄目か……!」


 カオルコは隔壁を拳で叩いた。

 目の前のメインブリッジがあったはずの空間には、内側からの圧力によってぽっかりと巨大な穴が開き、その向こうにメインベルトの小惑星の粒が流れる景色が広がっていた。


「生存者のいる可能性がある場所は、ここで最後です」


 カオルコの背後から同じ景色を眺めながら、ケイジは他に何も言えなかった。

 補給艦〈第31コウノトリ〉は機関部を撃ち抜かれ大爆発したが、その艦首側3分の2程は、キールはねじ曲がり、破裂した空き缶のような有様ではあったものの、重量があったことから爆風で彼方に飛ばされはしなかったのだ。

 が、ヒューボが大半を占め、元々多くは無かった人間のクルーには、生存者はおろか遺体も見つからなかった。機関部の爆発エネルギーが居住エリアをくまなく舐めつくしいたからだ。

 爆風で彼方に飛ばされてしまったもう一隻の修理艦〈第27コバヤシマル〉の残骸には、あるいは生存者がいた可能性も無いではないが、現状の〈じんりゅう〉ではどうすることもできなかった。


「〈じんりゅう〉に戻ろうケイジ三曹…………他にどうしようもない」


 そう言う硬式宇宙服姿のカオルコの後ろ姿からは、いかなる感情も読み取れなかった。

 ケイジはただ「了解」と答え踵を返すしかなった。

 強攻偵察艦型グォイドの危機が過ぎ去り、逆噴射を終えた〈じんりゅう〉は、補給艦の残骸の影に隠れるようにして、慣性で再びメインベルトの奥へと進み始めていた。

 救助担当のEVA要員でもあるカオルコは、すぐにユリノ艦長に沈められた補給艦の残骸への生存者捜索を進言し、EVAの出来るケイジと共に来たのだった。

 爆発時の慣性で、ゆっくりとではあるが回転をし続ける補給艦残骸の中は、僅かではあるが遠心重力が発生しており、捜索は地味ながら命の危険と体力を必要とした。

 二人は離れ離れにならないよう命綱で身体を繋ぎ、慎重に来た道を戻っていった。

 グォイドによる犠牲者が再び出てしまった。第五次迎撃戦はもう終わったはずなのに……ケイジは、胸の奥が凍りついてしまったような感覚を覚えた。そして猛烈な憤りも。

 救援艦が沈められ、グォイドが〈じんりゅう〉の近くにいると分かったその時、主機関室にいたケイジは、無人艦による陽動でグォイドが去るまでの間、ただひたすら状況を見守る以外、まったく何も出来なかった。

