▼第四章  『サイレント・ランニング』

 ブリッジでの当直任務を終えた〈じんりゅう〉副長のサヲリ・レオカディア・シュトルヴィナは、結局、食堂へ向かってもケイジ技術三曹と会うことはなかった。

 医療カプセルで治療中だった彼を見たことはあるが、まだ言葉を交わしたことは無かった。

 食堂には彼が作ったショーガヤキとかいう料理を主菜とした食事が用意されており、彼女はその食事を済ますと医療室へと向かった。

 別にケイジ技術三曹に会いたかったわけではなく、彼女の身体は定期的に医療カプセルに入る必要があったからだ。

 同じ医療室のベッドにはケイジ三曹が眠っているらしかったが、サヲリは特に気にすることもなく素通りし、カプセルへと向かった。

 医療カプセルによる調整は、行わなかったらからといって即問題が発生するわけでは無いが、時間的余裕が生まれた時に済ませておくに越したことは無い。

 サヲリは身を包む軟式宇宙服を脱ぎ、カプセルへ入るとスイッチを入れた。

 直ちにメディカルマイクロマシンが混ざった液体が内部で満たされ、彼女は母体内の胎児のように身を丸めた。

 さすがに疲れていたのか、自分でも驚くほど早く眠りについた。適温に温められた液体の中を漂うのを、サヲリは決して嫌いでは無かった。


 それから一体どれくらい眠っていたのか、彼女はカプセル内に響く誰かの足音で目が覚めた。液体で満たされた医療カプセルの中というのは、外の足音がとても良く響くのだ。

 誰かが医療室内をうろついているらしい。一体誰だろうか? サヲリはクルーの足音なら大抵誰であるのか聞き分けられるのだが、この足音には覚えが無かった。

 その足音はカプセルの正面で止まると……。

 ドシンッと鈍い音がした。足音の主は派手に尻もちをついたらしい。

 サヲリは今度こそ目を開けてみた。どうやらカプセルを覗いたら何かに驚いて転んだようだ……ケイジ技術三曹が、目の前で予想通り尻もちをついて、顔を手で覆っていた。

 指の隙間から覗く彼の目と目が合った。

 顔に何か怪我でもしたのだろうか? サヲリはカプセルから出ることにした。


「な、なな何か●×▽て下さい!」


 カプセル内の液体を抜いて表に出るなり、彼が何か叫んだが良く聞き取れなかった。


「ケイジ技術三曹、大丈夫ですか?」

「だだだだから、なにか着て下さいぃっ!」


 彼は猛烈な勢いで後ずさりし、背後の壁にぶつかりながら叫んだ。今度は聞き取れた。

 サヲリは裸であった。カプセルに入っていたのだから当然だ。だが、この少年にはそれが重大な事らしい。何か問題があったのだろうか? 裸なら先ほどカプセルで治療中のケイジ三曹の裸だって見ているのに……。


 サヲリ・レオカディア・シュトルヴィナという少女は、自分の裸身が思春期真っただ中の少年に与える影響に、まったくもって気が及ばなかった。

 もちろん、一般知識として男性が女性の裸に対し、性的興奮を覚えるものだということは知っていたが、自分の裸身にそのような効果があるとは露程も思っていなかったのだ。


 別に彼女の肉体が醜いというわけではない。それどころか他のクルーが羨む程に彼女は美しかった。

 十九歳の肉体はほっそりとしたプロポーションに、雪のような白い肌と白銀のカールしたショートボブの髪、赤い瞳、整った顔立ち。どこか儚げな、少しばかり現実離れしたと言っていい美貌であった、が、それでも彼女は自分に自信が持てなかった。

 だから彼女は裸を見られた事に対し、被害者意識どころか、何かケイジに迷惑をかけてしまったのかと思ってしまったのだ。

 当人がそう思っているからといって、彼がサヲリの容姿に対し魅力を感じないとは限らないのだが、基本的に男性への接し方を知らない彼女は、他の女性クルーに対するのと同じようにケイジに接した。


「挨拶がまだでしたね、ワタシは当艦第一副長、サヲリ・レオカディア・シュトルヴィナ少佐です」


 彼女は倒れていた彼に助け起こそうと手を伸ばした。ケイジは手で顔を覆いつつも、しっかりと指の隙間からその裸身を覗き見ながら、凍りついたように動かなかった。


「……………?」

「す、すす、すすすすす、すみませぬ!!!!」


 サヲリは一向に手を掴まないケイジを待っていると、まるで根負けしたかのようになんとか礼の言葉を絞り出し、彼はまだ濡れている彼女の左手を掴んだ。彼女は見た目にそぐわぬ恐るべき力でひょいとケイジを引き起こそうとして……失敗した。

 濡れた体を拭きもせずに歩いて来たものだから、ケイジの身体を引き起こそうと踏ん張った瞬間、足元が滑ったのだ。

 ドテンッという鈍い音とともに二人は床に崩れた。


「わ~! ごめんなさい! すいません!すいません! すいません!」

「こちらこそ、ごめんなさい」


 ケイジは即座に謝った。サヲリも素直に謝った。


「なッ!!!!」


 医療室に現れたミユミが、床に倒れた裸の副長の上にケイジがのしかかっている見て、凍りついたかのごとく固ってしまったのは、その直後であった。









 ――まったく! どうしてこうも! ここのクルーは無防備なんだ!


 あのピッチリスーツ姿だけでも目の毒なのに、生まれて初めて、直接、それもとびきり美人の女性の裸を見てしまった。これは殺されるかもしれない……色んな意味で。そうじゃないとこの眼福に釣り合いがとれない……なんというか男の人生的に。

 医療カプセル内の全裸の副長を見てしまったケイジは、経験があるわけではないけれど、こういう場合、女の人は悲鳴を上げるとかビンタしてくるものではないのか? と思ったのだが、最終的に彼にビンタを食らわしたのは、なぜか副長ではなく神がかり的タイミングで医療室に現れたミユミであった。


「まったくまったくまったく……まったくまったくまったくも~」


 前を歩くミユミは、医療室を出てから「まったく」しか言わなくなった。

 ミユミが医療室に来たのは、味方艦隊からメッセージが届いたので全クルー集合せよ、という艦長からの指示を知らせる為だった。

 艦内通信で知らせてくれれば良いのに……などとケイジは思わないでは無かったが、わざわざ迎えに来てくれたミユミに、ケイジは何も言わないでおいた。

 ミユミに裸でケイジに覆いかぶさられた姿を見られても、副長は慌てたりすることもなく静々とタオルで体を拭き、軟式宇宙服に着替えた。

 一方のミユミは獣の様な呻き声を洩らすと、ケイジの耳たぶを乱暴に掴んで医療室から追い出すと、副長の着替えを待ってから、三人でブリッジへと向かった。


「この……すけべぃ」


 ミユミがぼそりと呟いた。

 ケイジは、山ほど言いわけしたいことがあったが、この艦ではこういうリアクションをとってくれた方が何故か安心できる気がしたので、黙って二人について行くことにした。

 それに、なんだかさっき食堂で会った時よりも、昔の二人に戻った気がしないでもない。


「ああ来た来た。ケイジ君も起きたのね。身体の具合は大丈夫?」


 目視用メインブリッジに着くと、中央奥の席に座るユリノ艦長が迎えた。


 ブリッジにはすでに他のクルーが集合している。


「ぜぜ、全然大丈夫です!」

「……何かあったの?」


 副長はいつも通りだが、ミユミが頬を膨らませ、ケイジの顔が赤かいのを見つけたユリノ艦長が尋ねた。ケイジとミユミは無言で首をふるふると振った。

 目視ブリッジは艦体上部中央、メインセイルの基部にあり、主に通常航海時に使われる。

 その名の通り、目視の為の幾つもの多角形の窓が天井、正面、側面にかけてはめ込まれており、そこからクルーの肉眼によって直接艦外を観測する事が出来るようになっていた。

 この直下にあるバトルブリッジはあくまで戦闘時用であり、航海中の指揮の九割はここ、目視ブリッジで行われることになっていた。

 艦長席をはじめとする各座席配置はバトルブリッジと変わらないが、こちらの方が広々とした作りになっている。窓があるお陰で、モニター画面だけを見て操艦するよりよほど宇宙を旅している気分になれた。


