▼第三章  『宇宙の食卓』

 この時代の多くの子供達がそうであるように、彼もまた、もの心がつくまで育ち、グォイドというものの存在を初めて知った時、恐怖で眠れなくなった。


 グォイドに殺されるのが怖かった。家族や幼なじみが殺されるのが怖かった。


 そんな幼い彼の心を救ったのは、SSDFが喧伝するVS艦隊の活躍だった。

 彼女達がいれば、グォイドの恐怖を忘れられた。グォイドに立ち向かってみようという勇気が持てた。彼女達の艦隊こそが、少年にとっての希望そのものだった。

 だから彼女達の活躍が、自分の住む地からこの目で見る事が出来ると知った時は、一もニにも無く飛びついた。幼なじみが制止するのも聞かずに。

 そしてその希望が今、彼の眼前で粉々に砕かれようとしていた。


 夕暮れの空を、グォイドの残骸が無数の流星雨となって覆っていた。

 その中を、腹に響く轟音と共に、光の尾を引きながら猛烈なスピードで何かが通り過ぎて行くのを、少年は隣にいる幼なじみとともに、ただ茫然と見上げていた。


 流星雨では無かった。それらとは進行方向がまったく逆だったからだ。

 大気との摩擦で山吹色に輝くその物体が、真上を通った瞬間、それが何か分かった。

 SSDF‐VS801〈じんりゅう〉だ。


 そのシュモクザメのような艦首は、彼方にあっても見間違えようが無かった。そして〈じんりゅう〉は、そのまま遥か上空に待ちかまていたシードピラーに突っ込んでいった。

 アニメのような知恵や勇気や御都合で大逆転やどんでん返しすることも無く、〈じんりゅう〉は何の種も仕掛けも無く、行く手に迫る巨大なシードピラーに激突し、相手もろとも大爆発した。体当たり、特攻、相討ちだった。


 爆発の閃光が一瞬真昼のように世界を照らす。数秒遅れて雷鳴を百倍にしたような轟音が響き、それまで以上の無数の流星雨が少年達の暮らす地に降り注いだ。

 地球軌道にまで及んだ第四次迎撃戦の末、〈じんりゅう〉は沈んだ。

 まるでタイミングを合わせたかのごとく陽が沈み切り、空が朱から闇に染まる。


 ――ウソだ……。


 それ以外の思考が働かなかった。

 次の瞬間、一端真下の地上に到達した衝撃破が、そのまま地上を舐めまわすようにして、少年と幼なじみの立つ地に到達した。少年は咄嗟に隣の幼なじみを抱きしめ庇うと、二人は猛烈な突風に抗う間も吹き飛ばされた。

 先に地面に落下した少年の上に、彼女が飛ばされてきたのを、彼は慌てて受け止めた。

 突風が通り過ぎると、耳が痛くなるほどの静寂が訪れる。

 自分の上に乗っかった彼女の胸の鼓動と、急激にペースを上げる自分の鼓動の音だけが、やけに大きく少年には聞こえた。

 少年はその時になって初めて、これはひょっとして自分は死ぬのでは……と感じた。

 頭が真っ白になった。何か考えたら、それはとてもとても耐えられない辛い答えを導き出してしまうような気がして、少年はただ思考を停止させることしかできなかった。


「……ごめん」


 少年は情けないほどに小さく震えた声で謝った。

 肉眼で見えるほど地球の近くで行われるVS艦隊の活躍を見たい。そんなと子供じみた願いに彼女を巻き込んでしまった。その結果がこれだ。


「ごめん!」


 少年は泣きながら謝り続けた。意識が遠のき景色が暗くなっていく。今更謝ったところで遅いのだろうけれど、それでも言わずにはいられなかった。

 少年――十一才の三鷹ケイジは、朦朧とした意識の中で謝り、そして決意した。自分の将来を。

 ……憧れなどでは無く贖罪として。他力本願な希望など捨てて。

 もう……必ず勝つと信じて疑わなかったヴィルギニー・スターズは当てに出来ないから。


「けいちゃん!」


 幼なじみの彼女が呼んでいた。


「けいちゃんってば!」

 

 暗闇の中、彼女に身体を揺さぶられるが、身体は動かない。だから返事もできない。

 不意に唇に温かく柔らかな感触があったかと思うと、そこから温かな空気が送り込まれるのを感じた。


「離れろ!」


 誰か別の女性の声の直後に、胸に強烈な衝撃が走り身体が勝手にビクリと反りかえった。

 次の瞬間、猛烈な咳が出て身体をくの字にかがませた。そして思い切り肺を膨らませ、息を吸う。脳に酸素が行きわたっていくのを感じた。

 じんわりと視界が戻っていく。自分はどこか重力のある場所に仰向けに寝ているらしい。見知らぬ天井の照明が自分を照らしていた。


「けいちゃん!」


 懐かしい幼なじみ、ミユミの顔が覗きこんでいた。自分はまだ夢を見ているらしい、心なしか記憶よりも成長して、大人っぽくなってるような気がしないでもなくもない。

 彼女の他に二人、見知らぬとても綺麗な、自分より幾つか年上の女の人が自分の顔を覗きこんでいた。一人はポニーテールが目を引く美人さん。もう一人の美人さんは何故か顔を真っ赤にして自分を覗きこんでいた。

 その女性の頭には、不釣り合いに大きな艦長帽が乗っかっていた。











「三鷹ケイジ技術三曹、十六歳。

 第一迎撃分艦隊ミサイル駆逐艦所属の生身の機関部員兼ダメコン担当エンジニアだ。

 戦闘中に乗艦から放り出されたところを、たまたま……通りかかったセーピアにつかまって脱出した…………ということらしい。

 ……無茶な奴だなぁ」


 セーピア着艦から八時間後――。セーピアの飛行記録と、彼の硬式宇宙服に差し込まれていた個人端末ケータイの任務記録アプリから、彼の身に何が起きたのかが分かった。


 ――なんて悪運の強い……。


 医療室の壁にもたれながら、ユリノは任務記録を調べたカオルコの報告を受けていた。

 セーピアー07が敵艦残骸回避の為に一時減速していたところへ、たまたま相対速度の合っていたケイジ少年が飛びついてつかまったというわけだ。

 普通に考えたらセーピアーはそんなモノ振り落としてしまいそうだが、今回の場合、搭載AIの根幹プログラムに刷り込まれたアシモフ三原則の第一条、【人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない】が働いたのだろう。