 この艦のクルー達も、きっと状況を把握することも、対処する術も、時間も与えられること無く死んでいったのだろう。

 滅茶苦茶に破壊された艦内の光景は、近い将来訪れる自分の未来を予感させた。

 とりあえずの危機は去った。が我々はいつ再びグォイドに襲われてもおかしくないのだ。


 ――これから、僕らはどうなってしまうのだろう。


「大丈夫かケイジ三曹?」

「は、はい!」


 前を行くカオルコに突然呼びかけられ、ケイジは飛び跳ねるほど驚いた。只でさえ真空無音な上に、ここは最早出来たてほやほやの幽霊船といって言い場所なのだ。


「驚かせてすまない、後ろにいる人間に黙られると、前の人間は不安で仕方がなくなるのだ」


 カオルコもまたケイジと同じような不安を抱いていたのだろうか。


「す、すいません」

「いや、こっちこそ。それより、この状況では黙って視界の外で消えられたら気づきようが無いからな、出来たら何か話をしながら行かないか?」


 カオルコの提案に、ケイジは異存無かった。

 往路は生存者捜索の為、任務上の会話の必要が多々あったのだが、復路は公的に喋る必要が無くなってしまったのだ。だが無言無音でこの残骸の中を通るのはあまりにも寂しい。


「でも、急に何か会話って言われても……」

「なんでも良いのだぞ。ああそうだ、今日の晩飯は何だ?」


 カオルコは歩みを止めることなく問うた。


「あの、予定じゃ僕は〈じんりゅう〉を降りてこの艦に乗ってたはずなんで食事はもう……」

「おっと! そういえばそうだっな。その……すまん」

「いえ、いいんです。そうだな、今日は金曜だからとりあえずカレーを作らないとですね」

「良いねぇ! 是非とも超辛いのを作って欲しいのだが、それではおシズや艦長が食せなくなるか、はっはっは」


 強攻偵察艦型グォイドとの遭遇以来、ケイジは初めてカオルコの明るい声を聞いた気がした。でもそれはわざと振る舞っているだけなのかもしれない。

 カオルコは一しきり笑うと、背を向けたまま立ち止まった。


「なあケイジ三曹、言うのが遅れたが忘れないうちに謝っておく、……すまなかった」

「はい? いや別に、僕は皆にご飯作るのは苦じゃないんでいいんですよ」

「いや、そのことではなくって! こんな無駄骨に付き合わせてしまって悪かったって」


 カオルコはようやくケイジの方を振り向いた。

 硬式宇宙服は、彼女のグラマラス極まりないシルエットの殆どを隠してしまっていたが、それでも肩が僅かに震えているのがケイジにも分かった。


「まったく、わたしとしたことが情けない。つい我を忘れて突っ走ってしまった」

「いや! そんなことは無いですって! 確かに生存者はいませんでしたが、確認は絶対に必要なことだし、僕は役に立てて光栄に思ってますから!」


 もちろん危ないのは怖いし好きじゃない。けれど、ケイジは本心で答えたつもりだった。


「……ありがとう、お前は優しいな」


 カオルコはそう言うと歩みを再開した。


「弟がな、いたのだ」


 しばらく進んだところで、カオルコはケイジに背を向けたままポツリと言った。


「……え?」

「いや、一応何か話をしようと言った手前、言いだしっぺが何か話さないとだな……」

「は、はい……」

「こほん、わたしには、二人の兄と一人の弟がいたのだ。兄二人はSSDFの航宙艦乗りでグォイドとの戦いで両方とも死んでしまった。それはまぁ良いのだ。……良くないけれど」

「…………」

「一応、当人達が好きで選んで、そういう結末も覚悟されるべき職業だったからな……」


 ”しかし弟は違う”――……カオルコは続けた。


「生きてれば今のお前ぐらいの歳だ。五年前、乗ってた民間船がグォイドに沈められたのだ。この船と同じような状況だった。船は沈められたが、弟は残骸の中で二日間は生きていたらしい。結局、救援が間に合わなかったがな」


 ちゃんちゃん――とでもカオルコは続けそうに、肩を竦めた。

 それで人を救うのが専門のEVA要員と、グォイドを撃つ火器管制官という全く逆の役職を掛持ちしてるのか――などと納得している自分を、ケイジは酷く不快に思いながら、必死に目の前の彼女にかけるべき言葉を探した。が、


「別に、何かフラグを立てるわけではないのだぞ。お前を付き合わせた弁解にもならないが」


 ケイジが何か言う間も無く、カオルコはそう言っておどけた。

 人それぞれに背負う過去がある。当たり前のことだ。カオルコのそれに比べれば、自分のグォイドに立ち向かおうと航宙艦乗りになった理由の、なんと薄っぺらく思えることだろう……ケイジは考えても、やはり自分ごときが彼女に言えることなど思いつかなかった。