「こほん、では伝えるわ。救難信号を受け第五次グォイド大規模侵攻迎撃艦隊、第一迎撃分艦隊から電文で返信が来たわ。ずっと〈じんりゅう〉を捕捉し続けていてくれてたのね」


 ブリッジ中央の広い空間に、〈じんりゅう〉を中心に前方にメインベルト、後方に各迎撃艦隊の位置が示された青白いホログラムの総合位置情報図スィロムが投影された。


「電文によれば第一迎撃分艦隊は迎撃艦隊本体と合流後、今なお木星近傍で第五次グォイド大規模侵攻艦隊の本隊と交戦中。その為、本艦の位置と速度の関係から、救助に来れるのは最速でも九日後、〈じんりゅう〉がメインベルトを通過した後になるそうよ。とりあえず本艦の現状、予想進路を返信しといたわ」


 クルーは沈黙に包まれていた。自力でなんとかしないかぎり、〈じんりゅう〉が猛烈なスピードでメインベルトに突っ込むことが、ほぼ確定したからだ。


「まぁ……仕方ないわね。これからの方針を決めましょう」


 さも気にしていない風を装ってユリノが肩を竦めた。〈じんりゅう〉を助ける為に、木星の迎撃艦隊がグォイドとの戦闘に敗れたら元も子もない、優先順位は明らかだ。


「艦長、なんか考えがあるのかい?」


 自分用の座席がない艦載機パイロットのクィンティルラが、壁に寄り掛かったまま問うた。


「ええ、考えというか、すべきことは既に決まっているわ。おシズちゃん説明を」

『了解しましたのです』


 ホログラム映像が動き出すのと同時に、ケイジがまだ聞いたことのないクルーの声が、ブリッジ内のスピーカーから響いた。


『修理を試みた結果、残念ながらメインエンジンの再起動は不可能と分かりました。そこで残った補助エンジンの方を修理し、推力を復活させ〈じんりゅう〉を反転減速、メインベルトの公転速度と本艦との相対速度差を無くし、小惑星との衝突を回避しますのです』


 ホログラムの〈じんりゅう〉が反転、進行方向に艦尾を向け、猛烈な逆噴射をかけ始めるとみるみる減速、メインベルトの公転速度との差が縮まり、速度差が完全に無くなると、改めてコースを修正し、無数にある小惑星の隙間を安全に抜けて行った。

 やはりとういうか、今、〈じんりゅう〉が助かる道はこれ以外にありようが無かった。


「あ~ミユミ……ちゃん、おシズ……さんってのは?」


 ケイジは、一瞬、幼なじみを今さら何と呼べばいいのか迷いながら小声で尋ねた。


「…………〈じんりゅう〉のメインコンピュータのオペレーターで無人艦の指揮者マギステル。いつも下の電算室ECRにいるの」


 ミユミはムスリとしたまま答えた。ケイジがまだ会えなかった最後のクルーらしい。


『基本的な修理作業はヒューボにやってもらいますが、数が不足している為、クルー全員にそれぞれ出来る範囲の作業で協力してもらいたいのです』


 シズ大尉の説明に何人かが「え~」と不平の声をもらした。


『減速するには、補助エンジンのUVエネルギーを限界まで引き出す必要があります。その為、船体中央エリアを残し、艦首及び艦尾居住区のLSS(生命維持システム)及びAGS(人工重力システム)を全てカットし、推力にまわしたいのです。というわけで、該当居住区を使用している方は、食堂への引っ越し準備をしてください』


 引っ越す羽目になったらしいクルーの悲鳴があがった。シズ大尉はさらに付け加えた。


『それからカオルコ少佐、それとケイジ技術三曹には別にしてもらいたい任務があるのです』








 ブリーフィングから一時間後。

 艦尾主機関室のハッチを潜ったケイジの眼前には、銀色の巨大な円柱が横たわっていた。

 〈じんりゅう〉のメインエンジン、アンダーヴァースドライヴだ。

 ケイジは電算室オペレーターであるシズ大尉から与えられた任務の為、第二副長カオルコとミユミの案内で〈じんりゅう〉艦尾主機関室まで来ていた。

 ケイジはカオルコと共に〈じんりゅう〉にあった新品の硬式宇宙服に身を包み、ミユミは軟式宇宙服にグローブとヘルメットを装着している。

 艦尾や艦首、艦の外殻部はエネルギー節約と火災予防の為、空気を抜かれ人工重力も切られているため、艦内でもその恰好にならなければならない。


「これが動いてさえくれたら、万事解決なんだがなぁ~」


 硬式宇宙服姿のカオルコがメインエンジンを見上げながらぼやいた。ケイジはその姿を見て、今更ながら彼女だけが何故、皆と同じ軟式宇宙服姿じゃないのか分かった。EVA船外作業要員なため、普段すぐに硬式宇宙服に着替えられるような服装でいただけだったのだ。


 ……てっきり胸が大きすぎて軟式宇宙服に収まらなかったのだと思っていた……。


「ケイちゃん、やっぱりなんとかならないもんなの?」


 副長全裸目撃事件があった為か、御目付け役のつもりで来たらしいミユミが尋ねた。

 UVドライヴ、それは〈じんりゅう〉をはじめ、太陽系防衛艦隊のほぼ全ての航宙艦を動かしている主動力源だ。

 この装置は、この宇宙に自然には存在しない〈UVエネルギー〉と名付けられた力を、ここの宇宙とは違う他所の宇宙から無尽蔵に汲み出す事が出来る。

 汲みだしたこのUVエネルギーは推進剤の代わりにもなり、艦に重くかさ張る燃料タンクを必要しないという絶大なメリットを与えるだけでなく、人工重力の発生とそれを利用した防御シールド、そしてそれを打ち破ることができる数少ない武器のエネルギー源ともなる。

 欠点は、磁気で封印しない限り、UVエネルギーはこの宇宙では瞬時に消滅してしまう為、これのエネルギーを弾丸とした砲の射程距離が極端に短くなってしまうことだ。

 だがシールドに使った場合、恐ろしく大出力、大質量ではない限り、レーザー、実体弾ともに、ほぼ完璧に阻むことが出来る。

 グォイドとの戦闘が、視認可能な程に近距離で行われる理由だ。

 UVDは出鱈目な程に便利である故に、失った時には取り返しがつかない装置だった。


 ――出来ないのはワープぐらいだ……。


 そうケイジは冗談めかしていつも思ったものだ。

 一体どんな理屈でそんな所業を可能としているのか? それはケイジはもちろん、この装置を設計した人類の科学者・技術者にも、未だ完全には解明できていなかった。

 〈ダークフロー理論〉に基づき〈ゲッペンシュタイン効果〉を制御する云々と言われてはいるが、この装置は、破壊した初期グォイド艦から回収した動力源を、ただその構造に従ってコピーした結果、動かせただけの装置なのだ。

 キャットウォークや大小様々なコンジット類、リング状パーツで包まれたそのメインエンジンから、ケイジはしばし目が離せなかった。

 半人前とはいえ、エンジニアとして、目の前のエンジンに心惹かれないわけがなかった。


「あ~まったく動かせないことは無いよ。ちゃんと修理すれば」


 え? ホントに!? とケイジの思いがけない言葉に、思わず二人が振りむいた。


「ただし三分もしない内に大爆発すると思うけれど」

「なんだぁ、それでは意味がないではないか」


 カオルコが肩を落とした。

 UVドライヴは莫大なエネルギーを生み出す分、そのコア部分に僅かでも傷があれば、応力がそこに集中して大爆発を起こしまう。安全装置が緊急停止させなければ、〈じんりゅう〉は間違い無く木端微塵だったはずなのだ。こればかりは修理は不可能だった。