 もちろんAIは杓子定規にこの原則に従うわけではない。そんなことをすれば任務に支障をきたしてしまう。

 だがこのセーピアーの場合、すでに主任務であるミサイルによる対艦攻撃を終えていた為、この原則が働き、セーピアーのAIは飛びついて来たケイジ少年の命を見捨てることが出来なくなり、彼をこの艦に運び、緊急救命処置を求めたというわけだ。

 もっとも、ケイジ少年が硬式宇宙服では無く柔らかいタイプの宇宙服を着ていたなら、全身の骨という骨が、セーピアー加速時のGに耐えきれず砕け散っていたことだろう。


 ――悪運だけじゃないかも。


 これがアシモフ原則を意識した上でやってのけた事なら、ひょっとしたら、かなりしたたかな子なんじゃ……ユリノはMMメディカル・マイクロマシンで満たされたカプセル内で眠る少年を見つめた。

 いかにそういうご時世だとはいえ、【ANESYS】適正も無い少年が、この年齢でここまでの階級になり航宙艦に乗れたのには、それ相応の努力と結果があったからなのだろう。


 カプセルに満たされた液体の中を漂う少年は、どこにでもいそうな十六才の少年だった。

 エンジニアという知識と技術無しでは出来ない部門で働いているからか、なんとなく知的な顔立ちをしているような気がしないでも無くも無い。

 元は短く刈られていたであろう髪は、他のSSDFの航宙士達同様、今回のグォイドの大規模侵攻が察知されてから切る暇がなかったのであろう、中途半端に伸びて漂っていた。

 まだ伸びる途中であろう身長は一七〇センチのユリノより少々低めだ。硬式宇宙服という無闇に重たい物を着ていただけあって、一見華奢だがなかなか締まった身体をしている。

 一体、今までどんな目に会ってきたのだろう? ユリノはケイジ少年のその心の芯まで疲れきってしまったような寝顔を見ていると、急に胸が締め付けられるような気がした。


 ユリノはあの時、セーピアーの緊急着艦を許可すると副長にブリッジを任せ、直ちに通信担当のミユミと火器管制のカオルコを伴い艦尾格納庫に向かった。

 修理でヒューボの手が空いていない為、クルーの中で手が空いていてかつ緊急救命処置が上手そうな人間から選んだつもりだった。


 幸い緊急着艦は滞りなく成功し、翼につかまっていた彼をすぐに下ろすことができた。

 問題は、彼が心肺停止状態だったということだ。宇宙服の生命維持装置にデブリが命中し、機能が止まってしまったらしい。

 カオルコがそれに気づくなり、まず専用の道具で硬式宇宙服を引きはがしにかかった。

 その間にミユミがAEDを用意したのだが、ミユミは助けた少年が知り合いだったらしく、軽いパニック状態になってしまっていた。だからユリノしかいなかった。

 心臓マッサージ及び人工呼吸をするのは……。


「どうかしたのか?」 


 溜息と共にこめかみをぐりぐりと捏ねるユリノに、カオルコが怪訝そうに尋ねてきた。


「ななななんでもないわ。で、様態はどうなの?」

「ドクターによれば、放射線障害は無し、肋骨の骨折と脱臼が数カ所、内臓へのダメージが多々ある


が半日程で完治するそうだ。さすが死んでなけりゃ必ず助けるってだけのことはあるな。まぁ事前にちゃんとMMメディカル・マイクロマシンを服用してたってのもあるんだろうが。もうじきベッドに移せるそうだ」


 蘇生に成功したケイジは直ちに艦の医療室に運ばれ、医療室と一体になった医療用ヒューボ“ドクター”による治療を受け今に至っている。

 グォイドとの戦いは医療技術の発達を即し、太陽系防衛艦隊の医療室は、今や『死んでなければ必ず助かる』と言われるまでになっていた。それは同時に、助ける間も無く失われる命が多数あることも意味しているのだが。

 〈じんりゅう〉には生身の医者は乗っていなかったが、医療用ヒューボによって充分な機能がもたらされていた。

 といっても、医療室に運ぶまでの緊急救命処置ばかりは、二百年前から大して変わらないのだが。

 ともかくケイジ少年もなんとか回復するようだ、ゆっくり休む間も無いほどに。

 つまり、すぐ目覚めて顔を合わさなくてはならないわけだ。


「……はぁ」

「ユリノよ、人工呼吸の件なら気にするな」

「!!」


 カオルコは副長と同じ十九歳、艦隊に入って以来の付き合いであり、優秀な火器管制官にしてEVA要員なのだが、何故こうも思ったことを躊躇なく口に出せるのだろう……というか、溜息の理由が分かってるなら聞いてくれるな。と思うのだが、ユリノはどうせ言っても無駄なので止めておいた。

 カオルコはトレードマークの長いポニーテールを、ふわふわと揺らしながら続けた。


「いやぁ勇敢だったなぁユリノ。躊躇い無く口をくっつけるのだからなぁ、はははは」

「……この……いじわるっ」


 ユリノに言い返せるのはそれで精一杯だった。どうしてこうも勝手に顔が赤くなってくるのだろう? ただ自分はすべきことをしただけなのに!


「ちゃんと救急箱には、口を直付けしない為のマウスピースだって入っているのに……」

「だ~か~ら、もういいってばっ、仕方ないじゃない一分一秒を争ってたんだから!」

「そうだな、じゃ~仕方無いか…………で、どうだったのだ? 初めての感想は?」

「そそ……ンなもん無我夢中で覚えて無かったわよ!」


 あれは人工呼吸であって、決してキスの類では無い! と、納得しようとして出来るなら悩みはしない。

 ただ、あのキス……もとい人工呼吸の直前、彼の涙に濡れた悲しげな顔を見て、猛烈に可哀そうに……何とかしてあげなくちゃ……という気分になってしまったのだ。

 ……にしてもまさか初めてが、こんな状況下で年下のよく知りもしない少年相手だとは!


「こほん。で、ミユミちゃんと彼ってどういう関係なの?」


 話題の変更を試みた。


「おや、やはり気になるのか?」

「いいから答えなさい」


 ミユミは今、無言でケイジの眠るカプセルに寄り添っていた。突然の再会にかなりショックを受けたらしく、その表情は沈んでいた。


「ただの幼なじみらしいぞ。少なくとも元カレでは無いと当人は言っているがね。なにしろ五年ぶりだそうだからな、会ったのは」

「…………ふ~ん」


 戦場で、それもこのだだっ広い宇宙で、五年ぶりに幼なじみと再会するのはどういう気分なのだろうか? ユリノには想像もつかなかった。

 もっとも、グォイドと人類が天文学的偶然の末に遭遇して以来、人類は偶然というものに対する感覚が、随分と変わってきているようなのだが……。

 この程度の再会など、ただ『そういう事もある』で済ますかもしれない。

 突然のゲストの出迎えはなんとか済んだが〈じんりゅう〉の現状は何一つ解決してはいない。

 他のクルーには、警戒態勢を維持しつつ、とりあえず交代で休息をとるように言ってある。彼女達はこのゲストのことをどう受け止めるだろうか?