「ちょ、ケイジよ。ドン引きしないでくれ。これは単なる世間話なのだから」

「ひ、引いてませんよカオルコ少佐。ただ、その……お悔やみを」

「おう、ありがとうケイジ」


 カオルコそう言ったが、ケイジは自分の無力さを噛みしめる事しか出来なかった。

 せめて、この船外活動が無駄じゃなかったと言える何かを見つけられたら……ケイジはそう思いながら進むうちに、いつしか二人は補給艦の貨物エリアだった所まで来ていた。

 そこでケイジは見つけた。この任務も無駄じゃなかったと言えるものを。













 〈じんりゅう〉戦闘バトルブリッジ。 

「艦長、補給艦の残骸には、残念だがやはり生存者はいなかったよ」

 ケイジと共に船外作業から戻ったカオルコが、ブリッジに入るなり報告を開始した。


「だが良いニュースもある。残骸の中に無傷の汎用ヒューボ二十体と、補修用資材の入ったコンテナを二つ見つけた。多少は〈じんりゅう〉の修理に役立つだろう」


 人間の身体は艦の爆発に耐えられなくても、機械類には無事なものもあったのだ。

 〈じんりゅう〉のダメージから考えれば、焼け石に水程度かもしれないが、それでも無いよりましだ。

 ケイジとカオルコは、ヒューボを起動させコンテナを〈じんりゅう〉に収容させていた。


「二人ともありがとう、ごくろうさま」


 ユリノ艦長は、カオルコの報告にそう事務的に答えるだけだった。回転する残骸内の探索は、地味に命がけの任務だったのだが、それ以上気にかける余裕は無いようだ。


「ではブリーフィングを開始します。知っての通りシードピラーが近くにいます。今まで得た情報を総合すると、そうとしか考えられないの」


 船外に出ていたケイジ達と、艦載機格納庫で作業していて最新情報を知らなかったクィンティルラ、フォムフォムの為に、今一度、情報を共有するための会議がはじめられた。

 ブリッジ正面のビュワーには、例によってメインベルト外面の映像が映されていた。


「我々が突入したメインベルト〈テルモピュレー集団クラスター〉外面のバルジ出っ張り、それを生み出す事が可能な物体のサイズ、形状をシミュレートした結果、衝突したのがおそらくシードピラーであると分かりました」


 副長がシードピラーがメインベルトに突入する映像に合わせ、淡々と説明を開始した。


「救援艦を沈めたのは、そのシードピラーの護衛艦の内の一隻と思われます」

「そんなどデカいもの、一体いつの間に……」

「恐らく、木星近傍の戦闘で撃ち漏らしたものと思われます」

「……あや~……」


 質問への副長の答えにクィンティルラは思わずそう漏らした。


「シードピラーの突入軌道を逆算した結果。木星近傍の、第五次迎撃戦の主戦場となった宙域からやってきたことが分かったのです。恐らく、戦闘で生じた残骸に紛れ、慣性航行を駆使してやってきたのだと思われます。確証があるわけではありませんが、錯綜した戦場ではそのような事がありえたと思うしかありません。あるいは、この第五次グォイド大規模侵攻が最初からそれを目的とした陽動作戦であった可能性もあります」


 副長はさらりと恐ろしいことを言った。

 おそらくシードピラーは、先ほど〈じんりゅう〉がしたように、慣性で航行し噴射炎の光を発さないことにより、人類に察知されることなくメインベルトに到達したのだ。

 減速噴射が間に合わない分は、機関最大出力で防御シールドを堅固に張ることによって、アステロイドとの衝突から身を守ったのだろう。結果、多くの小惑星が弾き飛ばされ、あのバルジが生まれたわけだ。


「…………マジか……」

「問題は目的です。〈じんりゅう〉のメインコンピュータは87%の確率でシードピラーの目標がケレスであると予測しています」

「ケレスゥ?」

「はい、シードピラーは火星でも地球でもなく、メインベルト内の準惑星ケレスに新たなグォイドスフィア半球状空間を構築し、グォイド艦建造基地プラントに変えるつもりだと予測しています」


 “ケレス”それは豊穣と黄泉の女神から名づけられたメインベルト内最大の天体だ。

 直径約九五〇キロ、準惑星に分類され、その質量はグォイド遭遇以前のメインベルト内小惑星の総質量の約五分の一を占め、その形を球体にするに至っている。

 前例は無いが、グォイドスフィアを構築するには十分な大きさだ。

 ケイジは、太陽系内の現在の各惑星位置を確認してみた。

 確かにメインベルト内のシードピラーが、今から火星や地球に侵攻する為の最適ウィンドウ位置と時間はすでに閉じてしまっていた。

 いかに大規模迎撃戦直後とはいえ、ここから無理に侵攻しようとすれば、到達前に人類に迎撃態勢を整えられるのは明らかだ。それに比べケレスは星図上ではシードピラーのすぐ目の前にあった。