 三人は、揃って眠ったままのメインエンジンを見つめた。


「たしか初代の〈じんりゅう〉はオリジナルのを積んでたんですよね?」


 ミユミがカオルコの方を向いた。


「ああそうだ。こっちの〈じんりゅう〉にもオリジナルのUVドライヴを搭載してたなら、こんな苦労もしなくて済んだのだろうがなぁ」

「〈じんりゅう〉級は元々オリジナルドライヴ搭載実験艦として設計された艦ですからね」


 ケイジが相槌をうつ。艦としての〈じんりゅう〉については、そこそこ以上の知識があった。


「ま、無いものねだりなんだけどな。初代に積んでたオリジナルは喪失しちゃったし、残ったオリジナルドライヴだって、そんな貴重なモノ、積ませてもらえるわけないだろうしなぁ」


 カオルコは肩をすくませると、「さぁケイジよ、エアロックはこっちだ」と気分をとり直してケイジの案内を続けた。

 ケイジ達の最終目的地は主機関室では無い。その最奥にある艦尾エアロックだった。

 今、〈じんりゅう〉は、全四機中二基の補助エンジンが稼働していたが、そのうち第一補助エンジンは稼働しているものの、その尾部にあるスラスターノズル部分が破壊されている為、中の小型UVDが生みだしたエネルギーを、推力に変換して噴射することが出来ないでいた。

 これを、尾部スラスターノズル部は無傷だが、小型UVDは修理不可能な程に破壊されている他の補助エンジンナセルから、スラスターノズルのみをを分離・移植して第一補助エンジンの推力を復活させよう……というのがこれから行う作業の目的であった。

 無事な補助エンジン一機だけででも、今すぐに減速噴射を開始してしまえば……とも思えてしまうが、補助エンジン一機だけではたとえ噴射したとしても、無重力空間では推力軸が船体の重心点を貫かない限り移動はできない。

 噴射した途端に無様に回転してしまうだけだ。

 艦尾に四基、X字型に配置されている補助エンジンは、メインエンジンを挟んで二機一組で噴射し、推力軸が艦の重心点を貫くよう配置されたものなのだ。


「じゃ、いってらっしゃい。気をつけてねケイちゃん、カオルコさん」


 ミユミに見送られ、内も外も真空であまり意味をなさないエアロックを抜けると、ケイジとカオルコは空間失調バーディコにならないよう艦の上下を意識しつつ、移動を開始した。

 ワイヤーガンで命綱を撃ちこみ、それを巻き取ることで一気に移動する。目標の第一補助エンジンブロックの後端に着くと、船殻にブーツの磁力吸着機能マグロックで身体を固定した。


「あちゃ~、やっぱボロんボロんだなぁ」


 直接見る船体のダメージに、隣に立つカオルコが思わずぼやいたが、ケイジは聞いていなかった。


 ――これが……〈じんりゅう〉……!!


 艦尾から張りだした位置にある補助エンジンからは、〈じんりゅう〉の主船体を斜め後ろから見渡すことが出来た。なんとなく巨大な大根の上にでも立ったような気分になる。

 元はパールホワイトを基調とした美しい塗装が施された船体は、今や煤焦げた被弾痕だらけで見る影もない。だが、ケイジにはそれでも充分だった。

 憧れだった艦そのものではないが、その同型艦の上に立てたのだから。VSクルーや幼なじみと再会できた事と同じぐらい心が揺さぶられた。

 好きな航宙艦は数多あるが、やはりケイジは〈じんりゅう〉が一番美しく思えた。

 不思議なことに、艦内にいる時よりも、こうして艦の外から眺めて見ている時の方が、自分が憧れの艦にいる実感がわいてきた。


 ――やっぱりイカす艦だよなぁ。


 普段のモットーなど忘れて、自然と喜びの感情が眼頭を熱くさせた。


「……そんなに気にいったの?」


 目を潤ませて〈じんりゅう〉を見つめるケイジに、カオルコがポツリと呟いた。

 振り返って第一補助エンジンノズルを見下ろすと、そこでは、すでに生き残ったヒューボ達が、壊れたノズルを除去する作業をせっせと続けていた。

 底の抜けた巨大なプリン容器のようなノズルの基部に、ヒューボ達がわらわらと張り付いている。ヒューボはケイジが指示するまでも無く、滞り無く作業を進行させていた。

 ケイジとカオルコに任せられた仕事は、ヒューボにはカバーできない細部――主に作業状況の目視による直接確認だった。

 こればかりはヒューボには頼めないし、全クルーの中で最も船外作業経験があり、かつエンジニアでもあるケイジにしかできない任務だった。

 EVA要員にはカオルコもいるが、もちろん二人でやった方が早く済む。


 ――でもやっぱり、僕いらないんじゃ……。


 ヒューボの仕事を見ていると、どうしてもそんな気分になってくる。


「それでははじめるか。わたしは第三補助エンジンの方を見に行く。悪いが私はEVA要員だけれども専門は人命救助でエンジニアというわけではないから、分からないことがあった場合は助けてくれよ」


 そう言うと、カオルコはワイヤーガンを駆使して、無事なスラスターノズルの取り外し作業を行っている第三補助エンジンに向かった。

 一人残されたケイジは、早速、指示された作業を開始した。


 ケイジ達に残された時間はあと約三日しかなかった。それまでに第一補助エンジンの推力を取り戻さねば、たとえ減速を開始しても間に合わず、〈じんりゅう〉は危険なスピードのまま、メインベルト内〈テルモピュレー集団クラスター〉に突っ込むことになってしまう。

 実際にメインベルトに達するのは六日後であっても、補助エンジン二機では、メインベルトの公転スピードと速度差を0にするのに、全力で噴射し続けて三日掛かるからだ。

 メインエンジンが使えない〈じんりゅう〉が、二基の補助エンジンだけで止まるためには、その分噴射時間を長くするしか無かった。


 ケイジは振り返って再び〈じんりゅう〉艦首方向を見てみた。左舷一〇時方向から射し込む太陽光のを除けば、他と変わらない宇宙の星々が広がっているだけだ。

 目を凝らすと、艦に並走して飛ぶ幾つかのキラキラと輝く物体が見えた。

 パージして破壊された〈じんりゅう〉第二補助エンジンの破片のうち、爆発時の速度と方向がたまたま〈じんりゅう〉と揃ったの物が残ったのだろう。

 それらは回転しながら、太陽光を反射して輝いているのだ。

 それらを除けば周りに動いているものは全く見えない。広義においてはここは既にメインベルト内であるはずだったが、肉眼で見える小惑星はまだ無く、とてもこの艦が秒速九〇キロで慣性航行中とは思えなかった。ただ、静止した空間が広がっているだけだ。

 ケイジは急に、自分が前方に向かって落下し続けているような感覚に捕らわれた。

 あまりにも静か過ぎて耳が痛くなりそうだ。代わりに己が発する鼓動と呼吸音が頭蓋骨にやかましい程に響く。ケイジの脳裏に、あの、ありとあらゆる光で満ちた光景が蘇った。

 急に猛烈な眩暈が襲い、船殻に膝をつく。自分がひどく場違いな場所にいるような気がした。戦場の真っ只中でただ一人、宇宙を漂っていた時の記憶が蘇ってきたのだ。


『ケイジ三曹、心拍数が上昇しています。大丈夫ですか?』

「わぁッ!」


 VS艦隊独特のファーストネームに階級をつける呼び方が、突然ヘルメット内に響いだ。

 ブリッジから補助エンジン修理作業の監督をしているサヲリ副長の声だった。


「だ、大丈夫です!」


 ケイジは即答した。だが、――だから心なんて! ――と念じれども、先日、身体一つで宇宙に放り出された時の記憶が、自分の意思とは関係無しに否応なくトラウマとなって蘇える。

 ケイジは早まる鼓動をねじ伏せようと心掛けたが、それで治まれば苦労は無かった。


『……なら良いのですが……………………ケイジ三曹、丁度良い機会ですから、ここであなたに言っておきたいことがあります』


 ケイジの強がりを、副長はあっさりとそのまま信じたらしく、話を変えてきた。


「は、はい?」

『先ほどの医療室での件です』 

「……」


 なにもこのタイミングで話すことでは無いような気が……ケイジは何とも答えることができずに、副長の次の言葉を待った。やはりあれは「事故です!」では済まなかったのか!?