 すでに手が空いたクルー達が、このカプセルで眠るゲストの姿を興味津々で一目見に来ている。グォイドとの戦闘以外では退屈極まりない宇宙の航海において、少年の登場は早速良い退屈しのぎのネタになり始めているようだ。


 VS艦隊のクルー達は、〈じんりゅう〉をふくめ全て二十歳前後の女性クルーのみで構成されている。もちろんそうせねばならない事情があるからだ。

 VS艦隊だけがグォイドと互角以上に戦える理由、それは戦術思考統合システム【ANESYSアネシス】を扱えるからなのだが、この【ANESYS】には問題が二つあった。


 一つは一回に使用可能な時間が、六分程度しか無いということだ。

 人の思考を一つに統合するのは脳にとってかなり異常なことであり、長時間の【ANESYS】戦術マニューバは使用者の脳が拒否してしまうのだ。一回実行すると、再使用まで最低一時間はかかる。それ以内の使用は不可能ではないが、持続時間が著しく落ちてしまうのだ。

 ミサイルを喰らう寸前で【ANESYS】から目覚めてしまったのも、これが原因だ。


 そしてもう一つの問題点は、何故か極限られた少女といっていい年頃の若い女性達にしか【ANESYS】を使うことが出来ないということだ。

 もちろん様々な性別、年代のクルーで【ANESYS】を使用する試みは行われていたが、今だ成功には至っていない。

 何故、極一部の若い女性にしか【ANESYS】が使えないのかは未だによくは分かっていない。しかし、今の人類には他の選択肢を悠長に模索している余裕は無かった。


 人類は太陽系中から適正を持つ少女達を探し出し、養成し、その能力と使命に相応しい階級と艦を与え、ヴィルギニースターズ〔乙女の星々〕艦隊を結成させたのである。

 そのような事情から、【ANESYS】の適正をもつ少女達は貴重な存在となっていた。

 また、ただ適正があれば良いというわけでもなく、誰と一緒に統合するか、どんな精神状態かによって統合時の情報処理速度には大きな差が出た。

 【ANESYS】はとてもデリケートなシステムなのだ。巨大な航宙艦を十人程のクルーで無理矢理運用しているのも、人員不足だけが理由ではなく、余計なクルーを乗せ、【ANESYS】使用時に感情的ノイズとなる危険要素を無くす為である。

 男性との痴情のもつれなどもっての他だ。

 適正を認められVS艦隊の一員となった少女達は、養成段階から男性からは基本的に縁の無い生活を送るようにされていた。また男性艦隊クルーは、VS艦隊クルーには任務上必要に迫られない限り、接触は基本禁止されていた。


 当然、〈じんりゅう〉のクルーも、ユリノの知る限り自分と同程度しか若い男性に免疫がないはずなのだが……大丈夫だろうか?

 ただでさえ〈じんりゅう〉の現状で悩みを抱えているのに、この上、男性問題などという専門外の事なんて考えたくもない。男性がいなくても痴情のもつれが起きるというのに!


 ……胃が痛い。


 ユリノはVS艦隊の歴代の艦長達が、なぜ皆、時折お腹をさすっていたかが分かるような気がした。

 ケイジ三曹には悪いけれど、SSDFの規則に従って、彼には味方艦隊と合流するまで、どこか空いている個室にでも軟禁させてもらおう。問題が起きる前に。

 ユリノは結論を下し、それをカオルコに伝えようとした。その時、


「ユリノかんちょぉ~ぃ! 大変でありますデスだぁ~!!」


 ユリノの思考は、医療室に駆け込んできた電測担当のルジーナによって断たれた。

 大慌てて走って来たらしく肩で息をしているが、緊急事態にしてはどこか緊迫感に欠けるのは何故だろうか? だいたい本当に緊急事態なら艦内通信を使うはずなのだが……。


「何かあったの? ルジーナ」

「ああ、艦長それが……うほっ! この方が例のダイハード少年デスとな?」

「いいから早く答えなさい」


「ああ、それが……セガールがいなくなってしまったのデスヨ!」


 その報告は、ユリノやカオルコにとって、かなりショックな内容であった。


「そんなウソだろ! なんでセガールが! どうして!?」

「第二補助エンジンの修理に駆り出されて、エンジンごと吹っ飛ばされてしまったらしッヒ」


 青ざめるカオルコに、ルジーナは悔しそうに拳を握りしめながら答えた。

 解決せねばならない問題がまた一つ増えた事に、ユリノは暗澹たる気持ちになった。









 ――二時間後――。


 少年は、突如鳴り響いた火災警報に跳ね起きた。

 と同時に、――しまった! とシーツにしがみ付いた。無重力中で慌てて跳ね起きるとロクなことがない。だが、その心配は杞憂だった。


 ――人工重力が効いてる……ここはどこだ? なぜ自分はベッドで寝ているのか?


 曖昧な意識の中で疑問が湯水のごとく沸いたが、上体を起こした途端に全身を襲った痛みと、鳴り響く警報がそれらを塗りつぶした。少なくともここがSSDF艦の中であることは、その内装から見て間違い無いようだ。

 目覚める前の記憶が曖昧だ。ただ凄まじいグォイドとの戦場の只中にいたことだけは覚えている。まだ戦闘中なのか? だとしたならば……。

 少年はこれが夢なのか現実なのかもわからぬまま、自分の職責、すなわちエンジニア兼ダメージコントロール要員の本能に身を任せて駆け出した。







 同時刻――〈じんりゅう〉食堂内厨房(烹炊所)――。


「だからやめておこうよって言ったのにぃぃっ!!」


 火災どころか、間近で本物の火を見た事すら殆ど無かった〈じんりゅう〉操舵士のフィニィは、その危険かつどこか魅惑的な灯りを放つ現象に、一体どう対処すべきなのか完璧に頭から吹き飛んでしまっていた。