 副長はいつにも増して人形のごとき無表情さで、淡々と説明を続ける。


「仮に、このケレスがグォイド・プラントと化した場合、人類は太陽系防衛の重要な要害を失うだけでなく、グォイドに絶対的優位な拠点を与えてしまうことになります」


 ケレスを手に入れたグォイドは、木星の人類拠点を土星側とで挟撃できることになる。

 さらにグォイドがケレスを手中に納め、その事態を短期間とはいえ許してしまえば、メインベルト全体がグォイドの巣となり、人類は木星側の太陽系防衛艦隊と切り離されてしまう。

 人類が全力をもってすれば、グォイドスフィア化したケレスを奪回することは十分可能だろう。だがそれを行う為に人員と艦艇を消耗してしまえば、次の第六次侵攻に必要な人員と艦艇が足りなくなり、次の迎撃戦で人類はグォイドの地球侵攻を防ぎきれないだろう。

 それはつまり、人類及び、全地球発祥生命のデッドエンドを意味していた。


「仮にケレスがグォイドの手に落ちたとして、スフィアとして機能する前に破壊してしまえば良いわけだろう? 時間的余裕はどれくらいあるのだ?」

「シードピラーのケレス到達まで推測では最短であと四日。ケレスは小さな天体である為、その直後一時間以内にスフィア展開は完了すると見ています」


 訪ねたカオルコに、副長が死刑宣告のごとく冷淡に答えた。


「その際、ケレスが小型でありスフィア展開範囲が狭くて済む分、より強靭な防御シールドを展開することができ、スフィアの破壊はより困難なものになると予想されます。また、ケレス自体の質量が小さくても、周辺のアステロイドを材料にすることにより、脅威になるのに十分なグォイド艦製造能力をもつであろうことも予測されています」

「あ~……何か良いニュースはないのかい?」


 クィンティルラはうんざりした顔で、すでに事態のあらましを知っているであろう他のクルーの顔を見まわしたが、誰も答えることは無かった。


「……で、俺達はこれからどうするんだ?」

「何もしない……出来ないわ」


 大きな溜息と共に尋ねたクィンティルラに、答えたのは艦長だった。


「メインエンジンは動かず、武装も半分はやられ、船体はボロボロ、現在の〈じんりゅう〉にできることは何もありません。既にフォムフォムに伝令として無人機を迎撃艦隊に向け飛ばしてもらったわ。上手くいけば、迎撃艦隊が直ちにシードピラー破壊に艦を差し向けてくれるはずよ。我々は安全が確認されるまでここで隠れています」

「ちょ……」

「ちょっと待って下さい!」


 気が付くとケイジは、クィンティルラを遮っていた。


 皆の視線が集まるのが分かる。だがケイジは後には引けなかった、何故か。


「……その、伝令が上手くいったとして、迎撃艦隊が来るのはいつになるんでしょうか?」

「位置関係から言って、早くて五日後です」


 副長が即答した。最初からそんな質問など予測していたかのように。


「……じゃ、ケレスがグォイドスフィアになるのはほぼ決定じゃないですか!?」

「そうなります」

「……ケレスがグォイドスフィアになった場合の、戦略予測は?」


 ケイジはいつの間にか自分の声が震えているのを感じた。


「三年以内に木星の人類拠点を奪われる可能性が92%、七年以内に火星が陥落する可能性が82%、一〇年以内に地球が陥落する可能性78%、その時点での人類の総人口は」

「もういいです!」


 ケイジは思わず怒鳴った後で後悔した。ビクリとして喋るのを止めた副長の顔を見てしまったからだ。ひたすらに淡々と冷静に説明を続けているかの様に見えた彼女の顔が、一瞬ひどく悲しそうに歪むのを見てしまったのだ。


「三鷹ケイジ技術三等宙曹!」


 ユリノ艦長が静かに、だが断固とした意思を滲ませてケイジの名を呼んだ。


「す、すみません……でも」

「でも、何? 何かできる事があるとでも? 何ができるの? 今の〈じんりゅう〉に出来ることなんて何も無いの。あるとすれば、石に噛り付いてでも生き延びて、次のチャンスを窺うことだけよ。ここで無駄に戦って死なせるなんてこと……そんな事許すわけにはいかないの!」