『こちらカオルコ、ケイジ三曹どうかしたのか?』

「だ~っ!!! わ~! なな、なんでもないです!」


 会話を聞いていたらしいカオルコの突然の声にあたふたとそう答えると、ケイジは慌てて解放状態の無線をローカルに変え、副長とだけ会話ができるよう切り替えた。


『あの、ケイジ三曹、医療室ではあまりにも男性に配慮の無い行いでした。ごめんなさい』


 副長はいきなり謝った。


 ――ごめんなさい――って! ちょっと可愛いじゃないか!


「あ、あの、いや、はい、それはもう、お礼を言うのはこっちと言うか……、いや! 助けてもらったという意味でのことで、医療室でのことはべつに、いいんですけど……」


 まさかそんな言葉がくると思わなかったケイジは、しどろもどろになって答えた。


『ワタシは自分の身体に、そんな価値があるとは思えないのです。もしワタシの身体に女性的魅力を感じていてもらえたのでしたら、それは大変光栄なのですが、それは間違いなのです』


 副長はケイジの心の内などお構いなしに続ける。


『ワタシの身体は、幼いころグォイドに被災して以来、左半身、左腕、左脚、左眼、内臓と脳の一部が人工物で置き換えられています。いわばサイボーグなのです』

「……」

『あの時は、成長する肉体にあわせて、人工物の左腕と左脚の長さをカプセル内で調整しているところだったのです。これをしないと生身の肉体に対して左の手足が短いままになってしまいますから。その、ですから私の身体は男性に喜んでもらえる価値などまったく無いのですよ』


 副長は何の感情も感じさせることなく、ただ淡々と喋っていた。が、それが言って楽しいことではないことぐらいケイジにも分かった。

 この時代、彼女のように体の一部が義肢、義手体になっている人間は珍しくない。戦場にいればそういうことは常に起こりうる。これが医療室で彼女に引き起こされた時の、彼女の左腕の力の秘密だったのか……ケイジは一つ合点がいった。


「えっと……あの、でも、それでも、副長、そのなんていうか全然そんなことな……」


 まだケイジには“綺麗な裸でした”などとと言う度胸は無かった。


『後で艦長とミユミ準尉に怒られてしまいました。ワタシとしてはケイジ三曹が治療カプセルに入っている間、あなたの裸はクルー達ですでに散々見ているので、別に気にすることでは無いのかと思っていたのですが、やはりまずかったようですね』


 ……。


「!? 今なんと?」


 そう言えば、自分はベッドで目覚めはしたが、〈じんりゅう〉に運ばれた直後は、当然カプセルに(当然裸で)入れられ、怪我の手当てが行われたはずなわけで…………。

 自己紹介の時、クルー達の顔が、皆そこはかとな赤らんでいたような気がしたのは――!?

 一瞬、少女達が、『ふむふむ、ほうほう』『こういうふうになっていたのか!』『よく邪魔にならないな!』とか何とか言いながら、カプセル内を漂う自分の裸を見ている姿が浮かんだ。


「!!!!」

『落ち着いたみたいですね』

「はい?」

『心拍数が正常になりました、ケイジ三曹』


 言われてみれば、いつの間にか胸の鼓動がおさまっていた。というか血の毛が失せた。

 なんだか良いように操られているみたいで釈然としないが、お陰でこのPTSD症状から抜け出せたたので良しとしよう。そう思おう。そう思うしかなかった。

 さすが副長、彼女はこうなることを見越してこの話題をふったのだろうか……。

 こういう時こそ『心』なんていらな……――いや無理だって!!!

 ケイジは瞬間的に無線通信をオフにすると、頭を抱えてそっくり返りながら思いっきり悲鳴、もとい雄たけびを上げた。


「いぃ~~~~~~~~~~やぁ~~~~~~!!!!!!」


 当然、それが真空の宇宙に響きわたることは無かった。


『ケイジ三曹、今度は血圧が上がっています。大丈夫ですか?』

「大丈夫です!」


 再び無線のスイッチを入れると、ケイジは仕事に戻ることにした。

 携帯端末に表示されたマニュアルの指示に従い、ヒューボには任せられない、人間でしか確認できないような事柄を、一つ一とマニュアルと首っ引きで点検していく。


「……っていうか副長、素朴な疑問ですが、この艦のそもそも機関長はどこなんですか?」


 ケイジは今頃になって、当然行きつくべき疑問に思い至った。


『機関長ですか…………』


 不自然な沈黙があった。この副長には珍しい事な気がする。


『……もちろんいます。といいますか、いました』

「いました?」

『機関長は、母港を抜錨する直前になって妊娠が発覚し、乗艦しませんでした』

「‥‥‥…………はいぃ!?」

『ワタシ達もとても驚きました。ですがシアーシャ機関長はクルーでも最年長の二五歳でしたし、恋愛も許されていました。当然、産むなとも言えませんし、妊婦を危険な任務に就かせるわけにもいきません。ですので、艦長命令により機関長は乗艦させなかったのです』

「それは、なんというか、え~……おめでたいことで」

『本当に、めでたいことです。……というわけで、〈じんりゅう〉の機関長代行は、艦長判断でワタシとシズ大尉で兼任することとなったのです』


 副長が一体どんな気持ちでそのことを受け止めたのかは分からない。ただハッキリしてるのは、今この艦には機関部専門の人間は結局自分しかいないということだ。

 ――にしてもその機関長、この時世になんという勝ち組…………VS艦隊クルーでもやることやってるんじゃないか! ケイジが驚いたのはまずそこだった。

 ともかく、人手が無いからヒューボが生まれ、そのヒューボが無いからまた自分が働く羽目になったわけだ。しかも本来この仕事をするはずだった人間は、今頃幸せ街道まっしぐらなのだ。憤ること甚だしい。


 ――待てよ?