「おお、火だ! 綺麗なもんだなぁ。…………油ってほんとに火がつくもんなんだなぁ」

「ぬぁあああ、ワタシの力作サプリメントハンバーグが……」

「クィンティルラ大尉、感心してる場合じゃ無いんだって! ルジーナも!」


 大慌てのフィニィに対し、当の火のついた二つのフライパンで調理していた電測員のルジーナとパイロットのクィンティルラは、いまいち危機感が無かった。


 きっかけは、ようやくグォイドとの激戦を終えた今くらい、出来たての料理を食べたかったから、ただそれだけのことだった。

 艦内には料理用食材の他にレーションからカップ麺、レトルト食品も取り揃えられていたが、帰還までそれで乗りきるのは精神衛生上とても出来そうにない。

 問題は、料理経験のまったくないクルーがそれを求め、いきなり料理を試みたことだ。

 普段は烹炊専用ヒューボに料理を任せていたのだが、セガールと名付けれていたそのヒューボは、先の戦闘で応急修理に駆り出され、そのまま宇宙の塵となってしまっていた。

 出来たての料理を夢見た彼女達は、レシピを調べるなどというまどろっこしい事などしていられず、空腹に操られるまま直感に従って調理を行った。

 結果、他の調理に夢中の間、付けっぱなしで放置した電気コンロ上のフライパンに、加減を知らずに入れられた油に火が付いた。

 地球上ならいざ知らず、限られた空気しか無い航宙艦内での火災は、最も恐れられる事態の一つである。一向に消えない炎に、火災報知機は直ちにけたたましい警報音を発した。


「あわわ、どうしよう、どうしよう、どうしよう!!」


 駄々っ子のように料理を求めたクィンティルラとルジーナに、心優しきフィニィは断り切れずに調理に参加してしまったことを激しく後悔していた。自分はご飯の炊き方に悪戦苦闘していて、電気コンロには指一本触れていないというのに……。

 火は水に弱い――一人慌てていたフィニィが必死に考え出した結論はそれだった。

 消火器は厨房にもあるが、それよりもコンロのすぐそばのシンクに、たまたま水の溜まったボウルがある。フィニィはその水をフライパンにかけようと持ちあげた。


「だめ~っ!!!!」


 突然、何者かに襟首を掴まれたかと思うと、そのまま後ろに引き倒された。

 直後、ブシューとばかりに、無重力でも使える真っ白な泡状消火剤がフライパンごと電気コンロを覆い、炎を消していく。


「な!」


 尻餅をつき、ボウルの水を頭から被った彼女の前には、艦内用携帯消火器で火を消す一人の少年の姿があった。


「はぁ……はぁ……、火のついた油に水かけたら! 熱い油が飛び散っちゃうでしょ!」

「……」


 ――ボク………怒られてるの?


 何か知らないけれど、どうやらこの少年に自分は怒鳴られたらしい……。良く見れば、彼は先刻医療室に運ばれた男子!? いつの間に目覚めたの!? フィニィはただ茫然と彼を見上げることしか出来なかった。

 その直後、ようやくスプリンクラーが起動し、盛大なシャワーが厨房の一同にふり注いだ。


「何事!? みんな怪我してな……ぅわ!」


 大慌てで駆けこんできたユリノ艦長が、厨房の惨状とそこにいる少年を見て絶句した。

 やや遅れてカオルコ少佐とミユミも駆けこんでくる。


「けい……ちゃん?………」


 ミユミは厨房の惨状よりも、目覚めた少年の方に目を奪われた。そして大粒の涙をじわりと浮かべると、次の瞬間ずぶ濡れで立ち尽くす彼に飛びついて行った。


「わぁ~ん! けいちゃぁん!!」

「ギィャッフッ!…………」


 抱きつかれた瞬間、少年はいわく言い難い呻き声を発すると、そのまま硬直した。


「……ねぇカオルコ、たしかケイジ三曹って胸……」

「ああ、肋骨が3本程折れとる」


 少年の味わっているであろう激痛を想像し、ユリノ艦長とカオルコ少佐は身を震わせた。

 少なくともケイジとかいう少年は、目覚めたことへの喜びのあまり、思わず抱きついてきた女の子を、たとえ胸に激痛が走ろうとも、無下にしたりはしない人間であるらしい。


「ミユミ……ちゃん、なの?」


 ようやく、ケイジ少年は抱きついてきたのが幼なじみだと気づいたようだ。そして彼を見守るクルー一同の視線にも……。

 火災警報から少年と幼なじみとの感動の再会までの目まぐるしい流れに、一同は、ただ言葉もなく固まっていることしかできなかった。

 鎮火を確認したスプリンクラーが止まった頃になって、ようやくルジーナが口を開いた。


「あ~感動のところ申し訳ないのですが、ケイジ三曹は何か別の服に着替えた方が良いのではないデスかナ?」


 治療時に医療ヒューボによって着替えさせられた患者服は、前から被せただけの紙のように薄い一枚布だった。今やそれは上から下まで濡れてすけすけになっていた。

 言われて初めて自分の格好に気づいた少年は、まず自分を見つめるまわりの女子の顔色を窺い、数秒後、顔を真っ赤にすると女の子のような悲鳴を響かせた。









 ――数分後――。


「な……なんということだ……」


 クルーの一人に大慌てて腕を引っ張られ、近場の女子トイレ(……しか無い)の無重力対応個室に放りこまれたケイジは、渡された整備員用のツナギに着替えながら、自分の置かれた状況を彼女から聞き、思わず呻いた。


「まぁ、普通は驚くよなぁ……」


 ドア越しに、連れてきてくれた女性クルーが溜息混じりに同意してくれたのが聞こえる。

 確かに、自分が飛びついたのは〈じんりゅう〉から発艦したと思われる無人機なのだから、当然〈じんりゅう〉に帰還するのは想定すべきことではあったかもしれない……が。

 ……マズい、何だかよく分からないけれど、とてもマズいような気がする。


 ――落ち着け! ケイジ落ち着け! だから『心』なんていらないんだ! 


 そう自分に言い聞かせるが、状況の変化にまったく思考が追いついていかない。

 ケイジはせっかくタオルで拭いたはずの額に、汗がダラダラとつたうのを感じた。


 VS艦隊クルーの少女達と言えば、今や全人類のアイドルといって良い存在だ。しかも、〈じんりゅう〉といえばあのTVアニメのモデルにもなった艦ではないか!

 五年前のあの日以来、VS艦隊クルー事情には明るくないのだが、この〈じんりゅう〉のクルーも有名なのだろうか?