 艦長の声は、喋っているうちに段々と大きくなっていった。


「……でも、だけど!」

「ケイジ君!」 


 それでもなお何か言おうとするケイジに、ユリノは今度こそハッキリ声を荒げた。


「………………何も…………できないじゃない」


 彼女はそこまで言うと、声が詰まって何も喋れなくなってしまった。


「でも……」


 ケイジはそれでもなお食い下がらずにはいられなかった。

 艦長だってそんな結論を好きで下しているわけじゃないことくらい分かっているのに、その瞬間、ケイジはそれでも何か言わなくてはと思わずにはいられなかった。

 『心』なんていらない。いつもそう心がけていた。『心』を排して考えれば、艦長の結論が最も合理的、論理的に正しいことなど分かっている。分かっているのだが……それと同じくらい、それがどうした! と感じてしまうのだ。

 いつもは、こんなこと絶対に無かったはずなのに……。


「でも…………勝ち目の無い戦いなんて無い」


 ケイジはぽつりと呟いた。


「『勝ち目の無い戦いなんて無い』『勝算ゼロなんて信じない』……そうでしょ!?」


 キッと顔を上げた艦長に、ケイジは怯むこと無く言ってのけた。


「探せば、まだ何か何とかする手段があるかもしれないでしょう? 時間の許す限り、それを探してみましょうよ! だって……」


 ケイジはハッキリと明確に言いきった、艦長の決断に抗うことを。組織の中にあっては許されることでは無い。ましてや正規クルーでもない最下階級の人間には。

 でもケイジは言っておかなくてはならない、伝えねばならない事があると感じたのだ。

 ここにグォイドがいる。そして人類存亡の危機が迫っている。だがしかし――!


「…………だって、この艦は〈じんりゅう〉でしょ!!!!」


 艦長はケイジの発言に、一瞬大きく目を見開くと、次にまわりのクルーの反応を見た。皆何も言わず、ケイジの言葉を責める者も、肯定する者もいなかった。


「命令に変更はありません」


 ユリノ艦長はひどく悲しげな顔で、そう言いきった。













 ブリーフィング後、「後をお願い」という曖昧かつ無責任な言葉を残し、一人、目視用ブリッジに上がりひきこもったユリノに、最初に会いに来たのは何故かルジーナだった。

 全照明が消されたブリッジ内は窓のシャッターが開けられ、その向こう、規則正しく半面だけを照らされた補給艦の残骸と小惑星の照り返しだけが、中を弱々しく照らしていた。

 ルジーナは、薄暗がりの中、艦長席の上で膝を抱えているユリノを見つけ思わずたじろいだ。


「え~……ア~……、うぇっごほん! 艦長、敵の現在位置の最新版予測がでましたデス」


 ルジーナはやや緊張した声音で報告した。


「今、引き続きフォムフォムとおシズ殿により、その位置を無人機に偵察させる準備が進行中でありますデス。上手くいけば、敵の正確な陣容が分かりますデ……あの……」

「なに?」


 ユリノは、膝を抱えたまま、身じろぎもせずに訊き返した。


「あああ~……え~……っと、あ! ケイジ三曹!」

「!!」


 跳ね起きてルジーナが指さすブリッジの正面窓を見ると、窓の向こう、丁度〈じんりゅう〉第二主砲搭がある辺りに、数機のヒューボを引き連れた硬式宇宙服姿の人影があった。


「な、どういうこと!? 誰が許可したの?」

「あ~、確か補給艦から回収した資材に主砲の予備砲身があったので、第二砲塔を修理するとか言ってましたデスネ。ちなみに、許可したのは副長デス」

「そんな、グォイドがいるのに危ないじゃない」

「ですからグォイドがうろついているんですから、使える武装は少しでも多い方が良いと」


 今窓のシャッターを開けた目視用ブリッジにいるのも危ないですゾ。と言外に含めルジーナは答えた。


「ぬぅ~……」

「いやはや、勤労な少年ですなぁ~ははは~………はは……それでは失礼いたしますデス!」


 ルジーナは艦長の返事も待たず、ぴゅうとばかりにブリッジから出て行った。

 続いてブリッジに入ってきたのはフィニィであった。彼女は、明らかに機嫌の悪いオーラを発するユリノに、ぎくしゃくと現状の〈じんりゅう〉で行ける範囲の算出結果と、万が一グォイドに遭遇した場合にとれうる戦術機動の選択肢を報告してきた。