 その時、ケイジは閃いた。正に圧倒的な閃き、何故もっと早く思いつかなかったのかと。


「副長、副長! あとカオルコ少佐!」

『どうしたケイジ三曹? 何事だ』『聞こえてますケイジ三曹、どうかしましたか?』

「艦内のクルーで、手の空いている人がいたら、お願いしたいことがあるんですけど」


 ケイジは自分のアイデアを具申してみることにした。













 ◇――第一回非公式三鷹ケイジ技術三曹対策会議――〈じんりゅう〉食堂。


「だからですね、シズはなんだかこ~……視線がいやらしかったと言っているのです!」

「おシズ、ずっと電算室から監視カメラでケイジ三曹のこと監視してたの? わざわざ?」

「左様ですフィニィ大尉。クックック、このシズにかかれば雑作も無いことなのです」

「……お前、意外と暇だったんだねぇ……」

「視線ねぇ、気のせいじゃないのかなぁおシズ大尉、ボクは気にならなかったけど?」

「フィニィ大尉、甘いのです! 甘々です! もっと警戒心を持ってください! 相手は男子なのです獣なのですよ!」

「視線ねぇ、まあ普通に見られてたわなぁ。カオルコ少佐の胸とか完全にロックオンしてたな。当人はばれないように見てるつもりらしいけどよ」

「クィンティルラよ、クィンティルラもフォムフォムと話す時、胸を見てる」

「それは主に身長差が原因だ! それにでかい胸があったら見る! これは譲れない!」

「しかしおシズ大尉殿、女性として殿方から視線を集めるのは喜ばしいことではないのですかナ、逆に見向きもされなかった日にゃ、それはそれでショックですぜヨ」

「シズ達が女性として魅力的などというのは至極当たり前なのです! おシズが言いたいのは、ケイジ三曹が胸とかお尻とかをチラチラ見ているのが嫌なのです!」


 ――――あんたの私らを見る視線もそう変わらないような……――――


「まぁ、こんな(軟式宇宙服)格好してれば、健全な男子ならそうもなりますデスわナァ」

「じゃ、何か別の服に着替えるか? 少年がジロジロ見ないで済むよなさ」

「そんなの駄目です! 皆さん、とてもお似合いなのです。着替えるだなんてとんでもない! そんなの男子の視線に負けを認めるようなモンなのです!」


 ――――じゃあ、どうすればいいってのよ……――――


「でも良かったんじゃないのかなぁ、助けたのがケイジ三曹みたいなタイプで」

「なぁんですってぇっ!? フィニィ大尉、それどういう意味なのですか!? まさか……あんな陰気で根暗でオタクなムッツリスケベがタイプなのですかっ!?」

「違うよ! 違うっておシズ、ボクが言いたいのは……」

「歳も階級も下だから、天下御免で馬車馬のごとくこき使えてラッキーデスとナ!?」

「違うってばルジーナ。僕が言いたいのはホラ、あんまギラギラした子じゃ無くて良かった的な? 真面目だし働き者だし。ほら、火を出しちゃった時も助けてくれたしさ、キッチンで」

「まぁ~な、ちいとばかし覇気ってもんが足りない気もするけど。まったく、つまらん!」

「クィンティルラと同じく、フォムフォムも特に問題は無い」

「ところでさぁ、ボク達、別に嫌われるとか、怖がられるような事してないよねぇ?」

「当たり前ですフィニィ大尉、そんな権限、あの人間にはありませんのです!」

「……ないよねぇ?」

「フォムフォム、フォムフォムは、単にケイジ少年がそういうキャラなだけだと思う」

「いや、存外、女に興味が無いという可能性もあるんじゃないデスカナ? つまり!」

「おおう! 男にしか興味が無いってヤツか! なるほど!! そいつは興味深い!!」

「あ~も~ともかく! 仮にケイジ三曹が人畜無害の無印人間であっても、まごう事無き男であることに変わり無く、本来なら、男性航宙士を救出した場合は、相手なんぞはヒューボに任せて、個室に閉じ込めて我々とは一切接触させないのが筋ではなかろうかと言っているのです!」

「だって残ったヒューボは補助エンジンの修理で使ってるし、個室はお前がエネルギーケチる為に使用禁止にしちゃったじゃないか」

「ぐぬぬ……クィンティルラ大尉ぃ……でもでもでも! 艦長だってあんなことに……」

「ああ~、〈マウスtoマウス人工呼吸〉&〈ユリノホールド〉のことデスかナ? あれは凄かったでデスなぁ……ってかあれはケイジ三曹の責任というよか艦長が自爆しただけでは?」

「いやそれは確かにそうなのですけど……ケイジ三曹のキャラに関係なく、我々の警戒心がですねぇ……」

「まったく、通信ではケイジ三曹と普通に会話出来てるくせに……単にお前さんが人見知りで、男性恐怖症ってだけなんじゃねぇのかい?」

「そ、そんなことは……!」

「それにねおシズ、ボクらってさ、たまたま【ANESYS】の適正があったからヴィルギニー・スターズだなんてもてはやされているけど、それって、ケイジ三曹みたいな人達の影の支えがあってこそのことだと思うんだよね。確かに男子との接触は禁止されてるかもしれないけど、こっちから積極的に無下にすることも無いんじゃないのかなぁ~って」

「そうデスなぁ。今回の戦闘も、ワタシらが到着するまでケイジ三曹らが持ちこたえてくれていたから、なんとかシードピラーを仕留められたともいえますデスからナ」

「まァ奴に関しちゃ、ミス幼なじみのミユミが当直から帰ってきたら、じっくりどんな人間か詳しく訊けばいいじゃないか。そんで隔離なり船外廃棄するなり決めれば?」

「船外廃棄て……ああミユミ准尉と言えば、ボクね、ケイジ三曹ってどんな人? って彼女に訊いてみたんだ……」

「で、なんて答えたんですかフィニィ大尉!?」

「いや、なんかすご~く悩んだ上で……ケイちゃんは凄く……」

「凄く?」

「凄く……頑固者だって答えてた」

「…………お! 噂をすればケイジ三曹とカオルコ少佐が戻ってきぞい」

「ひやんっ!!!」



「た、ただいま戻りまし……今誰か出ていきま……って、な、なんだこりゃ……」

「ただいま~。いやはや、なれない作業で疲れた……って、おお、様変わりしたもんだなぁ」


 船外作業が終わり、カオルコと共に食堂へ入ろうとした瞬間、ケイジは通路の反対側の食堂の出入り口から、ぴゅい~んとばかりに誰かが走り出ていくのを見たような気がした。

 しかしケイジのその疑問は、様変わりした食堂内の光景に消し飛んだ。

 食堂の一画のテーブルが退かされ、クルー達が眠る為のマットが整然と並べられている。

 それはまだ話に聞いていたのだが――食堂にはその他に、各種トレーニングマシーン、腹筋台、木人、ドレッサー、姿見、詰まれたプラモデルの箱、多種多様のヌイグルミ、珍しい紙の本の数々、壁に張られた幾枚ものアニメ『VS』のポスター、ドリームキャッチャー、ホロキャンドル等々、彼女達の私物の数々が運び込まれており、その真ん中で、クルー達が車座になり、思い思いの態勢で、中央に置かれたお菓子をつまみながら雑談をしていた。

 食堂の一画は完全なるカオス空間へと変貌していた。

 艦長、副長、カオルコの三人はブリッジのそばに私室を持っており、シズ大尉は電算室を自分の巣にしているので、食堂にあるのは引っ越し作業をする羽目になった残りのクルー、フィニィ、ルジーナ、ミユミ、クィンティルラ、フォムフォムの荷物の数々だ。


 ……これがいわゆる女子の部屋というふものなのか!?


「あわわ、ごめんね、とっ散らかっちゃってて! あとでパーティション付けるからさ、今は気にしないで。ケイジ三曹に頼まれていた物はあそこに纏めてあるからさ」

「あ…………ありがとうございます!」


 ケイジは一瞬度肝を抜かれたが、フィニィの言葉に、食堂のさらに片隅に副長に頼んでいたことがちゃんとしてもらえていたのを見つけて、途端にその表情を輝かせた。

 早速、彼女達によって集められた機械パーツの山の前に座り込み、選別とチェックを始めた。


「うまくいきそうなのか?」


 カオルコがケイジの背中に話しかけた。助けられて以来、この少年があからさまに喜びを表すのはこれが初めてな気がしたからだ。

 ケイジは早速パーツ群の中から幾つか選び出し、床に並べ始めていた。


「多分……っというか、うまく行かないとヤバいですから、ヤバくとも何とかします」


 ケイジが手を止めると、パーツが床の上で小柄な人の形をなすように並べられていた。

 ケイジが副長に頼み、クルー達に艦内中から探し出してきてもらった物とは、先の戦闘で破壊されたヒューボの残骸であった。

 人手が足りないからヒューボ、ヒューボが足りないならヒューボを修理してしまえば良いのだ。

 殆どが戦闘でバラバラに破壊されてしまったヒューボ達だが、その残骸を組み合わせれば、数体分くらいは復活させられるかもしれない。

 巨大な補助エンジンのノズルの交換修理など、ケイジ一人では大して役にたてないが、ヒューボであればケイジ一人でも修理可能だ。

 ヒューボならば人間と違って24時間体制で補助エンジンノズルの交換作業をさせることができ、作業完了を早めるのに役立てるかもしれない。ケイジはそう考えたのだ。

 “エンジニアリングはチェンジニアリング”と、壊れたパーツを正常なパーツと交換チェンジすることによって機能回復させるのは、航宙艦エンジニアリングの基本として、真っ先にケイジが学んだことであった。