 そうじゃなくても若い女性に囲まれるなんて未知の世界だ。ましてや自分は航宙艦に乗ることが許される階級の中でも、一番下で肩身が狭いのに。

 数百万分の一の競争率を勝ち抜いてVS艦隊クルーになるような人達の前で、自分のごとき下っ端の凡人があんな破廉恥な透け透け患者服姿をさらしてしまうとは……もう恥ずかしいやら、情けないやら……。


「……にしても」


 ケイジは思わず、五年ぶりに再会する幼なじみに抱きつかれた瞬間を思い出した。

 十六歳になった彼女は、記憶の中の彼女と比べ、髪型は昔と変わらない男の子みたいなショートカットだが、背は伸び、他、色々と成長している。


 …………のだが、それが分かってしまう彼女達の服装が問題だった。

 先ほど会った彼女達は、大昔の洋上艦の水兵服のデザインをあしらったという、VSクルー専用の軟式簡易宇宙服ソフティスーツを着ていた。

 これはヘルメットとグローブさえつければすぐに簡易宇宙服として使うことができる。それが無闇に身体にフィットしたデザインなのだ。


 これは別に見る者に対する心理的影響を考慮したから……というわけではなく、宇宙服として使用した場合、素肌と生地の間に空気が入っていると、真空中では風船のように膨らみ動けなくなってしまう為、最初から生地と素肌が密着するようにしたが故だ。

 とはいえ……、


 ――なんて破廉恥スーツなんだっ!


 軟式宇宙服姿のVSクルーのグラビアやら映像やらは、今まで散々目にしてきたことがあったはずなのに、やはり生で見るのとでは大違いだった。何と言うか……生々しい!!

 思春期真っただ中のケイジ脳裏からは、彼女達のシルエットが焼きついて離れなかった。


「着替え終わったか? まだ身体の調子が悪いなら……」

「は、はひっ!」


 個室から出て来ないケイジの身を案じた声に、ケイジは慌てて個室のドアを開けた。

 出迎えたのは、ケイジより幾つか年上の背の高い美女だった。ウェーブがかかった長い黒髪をポニーテールにしているのがまず目を惹く。健康そうな血色の良い肌、凛々しい顔立ち。ピンと張った背筋といい、どこか武士もののふのような雰囲気がが漂っている。

 何故か着ているのが軟式宇宙服ではなく、ライダースーツのような常装艦内服なのだが、それでも見事なプロポーションは隠しようも無く、そのバストは物理的圧迫感をケイジに感じさせながら、その視線をなかば強制的に引き付けてやまない。


「うむ、サイズは合うようだな、結構結構。悪いが今はそれぐらいしか男が着ても良さげモノが見付からなくてなぁ」


 つま先から頭までを見上げて言う彼女に、ケイジは「はぁ」としか答えられなかった。

 基本女子しか乗らない艦で、男子用衣服が見付からないのは止むを得ない話だろう。とはいえ当然下着も無いわけで、素肌にツナギというのはなんだか落ち着かない。


「改めて自己紹介しておこう。わたしはここ〈じんりゅう〉の第二副長で火器管制担当兼EVA船外作業要員のカオルコ・アルメリア少佐だ。よろしく」


「け、三鷹ケイジ技術三等宙曹です。助けていただき、あ、ありがとうございます」

「ああ、うん‥‥‥こっちこそ、さっきは消火に手をかしてくれたみたいで助かった」


 ガッシリと握手してくる彼女に、ケイジが緊張しながら答えると、何故か彼女もどこか緊張した面持ちで、微かに頬を染め、目をそらして頷いた。


「さ~てと、どうしたものかな」


 どうやら、自分の扱いは彼女達にも決まっているわけでは無いらしい。しかし、丁度その時、計ったかのように二人の腹の虫がそろって鳴ったことから、次の方針が決まった。






 〈じんりゅう〉級は、今でこそ十名弱のクルーで操艦されているが、設計当初は他の航宙艦同様、二〇〇名近いクルーが乗艦することを前提としていた。だから当然、それだけの人数の生活を賄う施設が備わっている。居住区や医療室、浴場、そして大食堂だ。

 ケイジが再びそこにたどり着くと、先ほど食堂で会った火災騒ぎの張本人たる三人が、床に正座をしつつ艦長直々の説教を喰らうの刑に処されていた。


「――ほんっとにまったくもう! あなた達ときたらまった…………ひゃうんっ!」


 説教中だった〈じんりゅう〉艦長らしきやや長身の女性は、食堂に入ってきたケイジの顔を見るなり、よほど驚いたのか、謎の悲鳴をあげてテーブルの影に隠れてしまった。


「あ~ユリノよ、気持ちはわからないでもないけどそのリアクションは無いのではないか」


 呆れ気味のカオルコの言葉に、その女性はしばらく黙りこむと、ややギクシャクとした動きで立ち上がり、大きく咳払いをした上でケイジの方を向いた。

 年は二十歳位か、どこか憂いを帯びた瞳、整った色白の顔立ちの上に、やや不釣り合いに大きな艦長帽を乗せ、長い黒髪を途中で一本の太い三つ編みにして肩にかけている。

 艦長用ロングコートをまとっているため、そのプロポーションを確かめることはできないが、コートの隙間から軟式宇宙服の見事な脚線美がのぞいており、ベルトで絞められたくびれたウエストと合わせて、美しいスタイルをしているであろうことは想像に難く無かった。

 ……ただ、なんとなくその艦長帽や艦長用コートに、着させられている感があるのは気のせいなのか……。

 ただ美しいというだけではなく、何故か顔を耳まで真っ赤にしているところがなんとも可愛いかった。ちと赤くなりすぎな気がしないでもないが。


「こほん! よ、よよ、ようこしょ〈じんりゅう〉へ。私が艦長の秋津島ユリノ中佐です!」


 思い切り噛んだことをスル―して彼女は言いきると、ずずいとケイジに近づき、その手を握って一方的にぶんぶんと握手し、ケイジが何か言う間も無く後ずさっていった。


 ――なんだか凄~く警戒されてる気がする。というか嫌われている!?