 続いてシズがうんざりするほどの専門用語と無闇矢鱈な略称を交え、滔々と過去データから、グォイドにケレスを奪われるといかに破滅的な未来が予測されるかを提示しに来た。

 続いてクィンティルラ・フォムフォムコンビが、シードピラーの予測位置に、無人機セーピアーを偵察として発進させ終えた事を告げに来た後で……。


 「ずぇーったいに駄目っ!」ユリノはクィンティルラが最後まで言う前に遮った。


 確かに艦載機の昇電とセーピアーは、今〈じんりゅう〉が持ちゆる戦力の中で唯一まっとうに戦闘が可能だ。装備できるミサイル、増漕類一式もまだ一戦分は残っている。が、それでシードピラー攻撃に行かせるなんて犬死ツアーを許可できる分けが無い。

 既に状況は詰んでいるのだ。

 確かに今グォイドを放置すれば、人類滅亡への連鎖の切っ掛けとなりかねない。だが今の〈じんりゅう〉はグォイドに太刀打ちできる状態では無いのだ。

 もし、この状況で〈じんりゅう〉に出来うる手段があるとすれば、それは五年前、姉が下したのと同じ手段しか……ユリノはそれ以上、その考えを進めるのを止めた。

 今の〈じんりゅう〉にはそれすらできるか怪しい。

 次々とやって来るクルー達……彼女らはそれでもなんとか艦長である自分の決断を覆し、シードピラーをなんとかしたいのだろう。だが、艦長として、勝算の無い戦いでクルー達の命を磨り潰す気など更々無かった。

 またしても大きな溜息が洩れる。目を閉じると、何故かブリーフィングでのケイジの自分を見つめる瞳が浮かんだ。


『勝ち目の無い戦いなんて無い』『勝算ゼロなんて信じない』


 ケイジの言ったそのセリフは、アニメ『美少女航宙艦隊ヴィルギニー・スターズ』通称『VS』での主人公の決め台詞であった。そしてそのセリフを言ったモデルとなったのは、誰あろう姉のレイカだ。もちろん、実際には姉はそんな事を毎週毎週言っていたわけでは無い。だが姉とアニメ『VS』の中の姉は、そう言っては数々の困難を無理矢理乗り切ってきたのだ。ユリノはその目でその瞬間を見て来た。


 ――アニメみたいに上手くいけば苦労しないんだから!


 そうは思うものの、ユリノの心は晴れはせず、ただ惨めな気分になるだけだった。

 あともう少しで、ケイジ少年とは円満に、ちょっとした面白エピソードと共に、良い思い出の登場人物として、再び別々の道を歩むことができたはずだったのに……。


「ああ、そっか……」

「んん! なんだ! どうしたユリノよ!?」


 希望的観測と楽観論に基づき、シードピラー攻撃プランを熱弁していたカオルコが、驚いてユリノを見返した。

 ユリノは唐突に、自分がどうしてこれ程までに落ち込んでいるのかが分かった。

 ここにもグォイドが現れ、人類が戦略的窮地に陥ったからだけじゃない。自分はケイジに失望されたような気がして、それが辛く悔しく悲しいのだ。

 最後に話した時のケイジのあの悲しげな瞳が、ユリノは忘れられなかったのだ。


「……ええ~とだな、ユリノよ」


 俯いていたと思っていたら、突然すっくと立ち上がったユリノに、カオルコは何を言いたかったのか忘れてしまった。


「ねぇカオルコ、ところで、あなた達って一体どういう順番でここに来てるの?」


 ユリノは先ほどから気になっていたことを尋ねた。


「え~とぉ……、それはぁ~…………じゃん……」

「じゃん……けん? ジャンケンで勝った人からここに来ることにしたの?」

「いや、勝った順番じゃなく負けた順ば……」


 ユリノは一睨みでカオルコを追い返すと、大きく深呼吸し、コンパクトを出すと自分の顔が惨めっぽくなっていないかをよくチェックしてから、ブリッジの外で待っているであろう次の来訪者を迎えにハッチを開けた。