 ヒューボも、基本的にパーツの交換だけで修理は可能なはずであった。これはケイジのエンジニアの技術が優秀であるというより、設計が優れているというべきことだった。

 ヒューボに限らず、太陽系防衛艦隊SSDFで使っているありとあらゆる機械類は規格が統一され、パーツ交換が容易なように配慮されている。


「ボクらも何か手伝おうか?」


 突然、声をかけられて驚いて振り返ると、フィニィ他、食堂にいたクルー達がケイジの後に集まって来ていた。


「気にしないで、ボクら今暇なんだ。それにやらないとヤバイんでしょ?」


 どこか中性的な雰囲気の漂う美少女、フィニィの爽やかな頬笑みを、無下にする度胸などケイジにはありはしなかった。


「あ~……、え~とじゃあ、お願いします。え~とあの山から、これみたいにヒューボを組める分のパーツを探して貰えますか?」


 ケイジは自分の前に頭、胴、両腕、両足が人型に揃っているのを指して言った。


「よ~し、ちゃっちゃとやっちゃおっか!」


 クルーたちは、わいのわいの言いながら、パーツの山から必要なものを探し始めた。

 探し出されたヒューボの残骸は一〇体分も無かった。残りは文字通り消し飛んだか、あるいは船外に放り出されてしまったのだろう。

 クルーの協力で、修理できそうなパーツはすぐに探し出せた。その数はさらに減り、およそ五体分。実際に組み立てて動くのはさらに少なくなるかもしれない。


「やっぱこんなものかぁ……」


 ケイジは少しがっかりしたが、自分が期限内に修理できる数を考えれば、これ以上あっても修理は無理かもしれないと納得した。


「みんなおはやぁ~」


 ……と、そこへ寝ぼけ眼で食堂に誰かが入ってきた。今まで睡眠時間だったのか寝間着姿だ。まだ眠た気にあくびをかみ殺している彼女に、皆がそれぞれ朝の挨拶を交わした。


「ごはんはぁ?」


 戦闘が終了して以来、ようやくまともな睡眠時間をとることができたユリノ艦長が、艦長としての威厳もへったくれもない弛緩しきった顔で、欠伸を噛み殺しながら訊いてきた。

 そういえばもう食事の時間なのか……すでにケイジのことを臨時機関部員としてだけでなく、臨時烹炊長と見なしていたクルー達がケイジの方を向くと、ケイジはいつの間にか広い食堂の遥か隅に顔を埋めるようにして、クルー達に背を向けブルブルと震えていた。

 まるで、全身全霊をもって自分は何も見ていないことをアピールしているかのように。


「あ~! かんちょぉ~!」


 真っ先に気づいたフィニィが叫んだ。

 ユリノの寝間着は、下はパンツ一丁に上はYシャツ一枚という出で立ちであった。

 これはおシズ大尉が心配するのも無理無いと、女子一同は思うのであった。








 地球から飛び立ち、航宙士として生活をするようになったケイジが、この宇宙で得た真理が何かあるとすれは、それは宇宙は恐ろしく明確で、味も素っ気もない無い答えしかくれないということだった。

 宇宙航行においては、これから起きる事、これから行う事の結果、ありとあらゆることが地球上の何百、何千倍も正確に、事前の観測と計算によって予測することができるからだ。

 宇宙航行における予測や計算を行う時、宇宙では地球上のようにゆらぎやノイズとなる空気も重力も地面も無い為、より正確な答えが出せてしまうのである。

 〈じんりゅう〉が安全にメインベルトに突入するその方法も、計算で求めた時間までに、計算によって得た推力を取り戻し減速する他に術は無い。

 ミステリーの結末を知ってから読むようなものだ。すでに答えは出ていて、あとはそれに従って行動するだけ。そしてそこから外れた場合は避けられない破滅が待っている。

 予想外なことが起きるとすれば、それはグォイドか人間の不完全さが起こしたものだけ。

 恐ろしいのはたとえ答えが出ても、実行する時間がすでに無い場合もあることだ。

 例えば、万が一、期限までに〈じんりゅう〉の補助エンジンが噴射開始できなかった場合、メインベルト到達まで何日、何時間あったとしても、減速が間に合わず助からない。

 UV技術の獲得によって、多少は温くすることができたものの、宇宙とは基本的に『冷たい方程式』が支配する場所なのだ。

 人類はグォイドと戦う前に、まず宇宙と戦わねばならないのだ。

 そしてそうであるが故に、自分は『心』なんていらないなどという極端なモットーを持つようになり、艦長は、計算で出せるはずの答えを見逃すのが許せなかったのだろう。そうケイジは思うのだった。

 ヒューボの修理を閃いた時は、一瞬、自分冴えてるじゃないか? などと思ったりしたが、よく考えたら当たり前のこと過ぎて、今度は若干落ち込んでしまった。


「なるほど、そういうことになったのね」


 ケイジが用意した食事を終え、コーヒーを啜ってようやく目が覚めたのか、しゃっきりとした顔となったユリノ艦長は言った。

 なんとなく声が上ずっているような気をするのは、あられも無い姿を見られたショックを引きずっているからなのか……もちろん彼女はいつもの艦長服に着替えていた。

 艦長はこの突発的来訪者の突然のアイデアに、ただ「がんばってちょうだい」とだけと言うと、副長と交代するためブリッジへと向かった。

 ケイジは再びヒューボ修理に戻った。

 残りの手あきのクルーはシズ大尉の指示に従い、艦内エネルギー節約の為の人工重力カット時に備え、備品が暴れないよう固縛する等の作業に追われていった。


 日に四度の食事を作り、片づけと次の食事の仕込みを終え、再びヒューボの修理に戻る。

 暇を見て、艦内の酒保等で最低限の生活必需品を確保することもできた。

 男性が着てもおかしく無い衣類をこの〈じんりゅう〉内で見つけるのが、実は一番苦労したことかもしれない。


 シズ大尉とはノズル交換作業についてしばしばうち合わせたが、彼女は短い時間にマニュアルから作業に必要な知識を得ていて、ケイジが言うべきことはほぼ無かった。会話は全て艦内通信だけで行われ、結局、未だシズ大尉がどんな娘なのかその姿は見ずじまいだ。

 ヒューボの修理は、ひたすら壊れたパーツを外して、正常なパーツと交換するという作業の繰り返しだ。修理しやすいよう破壊されたわけでは無いので、そう楽にはいかない。

 気づけば艦内時間の夜中になっていた。

 食堂内はクルー達が寝る場所と作業場所の境に、新たにパーティション用の間仕切り板がはめ込まれ、クルーのプライバシーが確保されるようになっていた。

 寝袋を与えられ、作業場をそのまま寝床にされたケイジは、なんの仕切りも無しに女子と同じ部屋で眠ることにならなくて済み心底ほっとした。

 宇宙漂流から命からがら助かったと思ったら、あれよあれよという間に〈じんりゅう〉の臨時機関部員兼烹炊長をしている。あのVS艦隊の女子クルーに囲まれて……。

 『心』なんていらないといくらそう念じていても、宇宙生活についての考察やヒューボ修理にでも集中していないと、背中に感じた艦長の胸の感触や副長の裸体、成長した幼なじみをはじめクルー達のあのスーツ姿で、頭が淡いピンクの妄想で埋まってしまいそうだ。

 間近で見る彼女達は、皆、手足が長くて、華奢で儚く、まるで幻想世界の住人のようだ。

 これは…………悟りを開いてしまうかも……と、ケイジは半ば本気でそう思った。

 きっと、他の男であれば泣いて喜ぶ環境なのだろうと思う。ケイジとて、けして嬉しくないわけではない。だが、ケイジという人間は、こういう状況になればなる程、逆により一層任務に集中しようと思ってしまうのだった。