 格納庫での緊急救命時の事など知らないケイジは、そりゃVS艦隊クルーとして、男性との接触を避けるのは当然だろうな……と思っておくことにした。

 それに、雲の上の人物たるVS艦隊の美人艦長に手を握られ、それどころではなかった。


「いやぁ、お腹空いてるみたいだし、怪我人たるもの栄養補給は大事だろうと思ってだな」

「そらそうでしょうけどもぉ……」


 艦長の何やら恨みがまし気な眼差しに、カオルコ少佐がしれっと答える。

 返す言葉が無い艦長の裾を、隣で正座中だったクルーの一人がくいくいと引っ張った。


「あ~艦長、俺達も紹介しておくれよ」


 先ほど食堂で会った軟式宇宙服姿の彼女ら三人は、今はスプリンクラーでずぶ濡れになったせいか、首や頭にタオルをかけていた。


「……仕方ないわねぇ」


 艦長の許しを得た彼女達は、早速、痺れた足と戦いながらよろよろと立ち上がった。


「俺はクィンティルラ・フェルミ大尉、ここの艦載機パイロットだ。無事で良かったなぁ」


 そう言って握手をしてきたのは、ケイジよりやや低い小柄な身長、幼さが残る顔立ち、だがその割に目つきはぎらりとシャープで、やたらボリュームあのある長い髪は眼の覚めるような赤毛で、小さい体にエネルギーを詰め込んだ野生の獅子……の子供のような印象の少女だった。

 見た目だけなら中学生位なのだが、口調や態度から実年齢がそうかは分からなかった。


「はいはいはい! ワタシャ電測員のルジーナ。ルジーナ・ジュエワ中尉、ヨロシク」


 挙手して自己紹介したのはケイジより若干年上か、やや身長が高く、手足がひょろっと細長い少女だ。長い黒髪を後頭部で結い上げた女性航宙士で良く見かける髪型をしている。なんだかやたら身振り手振りのボディランゲージが激しい。

 何といっても目に付くのは、東洋系らしき顔立ちの上半分を隠しているゴツいアイマスクのような電測員用ゴーグルだ。ブリッジでもないのにそんなもの付けっぱなしで、一体彼女はどうやってものを見てるのだろう?


「あ~え~と、ボクはここの操舵士のフィニィ・アダムス大尉……あの……」


 そこまでいって口ごもってしまったのは、ルジーナと同じくらいの身長と年齢、鮮やかな青い瞳、見事なブロンドの髪を少年のようなショートカットにした少女だ。その髪型のお陰でまるで美少年のような美少女といった感じだ。きっと、女性人気があるに違い無い。


「え~と、さっきはありがとうね! でもね、ボク、ホントはあんなキャラじゃないんだよ! ……って、のわ!!」


 拳を握って顔を赤くしながらそう力説する彼女は、そこまで言ったところで正座で痺れた足がもつれて、よろりとケイジに倒れかかってきた。


「わ~! ごめん! ……いやだから、ボクは普段はこんなキャラじゃないんだからね!」


 思わずケイジを盛大につき飛ばしながらフィニィはわたわたと続けた。

 あんなキャラとは、火災騒ぎでの事なのか? ケイジはテーブルの上に吹っ飛ばされながら「はあ、はい」としか答えられなかった。


「おおう、大胆ですナ~フィニィ大尉」

「だ~か~らこれは違うんだってルジーナ! これは足がしびれちゃったから!」

「へへ……確かに、さすが日本文化の生み出しし究極の刑罰……セイ=ザだぜぃ!」


 早速茶化すルジーナにフィニイが慌てて訂正し、クィンティルラがそんな彼女につかまって立ちながら、まるで強敵とのバトルを終えた後みたいなことをのたまった。

 仲の良い三人だ。


「あ~あと、俺の相棒でフォムフォムってのががいるんだけれど、あいつどこ行ったんだ?」

「そういえば、見かけませぬナ。ワタシらが飯作ってる時から食堂にいたはずなのデスガ」

「フォムフォム……、ここにいる」


 クィンティルラとルジーナの会話にそう答える声がしたかと思うと、食堂の隅のテーブルの影から、むくりと長いプラチナブロンドの女性が起き上がるのが見えた。


「あ、お前、ず~っとそこで寝てたの? 火災警報の時も?」

「フォムフォム……そうだ」

「あ~……そなんだ。……図太いね」


 目をこすりながらこちらに歩いてくる彼女に、クィンティルラは一同を代表して言った。

 フォムフォムと呼ばれた彼女は、健康的な薄褐色の肌、幾本もの三つ編みが混じった長い白金の髪の毛には、民族調のリボンや髪飾りがついている。カオルコと同等かそれ以上のナイスバディに、パイロット使用の軟式宇宙服とフライトジャケットを纏っていた。

 なんともインパクトのある娘だったが、ケイジが驚いたのは他にあった。


「フォロメラ・フォメラ中尉、ここの艦載機無人機指揮者マギステルだ。良かったな無事で」


 ケイジの目の前まで来ると、彼女はそう言っておもむろにハグして来た。

 フォムフォムは180センチを超える身長の持ち主であった。

 ケイジは一瞬遠近感が狂うのを感じると、次の瞬間、彼の顔は丁度目の高さにあった彼女のバストにむにゅりと埋まった。

 一同が固まる中、ケイジは声を発することもできずに彼女の腕をタップし続けた。


「こ、こらフォムフォム! 分かっているとは思うけれどね?」

「艦長、この男は無人機に気に入られている。フォムフォムも気にいった」

「ああ、左様ですか……」


 なんだかよく分からないが、会った瞬間から彼女の評価は高いらしい。

 ケイジはこの状況に、そろそろ生命の危険を感じはじめていた。


 ――世界観が違う!!


 つい先刻まで、グォイドと人類との存在意義について考察していた自分は何だったのか!?


「あ、あの!! ところでミユミちゃ……うぇごほん! あの、柳瀬ミユミは?」


 なんとかハグから開放されたケイジは、気になっていたことを尋ねた。

 さっき食堂にいたはずの幼なじみの姿が、今、食堂に見当たらなかったからだ。


「ああ、ミユミちゃんなら自室で休ませてるわ。あなたが目覚めてほっとしたのか、疲れが出たのね。グォイドとの戦闘以来、彼女はずっとあなたの看病をしていたから」

「……そう、なんですか」


 艦長の言葉に、ケイジは他に答える言葉が出てこなかった。

 幼なじみのミユミは確かにこの艦にいた。

 幻なんかでは無い……どんな顔をして会えばいいのか……。

 ……にしても、分かってはいたが心臓に悪いクルー達だった。

 噂通りの美女美少女揃いというだけでも緊張するのに、艦長やフィニィ大尉はともかく、他のクルーは天真爛漫というか自由奔放というか……ちょっとフリーダム過ぎやしないか? 男子との接触禁止令はどこへ行ったのか!?