「次は誰!?」

「はひっ!」


 ブリッジ外の通路には、いきなり現れたユリノに驚いて涙目になったミユミと、そんな彼女を後ろから支えて立っている副長の姿があった。


「あの……あの……ゆ、ユリノ艦長……」

「艦長、ミユミ准尉から大変興味深い提案がありましたので、是非聞いてもらえますか」


 緊張して上手く喋れないミユミに変わって副長が言った。


「あ~も~サオリまで……! ブリッジには誰かいるんでしょうね?」

「他のクルーが全員で直に当たってます」

「……そう……分かったわ。で……ミユミちゃん、提案って何?」

「あ、はい! あ、あの……お、お願いがありまする!」


 ミユミが口にしたのは、ユリノが真っ先に思いついたのと同じアイデアであった。 








 バトルブリッジ――船外作業から呼び戻されたケイジが、ルジーナの「アマノイワト……ヒラクッ!」と呻く声に振り返ると、ユリノ艦長が昇降機能のある艦長席に座ったまま、真上にある目視用ブリッジから今まさに降りて来たところであった。

 一瞬、艦長と目が合い、ケイジは猛烈な緊張感を覚えた。先ほどのブリーフィングの後では、艦長の顔を見るのには勇気がいる。


「【ANESYS】を行います。総員、その準備をしてちょうだい」


 ケイジの緊張を余所に、ユリノ艦長は開口一番そう宣言した。


「【ANESYS】……ですか?」

「そうよケイジ君、今の私達にできることで、まだやっていなことがあるとしたら、もうそれくらいしかないのよ。アネシスに今の状況を打開する術を見いだしてもらいます」

「なるほど、『三人寄れば文殊の知恵』……いわんや九人寄ればってことか……」

「そうよカオルコ。最近は、あんまりこういう使い方はしていないのだけれど……我々はヴィルギニー・スターズなんですもの、切り札を残してゲームを降りたくは無いものね」


 ケイジの知る限り、【ANESYS】とは戦闘中の極めて逼迫した状況で、最適な戦術行動を探し出し、最短で実行する為のシステムであったはずだ。が、【ANESYS】の開発初期には、こうして主に戦略的な目的に使われていたそうだ。

 艦長は、現状の〈じんりゅう〉で出せうる性能や、〈テルモピュレー群〉の小惑星やデブリの配置等のデータ諸々を【ANESYS】で処理させ、シードピラーを阻止する術を、クルー達の心を繋げることによって見いだそうとしているのだ。

 もちろん、これは藁にもすがる行為であり、望む答えなど存在しない可能性の方が圧倒的に高い……それでも、皆の気持ちが一つになれば、あるいは……。


「元々、ミユミちゃんが言いだしたことなんだけれどね」


 艦長が自嘲気味にそう言うと、傍らにいたミユミが顔を真っ赤にして俯いた。


「あ、あの……自分は何をすれば?」


 呼び出されたが【ANESYS】に繋がる事の出来ない自分には、出来ることなど無いように思えた。


「ああ~、え~と、見守っててちょうだい」


 ――曖昧なお仕事だ!


「一応【ANESYS】中でも警戒はされてるはずだけれど、万が一、グォイドが来た時の為にセンサーを見張ってて欲しいのよ」

「ああ、なるほど」


 確かに【ANESYS】の直後は無防備になるので必要な任務だ。


「それからケイジ三曹、【ANESYS】の最中、メインビュワーに統合された意識が何を思考し計算しているかが映されますから、それをチェックしていて欲しいのです」


 シズが補足した。


「理解可能なものが映されるとは思えませんが、何か気づくことがあるかもしれないのです。統合された我々が何を考えているのか、客観的に見ていてくれると今後の行動の足しになるかもなのです。後からログを調べるのはかなり面倒くさ……時間がかかるので」


 シズがケイジの知らない【ANESYS】の実情を語った。

 意識が統合されると、アネシスと呼ばれる人格が生まれ、勝手に戦闘を行い、後になってクルー達はその結果を知る事になるのだが、何故、如何にしてそれを行ったかを知るには、残された膨大な量のログを調べる他なく、すぐには分からないのだ。