 自分はどうせ、いつ死ぬかもわからない一介の航宙士に過ぎず、彼女達とは住む世界が違う。なにより、この出会いは偶然が生んだ一時的なもので、無事帰還したら即また別々の任務につくのだ。別れの辛さを味わうくらいなら、最初から仲良くならない方が良い。

 だから『心』なんていらない。自分はこれまで通り、ひたすら粛々と目の前の任務に集中すればいいのだ。彼はそう結論を下した。

 ケイジは眠気覚ましのコーヒーを入れようと厨房に向かったところで、短い悲鳴と、堅い何かを床に落としたような音に気付いた。

 誰か怪我でもしたのかと慌てて厨房に駆け込むと、またしても見知らぬ女の子がいた。ただ、今回は今までと少しだけ違う点があった。今回目の前にいるのは、ケイジより三~四歳は年下のおとなしそうな女の子だったのだ。


「あ~大丈夫ですか? 怪我は?」


 色々言いたいことはあったが、ケイジはとりあえずその子に駆け寄った。

 どうやら、お湯を沸かそうとして、シンクで電気ポットに水を入れたところ、ポットが重すぎて落としてしまったらしい。床に落ちた水浸しのポットからケイジは推察した。


「……だ、だだだだだだだ、大丈夫なのです」


 しばしの沈黙の後、ようやく少女は絞り出すように答えた。

 身長は今まであったVSクルーの中で最も小柄、ケイジの胸あたりに頭がくるくらい。やたらフリルのついた黒のワンピースを着ている。既にその服装の段階でおかしすぎる!

 白い肌、でも頬は薄桃色、蒼黒い髪は腰まで来る長さで、長い前髪が瞳を半ば隠していて顔は良く見えなかった。

 なんだかドラキュラ城にでも住んでそうな女の子だ。おまけにその手には、アニメ『VS』のキャラグッズの一つ、分析用四足獣型ヒューボの縫いぐるみを抱えていた。

 せいぜい中学一年生くらいにしか見えない。どう考えても航宙戦闘艦には場違いだ。


「……ひょっとして、シズ大尉?」


 ひょっとしても何も、もう彼女以外あり得ないのだが、ケイジは濡れた床をモップを持ってきて拭きながら尋ねた。手を動かさないと、いつまでも見つめ続けてしまいそうだ。

 VS艦隊クルーが変わった人間の集まりというのは大体分かってきた。が、これはどうなんだと思わずにいられない。こんな幼い子がVS艦隊クルー、それも大尉だなんて!?


「ク………クローティルディア・ヅァミューレン技術大尉。こう見えても十三歳です! ………今月末には。皆は長いのでCZ――シズと呼んでいるのです」


 ケイジの顔から言わんとした事を読み取ったのか、彼女はやや声を大にして名乗った。


「い……シズは、今はちょっと、ポットのお湯とココアを補充に来ただけなのです」


 シズ大尉は訊いても無いのに続けた。


「シズはECR(電算室)をあまり空ける訳にはいかないのです。今〈じんりゅう〉は沈むか沈まないかの瀬戸際ですから」

「そうなん……そうですか、……そうですよねぇ」

「あ、う、その……ヒューボの修理はどうですか?」


 彼女は彼女なりに、上官ぽい世間話を試みているようだ。


「……まぁぼちぼちです。とりあえず一体は何とかなりそうです」

「そ、そうですか、……良かった」


 シズ大尉はほっと胸に手を当てた。


「あの……その、ヒューボの修理はもっと早くワタシが思いつくべき事でした。それを考えるのがシズの仕事なのです。ついシズ達だけで出来ることだけを考えて、部外者が役立つとはちっとも思いつかなかったのです。まさか、偶然救助した男子なんぞに助けられるとは」


 微妙な言い回しな気もするが、彼女なりに反省するところがあって言っているようだ。

 ケイジから再び水が入れられたポットを受け取りながら、彼女は言った。


「それでは、シズはECRに戻りますのです」

「はぁ、じゃあ……また。お気をつけて」


 ケイジはココアの粉の缶とポットを持った彼女に道を開けた。普段だったらヒューボにでもさせているのだろうが、それが出来ないからわざわざ自分で来たのか。


「シズ大尉、もし手が空いてたら、今度のご飯は食堂に食べに来てください」


 ケイジは何気なく言った後で、余計なことだったかな? と思ったが、彼女は一瞬立ち止まった以外は特にリアクションをとることもなく、足早に食堂を去って行った。

 ケイジはそのワンピースの足元から、軟式宇宙服のブーツが覗いているのに気づいた。


 ――ひょっとして、あのピチピチスーツで出歩くのが恥ずかしくて、上からワンピースを着ているのかしらん? ……………まあ普通、恥ずかしいよなぁ……。


 ケイジが自分のコーヒーを入れ、作業を再開し、ようやく一体目のヒューボの修理を終えたのは、その五時間後のことであった。









 ケイジは一体目のヒューボの修理に成功すると、そのヒューボに、残り二体のヒューボの修理を手伝わせることにより、一体目の半分の時間で二体目、さらにその半分の時間で三体目のヒューボの修理を遂げることに成功した。

 さすがにヒューボに修理を一〇〇%任せることは出来なかったが、複雑な中枢部分の修理以外であれば、緊急時に備えヒューボがヒューボを組み上げることは可能なのだ。

 ケイジは直ちに復活したヒューボ達を、補助エンジンノズルの交換作業へと向かわせた。

 これにより、三体のヒューボが作業に加わってから半日後には、〈じんりゅう〉本体から、交換する為の補助エンジンノズルを分離させる作業までたどり着くことができた。

 ケイジが硬式宇宙服姿で船外から見守る中、フィニィの操舵によって、〈じんりゅう〉がまずは艦首可動式ベクタードスラスターを僅かにふかして前進、固定具を外した補助エンジンノズルをおいてけぼりにして主船体から分離させる。

 続いて〈じんりゅう〉を九〇度ロールさせ、分離した左舷下の無傷な補助エンジンノズルが、左舷上の移植先の補助エンジンの真後ろへ来るよう移動させる。

 自力で移動出来ないノズルより、〈じんりゅう〉を動かした方が手っ取り早いからだ。

 “焦らず慌てず冷静に最速で”という操縦のお手本のようなフィニィの操舵だった。

 これで後は無傷のノズルを第一補助エンジンに接続する作業だけだ。ノズル交換作業の全工程の三分の二をクリアしたことになる。

 ケイジがヒューボに音声指示を下すと、十二体となったヒューボ達が、ワラワラと取り付ける補助エンジンナセルとノズルに飛びついて行った。

 シズ大尉によれば、逆噴射開始期限の約三時間前には作業完了できるそうだ。

 ヒューボを修理してしまった今、これでケイジに出来ることは、船外に出ての修理状況の確認以外は、毎日の食事作りだけとなってしまった。

 以後、ケイジは腕によりをかけた料理をクルーにふるまうことにした。

 さすがあのVS艦隊ということか、〈じんりゅう〉に積まれた大量かつ高級な食材と調理機器を駆使すれば、こんな機会でもなければ作れないような凝った料理ができそうだった。自分が食べた事が無い料理にだってチャンレンジできる。

 自分の料理が烹炊用ヒューボのに比べ、どこまで味に違いがあるのか分からない。

 だがたまたま適正検査の結果、身に付けた調理技術ではあったが、自分の作った食事が誰かに喜んで食べてもらえることが、とても嬉しいことを、ケイジは初めて知ったのだった。

 彼女達とも、食事中の他愛ない会話位はできるようになってきたような気がする。

 ……といっても、カオルコ少佐やクィンティルラやルジーナが気さくに話しかけてくれるからだが。

 ミユミとも、少しずつだが、五年前の何一つ気兼ねする必要の無かった頃の関係を取り戻しつつあるような気がしてきた。

 ただ、艦長だけは、未だに自分に会う度にと変にギクシャクというか、つっけんどんな態度な気がするが……やっぱり嫌われているのだろうか? それとも単にVS艦隊の艦長だから? やっぱりあの寝間着姿を見られたのを怒っているのか?