「よし! あと副長とおシズがいるけど、どうせ当直中だから紹介は後まわしにして飯にしよう

ぜ! 俺もうお腹すいちゃったよ、今度こそ食べれるもの作るぞ!」

「こらクィンティルラ、話を振り出しに戻す気か」

「だが艦長、いずれは解決せねばならない問題だぜ? 帰還するまでまだ長いんだしな」

「ぬ……」


 さっきの火災警報騒ぎの根本原因は、いまだ解決していないらしい。カオルコからおよその事情を聞いていたケイジは、気が付くと思っていたことを口にしていた。


「あの、僕で良かったら何か作りましょうか?」


 ケイジの発言に、少女達はまるで神が降誕したかのように顔を輝かせた。












 食糧はもちろん、空気や水までも限られた中で長い航海を行わねばならない航宙艦では、生命維持が可能な人数には厳然とした限りがあり、戦闘で犠牲者がでるからといって、無制限に何人もの予備クルー乗せていくわけにはいかない。


 近年のSSDFは、この問題にヒューボの投入で対処していた。

 が、もっとシンプルな解決方法も実行されていた。例えばカオルコが火器管制とEVA要員を兼ねている様に、クルー一人一人が複数のセクションで任務が行えるよう、予め訓練を施しておくというものである。


 人数が不足したセクションの任務を、無事な人間が兼任してしのごうというわけだ。

 航宙士候補生は、当人の希望と適正試験結果から一人最低二つの担当セクションが選考され、訓練が開始される。これがケイジ少年の場合『機関科』と『烹炊飯炊き科』であったのだ。

 クルーのモチベーションはもちろん、時に生還率にすら影響力を及ぼす烹炊科の仕事は、挑戦する価値があると、ケイジ少年も航宙艦の価値を上げる烹炊科員になろうと努力してきたようなのだが、戦況がそれを許さなかった。

 昨今の人的損失から、『烹炊科』も急激にヒューボにとって代わられつつあり、せっかく訓練して得た『烹炊科』技術を活かす機会を無くしてしまったのだ。

 逆に言えば、そのお陰で今こうして〈じんりゅう〉で食事を作ってもらえたわけだが。


 エプロンに三角巾姿の第一種烹炊装備となったケイジ三曹は、ユリノ達の見守るなか、目まぐるしく厨房内を行き来し、四本腕の歩く冷蔵庫みたいな烹炊専用ヒューボに勝るとも劣らぬ早さで、あれよあれよという間に食事を作り上げていった。

 心なしか、クルーに自己紹介された時よりも活き活きしているような気がする。

 因みに火災騒ぎの下手人三人には、スプリンクラーでびしょ濡れになった厨房の拭き掃除と、食器を並べる等の雑用で、彼を手伝わせるの刑に処されている。

 フライパンに残っていた火災騒ぎの原因たるルジーナ作のサプリメントハンバーグと、クィンティルラが作っていたというオムライス(ご飯が炊きあがる前なのに……)らしき消し炭は、ケイジ少年によって即時廃棄された。

 フィニィが炊く準備まで成功していた炊飯機のスイッチを入れ、炊きあがるまでの三〇分で、この臨時烹炊長はトン汁、切った野菜を混ぜドレッシングをかけただけのサラダ、そしてメインの千切りキャベツに乗せたショーガヤキを作り上げ、食堂のテーブルへと並べた。


「よし! 食べようぜぃ!」


 まるで自分が用意したかの如くクィンティルラが胸をはった。まぁ、異存は無いのだけれど……見てることしか出来なかったユリノも皆と共に席につく。


「じゃあ、いただきましょう。ありがとうケイジ君」


 ユリノがそう言って彼を向くと、ケイジ少年はまた顔を真っ赤にしてしまった。

 各々がそれぞれの信仰に合わせ、用意された食事に感謝をささげると(といっても皆ほとんど形だけだが)、『いただきます』という言葉と共に、およそ十一時間ぶりのまともな食事が始まった。

 皆、期待と不安と共に最初の一口を食すと、次の瞬間、感想を言う間も惜しんで箸を進めた。

 ユリノも言い尽くせぬ程の滋養が体に染み込むのを感じた。


「どうした? 食べないのか? とても美味いぞ! お前の作った飯は、なあ?」


 カオルコが動かない少年に気づき話しかけた。皆が頬を膨らませながらコクコクと頷く。

 そう言われ、少年はやっと自分がまだ食事に箸を付けていないことに気づいたようだ。

 体調がまだ優れていないのもあるのだろうけれど、やはり突然、見知らぬクルーに囲まれて緊張しているのかもしれない。


「ひゃ、ひゃい! いただきます」


 皆の視線が集まる中、少年は慌てて箸を持ち、艶々と光る出来たてのショーガヤキとご飯を、一口分すくい口に入れた。


「……」 


 味わうように良く噛んで飲み下すと、次の一口をかき込む。

 ……と、彼の食器を持つ手に、ポタポタと雫が落ちた。

 皆の視線から、自分が泣いている事にようやく気づいた彼は、嗚咽が漏れそうになるのを慌ててこらえた。しかし、そうは思ってもポロポロと落ちる涙も嗚咽も止まらない。

 彼にできるのは、大慌てで食堂から走って逃げ出すことだけだった。

 ユリノをはじめ、クルー達にはそんな彼を、ただ見送ることしか出来なかった。

 ユリノはそんな彼の姿を、決して不快には思わなかった。自分でも意外なことに。






 慌てて食堂から飛び出すと、そこは航宙戦闘艦にとっては構造上弱点となるものの、クルーの精神衛生の為に数ヵ所だけ設けられた窓のある部屋、舷側展望室だった。


 ――だから! 『心』なんていらないのに!!


 ケイジは窓の向こうに見える無数の星々の前で床に座りこむと、背中を丸めてこの涙が枯れるのをひたすら待った。自分でもなぜこんなに突然、涙が溢れるのか分からなかった。

 ただ一口、自分で作った料理を食べた瞬間、急に涙が溢れ止まらなくなってしまったのだ。

 ただただ、恥ずかしくて、情けなくて、わけがわからなかった。

 自分は一体どうなってしまったのだろう? と。

 と、突然むにゅっという感触とともに、後ろから何者かに抱き締められた。


「ひゃ!」

「な、何も言わないで! こっちだって、とってもと~っても恥ずかしいんだからっ!」


 ケイジが何か言う前に、すぐ後ろの耳元からユリノ艦長の上ずった声がした。


「ケイジ君、はじめに言っておくけれど、わ……私は別に他意があってこうしているわけじゃ無いんだからねっ!」


 ユリノ艦長は上ずった声のまま続けた。ケイジはあまりに突然過ぎて、口をパクパクと開けるだけで何も言葉にならない。ただ、背中から彼女の柔らかさと温もりと香り、そして早鐘のごとき彼女の心臓の鼓動が伝わってきて頭が真っ白になるだけだった。


「その……上手くは言えないのだけれどね、ケイジ君、あなたは今、泣いても全然構わないと思うのよ。だってあなたは最善を尽くしたし……何よりもこうして生き残ったのだから。……今日たくさんの仲間の命が失われたけれど、それに対して負い目なんて感じなくて良いし、逆に泣くほど喜んだって良いんだよ多分……その……今生きていることをね」