 九人分の意識が同時に思考、計算しているところを見たところで、ただの人間の眼と頭が追いつけるとは思えないが、ケイジは任された仕事に集中することにした。


「よし、じゃ、はじめるわよ!」


 ユリノ艦長の声と共に、クルー達の座るシートのヘッドレストが左右に展開、思考を読み取る磁気共鳴スキャナーが彼女達の頭部を囲む。同時に彼女達の手足にも高機動戦闘中にGで怪我をすること防ぐ為、左右から固定パッドが膨らみ固定される。


「アネシス・エンゲージ!」


 艦長のボイス・コマンドと同時に、ブリッジの照明が落ちると、替わりにクルー達の頭部を包んだ磁気共鳴スキャナーが、淡い燐光放ち、瞬時に彼女達の思考を読み取り、メインコンピュータ内で統合を開始した。

 ケイジの見守る中、彼女達の心は一つとなった。









 ――これが……【ANESYS】……。


 ケイジの見守る中【ANESYS】が始まると、しばしの明滅の後に各ビュワーに文字データや星図、〈じんりゅう〉の図面や総合位置情報図スィロムが同時多発的に映されはじめた。

 九人の脳+〈じんりゅう〉メインコンピュータの情報処理能力を結集し、残された手段と持ちゆる情報から“シードピラーを何とかせよ”という無理難題の答を探してゆく。

 ……が、やはり、【ANESYS】といえども容易く答えが出せるものではないらしい。

 データのスクロールは続くが、見る限り何かしらの答えが見つかった気配は無かった。

 そもそもが無茶振りも甚だしい、到底不可能な要求なのかもしれない。

 ケイジは、せいぜい成功確率が数%しかないような作戦案が、数案でも見付かれば良い方だと思っていた。

 とはいえ、自分が言いだして始めたようなものなのだ。

 ケイジは指示された通り、ビュワーに映るものを見逃すまいと集中した。

 データのスクロールは加速してゆき、アネシスはメインビュワーだけではなく、ブリッジ内部中にホログラムで情報を投影させはじめた。

 その中には、純粋なデータだけで無く、彼女達クルー一人一人の記憶までもが混ざり始めていた。クルーの誰かが見た他のクルーの姿、日常風景(一瞬、彼女らの入浴風景が映ったような気が……)、ケイジが作った食事、デザートの数々、そしてケイジの姿だ。


 ――何を見始めてるのさ!?


 救助されたばかりの殆ど死体のような自分の顔のどアップが突然映り、ケイジは腰を抜かす程驚いた。自分を救助してくれたクルーの誰かの視覚記憶なのか?

 ……にしても顔が近い! 近過ぎる!

 そして治療カプセル内に漂う全裸のケイジの姿、さらに、次々と映されるケイジの姿は、記憶では無く、現在バトルブリッジにるケイジを、あらゆるアングルから艦内カメラでとらえたものになっていった。

 彼女達が統合された意識に見られている!? 普通なら恐怖を覚えそうな状況なのに、その時のケイジは、ただただ不思議な感覚を覚えただけだった。

 さらに投影された無数のケイジのホロ映像が、ケイジの目の前で一つに集約していき、一人の薄ぼんやりとした少女のシルエットへと変化していく……。


 ――誰!?


 ぼんやりとした少女のシルエットが徐々にはっきりしていき、その顔が誰なのか明確になりかけたその瞬間……約六分間の【ANESYS】は唐突に終わった。


「……」


 固定パッドから解放され、大きく息を吐きながら彼女達が目覚めていく。

 皆、一瞬、何をしていたんだっけといった顔で互いを見合わせ、誰も何も喋らなかった。


「あ……の……」


 ケイジが恐る恐る話しかけると、彼女達はその時になって始めてケイジの存在を思い出したらしく、ビクリとしてケイジの顔を見返すと、何故か顔を真っ赤にして顔を伏せた。


「あの……何か良い答えは見つかったんですか?」


 結局、まったくもって何一つ、欠片程も理解できなかったケイジは尋ねた。

 アネシスは一体、何を考え、なにかの結論に達せたのだろうか?

 彼女達はケイジの問いに、無言で視線をメインビュワーに残された一行の数値へ送った。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る