 あれから三食に一回はシズ大尉が食堂に顔を出すようになっていた。いったいどうゆう心境の変化で来るようになったのかは、ケイジにはサッパリ分からなかったが。

 〈じんりゅう〉のクルー達はそれぞれが出来うる作業を精一杯行い、その時を待った。

 逆噴射開始前日になると、艦長が大浴場の使用を宣言した。

 噴射を開始してからは、もうエネルギーを食う施設は使えないので、その前に英気を養う為に入っておこうという考えだ。

 航宙艦の中で、限りある貴重な水を大量に使い、人工重力の効いた浴場施設をわざわざ設けて風呂につかるなど、黎明期の宇宙飛行士が聞いたなら卒倒しそうな行いだが、VSクルーをはじめ、女性航宙士の二世紀にわたる嘆願により、この大浴場は実現されていた。

 艦長のこの宣言はクルー達の歓声をもって迎えられた。

 ケイジにとって災難だったのは、大浴場で汗と疲れを洗い落した彼女らが、リラックスしきって風呂上がりのあられも無い格好のままで、通路を歩く彼の前に現れたことだった。


 ――……おいぃぃッ! 


 ケイジは幸運とかを感じる前に、軽い殺意を感じた。艦長も副長もあられも無い姿を見られたばかりだろうに! 

 殆どがバスタオル一枚か、せいぜいタンクトップとショートパンツを纏っただけであった。カオルコなどは、上は首からハンドタオルを下げただけだ。

 プラスして風呂上がりの少女達の放つ謎のオーラが、十六歳の少年から普段のモットーを含め一切の思考を奪い去り、せっかく自分も入る事が許された〈じんりゅう〉名物の展望窓が設けられた大浴場も、ほとんど彼の記憶に残ることはなかった。

 そして逆噴射開始期限、その時はやってきた。










 ユリノはふと左腕が異常に疲れているのに気付いた。ここ一時間、ひたすら艦長席の左の肘掛けを握りしめていたからだ。

 ちなみに右手は、三つ編みにした髪の毛を指先にグルグルと巻きつけいじり続けていた。

 これと言ったトラブルも無く、補助エンジンノズルの交換作業は一時間前につつがなく終了し、それから現在までは最終チェック作業に費やされていた。

 ユリノは今すぐ逆噴射を開始したいと思わずにいられなかったが、不備が見付かったとして直せるとしたら今がラストチャンスだ。今はチェック終了を待つしかない。

 現在、目視ブリッジにはケイジを除く全クルーが集まっていた。

 パイロットの二人の他、普段は電算室にいるシズ大尉も、今は無人艦指揮席に座り補助エンジンの制御系に自己診断プログラムを走らせている。


「第一及び第四補助エンジン、船外からの最終目視チェック完了。いつでも噴射できます」


 船外から戻ってきた硬式宇宙服姿のケイジが、ブリッジ後部ハッチを潜るなりそう報告した。 ユリノはもっと緊張した表情をしているかと思ったが、思いの他決意に満ちた顔をしている。


 ――覚悟を決めたってことね。

 決して油断せず、かつ覚悟を決めたら迷わないのは、航宙艦乗りにとって大事な資質だ。

 ユリノはケイジの両眼に、パンダ見たいな青あざが今だ残っているのを見つけて急に顔が熱くなるのを感じた。昨日の晩、大浴場での一件を思い出してしまったのだ。

 ――嫁入り前の裸を見られてしまった……。


 いくら久しぶりの大浴場だったとはいえ、油断しすぎだった。

 当直のクルーを除く全員で大きな風呂につかり、大はしゃぎした挙句(特に女子全員の背中を流したがったシズ大尉が)女子しかいないということもあって、バスタオル一枚で脱衣所から艦内通路に出たところを、ケイジとばったり遭遇してしまったのだ。


 ――そういえばこの人がいた!


 そして動揺しまくったユリノは、思わず巻いていたバスタオルを落としてしまったのだ。

 茫然とするケイジは、同じくバスタオル一枚のシズ大尉とミユミによる、華麗なダブル・ローリング・ソバットを顔面に食らい、「ばるばすばうばすとぉ~!!!」などという意味不明な悲鳴とともに哀れ通路の彼方に吹っ飛ばされた。

 二人とも、その技、絶対その恰好でやるもんじゃないわよとユリノは思ったものだ。

 弟みたいな年齢の少年相手に、だらしない寝起き姿を見られたことと言い、どうも彼には油断を繰り返してばかりだ。

 つい先日、裸をさらした副長を注意した自分とはなんだったのか?

 今まで行儀が悪いとは百も承知で、食事中でも艦長用コートを脱がずに、ソフティスーツ姿を彼に晒さずにきたというのに。

 というか、仮にもうら若き女性の裸体を見て、何かコメントは無いのか少年よ!


「艦長? 艦長どうかしたんですか?」


 ケイジの怪訝そうな眼差しに、ユリノは「なな何でもないわ。了解、御苦労さま」と慌てて答えると、ふうと大きく深呼吸をしてからブリッジを見まわした。

 皆、準備万端なようだ。最後に操舵席からこちらを窺うフィニィに向かって頷いた。


「〈じんりゅう〉減速行程を開始します。艦首回頭、右ヨーイング一八〇度」


 フィニィが僅かにH型の操縦桿を傾けつつ艦首可動式ベクタードスラスターを噴射、ブリッジの窓から見える星々が動き出した。それと同時に窓から差し込んでいた光が〈じんりゅう〉が太陽に背を向けた為に隠れ、ブリッジ内を照らすのは照明とモニターの光だけとなる。

 回頭が終わると、窓の向こうに先刻分離した第一補助エンジンのノズルと、使えるパーツ類を抜かれ、用済みとなって切り離された第三補助エンジンが漂っているのが見えた。


「第一及び第四補助エンジン、スラスター最微出力で噴射開始します」


 続けてフィニィがスロットルレバーを僅かに上げた。同時にヴォッという効果音が背後から聞こえ、窓の向こうに見えたパーツ群が、艦の横を艦尾方向に通り過ぎて行った。

 艦が減速を始めたため、パーツ群だけがメインベルトに向かって先行していったのだ。


「第一、第四補助エンジン、正常に稼働中」


 機関部席に座ったケイジの報告。


「よし、じゃあフィニィ、ゆ~…………っくり噴射出力を上げていって」

「了解」


 ユリノの指示に従い、フィニィが補助エンジンのスロットルレバーを徐々に上げていく。

 〈じんりゅう〉は猛烈な勢いで減速する度合いを増しているはずだが、窓に投影されたインジケータが動く以外、窓から見える景色で分かるような変化は無い。

 フィニィは慎重に、だが止まることなくスロットルレバーを上げきった。


「第一、第四補助エンジン、スラスター出力最大。安全保証限界値で噴射中」

「全艦、異常無し。パラメーター全て規定値内」


 ケイジが、続いて副長が報告する。

 それからは誰一人口を開く者も無く、ただ沈黙だけが過ぎていった。

 それからさらに三〇秒後、席も無く、手近な席の背もたれに捕まって事態を見守っていたクィンティルラが、だぁ~もう限界だ! とばかりにずっと止めていた息を吐きだした。


「これって上手くいったってことなんだよな? ね? そなんだろ?」


 このまま永遠に沈黙が続きそうな気配を、クィンティルラがぶち壊した。


「……そうよ、うまくいったわ」


 ユリノはたっぷり間をとってから答えた。

 進行方向に艦尾を向けた〈じんりゅう〉は、二つの補助エンジンから猛烈な噴射炎を出しながらメインベルトへと向かって行く。

 メインベルト到達まであと三日。

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