 艦長は自分でも何を言うべきかまとまって無いのか、たどたどしい言葉だったが、こうして抱きしめられながら聞く彼女の声は、不思議なほどにケイジの心に染み込んでいった。


「ケイジ君に何があったか、私は記録を見て知ってるわ。私達は、そうはあまり見えないかもしれないけれど、あの状況の中を生き延びたあなたの事を、そこそこ尊敬してるし、ご飯を作ってくれたことに感謝してるの。だから……その、しばらくしたら戻ってきてね」


 ケイジはもう涙を堪えるのを止め、こぼれるに任せながら、ただコクコクと頷いた。

 艦長は言うだけ言うと、緊張していたのかふぅと大きく息を吐いて、ケイジからそっと離れると、そのまま去って行った。

 ケイジは彼女がいなくなると、今度はもう誰はばかることなく泣きじゃくった。

 今度は何故、今自分が泣いているのか分かった。自分はどうやら、ずるい程に生きていることが嬉しくて嬉しくて仕方が無いらしい。



「(キターッ! 伝家の宝刀!)」

「(なんですとッ! ここで艦長、まさかのユリノホールドですとナ?)」


 声を潜めつつ、第二副長カオルコと電測員ルジーナがスポーツ実況のような事をのたまった。


「フォムフォム、ルジーナよ、ゆりのほーるどとはなんぞや?」

「御主もさっき彼にやっとったでしょ? ハグですぞなハグ。ああして艦長に優しくハグハグされるとだネ、皆どんなに落ち込んでいても半強制的に癒されてしまうのデスヨ!」

「オオゥ、フォムフォムはいつもクィンティルラにハグハグしていたのか!」

「ふん、抱かれ心地ならフォムフォムだって負けてないんだぞ」


 食堂に残されていたカオルコ達は、展望室入口の影で左右に分かれて覗き見ていた。


「かかか、艦長……なんて大胆……」


 操舵士フィニィは顔を真っ赤にしながら呟いた。


「ユリノという奴はなぁ、いつも思い立ったら即断即決だからなぁ……、そこがきゃつの艦長たるとこなのだけれど、当人もなんで自分がこんなことをしているのか、たまに自分でも分かって無かったりするからなぁ……大概それで当たってるから良いんだけれどさ」

「しかしカオルコ少佐、いくらVS艦の艦長でも、出会ったばかりの男子にあれは……」

「やっぱりフィニィもそう思う?」

「それに、こんなとこミユミ准尉にでも知られたら……幼なじみなんでしょって……ひっ!」


 いつの間にか、そのミユミが一同の背後に立っていた。


「皆さんこんなところで何してるんですか?」


 少し横になって元気を取り戻したらしい彼女が、ドアの左右に隠れるようにして展望室を覗き見しているカオルコ達に対し、もっともな疑問を口にした。


「………………」


 ミユミの問いに即答できる者は誰もいなかった。

 五年ぶりの再会を果たした幼なじみの少年に、年上の上官が抱擁してる光景を見た場合、いかな結果が予測されるのか? また、その際、自分らのとるべき行動とは?


 ――これが世に言う【SYURABA】というやつなのか!?


 一同は慌てて立ちあがると、展望室の光景を隠すように横に並んでカニ歩きした。


 ――ええい、見られていなければどうということは無い! だっ!!


「あなた達! ごはんが冷めちゃうわよ」


 彼女らの思惑など知らないユリノが、いつの間にか背後に腕組して仁王立ちしていた。


「すぐいただきます!」


 カオルコ達は後はお任せしますとばかりに速やかに食堂へと退避した。そしてユリノの前にはミユミだけが残されていた。


「ぬぉあ! ミ、ミユミちゃん! あ、起きたのね。良かった良かった、はっはっは」


 さすがのユリノも、自分の行動が彼女に見られた場合の重大性にはすぐに思い至った。


「心配かけてすみません。あの、艦長……けいちゃ……三鷹三曹はどうかしたんですか?」


 どうやらミユミは決定的瞬間は見ていないようだ。しかし彼女はすぐにユリノの背後、展望室の中に、背を向けて床に座り込む幼なじみの姿を見つけた。


「か、彼なら大丈夫よ!」


 ユリノは展望室に残るケイジを振り返ると言った。


「誰でもね、今回みたいな戦闘を経験して生き延びたらね、自分が生きているのがなんだかとても異常で不自然で、罪深い、許されざる事のような気分になっちゃうものなのよ。例えば、自分はこんな美味しいご飯なんか食べてもいいのか!? ……なんてね」


 ユリノは今頃になって自分の行動の大胆さに、心臓をバクバクさせながら答えた。


「そう……ですか、そう……ですよね……」


 そう自分に言い聞かせるように呟く彼女の瞳は、純粋に少年の事を案じるものだった。

 ミユミは「行ってあげないの?」というユリノの問いに首を振ると、そのまま食堂で皆と幼なじみの帰りを待った。




 ユリノ艦長の言う通り、ケイジはしばらくすると、ちゃんと食堂に戻ってきた。

 ミユミは幼なじみとようやく落ちついて話す機会をえたわけだが、皆の前だからなのか、極めて淡泊、御互いに相手を探り探りの、傍から見ていてなんとももどかしい当たり障りのない会話しかできなかった。

 だがそれは、互いに相手を思いやる気持ちが、再会した今もある証なのかもしれない。

 彼は旺盛な食欲で料理をたいらげると、カオルコ少佐やクィンティルラにお代わりをよそい、食後の飲み物を用意した。まるで止まったら死ぬと言わんばかりの働きぶりだ。

 男子を交えて〈じんりゅう〉で食事をするのは初めてのことだったが、ケイジの作った料理の美味さがそんなこと忘れさせてくれた。

 ケイジの作った献立は、戦闘で疲れはてたクルーの体にも心にも染み入る内容だった。


「やはりヒューボじゃなくて人に作ってもらうと違うのかね?」


 カオルコ少佐がふとそうもらした。他のクルー達も、口に出しては言わないけれど、きっと同じように感じているに違いないとミユミは思った。

 カオルコ少佐とルジーナは、食後のコーヒーを済ますと次の当直要員としてブリッジへと移動した。替わりに副長のサヲリ少佐が食堂に来るはずだったが、ケイジはまだ会ったことの無い彼女の食事をよそっている最中にまた倒れた。

 やはりまだ動きまわるのは早過ぎたらしい。


「ほら言わんこっちゃない!」


 ミユミはくず折れるケイジを支えきれずに思わず叫んだ。

 ケイジは再び医療室へと運ばれることとなった。

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